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嗤うがいい…だがコレがオレの旋律(仮)  作者: ken
第一章 現世から異世界へ(仮)
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EP002 純真無垢なサドル

適材適所、という言葉がある。

これはひとに限った話ではなく、あらゆるモノに当て嵌まる言葉であり考え方である。


自転車も例外ではない。


ママチャリは、その機動力や性質を考えた時、とても旅に向いた移動手段とは言えない。

自転車でのツーリング、などと言えば聞こえはいいが、この場合の自転車とはママチャリではない。

もっとヒエラルキーが上位のロードバイクなどを指すのが一般的だ。


勿論、街中の買い物などの用途であれば、安いママチャリの方が高価なロードバイクよりも活躍する。

座り心地やカゴの有無などからも、それは疑う余地はない。


しかし今回、旅を目前に控え、移動手段としてママチャリをチョイスした男がいる。


宮城余市そのひとである。


『チョイスする以前に、ママチャリしかなかったのでは?』


などという下衆(ゲス)いツッコミは受け付けられない。


しかも彼は、あろうことかママチャリで山岳方面を目指す決意を固めているという…。


『正気なのか?その余市とやらは稀に見る暗愚ではないのか?』


勿論、そんな誹謗中傷は華麗にスルーだ!コノヤロー!


余市自身もそんなことは百も承知なのだ。

ママチャリで山を登るということが、割り箸でカレーライスを喰らうが如きナンセンスであり、老人が美少女を演じるレベルのミスキャストならぬミスチョイスであるということを。



では何故、山なのか?

何故ママチャリで()りにも選って山なのか?答えろコラッ!


余市は言う。


「別に『厳しい環境下に自分を追い込むことで悟りにも似た境地に到達し、真の己を再発見できるのではないか?』そんな風に思ったワケではないんです。


ましてや遠い未来『貴方は何故あの日、山を目指したのですか?』とトーク番組で尋ねられた際に『そこに山があったから』と、トートロジー風味に答えてみたいからでもない。


勿論『あの日登った山の名前を僕はまだ知らない』とかでもない。笑わせる。


単に、錆びたママチャリでリュック背負って国道や市街地なんぞを走っている姿や休憩している姿を、ご近所の方々や同級生に目撃されたくないという一身上の都合によるものに決まってるじゃないですか!


市街地を大きなリュックを背負ったママチャリ少年が走っていたら目立ってしまうし、家出と間違われて警察官に職務質問や補導などされてしまう恐れだってある。

そんなことになれば、折角の旅のムードも台無しだし、興醒め至極ですよ!


そそくさと初日のうちに山に身を潜めてしまおうというのが今回の狙いであり肝なんです。

幸いまだ肌寒い時期だし、山とはいっても羽虫もそんなに出ないだろうし…。


勿論、なるべく人と接することのない静かな場所に行きたい、独りになりたいという気持ちもありました。

だって、リアルは危険がいっぱいなんだもん!」


…と。




計画としては、今週末もしくは来週頭には出発したい、寧ろそれがベストという判断だ。

贔屓にしているアニメが今週で区切りがつくものが多いのである。

つまり最終話12クールで丁度終わるものが、たまたま今週に集中していた。

それに、暫くすると個人的に期待している新作もスタートしてしまうので、その合間を縫ってこのタイミングで旅に出るのが最もスマートなのだ。録画予約も少なくて済むしな!



出発までの数日は、昼の睡眠時間を削り、必要な物の買い出しなどの準備を進めることにする。


兄者が以前にボランティア関係で登山したことがあったのが幸いして、寝袋や水筒などは借りる段取りはできている。というか勝手に借りることにする。

懐中電灯や雨合羽、タオル、歯ブラシ、絆創膏や包帯、テープ、筆記用具などの細々としたものは既にあるし、自転車の携帯用空気入れは一応買うとして、あとはサバイバルナイフ…か。

短い期間で使う機会があるのかも怪しいが、そんなことよりも響きがいい!

男のひとり旅たるもの、サバイバルナイフはマストアイテムだろう!


サバイバルナイフ!…ワ、ワイルドだぜぇ?


…ま、とにかくホームセンターにでも行って早速見てみよう。


冷めた食事を終えて、早速着替えて外に出る。

アスファルトが湿っているが雨は降っていない。少し前に止んだようだ。


ママチャリもほとんど乾いていた。

過去に何度かダカールラリーにでも参戦したことがありそうな、男らしく汚れた面構えと傷だらけのその勇姿は、あらゆる意味で凄みを感じさせる。


カゴは変形しスポークやハンドルは錆びが目立ち、至る所に痛々しい腐食の痕も確認できる。

ハンドル中央部の窪んだネジ穴には、何やら黒い不純物が溜まり、不潔な男のヘソの穴のようでもある。

ベルは死にそうな蝉のような音を発するクセに、それに反してブレーキングはヒステリックな女の悲鳴のような叫び声をあげやがる。


乗っているところをマジで知人には見られたくない。


ところで、いつもはサドルの前から足を通して座るベーシック方式だが、今日はやや高いテンションも手伝って、敢えてバイクのように後方からダイナミックに足を跳ね上げて颯爽と跨るライダーマン方式を採用してみた!

のだ…が!


「アァッ!冷たっ!」


慌ててベーシック方式で降りて確認すると、不吉なことにサドルの一部のビニールが破けて内部のクッション材が見えてしまっていた。

カステラにも似たそれが、今朝の雨水を吸収しており、流石にこの短時間ではまだ乾いていなかったようだ。

しかも顔を近付けてみると、何だかイカのような匂いがして臭い…座りたくない!


果たして旅を目前に控えた大事なタイミングでのこの窮地、どうクリアすべきか…。

こんなボロいママチャリのために、サドルだけを新たに購入するのは癪である。


くうっ…仕方がない!辛い決断だが…。


後ろに停まっているもう1台に目をやる。

そう、妹、峡香の自転車である。

この春より自転車通学が決定した峡香に、東北のお祖母ちゃんが合格祝いにと買ってくれた新車である。


だがオレは、そんな新品自転車を丸ごと頂戴しようなどと考える鬼畜のような兄ではない!

安心しろ、峡香よ…。お兄ちゃんが盗むのは、二次元乙女のハートとモザイクだけさ!


自転車には大切そうに雨避けのビニールシートが掛かっているが、それを無情にもめくり上げると、艶やかな光沢を纏った柔らかそうな白いサドルが目に飛び込んできた!


反射的に思わず頬擦りしてしまう。


黒ずんだシワシワのサドルとは肌触りからしてまるで別物、パヒュームも悪くない。

まだ誰にも跨ることを許していない純真無垢で柔らかそうな…我が尻を預けるに相応しいサドルとお見受け申した!


心が痛むが可哀想な兄のためだ…餞別に貰っていくぞ、許せ!

なぁーに、サドルだけさ!


一瞬戸惑いこそしたものの、意を決してサドルのクランプに指を掛ける。そして小気味よく回し緩めていく。


クリックリックリッ…


自宅敷地内だというのに、何故かひと目を気にしてしまう…サドルは造作もなくスポッと抜けた。

抜けた穴の部位に人差し指でやさしく触れてみると、おやおや、何やら気持ちよさげに潤っているではないか。おそらくグリースという名の愛しき液に違いない。


何だか嬉しくなり、思わず指をペロリンコ…うむ、悪くない。美味である!


そしてすかさず自分のサドルも同様に抜きにかかる…が、こちらは年季のせいか錆が酷くリズミカルにはいかない。

それでもズズ…ズッと臭い粉をポロポロと削り零しながらも漸く取り外すことに成功。

臭いそいつを半乾きの地べたに無下に転がすと、無垢なサドルを自分の錆ついた臭い棒にハメ込みにかかる!


キ…キツイ!

コ…コイツは正真正銘の…。


海老反りになりながらも体重をゆっくりと両腕に移していく。


常人の理解の範疇を軽く凌駕するであろうクレイジーな背徳感がオレを誘う。


そしてついに成し遂げる!

この征服感…半端ないっ!


そして同時に押し寄せるこの…違和感も半端ない。


な、何だ!この強烈な違和感は!?


新品サドルを装着した錆ついたチャリ…。

その姿はどう形容して良いものやら…まるで近所のスーパーでネギを選んでいる上下ジャージ姿のオバサンが、ブランド物の鞄を肩から提げてドヤ顔でこちらに振り向いたかのような…この感じ。

明らかにサドルだけが浮いている!浮きまくっていて寧ろ眩しい!


でもまあ…座ってしまえば見えないし、解決する些細な問題だな…。

真なる問題は、この純真無垢なサドルを誰かにギられやしないかということだ。

ボロボロのママチャリ本体の方は良いとしても、この新品のサドルには直接、名前でも書いておかないと危険か?


旅の途中で盗まれては非常に困る…そういうモラルの欠如した有象無象の輩がリアル世界にはウヨウヨ居るのだ!

旅先でサドルをギられるようなコトになれば、その後の旅は立ち漕ぎ(ダンシング)オンリーになることは必定!そんなの拷問に等しい。嫌過ぎるぅー!


って!たった今、オレがしたことじゃねえか!?


いやいや、オレは盗むのではなく交換するだけさ!アハ!

本人は意識していないやもしれんが、峡香だって心のどこかではきっと兄であるこのオレに対して憧憬の念を抱いてしまっている筈!

オレが長年尻を預けたこのサドルに頬擦りして喜んでくれ…んなワケあるかぁーーーい!!!


と、とにかく妹の新品チャリにも…。

臭いサドルを拾い上げると心を鬼にして取り付けた。


こっちも違和感…半端ない。


「…よ、よし」


見なかったことにしよう。

きっと、きっと座ってしまえば大丈夫…大丈夫なハズさ。下手したら気付かないかも!な~んてねっ!ナハナハ!


めくられたスカート…もといシートを静かに元に戻した。


今回の旅を機会に、ママチャリに名前でも付けるか…。

罪悪感を掻き消すかのように適当なことを考えながら、門扉を抜け公道へと出ていくのだった。



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