EP021 夜に鳴くカラス
この朧という美少女と青大将である青との関係はよく分からないが、その口調から上下関係は歴然で、青は朧の従者もしくは眷属のような立場であるということは推察できる。
「して、カラスの様子はどうじゃ?」
「はっ!此の者…余市の処置の甲斐あって一命こそ取り留めておりますが…そろそろかと」
「然様か」
青に対する朧の返事は無機質で素っ気なかった。
「そ、そんな!やっぱり助からない…のか?」
余市は焦って訊ねた。
「ふふん。助けたいと申すか?」
朧は少し意地悪そうな表情で念波を返した。
まるで、自分次第で瀕死のカラスの命を救えるかのような口振りである。
「青や、どうする?こう申しておるぞ」
「ははっ」
青は返事をしたものの、暫く考え込んでいる。
そんな青を見て、余市はふと疑問に思った。
本来であれば蛇とカラスは天敵同志のはずだが、その辺りの関係はどうなっているのだろう?と。
その疑問を感じ取ったのか、青は答えた。
「我は此の山を統べる者であり、ある程度の歳月を生きた此の一帯の者なれば知らぬ者なし。我に逆らう者あらず、あのカラスとて例外ではない」
そこまで言うと、一旦、朧の方に何かを確認し、そして続けた。
「…我は只の蛇ではない。歳は優に百を超えておる。捕食もせず生きておる。
あのカラスについては、本来であらば助けるべきではなかった。人の言葉を借りるならば、それが自然の摂理というものだからだ。
しかし、余市の行動もまた自然の摂理のひとつと見なすべきなのやもしれん。人も此の自然界に生を成す種なのだからな…。
更に此度の件に関しては境内で起きておる…故に我の一存とはゆかぬ。
全ては姫様の御心のままに」
驚愕である!
確かに言葉を解す蛇など青くらいのものだろう。
それに青大将の寿命はどんなに長くても20年、ゾウガメやムカシトカゲならいざ知らず、100年以上も生きていられるなんて有り得ない。ましてや捕食もせずになど!
いくら爬虫類だからといって、ネズミやカエルなどの餌の補給なしには1年すら持たないだろう!
だが、青への疑問はそのくらいにして、問題はこの弱肉強食の世界に於ける人の意思の介入である。
厳しい話ではあるが、確かに自然の摂理を尊重するなら、出過ぎたマネをしたのかもしれない…。
あの時オレがたまたまあの石段を…。
考えを巡らしているところで、青に続き朧が話し始めた。
「あのカラス、先ほどチラリと見た感じ4年と345日と数刻ほど生きておるようじゃったな。…脚や眼など失のうたものは戻せんが…」
そして一拍置いて、
「余市よ。お主がが望むなら…生かしてやらんこともないぞえ」
ニヤリと幾分か目を細めて付けくわえた。
口元も先ほど以上に意地悪そうに綻ばせたようだったが、すぐに扇子で隠されてしまった。
扇子なんか持っていたのか?
今まで朧のその玉顔にばかり気を取られていたが、視線を首元から少し下に移してみる…。
薄紫色の着物を召しているようだ。
大き目の花柄が誂えてあるが、あれは牡丹か?そして袖からは白魚のような細い手が伸びて、曲げた手首の先の掌の上に、余市から奪った珠を載せている。
もう一方の手には桜色の模様を三重に張った綺麗な扇子を持っていた。
扇子を今しがた開いたのはその左手だったが、左手親指で慣れた感じで扇の3分の1ほどを開き、口元へと運んだのだった。
左利き用の扇子というのも珍しいと聞くが、何よりも、よく見ればそれが鉄扇らしいのが異様である。
鉄扇とはゲーマーならぴんとくるだろうが、所謂、暗殺や護身を目的とした扇子の一種である。
正直、ゲーム世界や漫画なら何でもアリだが、実用性を問われれば怪しいと言わざるを得ない…。
主に古風な日本人の乙女キャラが愛用することで知られているが、本来は身分の高い武士が、刀を持ち込めぬような場所で護身用に携帯する男専用のモノであったと知っている。
朧の手にしている扇子も、パッと見では洒落た柄をあしらった、ただの桜色の扇子に過ぎないのだが、扇子の背骨とも言うべき親骨の材質が、竹や木などとは明らかに異なる漆黒の光沢を宿しており、まず間違いなく塗装などではない金属性の材質であろうとデビルアイで見抜いたのだった。
あの細い手で軽々と扱えることを考えると、それほど本格的なブツではないのやもしれないが、この朧という少女、否!絶世の美少女は本当に何者なんだろう?
それとハッキリしたのは、やはり朧は、今からでもカラスの命を救うための何らかの医療手段を持っているということである。正直言って、こんな山奥のボロい社にそんな設備や薬があるとは皆目思えないのだが…。
そんな余市の心をまた読んでいたとみえて、
「童とて骸を生き返すのはちと骨が折れるが、幸い彼奴はまだ息をしとるでな…くぅっくっく」
死体でも頑張れば生き返せるような口振りじゃねーか!!!
本当に何者なんだ!?ネクロマンサーってやつか!?
「にしても、よく瞬時に鉄扇と見抜いたものよ。
片端の【宝珠】とは言え小馬鹿にはできぬようじゃのぅ…其の慧眼、褒めて遣わす。ほぉっほっほ」
言いながら朧は、ゆっくりとした動作で鉄扇を魅せつけるように扇いでみせた。
しかし、鉄扇よりも気になったコトが余市にはあった。
「かたわの…ほうじゅ?」
反射的に確認するように呟いていた。
だが、朧はそんな余市の疑問に気付いているにも関わらず、
「斯う見えても童には敵が多いでな…まあ、護身用と言うよりも素材と柄が気に入っておるのじゃが」
相変わらず鉄扇を眺めている。
が、余市が何も返さずに朧をじっと見つめていると、観念したかのように鉄扇をピシャリと閉じた。
「さて…お主のような一介の人間風情に、何から話すのが良いのやら…」
恰も自分は人間ではないとでもいうような口振りである。
珠を見つめながら今度は閉じた鉄扇を顎に添えて朧は少し黙っていたが、
「と、其の前に、そろそろ消えそうじゃの…。余市や、さて如何する?」
「え?どうするって…何?」
「カラスじゃ!死にかけとるが生かしたいのかと訊いておる」
余市は当然、助けたかった。助かる命であれば助けたい!
すると、余市の心を読んだ朧は、
「此処は余市の顔を立てて繋いでやるかのぅ…貸しイチじゃぞ、ふうっふっふ」
なぜかドヤ顔風味で朧はそう言った。
そして鉄扇を広げ、それで口元を隠すと、静かに瞳を閉じたのだった。
瞑想でも始めたのか?それとも隠した口で何かの呪文か祝詞でも詠唱しているのだろうか?
時間にして5秒ほど…髪が一瞬、ふわっと光を纏いながら波打ったかのように見えた!
キューティクルなんていうカワイイもんじゃねぇ!
そしてカッ!とその双眸を開いたが、それを見て余市はたじろいだ!
明らかに人間のそれではない強い光を宿していたからだ!
その刹那、恐ろしいことが起きた!!!
…カーッ!………カアァー!……カァー!…カーッ!カーッカーッ…
拝殿の外、と言うかこの山のあちこちから夜の静寂を引き裂き、カラスのけたたましい鳴き声が次々と聞こえてきたのである!!!
その声は共鳴し合うかのようにどんどん拡がり大きくなっていく!!
カラスたちのこの擾乱を呪文ひとつで呼び起こしたというのか!!!?
夜中にカラスが鳴くこと自体、日本では不吉なことの前兆と思う人も多いのに、この大合唱である!
ハルマゲドンのような何かとてつもない出来事が今にも起こるのではないか!?手始めに全てを飲み込むアースクェイクでも来るのか!!?
そんな強迫観念に押し潰されそうになってくる。無意識に両手を床に付き、安定姿勢をとっていた。
しかし、そんな余市の負の期待を他所に、数分ほどでカラス達の大合唱は徐々に静かになっていった…それらの声がとうとう消えそうになった時、この拝殿のすぐ外で、
「クアァーッ!!!」
一際大きな鳴き声がした!
余市は飛び出そうになった心臓を喉元で辛うじて阻止した。
そして辺りは水を打ったかのように静寂を取り戻した。
カラスは一般的な鳥同様に早朝から日中に活動し、夜鳴くなどということは余程の緊急事態でも起きない限り、まず鳴かない。
カラスに鳴き声がやや似ていて、夜中に奇声をあげる、別名、夜烏とまで呼ばれるゴイサギだったとしても、こんなに大量にいるはずもない…。
いったい何だったのだと嫌な汗をかきながら唖然としたままその場で固まっていると、
「後ろの扉を少し開けてやれ」
神輿の雲板上で首を擡げている青に言われ、余市は言われた通りふらふらと扉に近付き、力のない指先で扉を押し開けた。
ギギ…ギィ~
すると、ひんやりとした夜風が頬を撫でると共に、何かが足下に触れる気配を感じ、ギクッ!として素早く跳び退いた。そして視線を床に落とす。
ピョンピョンと片足で跳ねて拝殿に入って来たのは…何と!余市が治療したカラスだった!
すっかりと元気を取り戻したカラスは、片足で立ったまま、きょろきょろと辺りを見渡しているが、まるで1本足の唐傘お化けのようである。
しかし、片足歩行に慣れていないと見えて、すぐにパタンと転倒してしまった。
余市はカラスを両手で抱え上げると、胡坐をかいてその上に載せた。
カラスは首を余市の顔の方に向けじっと見つめている。失った片目を覆った包帯が赤く染まって痛々しい。
信じられないコトが起きてしまった!
この朧とかいう謎の少女は、触れることも無く瀕死のカラスを全快させてしまったのだ!!!
何をどのようにしたのか、まるで見当も付かないが、あのカラスたちの大合唱がおそらく関係しているのだろう…。
胡坐の中の元気なカラスを見つめ、ただただ驚くしかなかった。
そして青はカラスに向かって言った。
「余市に感謝せい…貴様を救ったのは其の人ぞ!」
心なしか『ヒト』の部分の語感が強調されたかのように聞こえた。
クルッと首を声の主の方に向けたカラスはビクリとして身体を急に震わせ始めた!
余市はカラスに両手を添えていたので、その変化をハッキリと感じ取ることができた。
そしてカラスは、慌てて首を戻し、
「ア、アリガト、ヨ…ヨイ…チ?」
朧や青とは違い、意思を念波で伝えられないのか、カラスは小さく喉を鳴らして言った。そして片目を幾分か潤ませて、
「アイツ…山、還シテクレテ、アリガト…忘レナイ」
そう付け加えた。あの雌カラスのことだろう…。
「ああ…うん」
ぎこちなく余市も返した。