EP023 修羅道?何ソレ美味しいの?
「では術を解く…」
朧は先ほどと同じように、鉄扇で口元を隠すと目を閉じた。
光を纏いふわっと波打つ朧の髪に、またも視覚を奪われていると、鉄扇がパチンッと閉じられた。それと同時に信じ難いことが起こった!!!
ピカッ!
閃光で辺りが一瞬真っ白に光ったのだが、その直後、どういうワケか余市は、拝殿の中ではなく、外の賽銭箱のまん前の地べたに胡坐をかいて座っていたのだった!
そして目の前の賽銭箱の上には、美しい少女、朧がちょこんと腰を掛けていた。
その華奢な少女は、御簾を挟まずに直に見ると尚一層の美しさだった!
恐ろしさすら感じるほどである!!
青と黒の姿はどこにもなかった…黒は胡坐の上からいつ移動したのだろう?と、それ以前になぜ、拝殿の中から境内に瞬間移動したのだ!!?!
まさか…これが噂に聞く、テ、テレポートというやつなのか!?
否!間違いない!それ以外にこの状況の説明がつかない!
「ふふふ…端から移動なんぞしておらぬわ。お主は夕刻、青の接吻に驚き、其処に転がり落ちて気を失うておったのじゃ。目覚めた時、お主は既に童の術、即ち幻術の中におったというだけのこと」
な…何だとぅ!!げ、幻術だとぅ!!?
ではオレは青に咬まれたショックでそのまま外で気を失い、目覚めた時に居た拝殿内部の空間は朧の作りだした幻覚であり、全ては幻術によって見せられし出来事だったとでも言うのか!?
「こ、こんなことって…」
「然様、今の余市には斯様なことですら信じ難いであろうな。
先にお主が勘付いた匂いがヒントとだけ言うておく。寝ておる間に既に嗅がされておったのよ…起きた時には幻の社の床の上じゃ。
此れで疑問のひとつが解けたのう。くっくっく」
あの甘い香りには何か幻を誘発するような特殊な効能があったということか?
曼陀羅華の異名を持つダチュラや一部のキノコ類など、体内に取り込むことで幻覚作用を引き起こす植物があるのは聞いているが、匂いを嗅いだだけでここまでの幻覚を見るなんてことが果たして有り得るのだろうか?
やはり、あくまでも朧の術が主体であって、香りはそれを補佐する程度のものと見るのが妥当か…。
余市が色々と考えを巡らせていると、
「…全ては、其の隻眼の老婆とやらに出会い、宝珠を授かってしまったことがお主の運命を決定付けたと言うても過言ではないのう。
此の山を登り、童の居る社の存在に気付いてしまったことは、其の宝珠の導き以外の何物でもないわ。
…更に遡れば、受験とやらに失敗したのも是また然りと見るべきやもしれぬな、くうっくっくっく。
まあ、それは半分冗談としても、お主が此処で童に会うことは必然だったのじゃ。
余市よ…童にはお主に貸しがひとつある。じゃがな、仮に貸しなんぞなくとも、お主は最初から異世界へと堕ちる運命だったのじゃ…あの難行苦行の修羅道へとな!」
エッ!?…修羅道?…な…なな何ソレ…美味しいの?
カステラのメーカーじゃないよな?
マジで修羅道って何だっけ?何となく恐ろしいイメージだけはあるのだが…。
それに、異世界に堕ちるって…オイオイ!穏やかじゃねーぞ!!!
確かに…確かにあの老婆から不思議な珠…片端の宝珠だっけか?をタダならいいかと軽い気持ちで受け取ったし、その珠の能力でこの社へと続く階段も発見した。青の念波にも気付いて答えた…これら全ての選択が初めから決まっていて、オレはただ素直にその敷かれたレールの上を歩かされていたとでも言うのか?
あの時、秩父市街地で国道140号を選択せずに、そのまま299号を真っ直ぐ進む可能性だって十分にあった筈なのに…何故オレはあの時、直進しなかったのだ!?あの決断までもが初めから決まっていたと言うのか?
…でも言われてみれば、何だか不思議な運命の連鎖ようなものを感じさるを得ないような…。
つか、受験まで遡るのは流石にどうかと思うがね!勝手にひとの歴史を盗み見やがって!
「正直、何を言っているのかサッパリ分からないんだが…お、お家に帰っちゃダメ…っすか?」
「駄目じゃ!」
「嗚呼…やっぱり」
朧は賽銭箱の上から少し身を乗り出すような姿勢となって、余市を正面から見据えた。
「万が一、お主が童の貸しを反故するようなことあらば、童はお主を即刻…此の場で消さねばならぬ!童という存在を知ってしもうた以上、仕方のないことじゃ。
幻術の劫火で煤になるまでたっぷりと拷問した後に始末してくれるわ。安楽死は叶わぬと知れ!」
そう言うと、例によって髪が光を纏い始めた!
その視線は光りこそしなかったが、凍て付くような氷の眼差しである!!!
ううぅぅマジモードの朧!!!この凄み!青の比ではない!!!
修羅道とかっていう場所に行くのよりも遥かに恐ろしい確実な死が、既に御用意されているというワケですねっ!!!
ゴクンッ!
大きく唾を飲み込む。そしてイメージする。
あの幻術によって顕現された拝殿のクオリティは、リアリティの塊以外の何物でもなかった…扉の軋む音や、それを開けた時に感じた冷たい夜風、床の木材の手触りや埃の加減など、とんでもないディテールを再現していた!
そんな限りなく現実に近い幻術の劫火で焙られるようなコトだけは、何が何でも回避せねば!!!
「イクッ!イクイクッ!!逝かせてください!その修羅道とか何とかにぃ!アヒイィィィーーッ!!」
泣きそうになりながら、朧に向かって土下座をして叫んでいた!
「そこまで頼まれては仕方ないのぉ…童も鬼ではない故、お主の望み叶えてやるわい。くぅっくっく」
悔しいのぅ!悔しいのぅ!この鬼!鬼!鬼!!
体格もSサイズなら中身も超ドSジャマイカ!このドS小悪魔鬼ぃ!!!
ちょっとカワイイからって!かなりカワイイからって!!最高にカワイイからってぇーーー!!!
完璧なる美の前では、男は例外なく無力な生き物なのか?
否!否!明らかに脅迫だ!こんなの卑怯ジャマイカ!?
幾らオレが体格も中身もドMだからって、この言葉攻め!もとい!この所業はその範疇を遥かに超越しておりますぞ!!!
「仮令、生きて帰れる可能性が限りなく薄くとも、どうせ行く運命なら、嫌々行くよりも進んで行く方が精神的にも良いのではないか?なぁ余市よ」
死すべき時はドブの中でも前のめりってか!!?
つーか!生きて帰れる可能性が限りなく薄い…だと!!!
難行苦行の修羅道とは、や…やはりそれ程の危険な場所なのか!?
自分で言うのも何だが…オレは平均的な18歳男子と比べても明らかに貧弱!このリアル世界に限り心身共に超貧弱!!朧が想定している以上にオレは貧弱!!!おそらく間違いなく死…ぬ!
嫌だ!嫌過ぎるううぅぅーーーー!!!
はっ!これは全て夢なのでは!?
そうだっ!きっとそうに違いない!だとするといつからの夢なのだろう?
…そうだ!あの時だ!
ゴルバチョフの糞を捻り潰して転倒した時にそのまま気絶して、まだ眠りから覚めていないのだ!きっとそうだ!そして今、瞼を開ければ目の前に心配そうな顔をした山崎凛が、潤んだ瞳でオレを数センチの距離で見つめてくれているハズ!
狂ったように何度も瞬きを繰り返す余市に、
「ふふふ…確かに余市の立場では寝耳に水も尤もじゃな。童とて少なからずお主には同情を感じんでもないが、此れは歴然とした現実じゃ。己を見失うでない。余市よ」
もはや余市は瞬きをやめて、この非情なるリアルを受け入れるほかなさそうだった。
高校を卒業してからのここ最近、滅多に外出もせずにモニター越しに世間と適切な距離を保ちながら繋がっていた平和な日々。外は危険がいっぱいで、深海魚のようなオレが光の射し込む水域まで浮上して来たことはやはり失敗だったのだ!
北与野から軽はずみに出るべきではなかったのだ!魔がさした…としか思えない。
旅に出る!
などとカッコ付けて決断したのは勇み足だった!笑止千万である!
そんな血迷った決断さえなければ、準備のための買い出しにも行かなかっただろうし、タイミングの悪戯で妹に自慰現場を押さえられるなどという破廉恥極まりない黒歴史も回避できていた筈だ!!!
少なくとも兄としてのプライドと言う名の最後の砦だけは死守できていたハズさ!そうだろう?!
大学だって、オンライン通信講座で授業聞いて素直にオレらしく着飾ったアバターで通えば済んだ話だったんじゃないのか?!学費だって安いと聞くぞ!親だって納得したんじゃないのか?違うか?!あぁん!?
数日前の己に脳内で罵声を浴びせまくるも、全ては後の祭りである。
あの静謐だった日々にはもう決して戻れないのだから…。
もう戻れないぃ~感動的な某エロゲーのメロディが何故か寂しく脳内でMIDI再生されてしまう…。
まさかあの冷蔵庫に残した言伝…あれが遺言になってしまうとは…やはり『探さないでください』にしとけば良かった。少しはカッコも付いたであろう…。
『此度のマジノ線…マジでヤバそうですわ…』
脳内で何気なく呟いたこのひと言が転機だった。
マジノ線…か。
ふふ…ふふふ…ふは…ふはっはっはっ!!!
…いいだろう!渡ってみせよう、そのマジノ線!!!
そのまま発狂するかと思われた余市の意識は、土壇場になって辛くも己を見失うことなく冷静な自分を取り戻せたのだった。
それは、かつて一度マジノ線を越えたという経験と、その先の戦場ではクンニスキー村の救世主とまで謳われ、周辺諸村からも一目置かれた豪傑にまで上り詰めたという確固たる実績を思い出したお陰だった。
修羅道だか何だかシラネーが、所詮は異世界モノだろ!?
正直言ってかなり食傷気味ではあるが、異世界モノに関しての知識は、ラノベで十二分に予習してきたつもりだ!
異世界の歩き方なら熟知しているぜ!!!
つまり余市は、思考をリアルから逃がすコトで器用に正気を保ってみせたのであった…。
そもそも、断れば朧に間違いなく始末されるのだ!
悩むまでもなく、決意する以外の選択肢は初めからなかったのである。
だがどんな形にせよ、ここまで前向きに復活できたのは精神衛生上プラスではある。
そんな余市の短時間で目まぐるしく変化する表情の遷移を、朧は興味深そうに黙って見つめていたが、
「其の自信に満ち満ちた眼差し、覚悟と見て良いのじゃな?…大和男子たるもの、一度腹を括ったからには後で言い訳も逃げることも許されぬぞ」
すかさず釘を刺す朧。
余市がラノベ異世界に酔っている内に、ここぞとばかりに言質をとる狙いである。
だが、そんな朧の思惑を知ってか否か、余市も間髪入れずに返していた。
「ふふ…任せろ。チュートリアルも不要だ」
真顔だった。
後から思えば、この時だったのかもしれない。
精神的ば意味で、余市が真に終齢幼虫から華麗に蛹化を遂げたと言える瞬間は…。