最終話 デュアルフェイス・ゼロ 君が居たから…… 8
「――おきて、おきてよ沙遊」
燃え盛る街中。ビル郡が火炎に包まれ、車は焼け溶け、辺りには黒い炭が散乱していた。
それは香ばしい肉の焼ける匂いを放ちながら赤い世界にアクセントを加えていた。
「だめだよ。目を覚ましてよ」
黒い血を滴らせながらも横になっている愛しい女性をゆする白い少女。しかし目覚めない。
「起きてくれないと困るよ。……私も……史明も…………教慈も」
両の目から涙をボロボロと流すヘーリアント。それでも沙遊は目覚めなかった。
恐る恐るその手を握る。小さな手はいつしか大きくなり、ヘーリアントの手と同じくらいのサイズになっていた沙遊の手。
しかしその手は漆黒に変色しており、触れた瞬間崩れ落ちた。
「――あ…………ああ」
いつも繋いでいた好きな娘の手が崩れ落ちた。その光景がヘーリアントの胸を深くえぐる。
「嫌だ。死なないでよ沙遊。私じゃ教慈を育てられないよ」
静かにその体を揺すり続けるヘーリアント。その間にも体の他の部位が崩れ落ちた。
「……私じゃママになれないよ。……教慈のママは沙遊じゃないとダメなんだよ」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっているヘーリアント。揺れる視界の中沙遊の顔を見た。
その表情は力なく、目はわずかに開いて虚ろだった。
圧倒的なる死のイメージ。かつて伸一の死を予見した眼力は不幸ながらに彼女を死に行く者として認識する。
「……あああ……神さぁまぁ」
空を見上げかすれる声で神を呼ぶヘーリアント。
「神さぁま。たすけて。沙遊をたすけてよぉ」
天は無慈悲に赤であり続けた。そして救いを求める白い少女の正面には赤く、朱く、紅く、緋く、赫い炎の巨躯が存在した。
「お前達は我々の邪魔をしすぎた。それはこの報いだ」
いつの日か白い少女を迎え入れた大きな存在。それから何百年以上経ったある日、離反した白い少女の体を粉砕し、左半身を行動不能にした赤い魔人。
「沙遊はわるいことしていないんだよ。神さまぁ。わるいのはわたしだけなんだよ?」
「安心しなさいアンリ・マユ。お前の罪はこの私イフリートの炎で浄化されるのだから」
「わたしのいのちはいらないから、沙遊だけは……沙遊だけはたすけてよ神さまぁぁ」
「さあ、祈るがいい。そこに眠る女性と同じ世界へ行けることを」
振り上げられるイフリートの真紅の魔手。その手には炎が集まり小型の太陽とも呼べる炎の塊が形成される。
「跡形もなく消し炭となるがいい!」
振り下ろされる獄炎の塊。あの宇宙の向こうに存在するものと同じく近くにあるだけで対象を熱壊してしまうモノが戦意喪失したヘーリアント目掛けて殺しにかかる。
「――イフリート。沙遊をかえして……」
その言葉を聞いて彼の手は止まった。
「沙遊をかえして。わたしのいのちをあげるから沙遊をかえしてよ」
燃え盛る炎の体に右手が触れた。ジュウジュウ皮膚が溶け血が蒸発するのに関わらず彼女は彼の体を掴んだ。
「沙遊さえいきていれば教慈はいきていけるから。かわりにわたしがしぬから……」
その手はすがるようにイフリートのふくらはぎをつかみ、悲しみで歪んだ顔で四つの目を見つめた。
「――だから、さゆをかえして」
純粋なる願い。究極の自己犠牲。
近くに居るだけでも死んでしまう相手の体にすがり、自らが死ぬ代わりに愛しい女性を助けて欲しいと懇願する彼女。
「私は……。私は!」
その状況に顔を曇らせ震えだすイフリート。彼の中では葛藤がせめぎ合っていた。
王としての矜持。父親としての娘への愛。心が存在する故に彼は苦しむ。
「お前を殺せば我々厄災の王達のレベル7への道が開ける!」
「いいよ。ころして。……だけど、沙遊をかえして」
なおも続けられる白い少女の懇願。それを聞いてイフリートは天を仰いだ。そして耐えられずに悲痛な叫びを上げる。
「私には。私には無理だぁぁぁぁぁぁ!」
彼は振り上げていた拳から炎を消失させて自らの顔を塞ぐ。
「出来ない!? 何故出来ない!? こんなにも簡単なことが何故出来ないというのだ!?」
否定の言葉から続く不可能の言葉。それはどのような意味合いが含まれていたのだろうか?
「今! 大切な人間が死んで! あと少しで死にそうなこの小娘をなぜ私は殺せない!?」
頭が砕けんばかりの力を込めて自身の頭部を押さえ込むイフリート。その四つの目には明らかな動揺の色が見えていた。
きっと、今の彼の脳内にはかつての日々が流れていたのだろう。父としての自分と娘としての彼女が……。
娘が悪さをしたから自らの手で責任をもって殺すことにした。けれど殺しそこねた。
二度目のチャンスがあった。しかし可愛さと不憫な姿を見た故に戦えないと判断し、邪魔者を全て消失させて安息の余生を送らせることにした。
「だがあの時の考えは間違いだったのだ! 分かっていれば、あの時殺していれば我らの同胞は死なずに済んだ!
だと言うのになぜ私は今この土壇場で躊躇っている!? 何故殺すことが出来ない!?」
彼自身不可解すぎて混乱する。三度目のチャンスが眼前に転がっているのに体が言う事を聞かない。使命を全うしたいはずなのにそれが出来ない……。
「……かえしてよイフリート。わたしのいのちをあげるから沙遊を……」
全ての絶望に打ちひしがれた赤と金の瞳が四つの目を見つめ続ける。その目はこの場で不適切とも思える純粋な色が点っていた。
次第に収束していく炎。ポツリポツリと水滴が落ち、雨が降りだした。
雨に打たれる二者。その体に水は吸い込まれることなく輪郭に沿って流れ落ちていく。
踵を返すイフリート。その足取りはとても重かった。
そして、堰を切ったような大雨がヘーリアントと沙遊を飲み込んでいった。
* *
病院に運ばれた後、沙遊は治療を受けた。
治療といっても僅かばかしの延命処置。既にその四肢は燃え尽きこの世から消失していた。
長い昏睡状態。誰もが助からないことを悟った。
そんな中、ヘーリアントは眠らずに一人沙遊の隣に座り続けた。
手当もしないまま、いつ死んでもおかしくない状態のままずっと起き続けた。
「……リアン。そこに居るんだろう?」
啓造がヘーリアントに声をかける。姿が見えていないというのに。
「沙遊のことは残念だった。もうじき、この子は死ぬだろう」
その声は清々しいほど穏やかだった。しかし、僅かばかりかすれている。
「この件に関してお前は悪くない。それに今まで俺たち家族に良くしてくれていたんだ。だからもう十分だ。自由になれ。束縛されるべきではない。人間に……」
別離を促す言葉。通常なら拒絶と取れるような言葉。しかしヘーリアントには意味が分かった。本当によく分かった。だから、
「……華々の揺り篭」
我式捕縛陣を開いて啓造を招き入れるヘーリアント。そこで啓造はヘーリアントの現状を初めて知ることとなる。
「リアン!? どうしたんだその体は!?」
慌てて駆け寄る啓造。しかし、ヘーリアントは地面に額を押しつけたまま顔を上げない。
「なんだって?」
ぼそぼそと聞こえる小さな声。それを聞こえた瞬間啓造は彼女を抱きしめた。
「………………ごめんなさい。……ごめんなさい。……ごめんなさい。……ごめんなさい」
抱き起こされる傷ついた肉体。視線は定まっておらず、口からはひたすら謝罪の言葉だけが漏れていた。
その日から二日後――沙遊は死んだ。
ただ最後に一度だけ目を覚ましこう言った。
『短い時間だったけどありがとう。君が居たから私は幸せになれた。あと、教慈のことをお願い』と。
それが誰に当てられた言葉なのかは分からなかった。けれど、その言葉を聞いてヘーリアントは壊れかけた心を持ち直した。




