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蠱毒の後宮妃~風変わりな異端妃は偏屈皇子と謎を解く~  作者: 及川 桜@『後宮の料理妃2』発売
第三章 蠱毒の妃

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不意の抱擁


(……面倒なことになったわね)


 仙霞は大きな布包みに荷をまとめながら、気の重い気分でいた。


 先日、楊胤と名乗る皇子が華蠱宮に突然現れた。宦官以外の男性を見るのは久しぶりのことだ。


後宮の門をくぐってから早くも二年。皇帝にお目通りする機会すらないまま、仙霞は最初から華蠱宮に配属されたのだから。


 ──やたらと顔のいい皇子だな。仙霞の感想はそれくらいだった。


『なゃあ』


 荷物を詰め終えたころ、猫鬼が野太い声で甘えるように鳴いた。


「かわいい子」


 喉を鳴らして体をすり寄せてくる猫鬼をなでてやる。


神出鬼没なこの黒猫は、ときおり蠱婆の室で見かけることはあっても、離れを出たところを目にしたことはなかった。


 いまや主人は仙霞。ゆえに、仙霞の行くところに現れるらしい。


見た目はただの愛らしい黒猫なのに──ふいに現れたり消えたりするたび、采女たちは腰を抜かしそうなほど驚き、気味悪がっていた。


 こんなにかわいいのに、なぜだろう。仙霞には本気で理解できなかった。


(さて、準備完了。そろそろ皇子が迎えに来る頃ね)


 華蠱宮は後宮の奥深くにあるため、仙霞ひとりが引っ越すことになった。


昼過ぎに迎えが来ると言っていたから、もう間もなくだろう。


 大きな布包みを背に担ぎ、寝室を出る。身の回りの品は少ない方だが、蠱毒に関する巻物がかさばって、思ったよりも重い。


 華蠱宮を出ると、庭では采女たちが掃き掃除をしていた。


 仙霞がいなくなれば蠱婆の世話をしなければならず、つい先日まで不平を口にしていたものだ。


けれど楊胤が「特別手当を支給する」と言った途端、誰も愚痴を言わなくなった。


 あんなに離れに入るのを嫌がっていたのに──銭さえ貰えればやるのか、と仙霞は呆気に取られる。やはり世の中、何事も銭次第らしい。


「……もうそろそろかしら」


「ねぇ、私の髪の毛、変じゃないわよね?」


「もっといい衣があれば良かったのに」


 いつもより熱心に掃除していると思ったら──どうやら楊胤が来るので浮き足立っているらしい。よく見れば、皆いつもより厚化粧をしている。


(まあ、顔は良かったものね)


 ついでに背も高かった。人柄まではわからなかったし、知りたいと思うほど興味もない。


 采女たちは、仙霞が姿を現しても気づかないふりをした。先ほどまで楽しげに弾んでいた声も、仙霞が近づくにつれ、すうっと萎んでいく。


 誰ひとり目を合わせようとはしない。


 仙霞は少し離れた場所で立ち止まり、彼女たちをじっと見つめていた。やがて、そっと視線を落とす。


 暇なので虫でも探して待つかと、重い荷を背負ったまま腰を屈める。すると、地面には大量の蟻に食われているミミズの死骸があった。仙霞は興味深くのぞき込む。


──それからどれくらい経っただろうか、上から声が降ってきた。


「なにをしておる」


 呆れと軽蔑がにじむ声音だった。


見上げると、そこには見目麗しい尊顔があった。だが、その美貌は眉をひそめ、仙霞をのぞき込んでいる。


 濃紫の長衣は絹で織られ、繊細な文様が浮かんでいる。痩身ながらも鍛え上げられた体つきで、やはり宦官の女性的な体躯とは違う。衣に焚かれた香のせいか、高貴な匂いも漂っていた。


 気圧されるほどの美貌──けれど仙霞を見つめる瞳には、蔑みとも憐れみともつかぬ色が宿っている。


「ミミズの死骸が、無数の蟻に分解されて運ばれていく様子を眺めていました」


 仙霞は地面を指さして素直に答えた。


 どうやら楊胤が来ていたことに、まったく気づかなかったらしい。


よほど集中していたのだろう。腰を屈めてからどれほど時間が過ぎたのかもわからない。


 楊胤はミミズの死骸に視線を移し、それから仙霞を見た。……その目は、どうやら仙霞をミミズの死骸と同列に見なしているようだった。


「それで、この死骸を見つめながら、どのようなことを考えていたのだ」


「ミミズの死骸は……美味しいのかなと」


「……聞いた俺が悪かった」


 楊胤は額に手を当て、呆れたように目を閉じた。


 また余計なことを言ってしまっただろうか、と仙霞は視線を泳がせる。


蠱婆からもよく「お前は一言余計じゃ」と叱られるが、本人にとってはどこが余計なのかさっぱりわからない。失礼なつもりなど、これっぽっちもないのだ。


 とりあえず立ち上がろうとしたものの、背負った荷の重さと痺れた足が合わさり、仙霞の体はぐらりと後ろへ傾いた。


 楊胤の腕が仙霞の背に回る。仙霞の体は横向きとなりながらも、たしかな力で支えられた。


 抱きとめられる姿勢となり、仙霞と楊胤は視線を合わせる。楊胤の顔が思いのほか近く、仙霞は驚きと戸惑いに息が詰まった。


 不思議な間が二人に生じ、我に返った楊胤は気まずそうに顔を逸らせた。気のせいか、耳が赤いように見える。


「これは失礼いたしました」


 体勢を立て直した仙霞は、しっかりと地面に足をつけてから、頭を下げる。


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