第一話 少女と出会った日 3
「だ、だめだよ! そんな風に消毒しちゃ!」
更に少女は真っ黒なタオルも奪い取るとそれに消毒薬をふりかけ、ゆっくりとアンリ・マユの体を拭き始めた。
その様子を見ていたアンリ・マユは彼女を見て疑問を抱く。
別段手荒な治療をしていたのを強制的に止めさせ、適した治療をしていただけだ。が、それが通常の同じ次元に存在するのであればの話。
この二人は違う。地球人と異世界人。しかも互いに互いを触れ合うことの適わない種族。
故に抱く。またこの子は触れられないはずの物に触れていると。
アンリ・マユの思いを知ってか知らずか、沙遊は順々に体を拭いていき肌の露出している部分は全て拭き終わる。
「おようふくぬげる?」
「分かった」
片手で服のボタンを外すアンリ・マユ。沙遊は事も無げにそれを手伝い上着を取り去り、ズボンを取り去り、アンリ・マユを下着姿にする。
そこから現れる肌は一部が白砂のように白いが、他の部分がほとんどが黒い血に埋め尽くされている。また下着もレースに刺繍が編まれているのは分かるのだが、血を吸って元の色が分からなくなっていた。
一目見るだけでもどしてしまうかもしれないレベルの怪我に血量。しかも全てどす黒い。血を見慣れている医者もしくは看護婦でも躊躇ってしまうであろう状態。
沙遊は臆することなく消毒液をふりかけそっと黒い血を拭っていく。
ひたすら。ただひたすら拭い続け、アンリ・マユの全身を拭いていった。
「これで、いいかな」
それが終わると少女は侵食済みの包帯を手に取り、ぐるぐると彼女の体に包帯を巻いていく。
「はい、おててあげて。そうそう。じゃあ、つぎはあしね」
沙遊に促されるままに包帯を巻かれたアンリ・マユは処置を受けた部分を見る。そこにはお世辞にも上手いと言えない巻かれ方――と言うよりどう考えたって素人がやったとしか思えない巻かれ方で傷口を守っていた。
「ほら、つぎは左のおめめも巻くよ」
小さな体が立ち上がりアンリ・マユの頭に包帯を巻いていく。巻き方を知らないのか、ミイラ男ほどではないものの顔の左半分が包帯に巻かれた。
「ありがとう」
なんとなく相応しそうな言葉を選び感謝するアンリ・マユ。
それを聞いた沙遊は目を丸くし「ありがとうなんて言われるようなことしてないよ」と首を振った。
――それでも、こんなに拙い手で治療をしてくれたのは感謝すべきことではないのか?
今まで誰かに治療してもらったことのないアンリ・マユは何故だか分からないもののそう思った。
それは決して義理や偽善ではない。誰かの作ったルールに沿ってではなく、今の彼女が少女の行いを正しいと判断したのだ。
……だから、貴方は感謝されるだけのことをしたと私は思うよ。そう言葉が頭に浮かんだもののアンリ・マユは伝えない。きっと今の彼女には上手く伝わらないかもしれないと考えたからである。
「消毒も終わったし、わたし、ちょっと行ってくるからおねえちゃんはそこで寝てて」
沙遊は柔らかな笑みを浮かべるとアンリ・マユの体をそっと押してその場に寝かしつける。
肉体的によほど疲れていたのか、アンリ・マユは今度は抵抗することなく大人しくそれに従った。
……尋常じゃないダメージも負っている。彼女の好意に甘えてしばらく寝かせてもらおう。
胸の中で予定を決めると一度呼吸を整える。そして軽く力を込め、意識して左手と左足を動かしてみた。
「やはり……だめか」
手も足も僅かに持ち上がることもなく、ただそこに転がっていた。
感覚は当に無い。それがどう言うことを表しているかアンリ・マユ自身もう分かっていた。
……多分背中に攻撃を喰らったときに脊柱の神経が死んだんだ。そうなるとこの半身はもう満足に動かせやしない。そして、この左目も二度と世界を映すことはないだろう。
別段悲しくは無かった。――いや、悲しいと言う気持ちが存在しない。
心の無い彼女にはそういった思いが表れやしない。また不便だと思わない。
「……どうでもいいか」
口から出た言葉が今の彼女の本音だった。
気にする必要のない事象。別に体が半分動かなくたって困ることなどない。ただここに存在できていればいい。それがアンリ・マユの考え。
ゆっくりとまぶたを下ろす。別に眠たくは無かった。けれど傷ついた体では何もできない。だから彼女は眠りにつく。早く時間が過ぎて欲しいがために……。
* *
「アンリ・マユ様。どうか我等に加護を」
「「加護を」」
いつかの記憶。それは彼女が崇められていたときの記憶。
青い空に白い雲が浮かぶ空。高い木が少なく草に覆われた丘陵地帯の土地。
石造りの神殿の中でアンリ・マユは祭壇上にある大理石の椅子に腰掛け、眼下に跪く人々を感情のこもらぬ目で見下していた。
そんな彼女の格好は古代ローマのトーガような服を着ていた。と言っても通常のもの比べると幾分か露出度が高く、裸体に布を巻きつけただけのようにも思える着方だ。
また今よりも幼く、人であるなら十あるかないかと言う年齢に見えた。
「さあ、今より貴方様に生贄を捧げます」
一人の男性がそう言うと後ろから複数の男性に連れられた女性が現れる。その女性は一切の服を着ておらず、顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
男性達は女性をアンリ・マユの方まで引きずると、彼女の居る祭壇前に置かれている長方形の石台に女性を無理やり載せて縄で拘束した。
「さあ、供物を捧げようぞ」
「「捧げようぞ」」
男性達は女性を取り囲み、なにやら呪文を唱え始める。すると彼らは懐から装飾の施された短剣を取り出し一斉に掲げる。
「い、いやぁぁ! 死にたくない!」
ギラリと光る短剣を見た女性は震え上がる。それを気にすることなく男性達は不敵な笑みを浮かべると短剣を振り下ろした。
飛び散る血にこだまする女性の悲鳴。まるで鳥葬するかの如く女性は細かく刻まれ解体される。
綺麗に切り落とされた乳房に並べられる臓物。まだ生きているにも関わらず男性達は肉を裂き見せ付けるかのように内臓を取り出す。
乳房、胃、腸、肝臓、子宮の順に取り出され、最後には脈打っている心臓が切り取られ石台の横に置かれている器に盛り付けられた。
男性達は血塗れた手で器を持つと人々が見守る中アンリ・マユの元へそれを持って行く。
「さあアンリ・マユ様、この供物をどうか穢して下さい」
差し出された器。中に盛られている生々しい血肉をアンリ・マユは凝視する。するとゆっくりと椅子から立ち上がり小さな歩みで近づき器の中のそれらを触れていく。
徐々にどす黒く変色していく血肉。やがてそれはアンリ・マユ側の次元へと置き換えられる。
変化した血肉を見て人々は歓喜の声を上げる。
「おお! アンリ・マユ様が供物を受け取ったぞ!」
「あとはアフラ・マズダ様に浄化してもらえば我々はまた健やかな日常を送れる!」
男性達は変色した血肉の入った器をアンリ・マユから下げると彼女の前から離れる。
「今から浄化の儀を行う」
男性の一人がそう言い、アンリ・マユの居る方とは正反対の場所に向かって歩き出す。
その様子をアンリ・マユは眺める。そして視線を上げた先には祭壇があり、大理石の椅子に座る少年が居た。
彼もアンリ・マユと同じくトーガを着ており、輝くような金髪に青い目が優美さを物語っている。
「アフラ・マズダ様。この穢れし我等が中身をどうか浄化してください」
男性達は先ほどと同じようにアフラ・マズダの前に器を差し出す。
アフラ・マズダはにこりと笑うと右手を器の前にかざし口を開く。
「君達の穢れをこのアフラ・マズダが浄化しよう」
その言葉と共に少年の右手からまばゆい光が現れ器の中の黒い血肉を照らしていく。
徐々に血肉は溶け、完全に形をなくす頃には黄金色に透き通った液体が器の中に存在していた。
「さあ、これをお飲みなさい。飲めばきっと捧げられた供物と同じ部位の穢れが取り払われ健やかになるでしょう」
人々に微笑みながらアフラ・マズダが言う。それを聞いた人々は大喜びをした。
「ああ、これで子供のために良い乳が出る!」
「良かった! アレを飲めばわしの心臓はまだまだ活躍できそうだ!」
「長年の不妊が解消されるのね。やったわ!」
喜ぶ人々に笑顔を振りまくアフラ・マズダ。それをアンリ・マユは離れた位置で見つめる。
そこでスッと視線を下にずらし、切り刻まれた女性の亡骸に目を向ける。
その表情は地獄の全てを体現したような表情。けれど、見慣れていた。
何か良くないことが起こるたびに人々は二人に対し女性を生贄に捧げて助けを乞うた。
それを当然のように引き受け二人は人々を助け続ける。しかし、アンリ・マユは疑問を抱く。
……この行為に意味はあるのか? と。
物言わぬ骸を彼女はじっと眺める。人々が歓喜する中彼女だけは死した女性を見続けた。
* *
意識を覚醒させ、再び目を開けたときには室内は真っ暗だった。
アンリ・マユは右目を瞬かせると不思議そうな表情を浮かべる。
「……夢?」
それは昔の記憶だった。とても古い記憶。数年や数十年どころではない。もっと古い記憶。
かつて見てきた光景を脳裏に少しだけ思い出すと彼女はため息をつく。