第三話 おねえちゃん 1
動かぬ左足を引きずり、転ばぬように壁に右手をつけてアンリ・マユは家中を回った。
しかし、沙遊の姿は見つからなかった。啓造の部屋にも伸一の部屋にも。もしやと思って裕子の部屋も見てみたのだが、片付けられていること以外何も変化がなかった。
仕方なしに部屋に戻る。そこで沙遊のベッドに倒れこんで思考を巡らす。
……結局どこにも居なかった。まさか家の外へ? こんな時間に?
「いや、それはない。あの子はこんな時間に外に出て行ったりしない」
ならばどうなのか? 外から誰かが侵入して連れ去った?
「それもない。いくら夢を見ていたからって私が誰かの気配に気づかないはずがない」
目を瞑り、耳を澄ます。無音の世界で頭を回転させて少女の居場所を考える。
そこでふと気づく。部屋の押入れの奥から聞こえる小さな呻き声に。
「沙遊?」
ベッドから体を起こし押し入れへ。うまく動かせない重い半身を引っ張り、急ぎ足で襖を侵食し開く。
暗い押入れ。目を凝らすと崩れた布団の塊を視認した。
アンリ・マユは右手をそっと伸ばし布団を掴む。侵食された布団を静かにめくりあげるとそこには小さく丸まった沙遊が居た。
「ここに居たんだね……沙遊」
そっと髪に手を差し込み優しくとかすアンリ・マユ。それに対して少女は何かに耐えるように震えていた。
「無理しなくていいよ。ゆっくりでいいから」
そう言ってアンリ・マユは少女の髪をとかし続ける。沙遊は髪をとかしている間も震え続けるものの、徐々にだが収まっていく。
「……だ、だいじょうぶだから」
沙遊は体を起こしアンリ・マユに向かって笑顔を見せた。いつものような笑顔。だけど、その表情は明らかに作っており、ひくひくと引きつっていた。
「泣かないって決めたんだ。おかあさんが死んだ日からぜったいに泣かないきめたの」
呼吸を整え目尻に流れ出ようとするものを幼い力で必死に押さえ込もうとする。
「なんで泣いてはいけないの?」
「だっておねえちゃん。わたしが泣いちゃったらおとうさんもおにいちゃんも悲しい気持ちになっちゃうじゃない」
沙遊は無理な笑顔でそう言った。
……そうか。この子が今まで大人の対応をしていたのはそういうことだったんだ。アンリ・マユは少女の真意に気づきそう悟った。
鞍馬家は裕子を失ったことによりとても不安定な状態だった。
最愛の妻を失った啓造。その胸にある傷は誰よりも深く、いつ心が折れてもおかしくはない状態だった。
しかし彼は休むことも泣き崩れることも許されない。なぜなら彼には養うべき家族がいるのだ。一家の大黒柱が悲しみに暮れている暇はない。
兄の伸一もそうだ。彼は鞍馬家の長男。いつかは鞍馬の名を背負う存在になる。だけど彼も裕子愛しており、幼い心に負った傷は大きい。また小さな結も母が死んだことを理解していない。
誰かが支えないと瓦解してしまいそうな微妙なバランス。それを沙遊は理解していた。
故に沙遊は誰もがやれない家事を引き受け亡き母の役回りを引き継いだ。微妙なバランスを守るために。
一人涙をこらえ気丈なフリをした。結果家は瓦解することなく維持し、立ち直りかけていた。
「まだダメ。まだ泣いちゃいけない。今わたしが泣いたらまたわるいころに戻っちゃう」
目をこすり無理やり涙を無かったことにしようとする。その仕草を見続けたアンリ・マユは沙遊の服を侵食して触れれるようにする。すると彼女は服ごと片手で沙遊を抱え上げ、押入れから引っ張り出す。
「……貴方は」
僅かに歯を食いしばりながらも押入れから反転し、歩き出す。
「え? どうしたの?」
目を白黒させる少女。アンリ・マユは少女の言葉が聞こえているのに関わらず、意に介することなく部屋の中心へ沙遊を抱えたまま歩いていく。
「おねえちゃん、いいよおろして」
引きずりながら歩くアンリ・マユを気遣い下ろすように言うが、アンリ・マユはそれを無視する。
そして部屋の中心につくと、彼女は深呼吸し小さく謳った。
「咲き乱れて|《華々の揺り篭》《クレイドル・オブ・フラワーズ》」
世界が変色――いや、世界が変質した。
天井は全て黒く塗りつぶされ、壁は崩壊し、足元の畳からはたくさんの植物が生い茂る。
その場所は意外と不気味さは感じられず、逆に神々しさや純朴なイメージを感じられる世界だった。
「なに……これ?」
そっと沙遊を下ろすアンリ・マユ。
沙遊の部屋だった場所は完全に異界に変化していた。
机やベッドは消失し、代わりに空は漆黒、地面一面に花が咲く世界。ただしそれだけではない。
大理石で組まれたアーチやテーブルが存在する空間。ひとえに言うならば庭園とでも呼ぶべきだろうか? その様な空間が存在していた。
「……ここは、どこ?」
「ここは私の捕縛陣の中」
「ほばくじん?」
単語の意味が分からないという仕草をする沙遊。そこでアンリ・マユは顔を緩めて沙遊を見つめる。
「簡単に言えば結界。結界っていうのはある場所と外の世界を分断して分けるもの」
幼い少女に分かるように彼女は説明する。
「それで今ここには私達二人しかいない。誰も中に入ることもこの場の様子を知ることも叶わない。だから……」
ゆっくりと彼女はしゃがみこみ、右手で丈の小さい少女を抱きしめる。
「いっぱい泣いても、分からないよ」
それが引き金となった。その言葉を聞いた瞬間沙遊はひくひくと鼻を鳴らし大きな声を上げる。
家族を支えるために涙を我慢し、子供らしさを放棄した少女。それは沙遊が誰よりも痛みに敏感であり、優しい心を持った存在であることの証明でもあった。
「うあぁぁぁぁ!」
アンリ・マユの肩に顔をうずめてボロボロと涙を流す沙遊。大粒の涙が頬を伝い、アンリ・マユの服に吸い込まれてく。
ようやく垣間見ることができた沙遊の子供としての部分。アンリ・マユは慈愛のこもった態度で頬を寄せ頭を撫でる。それは悪夢を見た娘を慰める〝母〟の様に。
「ママ。ママァ」
お母さんではなくママ。大人びた仮面は剥がれ落ち、年相応の少女の姿が現れた。
「ママ! さみしいよ! ママ! なんで死んじゃったの!」
抱きしめるアンリ・マユの体をポカポカと力ない拳で殴る少女。彼女はそれに顔を歪めることなく静かに受け止める。
「いつまでも一緒にいてくれるって言ったのに! ウソつき!」
愛しているはずの母親を罵る少女。それでもその言葉に憎しみは感じれず、子供ならではの怒りを感じることができた。だからアンリ・マユは「ごめんね。早く死んじゃって」と亡き母の代わりに謝った。
沙遊はしゃくりあげたあと、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔でアンリ・マユを切なそうな顔で見つめた。
「…………行かないで」
「……え?」
「おねえちゃん、行かないで」
何を言われたのか分からなかった。けれど、沙遊が次に言った言葉はアンリ・マユの胸を貫いた。
「もういやなの。大事な人がいなくなるのは。だから、おねえちゃんはどこにも行かないで……」
残酷な懇願。少女は彼女に〝ここ〟に残ることを望んだ。その思いはアンリ・マユの胸をギリギリと締め付ける。
……その気持ちは嬉しい。だけど、私がこの土地に残り続けるのは良くない。今は追っ手が来ていないけどいつかは来るかもしれない。その時鞍馬の人達が――沙遊が狙われたら。
そう考えると時間としてはもう限界。この間まではまだ余裕があったけれど流石にそろそろ居場所が何者かに知られる頃合だ。
今の私は移動するだけの力があるほど回復はした。そうなるとやるべきことは一つ……。
「おねえちゃん」
「沙遊、私は――」
一呼吸おいて、アンリ・マユは最も賢く冷酷な決断をする。それは当然と呼べる考え。
その回答は少女をもっと苦しめるだろう。困らせるだろう。今泣いている顔がもっとクシャクシャになるだろう。
それでもアンリ・マユは沙遊を利用したくなかった。自分の傷を癒すための隠れ蓑として使いたくなかった。
一月にも満たない時間の中、アンリ・マユにとって少女は大切であった。できればもっと一緒に居たかった。しかし、明日のことを考えるとそれは出来ない。
決断し、覚悟し、幼い顔を見つめ彼女は口を開いた。そして間を空けて紡がれる言葉は、別れの言葉。




