EP010 トキメキ三次元女子というバグ
嗚呼!高校時代!我が青春の日々よ!
つい先日まで高校生だったのだから、こんな風に大袈裟に回想することもないのだが、それほどまでにこの三年間は苛酷を極めた日々だったのである。
成績が急降下し、ペンよりもペニスを握っていた時間の方が長かった、そんな高校時代。
周りの誰もが大学受験という名のヌルい目標を掲げていたなか、ひとり独学で二次元電脳世界への予習に勤しんでいた高校時代…。
国語、英語、数ⅠA、数ⅡB、物理、化学、生物、地歴、公民などに対して、漫画、アニメ、ネトゲ、エロゲ、ギャルゲ、ラノベ文学、国内コミュ、海外コミュ、動画サイトⅠ、動画サイトⅡ、HENTAI、エロ画像収集ⅠA、エロ画像処理ⅡB、選択科目として、フィギュア技術、プラモ技術、MMD制作などの数々を寝る間も惜しんで学んでいだ高校時代。
声優・ボカロ野外講習、ヲタ芸、アニソン個室講習などの夏期冬期講習こそサボッてしまったものの、フィギュアやプラモ製作を通じて職人精神の何たるかを知ることができた、そんな高校時代。
学ぶ科目こそ違えど、費やした勉強時間は間違いなく学年トップであったに違いない!
蛹化直前期の今ほどではないにしろ、中学の卒業を待たずにしっかり二次元沼もとい二次元愛に溺れていた余市は、高校に入学した時点では既に、クラスメイトなどの周囲の大部分のリアル女子を、NPCやモブキャラのような存在としか見ていなかったし、必要悪程度にしか接することもなかった。
周囲からは女子には目もくれない硬派で不器用な男のように映ってしまっていたことだろう。
勿論、中には余市のことをCreepy Geekの標本と見なすリアリストたちも居たであろうことも否定はしないが…。
どちらにせよ、学内に於けるカーストでは、非リア充というカテゴリーに組み込まれ、その底辺を支えていたことは動かしようのない事実である。
だが、リアル女子という生き物を頭ごなしに嫌っていたワケではない。
圧倒的な比重でもって二次元美少女の方に惹かれ、傾倒していたというのが正しい。
その証拠にオカズサイトのブックマーク群にも、一割には満たないものの三次エロサイトがちらほらと混じっている。
つまりリアル女子の存在は、心を通わせる対象としては非現実的ではあるが、オカズ的な嗜好としては決して吝かではないということである。
裏を返せば、心を通わせることができるトキメキ対象としてリアル女子がノミネートしてくることは極めて稀であり、それは一種のバグみたいなものなのだ。
そして、そのような希少種が現れたとしても、その後の進展はまず望めず、試みの回数だけ生き恥を増やす結果となるという悲しい現実を余市は知っていた。
山崎凛は、余市にとってバグなのである。
勿論、そのままの虫という意味ではない。
同級生に、オカズ条件を満たす存在はそこそこ居たが、トキメキ条件をクリアする逸材は、凛以外には見出せなかった。
単にリアル女子との接触が絶対的に乏しく、気持ちがトキメキレベルにまで育たなかっただけなのかもしれないが、進展がないと分かっている以上、そこに悔悟の念は微塵もない。
凛については、余市が三年間図書委員をしていたがために、たまたま接する機会が複数回あり、トキメキレベルにまで食い込んできてしまっただけなのやも知れぬ…。
どちらにせよ、トキメキ三次元女子という希少な存在の凛は、オカズ面でも当然のように大活躍しており、余市に巣食う名もなき触手という触手を狂おしいほどにスパゲティ状態に悶えさせていたのである。
特に就寝前などは、彼女をターゲットとした官能小説を脳内で数プロット構築しながら眠りにつく習慣があったほどなのだ。
山崎凛(余市的オカズ偏差値/72 トキメキ偏差値/73)…非常に高スペックである。
お…恐ろしい子!!!
彼女は校内でも目立つ方ではなく、読書好きで物静かなメガネっ娘だった。
3年間でクラスは一度も一緒になったことはなかったが、彼女と話をしたことならある。
多少、自慢になってしまうが、余市は一般的に言うところのサル目ヒト科オタク属に籍を置いていたものの、重度のコミュ障ではなかったから、コンビニ店員程度には家族以外の女子とも会話するスキルを修得していたのだ。
図書委員としての職務を遂行する傍ら、余市は何度も彼女を見かけていたし、貸出や返却の際には、業務的な会話だけでなく、僅かながら匂いを嗅いだことすらあったと記憶している。
普段、余市は趣味である生物関連の書籍を除けば、ほとんどラノベや同人誌の類ばかり読み耽っているのだが、それに反して凛が借りていく書物といえば、哲学的なものや古典的なものが多く、余市からすれば、それらはハイレベルなジャンルに該当していた。
そんな凛に憧憬の念を抱くようになったのは、極めて自然の流れだと言える。
或る日、貸出し本を受け取る際に、コンビニ風味で『温めますか?』と話しかけたらどんな反応をするかしらん?と、くだらないことを考えていたら、うっかり本当に口に出してしまっていたことがあった。
余市は自分では意識していないが、独り言をいってしまうことがたまにあるのだ。
その時の凛は、はぁ?と言うような冷たい視線を眼鏡ごしに上目遣いで向けてきたが、それに対して、
「あは…あ…は冗談…デス」
と、どもりながら返事をするのがやっとだった。
図書カードに判を押して本を手渡すと、彼女は何事もなかったかのように踵を返し去っていった。
しでかした粗相の深刻さに、その時は残り香を嗅ぐ余裕などなかった。
去りゆく凛の後ろ姿を見送りながら、不甲斐ない己への焦燥感に苛まれていたが、不思議と直ぐにそれは快楽へと昇華した。
凛が自分を初めてハッキリと意識してくれた瞬間だったと思えたからだ。
それがたとえ良い印象ではなかったにせよ、あの快楽真理教のセヌリンを彷彿とさせる、ゾクッとするような冷ややかな眼差しで自分を捉えてくれたのだという紛れもないファクトがそこにはあった。
それは、余市の潜在的マゾ属性を久しぶりに呼び起こした数少ないリアル体験だったと言えるだろう。
ここで潜在的かつ久しぶりと敢えて言ったのは、余市がまだ若かりし茶坊主であった時分、既にその片鱗を覗かせていたからである。
同級生仲間がエロ本を買う際に、そわそわしながらオジサンのレジに並ぶのとは対照的に、率先して若い女子のいるレジを選んで並び、エロ漫画雑誌の表紙を上にして誇らしげにレジのカウンターに置くのが余市少年だった。
すぐ後ろに並んでいた中年サラリーマンが『おや?こんな坊やが私と同じエロ漫画を嗜むだと?』と頬を少し赤らめたこともあったに違いない。
余市少年は、レジの若い女性店員から向けられる『坊や、碌な大人にならないわよ!エロ本ならまだしも、そんな年からエロ漫画雑誌にハマるだなんて!お姉さんキミの将来が心配よ!』的な軽蔑にも似た冷ややかな視線を浴びることに密かな快楽を見出しちゃっているような、マセガキだったのだ。
成績が頗る良いだけの鼻につく余市少年が、ひと味違ったアダルティな気質をも兼ね備えた勇者として、周囲の少年たちから一目置かれるようになったのである。
つまり、少なくともその頃には既にマゾ属性を有していたと見ることができるのだ。
どちらにしても、この時は凛に冷ややかな視線を貰っただけで、実質会話は成立していない。
凛を知ってから二度目の春が訪れていた。
或る日、余市は勇気を出して、
「難しいのばかり読んでるんね」
と、できるだけさり気なく、かつ爽やかに話しかけてみた。
そう、噛んでしまったのだ。『読んでいるんだね』としなければならなかった。
その時も前回と同様に、はぁ?と言うような視線を真っ先に受けたが、同時に少し遅れて、
「…そうかな?」
と俯き加減に返事をしてくれたのだ。
それは、凛と初めて会話が成立した瞬間だった!
キャッチボールで言うところの、投げたボールがゴロとはいえちゃんと足下に返ってきた状態である。
その日の余市はそれはもう有頂天で、帰り道の駄菓子屋では小学生たちを押し退けて、フガシの大人買いを敢行したほどである。
三度目の春を迎えた頃には、業務上の会話なら自然とできるようにまで成長していた。
そればかりか、季節の移ろいと共に『最近、暑いね…あちこち蒸れちゃうね』も『秋刀魚の秋だね』も『冷えるね!何だかチビってしまいそう…』と次々とクリア!卒業する頃には『もうすぐ卒業だね…僕は一体何を卒業するというのだろう(目を細めて)』といった長い台詞も自然と言える仲になっていた!
但し、残念だったことも幾つかある…。
三年間を通して、凛から話しかけられたことが一度もなかったこと…。
当然ながら、名前を呼んで貰ったこともない。
業務以外の会話を引き出せなかったこと。具体的には彼女の口から『…そうかな?』『そうだね』の2種類以外の言葉を耳にしたことはなかった…。
しかし、そんな素っ気ない凛の態度や言動によって、余市は益々、萌え萌えキュン!に拍車がかかり、ドラッグのように凛中毒に陥ってしまったのだった。
何の感動もなかった卒業式ですら、その視線は無意識のうちに凛の姿を探してしまっていたほどである。
正直、目を疑ったが、今、余市の前方で暗闇を背景に柴犬らしき犬を散歩させているのは、紛れもなく正真正銘の山崎凛なのだ!
しかも高校のあの糞ダサい制服ではなく、生活感溢るる私服姿なのである!
連れている犬は、100パー柴犬と断定したワケではない。秋田犬の仔犬である可能性もあるにはあるからだ。
この薄暗闇の中では、ヒヨコの雄雌判定と同様に、柴犬と秋田犬の仔犬の判別はかなり難解なのである。
しかし、肢体の大きさや耳の厚さ、表情などから察するに柴犬でほぼ間違いないだろう。
今回はしっかりと観察したつもりである…二度と同じ轍は踏まない。
犠牲者は軽率にも河童の烙印を押してしまったパキケファロ店員ひとりで充分である。
それはさておき、ほぼ同時に互いの存在に気が付いたため、激レア三次元アイドル凛の瞳に、ボロいママチャリでリュックを背負った鈍臭い勇姿が映ってしまったのは間違いない。だが凛は、この鈍臭い人物が同級生であった宮城余市であるという解にはまだ辿り着けていない様子だ。
凛はジャージ姿で上にパーカーらしきモノを羽織っているだけなので、少し寒そうではある。
ちょうど柴犬が野太い糞をした直後だったようで、凛はプラスチック製のシャベルで糞を器用に掬い上げ、持参した袋に収納しようとしているところだった。
糞の状態を見るに健康便のようだ。