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第一話 少女と出会った日 5

「これは?」

「これはおねえちゃんの朝ごはん。これを食べて早く元気になってね」


 そう言って茶碗を畳に置くとアンリ・マユを起こしてあげようと手を伸ばす。けれどアンリ・マユは右手でそれを静止し起き上がろうとしない。


「どうしたの?」

「沙遊。私には食事はいらない」

「何で?」

「食べなくても生きていける」


 ざっくりとしたことを言うアンリ・マユ。しかし沙遊は彼女の言葉を聞いたものの、頬をむくれさせる。


「だめ。食べなきゃ」

「いらない」

「だめ。食べて」

「いらない」

「め! そう言うわがままは言っちゃダメだよ!」


 どんどん語気が強くなる沙遊に気圧されアンリ・マユは黙ってしまう。それに対して沙遊はジッと彼女の目を見つめる。

 無言の一分。心変わりの表れが見えない沙遊の根気に負けたアンリ・マユは渋々ながら体を起こした。


「じゃあごはんにしよっか」


 そう言ってレンゲで茶碗の中に入っているどろりとした白い物体をアンリ・マユの口元へ差し出す。

 急に目の前に差し出された真っ白などろどろの物体に対しアンリ・マユは怪しげな視線を送り、「これは何?」と思わず尋ねた。


「これはおかゆ。お米をお水とお塩でにこんだ日本のびょーにんしょく」

「……これが?」


 沙遊は当然のようにおかゆを差し出すが文化も知らなければその国の料理を知らないアンリ・マユにとってそれは未知の異物に見えた。 

 ……でもこれを食べないと沙遊は引いてくれないんだろうな……。

 一日と少ししか共に生活はしていないが、彼女が頑固だと言う大方の見当はついた。


「食べるからこちらの世界側に変換させて」


 そっと沙遊のレンゲをもつ手を戻させると器の中のおかゆを侵食し始める。見る見るうちにおかゆの色は反転し、どす黒くなる。


「……なんだか墨の色みたいだね」

「白いの嫌だなと思ったけど……これも酷いね」


 これをしないと食べれないので仕方無しにやってみたが視覚的にはやや食欲を無くす色合いだった。


「はい。じゃあお口をあけてね」


 すっと差し出されるレンゲ。その上には自分がやったもののどう考えたって食べたくない黒い物体がほかほかと温かかそうな湯気を浮かべていた。

 アンリ・マユは小さく口を開けそれを口内に迎えた。

 おかゆはどろりと口の中に入り込むと適度な熱で口の中を温める。それを傷ついて動かしにくい歯や顎を使い咀嚼していく。

 あまりうまく噛めない中、アンリ・マユはおかゆの米粒が形がなくなるまですりつぶすと喉の奥へ送っていった。


「どう?」

「……甘い」

「……え?」


 沙遊は目を点にして固まった。


「甘いの?」

「うん。甘い」


 沙遊は不思議そうな顔をしながらもレンゲを真っ黒なおかゆに差し込むとそれを口へ運んだ。すると、とても微妙そうな表情をする。


「ほんとうだぁ。おかしいなぁ。お塩って書いてあったのに……」


 何気ない動作。しかしそれはまたもアンリ・マユに衝撃を与える。

 ……器もすくう道具も私の世界に引き込んだものを入れることはできる。だけどそれを人間が食すことはできないのに何故この子は口に入れることができたの?

 目の前に居る少女に対しますます疑問を膨らませるアンリ・マユだが、落ち込んでいる沙遊を見て思考をすぐに切り離した。


「きっと、器と中身が違っていたんだよ」

「むぅ~、お母さんたらまた間違えてる」


 そう言った直後、沙遊は寂しそうな顔をした。アンリ・マユにはなぜ少女がそのような表情をしたのか分かっていた。


「甘くても大丈夫。どっちかと言うと甘いのが欲しかった。それにお米を甘く煮込んだ料理ががどこかの国にあるってイフリートが……」


 言って気づいた。そして後悔する。その名前を口にしたことに。


「いふりーと?」


 沙遊が聞き覚えのない単語を耳にしたために聞き返してくる。対するアンリ・マユは視線を畳の上に落とし、地雷を踏んだことに気づいてフォローしたが実は自分が自滅していたことを理解して気が滅入るのだった。


「……なんでもない。昔のこと」


 そう。昔のこと。あの人と私は既に決別した。もう過去にすがる訳には行かない。


「おねえちゃんがそう言うなら」

「うん。気にしないくてもいい。それよりもおかゆがほしい」

「わかった」


 沙遊は陰りのある表情をすぐに笑顔に変え、再びレンゲにおかゆをすくってアンリ・マユに食べさせるのであった。


             *              *


 朝も過ぎた十時頃、アンリ・マユと沙遊はバスに乗っていた。

 そのバスの搭乗者は二人だけではなく沙遊の父親や兄妹、親族達がある場所を目指し移動していた。

 片道三十分の田舎道を越えると大きな煙突のある施設へたどり着く。

 バスが停車するとぞろぞろと人が降りていく。沙遊もそれに続き、アンリ・マユもとてもゆったりとした動きでバスから出た。

 二人の前にそれなりに小奇麗な建物が現れ、入口には係員と思しき男性が看板を片手に手招きしていた。


「ここでお母さんが燃やされるんだ」


 とても自然な様子で少女は言った。これからこの場所で――火葬場で裕子が燃やされるとうのに……。


「あっちに行くみたいだね。おねえちゃん付いてこれる?」

「大丈夫。無理言ってついてきたのだからしっかりと付いていくよ」


 心配する沙遊にアンリ・マユは片方だけ見える紅色の目で少女を見つめ微笑んだ。

 係員に案内されながらの移動。家族内では一言も話すことはなく、後ろに付いてきている親族のみ裕子の生前を語り合っていた。


「それでは皆様。こちらでしばらくお待ちください」


 係員に連れられ広く厳かな雰囲気のある部屋へ案内された。

 室内は綺麗で割と大きく、沙遊達や親族達が中に入ってもいくらかの余裕があった。

 この場所は告別ホール。棺が来るまでの時間を静かに過ごすための空間。


「しずかな場所。それにきれい」


 キョロキョロと周囲に目を行き渡らせる沙遊。視線の先には壁が存在しており、そこに一切のズレなく鏡面加工された大理石が並べられていた。

 死を連想しにくい空間。ここが火葬場であると伝えなければ分からないほど丁寧に壁が出来ている。

 しばらくして裕子の棺が運び込まれると、係員が一連の流れを説明する。

 説明が終わると係員が棺を隣の部屋の告別室へ運び込み、それに連なるように沙遊達もあとを追い室内に入室していった。

 全員が入室し終わったところで係員は扉を閉め、沙遊達の正面に立つと穏やかな表情で口を開く。


「皆様、故人の方へお別れの挨拶をどうぞ」


 その言葉を聞いた親族は一人、また一人と棺に近づくと裕子に最後の挨拶をしていく。その後ろ、沙遊は前に出て話す訳でも特別な行動をすることなく他者の動きを静かに眺めていた。

 その様子にアンリ・マユは不可解な思いを抱く。


「沙遊は行かないの?」

「わたし? う~んそうだね。おかあさんと話すことはもうないから大丈夫かな」

「そう」


 あっさりとした態度。それを見たアンリ・マユはこれ以上気に止めることなく視線を再び棺へ移す。

 ひとしきり挨拶が終わったところで隣の部屋、炉前ホールに案内される。

 四方が白く塗りつぶされた室内。天井は高く明るさは良好。これから人を焼くというにはやや清楚すぎる場所だ。

 そんな室内の入口から見て正面に位置する場所に金属製の分厚そうな扉が横いっぱいに並んでいた。


「まるでエレベーターみたい」


 室内の様子を見て沙遊は何故かそう言った。


「どうしてそう思ったの?」

「んとね、見た感じがそういうふうに見えたし、あの扉の向こうにおかあさんが入って燃やされると天国にいけるんだよね? だったらあれは天国行きのエレベーターかなって思えたんだ」


 そう言う少女の顔は晴れた笑顔だった。十年も生きていないはずの沙遊が浮かべた笑顔にアンリ・マユは表情には出さないものの驚嘆する。

 ……子は親の死をいつか見るのだろうが今は早いはず。それなのに何故この子は受け止められるのだろう?

 まだ二日。まだ二日しか共に過ごしてはいないがアンリ・マユは沙遊の底の見えない強さに僅かながら表名状し難い圧力を感じた。


「それではこちらの方へお並びください」


 係員が棺を炉の前に運び沙遊達をその前に並ばせる。そこで僧侶が現れこれで本当に最後になると告げた。

 一同はしめやかに棺を見納め、その後ろでこの場に居る必要のないアンリ・マユが気だるげにその様子を見守る。

 ……今から、たった今から沙遊のお母さんは燃やされこの世界から完全に消滅する。

 アンリ・マユはそっと、隣に立つ少女の顔を盗み見る。その表情は多少暗く見えるものの、深く嘆き悲しんでいるようには見えなかった。

 そして、終わりの時がやって来た。

 金属の扉が開かれ棺はその中へ吸い込まれるように収められていった。

 完全に棺が中に入ったことを確認すると扉が締まり、係員がボタンを押す。

 すると扉の向こうから何かが燃え出す音が聞こえはじめるのだった。


「ちゃんと……焼けるかな」


 少女は子供にしては年に似合わない言葉を呟く。


「大丈夫だよ。炎はいつだって形ある物を全て燃やし尽くすから」


 対するアンリ・マユは視線を落とし陰のある表情になりながらも、沙遊を安心させるよう優しく答えるのだった。

 このへんの話はうちの爺さんの葬式を元に書きました。

 正直、古傷をえぐりながら書いていたので苦しかったです……。

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