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第二話 痛みを超えて…… 1

 火葬中の待ち時間、沙遊の家族や親族達は大部屋の和室に案内され各々裕子の話題で賑わっていた。

 啓造は妻を亡くしたというのに意外と落ち着いた様子で、親族相手に結婚当初の初々しい様子を思い返しながら話していた。

 それを聞いていた親族達は、「裕子はまだ若くして命を失ったのにかかわらず子沢山だった」とか、「料理の腕はうまいのに何かと抜けていた」とか、「誰もがその優しさに強い信頼を抱いていた」などと思い思いの話をする。

 そんな中で結は退屈そうに寝転がり、伸一は小さく縮こまり誰とも言葉を交わさなかった。

 また沙遊に至ってはこの場においても涙を流すことなく、笑顔で周囲と会話をする。

 それらから少し離れた部屋の隅でアンリ・マユは壁を背に静かに座ってそれらを観察していた。


「ここの人達の弔い方は少し違う。昔見たものとは全く……」


 かつて彼女は人を弔う儀式を見たことはあった。されど今この場で行われているものとは程遠く、川に流したり、箱ごと土に埋めたり、あるいは祭りのように騒いで弔うものしか知らなかった。


「私も……無知ということか」


 今までこの世界側に寄ったのは数える程。とりわけ記憶に新しいのはもう何百年も前のこと。

 ……知らないことが多いからあの人と比べて劣っていたのかもしれない。つまらないと感じたのはそれが原因なのだろうか。

 アンリ・マユは左手に視線を動かすと指に力を込める。大きくは動かないものの指先がピクンッと小さく動いた。

 ……いや、後悔はない。きっとあれは一番正しかった。たとえ半身がもう二度と動かないとしても私の行動は正しかったと思う。


『鞍馬様、鞍馬様、拾骨の準備が整いましたので拾骨室へお越し下さい』


 色々と考え込んでいるところでスピーカーから音声が流れた。

 それを聞いた親族達は立ち上がりぞろぞろと部屋の外へ。そこで沙遊が近づきアンリ・マユの前へ歩いてくる。


「わたし行かなくちゃいけないけど、おねえちゃんつらそうだからここで待ってる?」


 彼女を気遣っての言葉。ところがそれに対しアンリ・マユは首を横に振る。


「行かなきゃ。多分ここで行かなかったら私は後で後悔すると思う」


 それは直感の域だった。後学のためか単なる興味か? 理由は分からない。

 けれど彼女の言葉に沙遊は小さく顔をほころばせ左手を差し出した。

 アンリ・マユは差し出された手に自身の右手を差し出し、沙遊の手を掴んでゆっくりと右足のみで立ち上がる。


「あと、これは私の意地。体が動かないからって何もしないのは死んでいるのと同意義だから……」


 半身を引きずりながら部屋を出るアンリ・マユ。その隣に付き添う形で沙遊が同じ歩幅で歩いていく。

 親族の後ろにつきながら歩いていくとほどなくして新たな部屋の中に入る。

 遅れて中に入った沙遊とアンリ・マユは親族達の間を縫うように進むと啓造の元へ。


「沙遊。母さん綺麗に焼けたぞ」


 啓造は沙遊に言った。まるで魚が焼けたのと同程度の言い方で。

 アンリ・マユと沙遊は目の前にある寝台に視線を動かした。そこには白い枝のような物があちらこちらに並んでいた。


「おとうさん。人って燃えたらほとんど形がなくなっちゃうんだね」

「それもそうだが、拾骨しやすいように業者の人が細かく砕いてくれたんだよ」

「そうなんだ。しんせつだね」

「ああ、親切なことだ」


 啓造は沙遊と短く会話したあと足元で座っている結を抱き抱え寝台の方を体を向ける。


「結。ママはちゃんと焼けたぞ」

「まま?」


 幼い結は目の前に広がる骨の山に何の興味も示さず、啓造の服を引っ張り遊びだす。


「ほら伸一。お前もよく見るんだ」

「……嫌だ。母さんは死んでない。これは……悪い夢なんだよ」


 啓造の言葉に耳を貸さず寝台を見ようとしない伸一。しかし、


「伸一。母さんに失礼だ。お前のその姿を母さんは見たらどう思う?」


 重い言葉に伸一は静かにゆっくりと寝台に顔を向け、両目から涙を滲ませる。


「……母さん。あんなに苦しんだのにこんなにも綺麗に焼けたんだ」

「ああ。俺は何人か親戚の葬儀に付き合ったがこれだけ綺麗な骨は見たことないよ」


 親子間の何気ない会話。ただし内容は重く辛いもの。

 啓造達のやりとりが終わるのを待っていたのか、僧侶は拾骨の説明をしていく。

 手順を聞いた沙遊達は家族から親族の順に並んで収骨をはじめる。

 啓造は係員から竹と木の拾骨用の箸を受け取り、片手に結を抱きながら頭の骨を摘み骨壷へ収めていく。

 何事もなく啓造と結の拾骨は終わり沙遊と伸一の番になる。


「さ、おにいちゃん。いっしょにおかあさんをつぼの中に入れよ」


 沙遊は箸を受け取ると苦々しい顔をする兄に拾骨を勧めた。

 伸一は行為を否定するように手を上げなかった。しかし、沙遊の表情を見てそれをやってはいけないと悟る。

 彼の目に映った沙遊の表情はとても澄んでいた。悲しみも怒りもその顔には浮かんでおらず、むしろ母の死という不条理を受け入れた顔をしていたのだった。

 その顔を見て自分の情けなさを知り、彼は兄としての自覚を思い出す。


「……分かった。やるよ」


 伸一は大きく深呼吸したあと自らも箸を受け取った。

 二人は僧侶に指定された遺骨を協力してつまみ上げ、骨壷にそれを収める。

 カランと重みのない音が響く。ほんの半日前にあったはずの血や肉は形を残すことなく全て燃え尽き、簡単に砕けてしまうほど脆い骨だけが残っていた。それはまるで彼女の存在が泡沫うたかたであったと言わんばかりに……。

 ……だけど、この行為には意味があるように見える。この女性はしっかりと明日へ残る。でなければここに居る人はこんなにも真剣にこの儀式に参加しないはずだ。

 アンリ・マユは記憶の中にある弔いと今の儀式を見比べ対比し、この地の文化の重みを知る。


「おにいちゃん、行こ」


 拾骨が終わってもその場に残っている兄の手を沙遊は掴み父の待つ方へ引っ張っていく。

 伸一は覚束無い足取りで父の隣に立つとその腰元に抱きついた。

 男らしくない行動であるものの啓造はそれを咎めず静かに頭を撫でる。その様子を見ながらも沙遊はアンリ・マユの元へ。


「お帰り」

「ただいま」


 互いに小声で言い合った小さなやり取り。それは二人以外には聞こえず、拾骨は次の人間へと代わっていった。

 さして時間がかかることなく全ての骨が骨壷に収められ、収骨は終わった。

 裕子の骨が入った骨壷は僧侶の手によって木の箱に収納され、啓造はそれを受け取り胸に抱く。


「ふむ。軽いな……でも重い」


 啓造は自らの懐に収まってしまうほど小さくなった妻にぼそりと、そんなことを呟いた。


   *             *


 沙遊達は再びバスに乗り最終目的地である墓地へと移動する。

 何本もの木が生い茂っている林を抜けると開けた場所に出た。そこには古めかしく小ぢんまりとした寺があり、その裏手に墓地が存在した。

 バスを降りる啓造や親族達。沙遊はアンリ・マユと共に遅れてバスから降りた。

 一同は僧侶の案内の元、砂利道を歩いて鞍馬家の墓へ着く。

 しっかりとした吾妻御影で作られた墓石は先祖代々から受け継がれてきたもの。その中に新たな住人が今、入ろうとしていた。


「さ、こちらの中に壺を収めください」


 僧侶は墓の下方にある蓋を開け骨壷を収めるように啓蔵に言う。

 啓造は妻の遺骨が入った骨壷を箱から出すとそれを墓の中へ入れる。


「これで、お別れだな」


 静かに、とても穏やか動きで啓造は墓の穴に裕子の骨壷を収めた。

 完全に入りきったのを確認した僧侶が墓の蓋を閉じようとするが啓造の手が先に出てそれを遮る。

 啓造の意図を察したのか、僧侶は手を引っ込め静かに成り行きを見守る。


「次にこの中に入るのは俺だが、当分あとだな。長い時間待たせるだろうが、しんぼう強く待っていてくれよ」


 啓造はわずかばかりしゃがれた声でそう言った。


「いつも頑固なこと言ってお前を困らせてきたが、もう少しだけ困らせてくれ。……なあ裕子?」


 その時の啓造の脳裏には裕子と初めて出会ったときの記憶が思い返されていた。

 彫りが深くキツめの印象を受ける啓造は見た目と相反することなく頑固な性格の人物だった。

 そのような人物に寄る女性は少なく、同郷の知人が次々と結婚する中彼一人だけは未婚だった。

 啓造自身も結婚を考えていなかった。一人で居る方が気が楽だと思っていたからだ。

 しかし、その思いは一人の人物の登場で大きく覆された。


「お前に出会えて俺の人生一から十まで変わったよ。まさか堅物な自分が綺麗な嫁さん貰って優しい心を持つ息子に信念のある娘――」


 墓前から視線を動かす啓造。彼の目に伸一と沙遊が映る。


「あとまだどうなるか分からないが、将来性のあるチビもいる。お前は俺に三人もの子供をくれた。これはもう奇跡としか言い様のないことだ」


 一人……亡き裕子に対し言葉を紡ぎ続ける啓造。いつの間にか、その目元には一筋流れるものがある。


「だけどな、そんな俺とお前の間に一つだけどうしても変わらないモノがあるんだ。それはな……」


 温もりのない墓石に啓造は手を置いた。その手はまるで妻の頬を撫でるかのようにそっと柔らかに流れていく。


「お前を愛していることだけは変わらないよ」


 美しすぎる答え。華やかな店で若い男が可憐な女性に捧げる言葉と同じように聞こえるかもしれないが、真意と重みがまるで違う。

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