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31話

 キルス領に戻ってきたアリシアは早速キルス伯爵のもとへ帰宅の挨拶に向かった。キルス伯爵は約1か月ぶりのアリシアの帰宅に、飛び上がるほど喜んだ。どうやら一人きりで寂しくてしかたなかったらしい。侍従長も同じくらいアリシアの帰宅を喜んでくれた。

――侍従長は……お父様が面倒くさかったのね、きっと。


「お父様、オスルは本当に、とても素敵な町でした。お母さまにもお礼を伝えたいですわ。そして、ユミルおば様にはお父様からもよろしくお伝えいただけますか?」

「あぁ、良くお礼を言っておくよ」

「それと、ハーブ豚というお肉を食べたのですが、臭みがなくとても美味しく感じました。是非キルス領の牧場でもハーブを使った動物の育成をしてみたいのです」

「そうか。それはやってみるといい。そうだ、アリシアに頼まれていた動物育成の専門家についてだが、良さそうな人が見つかったよ。1週間ほどでこちらに来る予定だ」

「まぁ!覚えていてくださったのね、ありがとうお父様」

「もちろんだよ。さぁ、長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休みなさい」

「ありがとうございます。お父様」


 アリシアは嬉しくてたまらなかった。ハーブを使った動物の育成について、これで具体的に進むかもしれない、と道筋が見えてきた気がしたのだ。




 一週間後キルス伯爵の紹介で現れたのは60歳くらいの男性トムと30代後半の女性エダだった。二人は年齢は少し離れてはいるが、夫婦だということだった。

 トムは既に髪の毛が白くなっており、白いひげが特徴の笑顔が優しいおじいさん、といった雰囲気だった。若い頃はもてたことが伺える、精悍さを感じさせる顔立ちをしている。対するエダは顔の造りは、正直かなり残念ではあるものの、優しい人柄が滲みでているようなやさしい笑顔や穏やかな話し方が特徴の女性だった。

 ふたりは田舎暮らしをしており、鳥の飼育をしていたようだった。たまたま町に来た時に公募を見る機会があり、是非応募してみたいということで尋ねてきたらしい。どうやらキルス伯爵がトムとは昔の知り合いのようで、アリシアの面接を経ることなく採用にいたったということだった。

キルス伯爵は、トムとエダの人柄は保証する、と言うことからも二人は悪い人ではないのだろう、とアリシアは考えていた。

「トムさん、エダさん、アリシアと申します。これからどうぞよろしくお願いいたします」

 アリシアは父親の知り合いということもあり、丁寧にお辞儀をする。

「こちらこそ、アリシアお嬢様よろしくお願いします」

「よろしくお願いいたしますね」

 トムとエダはにこにこしながらアリシアに挨拶を返した。

――トムさんは気品が感じられるけれど、もしかして貴族の出身の方なのかしら?

 アリシアはトムがただの平民ではないような、違和感をこの時感じていた。


「早速ですが、トムさん、エダさん、実はお二人に鳥のお世話をお願いすることになるのですが、それについて少しお願いがございます。実は先日ルワン帝国を旅する中で、ハーブ豚のお肉を食べましたの。それがとても美味しく感じられて。それで、鳥にハーブを食べさせて飼育できないかと思っているのですがいかがでしょうか?」

「ハーブ鳥ということですか、面白そうですな」

「えぇ、是非やってみましょう」

 二人はアリシアの提案に快諾してくれた。それはアリシアが拍子抜けするくらいあっさりとだった。

――良かったわ。気難しい方じゃなくて

「ただ経験がないので、少しずつ試しながら実践する、ということになってしまうかと思いますが、よろしくお願いします」

「あぁ、楽しみだ」

「えぇ」

 二人は笑顔で笑いあっている。アリシアはその笑顔を見てほっとしていた。


 この時からキルス領の牧場では、ハーブ鳥の生産を本格的に始めることになった。知っている限りのハーブを国中から集め、アリシアとエナも一緒になって研究をすることにした。



「エナ、トムさんとエダさんはとても良い人そうね」

「はい、そのように思います」

「お父様が、人柄は保証する、とおっしゃるなんて、珍しいわよね」

「そうですね。キルス伯爵はあまり軽率なことはおっしゃらない方ですし」

「きっと、昔からの知り合いなのね。私はトムさんから気品が感じられるし、元貴族か何かだと思うわ」

「え?」

 エナが少し驚いたような声を出す。

「きっとエダさんとの仲を周囲に反対されて、二人で逃げたのよ!」

「……」

「なんてロマンチックなのかしら。二人を応援したいわ。権力者に追い詰められた二人、そして命を懸けてエダさんを守るトムさん!更に――」

「アリシア様」

「どうしたの?エナ」

「歌劇の影響を受けすぎかと思います」

「……」

「……」

「そ、そうね。そうだったらおもしろ、いえ、素敵だと思っただけよ」

「……」

「ロマンチックな恋が近くに合ったらいいわ……なんて思っただけなのよ」

「そうですか」

 エナはため息をついていた。

 アリシアはエナに対しては誤魔化しながらも、心の中では、私の推理が当たっていたらどうしよう!素敵!とドキドキしながら考えていた。



 アリシアは次の日からトムとエダとハーブ鳥について研究する傍ら、牧場全体を回ることにした。すでに季節は夏真っ盛りになっており、暑い日が続いていた。

 ハーブ鳥を育てることについてはハイドも興味があるようだった。自分の羊にもハーブを食べさせてみようか検討したいということで、トムとエダの紹介を依頼された。

「それにしても、暑いわね」

「そうですね」

 アリシアはあまりの暑さと日差しの強さに、早々にばて気味になっていた。

「エナ……汗一つかいていないように見えるわよ」

 アリシアはエナを見つめると、うらやましそうな声が出てしまう。

「十分暑さを感じております」

「そう?」

 エナは相変わらず無表情で涼しげに見える。


「アリシア様」

 アリシアが牛の厩舎の近くへ差し掛かった時、カレンが走りながら近寄ってきた。最近は作業着と帽子の仕事以外の時は、牛の世話をしているようだ。

「カレンさん、そうだわ!どうかしら、あの作業着」

 アリシアは屋敷へ帰ってきてすぐに渡した作業服と帽子についてとっさに思い出した。

「そうそう、その話なんだけど、もしかしたらいけるかもしれないよ」

「良さそうですか?」

「あぁ、この素材の服を着て作業をすると、皮膚が赤くなりにくい、と言っている子が多いよ。日焼けを防げているんだと思う。それに、織り方のせいなのかあまり熱が籠らないし」

「あら、それは良かったですわ」

 アリシアはつい笑顔を浮かべてしまう。

「できればこの素材で売り出してみたいけど、どうかな?」

 カレンは恐る恐る、といった風にアリシアに対して問いかけてきた。

「そうですね、やってみましょうか?」

 アリシアはカレンの言葉に頷いた。カレンは作業着と帽子の売れ行きが良くないことをとても気にしているようで、これを機に挽回したいようだった。アリシアとしてもカレンとの商いもなんとかしたいと思っているのだ。

「そうか!よかった嬉しいよ!ユンとも相談して」

 カレンはアリシアの言葉を聞くと飛び上がりながら喜び、さっそくどこかへ行こうとする。アリシアはカレンを引き留めると話を続けた。

「その事ですが、カレンさん。この素材はルワン帝国のオスルにある仕立て屋で手に入れたものなのです。もし販売するとしても、今は既に夏の真っただ中。今年は間に合わないから来年の春から、ということになると思うの」

「そうか……そうだよね」

 カレンは残念そうな顔をする。しかし、今から夏物を作っても夏はもう終わってしまうのだ。

「そこでお話なのだけれど、冬になったら牧場は手が空くでしょう?宜しければカレンさんは冬の間に少し、ユンさんとオスルに滞在してはどうかしら?」

「え?」

「オスルには本当に刺激的なものがたくさんあるのよ。ユンさんと共に新しい最先端の素材やデザインを見て勉強したら、二人の役に立つのではないか、と思ったの」

「いいのかい?」

 カレンは信じられない、という顔でアリシアを見つめてくる。

「えぇ。ユンさんにも私から話をしてみますわ」

 アリシアはカレンの目をしっかりと見つめると、笑顔で頷いた。


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