第一話 少女と出会った日 4
「……古い夢。昔の記憶。もう過ぎてしまったもの」
頭の中から先ほどの夢を振り払い、眠る前の記憶を蘇らせる。そこで一人の少女の名前が浮かびあがった。
「沙遊は?」
部屋を見回すも彼女は居ない。それに室内は真っ暗。となると日が落ちたのだろう。
アンリ・マユは長年の感覚から一日は経っていないと判断する。
「沙遊が戻ってこない」
ちょっと行ってくるねと言葉を残して消えた少女。彼女のことが気になったのでアンリ・マユは動き出す。
体を起こし這いずりながら壁へ。壁側に着くと右手を壁につけ体を支えつつ右足のみで立ち上がる。左半身は全く動かないために数秒ほど時間をかけての立ち上がり。
真っ暗な空間の中視野を存分に広げて襖を探し、見つけ出すと酷く頼りない足取りで進んでいく。
襖に手をかけると彼女は侵食し、ゆっくりと横にスライドさせる。
ズリズリと足を引きずりながら廊下に出るとキョロキョロと辺りを見回す。そこで玄関のほうへ顔を向けるとあることに気付いた。
……沙遊の靴はある。けれど、さっきよりも靴が沢山増えている。
それらを一瞥したあとアンリ・マユはゆっくりと玄関の反対側に向かって歩いていった。
薄暗い廊下。日本家屋固有の臭いをかぎながらも進んでいく。しばらく歩き続けると廊下の片側から壁が無くなり庭が現れる。またその反対には光が漏れる沢山の障子が並んでいた。
「あ、雨は止んだんだ」
自身の左手側にある庭を見てアンリ・マユはそう呟く。僅かに顔を上げて空を仰ぐと雲に隠れかけた月が少しだけ見えていた。
「……? 声?」
そこで障子の向こうから声が聞こえた。その声は低く響いており、何やら呪文を唱えているようだと彼女は感じた。
アンリ・マユは障子の方へ身を寄せると少しだけ隙間を作って中を覗き見る。
そこには沢山の人が居た。各々が真っ黒な服に身を包んでおり、彼らは皆同じ方向に顔を向けている。
アンリ・マユは視線が集中する方へ目を動かすと見覚えのある小さな姿に気付く。それは、
「……沙遊」
先ほど介抱してくれた少女、沙遊だった。
沙遊の近くにはきつめな顔の男性と泣きじゃくる少年、更には沙遊よりも小さな女の子が眠そうに座っている。
もっと視線を動かすと全員の視線が集まる場所に一人の年老いた男性が呪文を唱えながら座っている。そんな彼の姿は黒い服に艶やかな装飾のついた布を羽織り、右手に持った棒で木の塊を叩いていた。
更に視線を動かすと長方形の木の箱が置かれていた。その近くには若い女性の写真が立てられており名前の書かれた木札も立てかけられている。
木札には鞍馬 裕子と書かれているのだが、漢字を知らないアンリ・マユにはそれが読めなかった。
……知らない字。だけど、今ここで何が行われているかは分かる。
アンリ・マユにとって長方形の木の箱は見覚えがあった。それは材質や形は違うものの何度か見たことのある物。
しばらく見て気づく。あの箱は棺で今ここでは誰かの死を悼んでいる。だからみんな黒い服を着ているんだと。
長い間世界に存在してきた彼女はこの地の文化は知らないのだが雰囲気でそれ把握する。
「――可哀想にね」
障子の近くの女性達が小声で話す。アンリ・マユはそれに耳を傾けた。
「あんなに小さな子供達を残して母親が死んでしまうなんて」
「そうね。伸一君もあんなに泣いて。それに結ちゃんはお母さんが死んだことを分かっていないみたいだし」
……お母さんが死んだ。ああ、ここでは誰かのお母さんの弔いをしているのか。
女性達の会話からここで行われている儀式の意味を少しずつ理解していく。
「それにしても沙遊ちゃんはしっかりしているのね。啓造さんに似てお母さんの死を受け止めているみたいね」
「……え?」
沙遊の名前が出てきたことによりアンリ・マユは小さな衝撃を受ける。そして気付いた。写真立ての女性と少女の顔が似ていることを。
……ここでは沙遊のお母さんの弔いが行われている。彼女はそう悟った。
静かに、その場に崩れる傷だらけの少女。
アンリ・マユは僅かながらの後悔を味わう。自分はなんて場違いな日に〝ここ〟に現れたのだろう? と。
悲しみに暮れているはずの沙遊は涙を流してはいない。けれどその胸は――小さな心は大きく傷ついているはず。
なのに何故自分を助けようとしたのか? 得体の知れない自分を。
……きっと放っておけなかったんだ。あの子は優しい。あの子は優しいから誰かが死ぬのが見逃せなかった。
お母さんが死んでしまって悲しいのにまた目の前で誰かが死にそうになっている。だからあれだけ親身に接してくれた。
「私は……あの子にお返しとして何をしてあげれるのだろう?」
人間じゃない自分は命の恩人たる少女に何をしてあげられるのだろうか? 母親を失ったばかりのあの子に。
今までされることはあってもしてあげたことが一度も無いアンリ・マユには答えが出なかった。
命の危機を救ってもらった人物への恩返し。通常誰であれ何かしら考え付く内容。けれど彼女の頭には何一つ浮かばない。
考える力がない訳ではない。ただ、人間の普通の少女相手にどのようなことをすればいいのかという知識がないために何も考えられなかったのである。
答えを得るべく再び障子の隙間から少女の顔を覗く。彼女の目に映る沙遊は依然として表情を崩すことなく裕子の葬式に立ち会っていたのだった
* *
次の日、一人床で寝入ったアンリ・マユは遅めの起床をした。
体を動かしてみるものの左半身の麻痺は回復する兆しは無く、右半身は前日よりは動かせはしたが酷くゆったりとした鈍い動きしかできなかった。
また体を触れるなり指先で物を触るなりをしても正常な感覚は無く、ビリビリとした痺れが彼女の体全体に現れるほど身体に異常をきたしていた。
動こうにも動けない。仕方無しにそのまま横であり続ける。
寝返りをうつこともなくただただその場で物の様に畳に転がった。
再び意識が歪んだまどろみに落ちていく。幾度と無く繰り返されるまどろみ。もしかしたらずっとこのまま眠ってしまうんではないかと思わせてしまうほど。
「……おねえちゃん、起きてる?」
落ちかけたところで優しげな声が聞こえた。
アンリ・マユは即座に意識を回復させ右目で声の主を探る。すると入り口の襖が開いており、そこには盆を片手に持った沙遊が居た。
「起きてるよ」
私は寝ていないと言う意思表示をするアンリ・マユ。しかし沙遊は疑いの眼差しを彼女に送った。
「おかしいな。さっき部屋に戻ってきたときは気づいてなかったかのような気がしたんだけど……」
「すみません。嘘をつきました。寝ていました」
問い詰められたわけではないが、アンリ・マユは即座に謝った。それを見た沙遊は「別に気にしてないよ。じょーだんだから」言って微笑む。
「ほら、けがをしていたんだからしかたないよ。体が悪いときは寝てないと治らないしね」
とてとてと沙遊は学習机の前に行くと盆を置き、その上に載っていた茶碗を片手にアンリ・マユの隣に行く。




