19話
日中の一番日が高い時間を越え、少し外の寒さが厳しくなってくる時間帯になっていた。それでも馬車に座るアリシアの顔色は、気温の低さでは説明がつかないほど青白かった。
「アリシア様……」
「エナ、あの部屋に」
「ここは馬車の中ですので」
「そうね……」
アリシアとエナはそれっきり一言も言葉を交わさなかった。いや、言葉を交わせなかった。馬車の中は重い空気が漂い、ただ車輪の音と馬の泣き声、外の喧騒のみが響いていた。
アリシアとエナが首都オルカーのキルス家の屋敷に着いたのは、すでに日が完全に落ちた時間帯だった。アリシアは夕食をとる気にもならず、エナだけを連れると自分の部屋に引きこもった。
「エナ……あなたは……見たかしら」
「アリシア様」
「ミリー様の部屋にあった、宝石箱、あれは」
「……」
「見たのね……家紋は何に、見えた……?」
アリシアは思い出したくないあまり目をぎゅっとつぶってしまった。
「鷹です」
エナは静かな声で、しかしアリシアには聞こえるように小さくつぶやいた
「あぁ!」
アリシアは思わずソファに突っ伏してしまった。自分の見たものは見間違いではなかったのだ。可能性はないと頭ではわかりながらも、捨てきれなかった希望の光がついに消えてしまった。
ミリーが持つのはバーグ公爵家の家紋が入った宝石箱。ウィルキスはどんなつもりでミリーにあの宝石を渡したのか。婚約者の自分ですら、もちろんまだ持っていない。正式な婚姻の際に、ウィルキスから鷹の家紋がついたものを渡されることを夢見てきたのだ。
「ウィルキス様は……」
――私は何をしていたのかしら?私のやっていたことは無意味だった?
「もし、本当だとしたら……ひどすぎる」
アリシアの瞳から涙があふれた。その横でエナは何も言わず、ただ寄り添っていた。
次の日、アリシアが遅い朝食、もうすでに昼食と呼べる時間帯に、ぼーっとフルーツをフォークでつついていると、アリシアの部屋を執事長が訪れた。
「アリシア様」
「執事長、どうしたの?」
「旦那様がお呼びです」
「お父様が?……わかりました。伺いますわ」
アリシアはしぶしぶ立ち上がった。正直誰とも会いたくなかったし、話したくなかった。とはいえ、父が執事長に自分を呼びに行かせた、ということは正式に何か用事があるのだ、ということがわかったのだ。
(コンコン)
「お父様、アリシアですわ」
「あぁ、アリシア。相変わらず可愛いね。顔を見せてごらん」
キルス伯爵が満面の笑みで腕を広げると、アリシアへ近づいてくる。どうやら親バカは健在のようだった。
「お父様、ありがとうございます。それより何かお話があったのではなくて?」
アリシアは笑顔を浮かべ父親に近寄りながらも、早く話を終わらせたくて先を促す。
「あぁ、それよりも、顔色が悪いようだが」
キルス伯爵は自慢の眉毛をハの字にしている。
「お父様、気のせいですわ。昨日寝つきが悪かっただけですの」
アリシアはとっさに嘘をついた。父にミリーの部屋で見たことを相談したい気持ちもあったが、今は自分がうまく父の前で説明できる自信も取り乱さない自信もなかった。
「そうか……季節の変わり目だ。身体には気をつけなさい」
「はい、お父様。ありがとう」
「あぁ、アリシアは本当に笑顔がかわいいな」
アリシアが微笑みかけると、キルス伯爵は至上の幸せとばかりににこにこしている。
「お父様、ところで用事ですが」
「あぁ、そうだった。忘れていた。皇后様がお前と是非お話ししたいそうだ。どうやら前回のパーティーで着ていたドレスに興味があるようだ」
――皇后さまからのお誘い……忘れてる場合じゃありませんわ、お父様
「まぁ、とても嬉しいですわ。是非伺わせていただきます」
アリシアは笑顔で頷くと早々に部屋を後にした。
キルス伯爵がもっと話がしたいと引き留めてきたのが、ちょっと煩わしかった。