24話
それからしばらくの間、アリシアはキルス領の牧場の手配に追われた。ハイドに任せていたモリー種の羊の初めての毛の刈り取りが始まったためだ。もちろんアリシア自身が作業を率先して行うわけではないが、ハイドの要望に応えて必要な人員や物を用意したり、また刈り取った毛をベールに見せるための手配など、指示する事はたくさんあった。
「これが終わったらしばらくはキルス領でのんびりしようかしら」
ウィルキスとの婚約が解消された今、首都にいてウィルキスと定期的に会う必要はない。また、アリシアブランドの店は頻繁にアリシアが顔を出す必要がない程度には、店員が育ってきている。それにあまり首都にいて貴族の目にさらされ、婚約解消のことをとやかく言われたくなかった。
「アリシア様、もうすぐアリシア様の誕生パーティーがございますが、いかがされますか?」
「そうだったわね。やらないってわけには――」
「いきません。旦那様も楽しみにしてらっしゃいます」
「そうよね。キルス領で行いましょうか?」
「マリア姫もいらっしゃるそうですし、いつものようにオルカーの屋敷でされることになると思います」
「そうよね、やっぱり」
――エナ、譲る気はないわね
エナが譲らないのも当たり前のことだった。貴族の女性は13歳で社交界デビューをすると、よっぽどの事情がある場合を除き、結婚をするまでの期間は首都の屋敷で誕生パーティーを行う。将来の結婚相手選びはもちろんの事、貴族間の人脈作りのため、それは当たり前のことだった。
「病気になるって……」
「お店でも牧場でも精力的に動かれていますので、それは白々しいかと思います」
「うっ……そうよね」
――相変わらず容赦ないわ
「アリシア様、諦めてください。そのかわり、誕生パーティーが終わりましたら、少しの間旅行などゆっくりされてはいかがですか?」
「そうね!それは素敵だわ!そうしましょう」
エナの提案にアリシアは心が浮き立った。最近は旅行もしていないから、この機会にどこか少し遠いところに旅行に行ってもいいわ、なんて考えたりもしていた。
牧場で刈り取ったモリー種の毛は、ハイドの努力もあり、素晴らしいものだった。その証拠に毛をベールに見せたところ、アリシアが事前に計算していた以上の価格で全て買い取りたい、との申し出があったのだ。アリシアも決して安くない金額を考えていただけに、ベールの提案には内心少し驚いていた。
――毛の質によって、かなり価格が変わってくるのね。ハイドさんの育成方法は素晴らしいのだわ
「ハイドさん、モリー種の毛はすべてベールさんのところに卸すことになります」
「はい~わかりました~」
「ハイド羊毛として販売しますので、売り上げの3%をハイドさんのお給金に上乗せしますわ」
アリシアが事前にキルス伯爵と考え、決めた料率をハイドに提示するが、ハイドは不満げな顔をしていた。どうやら納得していないらしい。
「アリシア様~今回はいりません~」
「え?」
「もう少し~毛の質が良くなると思っていたのですが~ケルス国と気候が違っているからかな~うまくいきませんでした~」
「ベールさんは喜んでいたけれど」
「そうですか~来年はもっと良くしますから~来年良くできたらお願いします~」
ハイドが納得していないのは価格ではなくて、毛の質が、ということだった。
「ハイドさんがそうおっしゃるなら、そうしますけど、本当にいいのかしら?」
「はい~」
ハイドとの話し合いにより、今年は売り上げの一部のお金はハイドに支払わないことになった。
――ハイドさんは、お金には本当に執着心が薄いのよね。従業員にしては珍しいタイプだわ。
アリシアはそんなことを考えながらも、ハイドらしい、と納得もしていた。ハイドを雇ってから今まで、ハイドは給金について話すことは一切なく、一貫して羊への設備や食料については高品質なものを要求する。職人気質なのかもしれない、と思わせるところが多々あったのだ。
それでも、このモリー種の一件でアリシアは高品質な動物を生産することは、牧場経営をする上で有効な手段であることを確信し始めていた。
――でも、大事なポイントは誰に任せるか、なのよね。ハイドさんは本当に大当たりだったけど、そんな人材がごろごろしているわけではないわ。良い人がいたらどんどん増やしていきたいけれど……
実はハイドを採用してからは良い人材が見つかっていなかった。アリシアとしてはあと数人、他の動物を任せることができる専門家を雇いたかったが、やはり公募では玉石混合。玉にあたることは殆どないのだ。
それからアリシアはモリー種の羊毛が高く売れたことをキルス伯爵に報告し、もう少し高品質な動物の飼育を増やしたいから良い情報があったら教えて欲しいことを頼んだ。
キルス伯爵は二つ返事で了承した。アリシアの頼みごとを断るはずもなかった。キルス伯爵はアリシアに頼まれごとをされるたびに喜ぶ、という典型的な親バカなのだ。
「お父様、それではお願いいたしますね。動物はどんな種類でも構いません。専門家であり、育成への情熱がある方を是非お願いいたします」
「あぁ、わかったよ、探しておくよ、アリシア。かわいいアリシアは牧場経営の才能もあるみたいだね」
「お父様、褒めても何も出ませんわ。でも、ありがとうございます。お父様がアドバイスをくださるお陰ですわ」
「アリシアは嬉しいことを言うね」
「これは本当の事ですわ」
実際キルス伯爵はうまくアリシアの足りないところについてフォローをしてくれていた。そうでなければ何の経験もない15歳の貴族令嬢が牧場経営など上手くできるわけもない。
「ところで、アリシア。誕生パーティーについてだが」
キルス伯爵は少し困ったような顔をしてアリシアを見つめてくる。
「お父様、オルカーの屋敷で例年通りで結構です」
「そうか」
「ウィルキス様にエスコートしていただくことはできませんから、どんなことを噂されるかはわかりませんけど。」
「アリシア……」
「次の婚約者は、お父様のお目にかなう方であれば、誰でもいいですわ。できれば私の事を好きになってくださる方が望ましいですけど。お父様の人を見る目を信用してますわ」
「わかった」
「今回は、一人で何とかしますわ」
「アリシア、実は今回の誕生パーティーにはレノンとお母さまが来られそうだ」
「まぁ!本当に!」
アリシアはキルス伯爵の言葉を聞いてあまりの嬉しさに飛び上がった。レノンは今年6歳になるアリシアの弟でとても素直な性格をしている。アリシアもとても可愛がっているのだ。しかし、少し身体が弱いため、今はキルス領の西にある別荘で静養している。それに母もつき添っているため、二人にはなかなか会えていなかった。
「嬉しいわ!レノンに会えるなんて」
アリシアはウィルキスとの事を頭の隅に追いやり、レノンと会えることに胸を躍らせた。その向かいではキルス伯爵もにこにこと笑みを浮かべていた。




