38話
次の日、アリシアはウィルキスの待つバーグ公爵家の屋敷へ訪れた。バーグ公爵家への訪問はまさに半年ぶり、というくらい久しぶりだった。案内してくれたバーグ家の侍従が嬉しそうにしている。
――懐かしいわ。前はしょっちゅう来ていたのに。
アリシアは屋敷の中を見回しながらそんなことを思っていた。
アリシアが応接間に着くと、すぐにウィルキスは現れた。アリシアは昨日ウィルキスの前で初めて泣いてしまったこともあり、顔を会わせた途端、恥ずかしさが込み上げてきた。
「アリシア様、今日は来てくれてありがとう」
「いえ、ウィルキス様、昨日約束しましたから」
「そうだね。まずは誤解を解きたい。僕はミリー様に恋愛感情を持っていないよ」
ウィルキスの表情はいつもと変わらない。しかし、雰囲気はいつもよりも柔らかく感じた。
「え?そうですか?そのようには……見えなかったのですが」
突然のウィルキスの言葉にアリシアは驚いてしまう。
「僕がミリー様に対して思っている感情は、親愛の情だね。ミリー様のことは可愛いとは思っているけれども、妹のようなものだ」
――ミリー様が妹?そんなに昔から仲が良かったのかしら?
アリシアはどうも納得できない気持ちだった。
「そうだね。昨日の話をしたいのだが、その前に伝えておきたいことがある」
「はい。」
「この話を聞いたら、アリシア様あなたにはすぐにでも僕と結婚してもらうことになる」
「え?」
アリシアは意味が分からずとっさにウィルキスを見つめてしまう。それに対してウィルキスは真剣な表情で深く頷いた。
「この話は、身内にしかできない、秘匿性の高い話だ」
「そうですか……」
――話を聞けばウィルキス様と結婚できる……でもいいのかしら?このまま結婚して。
「アリシア様は僕のことが好きだと思っていたけれど、違うかな?」
ウィルキスに突然ずばりと言い当てられてアリシアは顔が赤くなってしまう。恥ずかしくてうつむいてしまった。
「そうですね。そうでした……」
アリシアは答える声がつい小さくなってしまう。
「今は違う?」
「……わかりません」
アリシアは自分の声が震えるのがわかった。
「そうか、僕はアリシア様、君が好きだよ」
「え?」
アリシアは信じられない言葉を耳にして、とっさに顔を上げた。
「僕は恋愛感情に対して鈍いみたいだ。昨日アレス王子に抱きしめられているアリシア様を見て、初めて自覚したよ。アリシア様が好きだって。誰にも渡したくないみたいだ。だから、アリシア様、諦めて。もう僕のものになるしかないよ」
ウィルキスは少し笑顔になり、アリシアは自分の顔が更に顔が赤くなるのを感じた。
――ウィルキス様ってこんな性格だったかしら。それに、初めて笑顔を向けられて……恥ずかしいわ。
「顔が赤くなってかわいいね。アリシア様」
「あの……」
「アリシア様が気になっていることを話すよ。もう僕たちは結婚するんだし。僕が本気になったら、絶対にアリシア様は逃げられないから」
ウィルキスの表情は獲物を前にした肉食獣のように見えた。
「え、……あの……はい」
「そう。今回僕が話すことを知っているのは、現在の国王陛下と前国王陛下。そしてバーグ公爵家では僕と父と祖父、それから母。それ以外だとキルス伯爵と奥方様、コーエン伯爵とその奥方様。これだけだ。」
「え?お父様とお母さまは知っているのですか?」
アリシアは驚いてしまった。父からも母からも何も聞かされていない。
「そうだよ。おそらく結婚のタイミングで伝えるつもりだったんじゃないかな」
「そうですか」
それからウィルキスは淡々と話を始めた。
バーグ公爵家の先代、つまりウィルキスの祖父は前国王の弟だ。先代は妻を早くに亡くした。妻はもともと身体が弱い人だったが、現当主を無理に生んだのが亡くなった原因だったようだ。先代は妻をとても愛していたため、後妻は迎えることをしなかった。それについては、現当主である息子が一人いたから周りもうるさくは言わなかった。
その後、現当主は大きくなり、妻を娶るとすぐにウィルキスが生まれた。ウィルキスの母は典型的な権力志向の女性だった。自分が次の当主を生みさえすれば、あとは自分の美貌の維持と買い物にしか興味がなかった。ウィルキスが女性に対して冷たいのは母の影響らしい。可愛がってもらった記憶はほとんどなく、いつも次期当主としてふさわしい行動を、と言われていたようだ。
逆に、ウィルキスを可愛がってくれたのが乳母だった。その乳母は顔が美しくなかったため、選ばれたようなものだった。ウィルキスの母が自分の脅威になるようなきれいな女性を屋敷に入れたがらなかったからだった。しかし、この乳母はとても思いやりがあり、まるで自分の子供のようにウィルキスを愛し、育ててくれた。実際ウィルキスもこの乳母にとても懐いたらしい。
もちろん乳母は屋敷で暮らしていたため、その人柄は屋敷の皆に知れることになる。その人柄に惚れたのが、先代、つまりウィルキスの祖父だった。祖父は長い間後妻を娶ることがなかったが、この年の離れた乳母を愛していまい、次第に一緒になりたいと思い始めていた。
そしてウィルキスが2歳のころ、乳母は懐妊した。もちろん、先代の子供だった。これを知ったウィルキスの母が怒り狂った。ウィルキスに家督を絶対に譲るためには、この乳母が邪魔だった。とはいえ、先代の子供がお腹にいる女に無碍なことはできない。先代は当時の国王の弟でもあったのだから。先代は乳母と子供を守るため、前国王つまり自分の兄に相談をした。そこで提案されたのが、養子に出すことだった。その当時の王に近い血を継ぐ、ということもあり、候補は伯爵家に絞られた。その候補の中にいたのが、キルス伯爵家とコーエン伯爵家だった。その時キルス伯爵家は奥方が妊娠していたが、コーエン伯爵家は子供がいなかった。しかもコーエン伯爵家は結婚して10年以上子供を授かっていなかったため、周りが妾を作るよう当主に忠告することも多く、奥方は気を滅入らせ、床に臥せることも多かったらしい。
コーエン伯爵はこの養子の話に飛びついた。国王の弟の子供であれば血縁に入れても問題ない。そして大事な妻を守れる。子供にはコーエン伯爵家の分家から配偶者を娶れば、血を受け継がせていくことにも問題ない、と考えたのだ。
結局、乳母が生んだ子供は男であろうが女であろうがコーエン伯爵家の養子にすることでいったん事態は終息した。もちろん養子であることはその子本人には隠すつもりだった。
実際に生まれた子供は女の子だった。これにはウィルキスの母は喜んだ。これでウィルキスが家督を継ぐ際に障害になることはない、と思ったのだ。そのお陰もあって、幼い頃ウィルキスは度々ミリーと遊んだ。ミリーがウィルキスのもとへ遊びに来る形で、ミリーの成長を乳母とバーグ家先代に見せてあげよう、というコーエン伯爵家の心遣いだった。
これが一変したのが、ウィルキスが6歳の時、熱病にかかったことだった。この熱病は死亡率が高かった。これにまたウィルキスの母が慌てた。すでにウィルキスの父と母は夫婦間の愛情は冷めきっている。ウィルキスが仮に死んでしまえばミリーに家督権が移るかもしれない、とウィルキスの母は恐れた。結局ウィルキスは薬によって回復したが、これを機にウィルキスとミリーとの交流はウィルキスの母によって断絶された。ミリーがバーグ公爵家と関わることを少しでも減らしたいというウィルキスの母の考えだった。
これに対してウィルキスの祖父と乳母は、一度は養子に出したのだからしょうがない、と考え納得したものの、自分たちの子供にせめて何か残したいと考えた。そこで、バーグ家の家紋がついた宝石箱に入った宝石を渡したのだ。いつかミリーが自分の出生の秘密を知った時に、自分は愛されて生まれてきたのだ、とわかってもらえるように。
「つまり、ミリーは僕の叔母さんということなんだ」
ウィルキスの説明を聞いて、アリシアは呆然としてしまった。まさかそんな話だとは思ってもいなかった。ミリーがウィルキスの叔母だなんて。
「ミリーは乳母によく似ているんだよ。だから可愛いというか、親愛の情が沸いてくる。乳母には本当に良くかわいがってもらったから。僕の母は顔の造りは良いけれど、僕にとって良い母とは言いがたいからね」
「ウィルキス様が私の容姿を好かれなかったのも、それが原因ですか?」
「あぁ……今はアリシア様がとてもかわいいと思っているよ。ただ、昔は容姿が良い女性に対しては特に苦手意識があったんだ」
「そうですか」
アリシアはウィルキスの話を聞いて、ウィルキスが容姿にこだわらない理由が納得できた。女性に対して冷たい理由も。確かにバーグ公爵夫人はかなり美しい。子供が一人いるとは思えない、若さと美貌を維持している。そして社交界の華として良くパーティーにも出ていた。だからこそアリシアは、ウィルキスが求めている女性はバーグ公爵夫人のような女性だ、と思ってしまっていたのだが。
「私は、勘違いをしていました。ウィルキス様にも、それにミリー様にもひどい言葉をかけてしまいました」
アリシアは事情を聞き、そして自分の今までの行いが的外れだったことを知った。知らなかったとはいえ、ミリーにはひどい言葉も投げつけてしまった。
「僕の説明も足りなかったし、詳しいことをいう訳にはいかなかった。だからアリシア様は気にしないでほしい」
ウィルキスはそういうと、アリシアに近寄り、抱きしめてきた。
「わかってくれたよね。僕がミリー様に恋愛感情を持っていない理由」
「はい」
アリシアはウィルキスに抱きしめられるのに慣れず、また赤面してしまう。
「良かったよ。すぐに結婚することになると思うから、これからはアリシアって呼んでいいかな?」
「あの……」
「僕の事もウィルキスと呼んでほしいんだ」
「あ……」
アリシアは恥ずかしくてたまらなかった。
「ね、アリシア。だからこれからは僕以外の男性に抱きしめられたりしてはいけないよ」
「え……」
「昨日みたいなことは許さないからね」
「はい……私にはウィルキス様だけです」
「本当にかわいいなアリシアは」
その日アリシアはウィルキスの笑顔と抱擁にドキドキしすぎて、帰りはふらふらになっていた。普段は自意識過剰なアリシアだが、男性に対する免疫はほぼゼロに等しかったのだから。




