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エピローグ

 沙遊が死んでから半年後、高校一年生の結が史明と結婚した。

 史明と結は七峰家を立ち治すことに尽力し、なんとか足場を作り直す。だがそれでも一つだけ治らなかった。――――七峰 教慈だけは治らなかった。

 急に母親を亡くしたことによる錯乱。幼稚園での母親が居ないことに対する嫌がらせにいじめ。

 幼いながらに考える力に乏しい少年は毎日泣き、毎日憤怒した。

 それでも父の助けを乞わず、新しい母を認めなかった。自分のママは沙遊だけだと言い張り。

 苦しい日々。絶望のみが支配する毎日。外界の者達は誰一人少年の痛みに気づかず、自らの幸福のみを実感し、他者の苦痛をないがしろにする。

 助けを乞わず、また誰も助けず。若干五歳と数ヶ月の幼い心はパンク寸前まで追い込まれる。

 あるとき、柵があった。少年はそれに恐ることなくよじ登り、その向こうへ行く。


「ここからおちればママのもとに行ける」


 父よりも母が好きだった。男の子ならではの習性。

 目を閉じすこしずつ体を前に傾ける。

 その場所は近くにあった廃ビルの屋上。進入禁止と書かれていた看板を無視して中には入り、小さな体でありとあらゆる隙間をくぐり抜け終わりと始まりの場所を見つけた。

「いやなまいにちはこれでおわる。ここからおちればぼくは新しいまいにちに行けるんだ」

 そういう少年の目は完全に腐っていた。度重なるストレスから精神が急成長し、ある程度の思考を考えれるまで変化した。

 そしてその思考は生の終わりをはじき出す。


「ママのいない世界なんてほろびろ。ぼくはみんなをうらんで死んでやる」


 死んで――死んで目に見えない何かになって復讐をする。同い年の子供に勝てない少年は力を求め、あるかどうか分からない霊的な力を手に入れることを誓った。

 自分を陥れる者。亡き母を愚弄する者。そして、自分の幸福を信じて疑わない者。それらに怒り、報復することを胸に抱く。

 ゆっくりと前に向かって倒れ込む体。その体は重力に従って下へ向かおうとする。

 ところが途中でその体が止まった。そしてがたがたと幼い少年は震えだす。


「…………パパ」


 この土壇場でたった一人の肉親の姿が浮かんだ。自分がここで死んだらあの人はどうなるのだろうと……。

 祖父である啓造からよく聞かされていた。父と母がどれだけ苦労をしたかというのを。

 それを思い出してしまい思いとどまる。

 ゆっくりと目を開く教慈。眼下には無骨なアスファルトが広がっている。

 仮にこのまま落ちて死ねなかったら。きっと痛い。

 もしかしたら一生動けないかもしれない。それは苦しい。

 ……嫌だ。死ぬのは嫌だ。死ぬのは怖い。

 想像が想像を呼び、やがては切り捨てていたはずの恐怖が蘇り心を侵食する。


「ひぃ!」


 急にすくむ手足。慌てて姿勢を戻し、柵に身を預ける。


「は、はやくいえにかえろう」


 早くパパのもとへ。パパのもとへ帰って抱きしめてもらう。でも決して結姉ちゃんには頼らない。

 そう決めて振り向き柵に手をかける。

 急ぎ足で作をよじ登る。早くこの危険な場所から逃げるために。だが、結果慎重さのなくなった教慈の手は、


「――――あ……れ?」


 柵から滑りその体を宙へ投げ出すことになった。

 何もない空中。自身を助けるモノは何もない。

 体は残酷にも方向転換してしまい、幼き身を圧殺するであろうアスファルトが目に入る。

 あまりの恐ろしさに目を閉じようとした。しかし、体は言う事を聞かず地面から目を離せなかった。

 ……死ぬ。それを理解した瞬間教慈は強く願った。〝生きたい〟と。

 それでも奇跡が起こるはずがない。不条理な火災によって母は焼け死んだ。ならばその不条理が今度は自分を殺す。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!!


「いやだぁぁ! 死にたくないぃ!」


 最後の断末魔。すでにアスファルトは二m以内まで迫っていた。

 こういう時に限って失神せず、また景色がスローに流れない。ましてや走馬灯などもってのほか。

 すべての絶望を僅か五歳の身に味わいながら教慈はアスファルトに激


「全てを彩れ華々の揺り篭クレイドル・オブ・フラワーズ


 少年は激突した。されどそれは柔らかく、アスファルトではなかった。

 瞬きをして、世界を認識しなおす。そこは先程まで自分が居た廃ビルではなかった。


「……ここ、どこ?」


 見知らぬ世界。眼下には草や花が咲き乱れ、空は満天の星空が広がっていた。

 そして少年は思い至る。そうか。ぼくは死んだのかと。


「教慈。もう二度と悲しいことをしないで」


 優しい声が聞こえた。それはとても自愛に溢れ、聞き入る者の心を溶かしてしまいそうな声だった。

 声のする方に少年は顔を向ける。そこには赤と金の目を持つ白い少女が存在した。

 慌てて自分の体を見回す。彼の体は白い少女に抱きかかえられていたのだ。


「下に降りるからちょっと待ってて」


 ゆっくりと花畑に降りると白い少女は少年を下ろす。

 少年は目を瞬かせたあと白い少女の全身を見る。

 彼女の服装は白のパーカーに黒いデニム生地のショートパンツ。足元にはしっかりとした革製のブーツを履いており、作り物ではありえない自然な白さの腰までかかる髪を持っていた。

 またその髪の一部は桜の花びらを模した装飾のついた簪で止められており、右半身が白いのに対して左半身がところどころ黒く染まっていた。

 そのような容姿を目にした教慈は見とれていた。


「おねえちゃんだれ? ヨーセーさん?」


 ようやくの思いで出た言葉はとても可愛らしく、いつの日か少女が漏らした感想と酷似していた。


「ごめんね。ちょっと違うかも」


 小さく笑ったあと、半身を引きずりながら彼女は教慈の前までより腰を下ろす。


「これから貴方は多くの苦痛を味あわなければならない。それは私は望まない。だからお願いがあるの」

「おねがい?」

「うん。それで私と――契約して」


 幼き少女と交わした言葉と同じものを再び口にする白い少女。同じと言っても以前とは意味合いも状況も違う。

 それでもそれが一番だと白い少女は考えた。


「おねえちゃんとけーやくするとぼくは変われる?」

「変われるよ」

「じゃあぼくは死なない?」

「大丈夫。何があっても絶対に守るから」

「じゃあ、ぼくの前からママをとっていったカナシイことを倒すこともできる?」


 子供から出たとは思えない重い言葉。


「できるよ。いや、できないはずがない」


 迷うことなく白い少女は言い切った。


「じゃあけーやくする。契約するよ」


 おずおずと手を伸ばす少年。その小さな手に大きな白い手が重なる。


「貴方の名前、教えてくれるかな?」

「ぼくのなまえ? ぼくのなまえは七峰 教慈って言うの」

「……そう。いい名前だね」


 白い少女は優しげに微笑む。


「契約は今ここに完了したよ。これから毎日二十四時間貴方を守り、支え続けるから」

「いつまで守ってくれるの?」

「そうだね。貴方が私のことをいらないと思うその日まで」

「じゃあいらないとおもわなければいつまでもいてくれるの?」

「うん。いるよ。死が二人を分かつその日まで。いつまでもそばに居る」

「わかった♪」


 やっと笑顔を見せる教慈。それは幾日ぶりだろうか?


「あと少ししたら貴方はこの世界の外、元の世界に戻るから。そしたら私は貴方に見えなくなる。

 でもね、心配しないで。貴方が胸の中で喋ればその声はいつでも私に届くから」

「うん」

「それじゃあ、解くよ」


 すっと手を離し、立ち上がる白い少女。ところが教慈は「まって」と声をかける。


「まだ、おねえちゃんのなまえ聞いていない」

「あ、ごめん。忘れてた」


 えへへと舌を出しながら恥ずかしがる白い少女。ふぅと深呼吸したあと彼女は口を開く。


「私の名前はヘーリアント(世界元初の救済者)。名前が長いから短い呼び方はリアンって呼んで」

「わかったよ。リアン」


 互いに手を振って世界は崩壊し、元居た世界へ教慈は戻される。場所はアスファルトの上。

 一瞬夢でも見ていたのではないかと不安を抱く。


『大丈夫。ちゃんと私はここに居るよ』


 頭に直接響く優しい声。その声を聞いて教慈は安心する。

 ……よかった。ゆめじゃないと。

 教慈は歩き出す。その足取りは確かで、一歩一歩を意識して踏み出していた。

 こうして少年の新しい日々は始まった。確かにこの場所は終わりと始まりの場所となった。

 その終りとは今までの辛い日々と弱い自分の終わりであり、始まりは契約者ロストチャイルドとしての日々の始まりであった。


『教慈。絶対に私が守るから。どんな絶望が貴方を襲おうと、どんな不条理が挑んでこようと私が必ずねじ伏せる。

 それだけじゃない。地が、風が、炎が、戦が、思想が、天の星が貴方に牙を向いてきたとしても私が全て殺してあげる。

 たとえ何を犠牲にしても貴方だけは守りぬくから……』


 少年に聞こえていたのかは定かではない。けれど、その呪詛にも似た言葉はとても重々しく愛に満ちていた。





デュアルフェイス・ゼロ 終




















 ……これで終わり?



            ――ううん。まだ始まったばかりだよ。



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