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嗤うがいい…だがコレがオレの旋律(仮)  作者: ken
第一章 現世から異世界へ(仮)
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EP014 エロ妄想を抜けるとそこはトンネルであった

市街地を抜け、もう景色のほとんどを山林が占めている。

すれ違う車も、トラックなどの輸送車両が逓増し始めていた。


この辺りはまだ緩やかとはいえ、勾配はもはや当たり前である。

一発KOのきつい勾配こそないが、延々と続く緩い勾配は、ボディブローのようにじわじわと効いてきやがる。

…まあ、実際にボディブローを食らったことがあるワケではないのだけれど…アハ。


気温はそこそこ低い筈だが、長時間ペダルを踏んでいるせいで額に少し汗をかき始めていた。

流石にあの珠の威力をもってしても体力までは上昇しなかったようだ。

それとも上昇してこの程度なのか?いやいや流石にそれはないだろ。


自転車にこそ乗ってはいるが、電化製品の類は持参していないので、音楽を聴きながら気分を高めたりすることはできない。

そういう意味では、昔の人間の山越えの感覚と近いのかもしれなかった。


昔の人たちは、こういったひとり旅の時、寂しさや疲労を紛らわすために、口笛を吹いたり唄でも歌ったりしていたのだろうか?

二宮金次郎のように、薪を背負い、書物を読みながら歩いていたのかもしれない。


彼が読んでいた書物が官能小説や同人誌だったり、鉄ヲタのように時刻表だったら笑えるな、そんなことを思い浮かべて少しにやけてしまった。まあ、時代的にはせいぜい春画といったところか…。

写真も動画もない時代である。時代背景を鑑みれば、ポピュラーな部類のオカズであった可能性が高い。


懐古主義者ではないが、そういった文化は微笑ましく思う。

天秤に掛ければ、映像技術や情報共有に溢れた現代の方が良いのは確かだが、知り得ぬ情報をその脳で補完することはとても大事だし、そこにロマンがあるような気がするからだ。


浮世絵マニアだった画家のゴッホも、ひょっとしたら異国の春画をこっそり収集し、自慰をしていたのかもしれない。そこまでではなくとも、少なくとも春画の存在は知っていた筈である。


そして、思いっきり偏見ではあるのだが、芸術家や力を持った政治家には得てして変態が多いとも聞く。

現代の若者たちの性の乱れについて国会答弁をしていた政治家が、1時間後には御忍びで訪れた会員制SMクラブで、ガングロ女子高生コスの若い女王様に踏みつけられ、その顔に似合わぬ甲高い奇声を発しながら果てたり、女王様の聖水を必死になって口で受けていたとしても不思議ではないのだ。

これはダブルスタンダードなどといった二面性ではなく、公私混同の許されぬビジネスマンの画期的なガス抜き行為に他ならない。


高位の者が職権乱用でセクハラしたり、交換条件として肢体を求める話はよく聞くし、そこに特段の感想はないが、画家やカメラマンなどの職権乱用は、その行為自体を芸術という名のもとに正当化してしまう傾向が強く下衆(ゲス)の極みである。極めて個人的な嗜好を芸術と定義し、有り得ないポーズや行為を要求する破廉恥なシチュエーションは余りにも羨ましく、AVや官能小説の素材としても定着し、庶民的なニーズを獲得しているのである。


……。


ここでふと気付いたのだが、余市にとって寂しさや疲労を紛らわす思考は、やはりエロティシズムだったというオチである。

どんなに頑張って芸術や政治について触れてみたところで、最終的には救いようのないエロとして帰結してしまうのだ。

確固たる地位を確立した彼らを心の底では羨みながら、彼らのダーティな部分ばかりを掘り起こし、それが(ことごと)くエロ分野に限定されているのである。


己の脳の大部分が、劣等感とエロに浸食されてしまっているというファクトに気付いた瞬間だった!

この何の変哲もない山道で、突如として己を見つめ返す機会を得たのである。


自分が嘆かわしい!


非情に情けない現実ではあるが、自分の立ち位置、現住所を知ったという意味では、真摯に受け止めて今後の糧とせねばなるまい。



…そう言えば山崎凛の匂い…あの雌の匂い…もう少しじっくり味わうべきだったんじゃないのか?

何て勿体ないことを!…愚かだった。あの時は冷静さを欠いていたな…反省せねば!

てか今後カワイイ三次女子を見つけたら…ウホッ!


心なしか、少し疲労が和らいだ気がした。


違うベクトルで真摯に受け止めてしまうのは、余市の悪癖でもある…。

余市が更生するのは、百年河清を俟つに等しいことなのかもしれない。



その後もあらゆるエロ妄想を駆使しながら山道をペダリングしていたが、そうこうしている内に前方にトンネルが見えて来た。

頭上の標識を見上げると、小鹿野、秩父方面は直進だが、手前で右に分岐した細い市道は正丸峠迂回路と出ている…。

ってことは、この前方のトンネルは心霊スポットとして名高い、あの正丸トンネルということになる!


しかしまあ、車通りも結構あるし、夜中でもないしノープロブレムである…と信じたい。

それよりも、思いのほか早い時間帯に正丸峠に到着できてラッキーだ。感覚的に正丸峠はもっと奥の方にあると思っていたのだが、エロ妄想、畏るべし!


トンネル入口の直ぐ上に急勾配の道が横切っているのが見えるが、あれが走り屋たちがバトルを繰り広げる正丸峠の峠道なのだろう。

ママチャリを停め、念のため地図を広げてみると、案の定この国道299号を跨ぐように、ぐにゃぐにゃに蛇行した細い峠道を確認することができた。そして前方の正丸トンネルは約2キロ…。



トンネル内部に入ると、そこは完全にデンジャーゾーンであった!


ただでさえ狭い道なのに、トンネル内部にはほとんど路側帯が存在していなかったのである!

これまでの路側帯を分断するかのように半分を路肩が占め、凸凹としたU字溝の蓋が連綿として続いている。

しかも路肩は一段高くなっており、幅が縮小してしまった路側帯を走るのは危険過ぎる。

かといって路肩の上も広くはない。寧ろトンネルの内壁はR状になっているため、少しでもバランスを崩せば、頭や背負ったリュックを擦ってしまいそうな感覚に襲われる。そしてその感覚にナーバスになり過ぎると、今度は反対の段差に車輪を踏み外し、後続車との接触事故の確率が急激に高まってしまう!


いっそのこと開き直って、車道の真ん中を走ってやろうかとアウトローな気持ちも芽生えたが、ママチャリでちんたら走っていたら完全に迷惑である。こんなチューブのような空間で、トラックなんぞにドデカいクラクションでも鳴らされたら、折角のデビルイヤーの鼓膜が破けてしまうやもしれぬ!

こんな時、スピードの出るロードバイクなどであれば問題にならないのだろう…。


うぬぅ…国土交通省道路局は何をしている!

オレはともかくオレの親父や親戚は税金を納めているのだぞ!


悔しいが、ここは冷静になってチャリを降りて転がしていくしかなさそうだ。

つまらぬ勇気とプライドを振りかざして、心霊スポットで事故って自らが霊になることもあるまい。

この辺りの地縛霊たちはヤンチャな走り屋だらけだろうし、チャリで事故ったオレが、死後、彼らと打ち解けて仲良くやっていける自信もない…。

峠の地縛霊のカーストでも底辺を彷徨う羽目となるのは必定!


幅を極力狭めるよう、ママチャリを目一杯斜めに倒して歩き始める…が、これが結構キツイ!

いかんせん前カゴの荷物が重いのだ。

それに、ただでさえ斜めにチャリを倒すことでハンドル位置が低くならざるを得ないのに、自分は路肩であるU字溝の蓋の上を歩き、チャリはその下の路側帯を転がすため、尚更、高低差が生じてしまっている。

腕だけでなく腰にも疲れが溜まっていく。


しかし、この排気ガスの立ち込めるトンネルを1秒でも早く抜け出したい。

今の鋭敏過ぎる嗅覚では長時間は耐えられそうにない…。こんなことならコンビニでマスクを調達しておくべきだった。


暫く歩くとトンネル中腹あたりに、故障車を寄せるためと思しき路側帯が広くなったスペースがあったので小休止を入れる。曲げ続けていた腰を思いっきり伸ばす。


ぐううぅぅーぅおおおぉぉぅー!


何だかこの旅を通して、少しずつとはいえ根気や根性といった自分らしからぬパワーが養われてきているような気がする…。

普段、苦労らしい苦労などほとんどしてこなかった。特に肉体的な苦労など皆無に等しかった。そういう選択肢をひたすら避けて生きてきた。

そんなぬるま湯に浸かりきった生活だったからこそ、たかがこれくらいの障害ですら大袈裟に感じられてしまうのだろう。


が、旅はひとを育てる!


初日にして悟った気分だ。何だか気恥ずかしい。


ヨシ!あと半分だ!気合だ!


らしくない台詞を脳内で叫び、己を鼓舞する。

そして再びちまちまと歩いて、漸く正丸トンネルを抜けたのだった。


因みにそこは雪国ではなかった…。


それにしても、こんなに長いトンネルを抜けたのは、親父の尿道以来、初である!

このトンネルだけで30分以上の時間を消費してしまったに違いない。体力も消耗した。


何はともあれトンネルを抜けたことで、再びチャリに乗ることができる。

かなり疲れたので、ライダーマン方式ではなくベーシック方式で静かに跨った。

このスポンジの飛び出たボロいサドルを、かつてこれほどまでに愛おしく感じたことはない。


あと10キロほどで秩父市街地の筈だ。


道の下を流れる川と周囲の樹木の香りが、排気ガスを吸い込んだであろう肺を、少しずつではあるが浄化してくれているような気がする。


何度か深呼吸をした後、ペダルに重心を移してゆっくりと走り始めた。


この辺りは車やバイクばかりで、徒歩や自転車で進む猛者など滅多にいないせいか、歩道などといった気の利いたモノは当然ながら存在しない。ただただ狭い路側帯が続いているだけである。

車道からの粉塵や、山斜面から漏れた土がところどころで溜まっており、路側帯の左側を占めるU字溝の蓋がほとんど見えていない危険な場所もある。


それでも雪が残っているワケでもないし、トンネル内部のように車道のセンターラインにラバーポールが設置されているでもないから、車も膨らんでスイスイと追い抜いてはくれている。

ただ、対向車の見通しの悪いカーブ付近だけは注意しなければならない。自分を追い抜こうとした車が対向車と接触すれば、こちらもタダでは済むまい。

とにかく、こんな状況はなるべく早く脱しておきたい。


ギコギコギコ…


ケイデンスを少しずつ上げながら進んで行く。


数キロ進むと緩い下り勾配が増えてきた。秩父市街地はやや盆地風味なのだろう。そういえば、秩父盆地という言葉を耳にしたこともある。


いつからかガードレールも出現し、路側帯が更に狭くなった気がする。

かといってこのガードレールを邪険にはできない。

左側が山斜面ではない箇所が増えてきたせいである。

そのような場所では、高確率で道沿いに川があり、その川は道に比べてかなり下を流れているのだ。つまり、切り立った崖の体を成しているため、無ければ無いで崖下に真っ逆さまというコトにもなりかねないからである。


ただ、幸いにも下り坂が多かったことも手伝って、思ったよりも早く秩父市街地に辿り着くことができた。

具体的には、国道299号と国道140号の交差点である。



ここで余市はかなり迷っていた。文字通り岐路に立たされていたのである。


国道299号をこのまま進むべきか、それとも左折して国道140号を進むべきか…。


…もし、この時に下した選択が逆であったなら…と後になって思う時が来るのだが、この時の余市が知るところではない。



単純に、国道299号なら群馬、長野方面だし、国道140号であれば山梨方面である。

勿論、埼玉県をハミ出すほど突き進むつもりはない。


地図だけでは雰囲気が掴めないし、ネットでもう少し調査をしておくべきだったと後悔した。


結果的に余市は国道140号を選択してしまう。


理由は、何となく…である。

強いて言うなら、遠目に見た感じ、そっち方面に高い山が多そうだったからである。

秩父で山を目指すからには、目標は高い方が良いだろうと単純に思ったのだ。


この時は知識として持ち合わせていなかったが、実際に山梨方面の方が、三宝山、甲武信ヶ岳、唐松尾山、大洞山、白石山、雲取山など高い山が多かった。


後は、細かいことを挙げるとすれば、国道299号は秩父市から早々に小鹿野町へと抜けてしまい、秩父の山を目指すという当初の計画から言葉のニュアンス上、少し外れてしまうような気がした…というくらいである。


具体的な目的地があるワケでもなし、色々考えても不毛である。

国道299号に別れを告げ、舵を左に切ると、国道140号を進み始めたのだった。



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