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第二話 痛みを超えて…… 4

 彼女は今まで何をするにも目的を持たなかった。

 また目の前で人であれ生物であれ、死ぬことに対し何も思わなかった。

 無感動。流されるだけの生き方。長年そのように生きてきた人物が急に目的を持って行動し、一人の少年を立ち治させるなど荒唐無稽な話だ。


「さっきのことと彼らと居てもつまらないと思っていたこととは関係があるのだろうか?」


 アンリ・マユは自身の内面的な変化に少しだけ驚嘆する。まるで自分が自分でない感じ。意識と思考が乖離かいりする感覚。


「私は……センチュリオンらしくなくなってきているのだろうか」


 知らない間に自身は存在として破綻しているのではないか? そんな疑問が鎌首をもたげ始める。

 かつて彼女は元居た世界で多くのセンチュリオンを見てきた。

 各々が個性人格を持ち、それぞれがそれぞれの目的や野心を抱いていた。

 その中でも〝とある六人のセンチュリオン〟は別次元だったのを彼女は覚えていた。

 ある者は地上の全てを侵略し、己が存在した証を残そうとしていた。またある者は醜いと思ったもの全てを薙ぎ払い、ある者は自身が上の存在と信じて下々の者達を配下に従え己を崇めさせようと画策した。


 人であれセンチュリオンであれ何かしらの目的を持つのが常。しかしアンリ・マユは他のセンチュリオンと比べ野心もなければ目的もない。最悪自身すら保てていない。

 それは即ち生きていないに等しく、人形か畜生かと言えるもの。

 そのような存在が急に何かをすると言うのは状況から見て狂っているとしか考えられない。


「人としてはまちがっていないと思うよおねぇちゃん」


 そこで優しい声に思考が途切れる。アンリ・マユは声の主を探るべく見えている右目を動かし辺りを見回す。

 すると入口に沙遊が笑顔で立っていた。


「ありがとう」

「ありがとう?」


 感謝の言葉の意味が彼女には分からなかった。


「ありがとうだよ。おにいちゃんを助けてくれて」

「沙遊、それは間違い。私は感謝をされるよ――」

「そしてわたしとおとうさんとおかあさんを助けてくれた」


 少女の言葉にアンリ・マユは口ごもる。そんな彼女をよそに沙遊は静かにアンリ・マユの隣に立つと寄り添う形で畳の上で寝そべる。


「おとうさんね。おかあさんが死んでとても悲しいの。でも、わたしたち兄弟を守るために泣かないようにがんばっている。

 そんなときにおにいちゃんが死んじゃったらおとうさんもつらくてきっと死んでしまう。……それにわたしも」 


 その言葉を聞いてアンリ・マユは理解した。


 人がなぜ大切な人が死んだ時に連鎖的に死ぬのか。大切な人が居なくなり、空いてしまった穴を防ごうとする。でもダメな時がある。

 ダメだった場合人が選ぶのは追うように死ぬこと。苦しみを取り除けないなら根幹にあるモノを破棄する。実に合理的で悲観的な選択。

 ……今ここで伸一が死んでいたら啓造はあとを追って死んでいたかもしれない。そしたら沙遊も辛くて死んでいた。もしかしたら結も一緒に死んでいたかもしれない。

 彼女は想像し、胸が傷んだ。そして疑問が新たに生まれる。――なぜ胸が痛むのか? と。


「こわいみらいはこれでなくなったの。おねえちゃんがわたしたち家族を助けてくれた。おねえちゃんがわたしたちの前に現れたのはきっと偶然なんかじゃない。くるべきことだった。

 きっとおねえちゃんは誰かを助けてくれる〝英雄〟だったんだよ」


 英雄。ふた桁の年もない子供がそう言った。それに対してアンリ・マユは何故か体が震えた。そして、


「また、泣いているの?」


 右目と包帯で巻かれている左目から大粒の涙を流していた。


「悲しいの?」


 沙遊は体を起こして彼女に問う。


「ううん、違う。違うの」


 アンリ・マユは否定しながらも体を起こして沙遊に向き合い、能面のように硬かった表情を柔らかくして笑顔を浮かべる。


「私分かったの。今泣いている理由は」


 なおも溢れ続ける涙をアンリ・マユは指ですくうと愛おしそうに眺め、それを口に入れた。


「ちょっとしょっぱい」


「それはそうだよ。なみだはしょっぱいよ?」


 突然の行動に対し沙遊は顔をほころばせて言う。対するアンリ・マユも先ほどよりももっと人間らしい笑顔を浮かべる。


「この間泣いていた理由は分からない。だけど今泣いている理由は分かった。……それは、本当の意味で誰かに感謝されたから」


 今まで彼女は人に感謝されたことはあった。だけどそれは一部の人のみ。他者を犠牲にして得た感謝の言葉に重みはなかった。

 誰かを助ける代わりに誰かを死に追いやった。片側から感謝されてももう片方からは怨嗟の声しか聞こえない。

 感謝の言葉は天秤の皿が全て善に傾いてこそ真の重み、意味を発する。釣り合うこともなく、怨嗟の方が多ければそれは自己満足もしくは形だけの感謝となる。

 そんなモノに意味はあるのか? 意義はあるのか?


「きっと、今までかけられた言葉に意味もなければ意義もない。だから私は何かを得ることができなかったんだ」


 紅い右目が愛くるしい少女の瞳を見つめる。そして動く右手を伸ばしその左頬をなでた。


「ありがとう沙遊。貴方のおかげで私は本当の感謝を知った。これは欠陥が多すぎる私にとって最良の糧だ」

「……おねえちゃん。むずかしすぎてよく分からないよ」


 難しい言葉を知っていたり知らなかったり。やや困った笑顔を見せる沙遊の髪の毛をアンリ・マユは手ですいてやる。


「沙遊の髪は柔らかい。触り心地がいい」


 何度か髪をすいているところで沙遊が左手を伸ばしてアンリ・マユの右手を握る。


「おねえちゃんの手って、思ったより暖かいんだね」


 少女の小さな手が自身より少し大きい白い手をやんわりと揉む。


「そうだよ。だって私は生きているんだから」


 そう言ってアンリ・マユは気づく。自分は生きているんだと。


「そうだね。おねえちゃんは生きている。だからね、怪我が治るまでここにいてよ」


 怪我が治るまで。その願いに対しアンリ・マユは首を縦に振った。

 その回答を聞いた少女は花が咲いたような笑顔を見せたのであった。


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