裁かれる者、裁かれぬ者
仙霞は軽く驚いた目をしていたが、そこまで気にする様子もなく淡々と楊胤を見下ろす。
「なにをそんなに疲れておいでなのですか」
「……色々とな。考えることが多いのだ。ああ、そういえば、なぜ喚賢妃と梅昭媛が繋がっているのではないかと思った? 公式の出自には、ふたりの親族関係など綺麗に消されていた。俺が詳しく調べろと命じなければ、誰にもわからなかっただろう」
「それは、公主として他国に嫁ぐからくりが関係しています。私もそうですが、古くから公主といっても、必ずしも本当の皇女とは限りません。血縁のない女子をいったん皇族の養女とし、公主の称号を授けて嫁がせるのです。喚賢妃はその例に倣い、南詔の公主の称号を与えてから嫁がされました。一方、梅昭媛は南詔とは関係のない別の国の公主の称号を賜り嫁いでいます。あまりに美しかったがゆえに、その容姿が災いしたのでしょう」
「……つまり、他家の娘を皇女に仕立てて嫁がせるということか。まるで欺きではないか」
「外交のための方便です。宗室ではなく、功臣や名門の娘を養女として公主に封じ、周辺国へ降嫁させる例は珍しくありません。皇族の血筋を保つための体裁を取りながら、実際は政治の道具なのです」
「なるほど……つまり、帝がその娘を気に入れば、血筋などは問われぬということか」
「ええ。後宮のように多くの妃が寵愛を競う世界では、正統な皇女であるかどうかよりも、見目麗しく才ある女のほうが目を留められやすいのです。小国はそうして美しさを武器に、大国へ取り入っていくのですよ」
仙霞もまた、その美貌ゆえに後宮へ入れられた。
楊胤は、その欺きに憤りを覚えながらも、身分の違いなど関係なく仙霞に惹かれている自分に気づく。
まるで、小国の狡猾な者たちの思惑の上で、知らず知らずのうちに踊らされているような気がしてならなかった。
楊胤は、その事実を頭から振り払うように、話題を変えた。
「……そうそう、処分の決定が下ったよ」
「処分? 喚賢妃はすでに亡くなっていますが」
「蠱をもって呪詛を行えば、一族皆殺しの刑に処される。しかし、喚賢妃は南詔の公主であったゆえ、一族を滅ぼすことは戦を招くに等しい。その代わり、喚賢妃の母の出身地である華南の少数民族の者たちが、斬首の刑に処されるそうだ。総勢、百名近くが罪もなく命を落とすことになる」
仙霞の目が大きく見開かれる。
その視線から逃れるように、楊胤は腕を額に乗せた。
「戦を避けるためとはいえ、あまりに多くの犠牲が出ることになった」
「……喚賢妃のお子様は、どうなるのですか?」
「もちろん、死刑になるだろう」
仙霞の息を呑む音が聞こえた。
『明羅だけは助けて……』
──そう言い残して逝った喚賢妃の願いは、叶えてやることはできなかった。
呪詛を行うということは、すなわち一族すべてを巻き込むということ。
ましてや喚賢妃は、皇帝にまで呪いを放ち、鬼と化したのだ。己が死ぬよりも、なお残酷な結末が待っていた。
「新たな恨みが発生してしまいます」
「皇帝の言に異を唱えることはできない」
楊胤がどうこうできる問題ではない。そもそも、楊胤に決定権はないのだから。
「呪殺も同じだが、力のある者がない者を切り捨てるのは容易で、ほとんど犠牲もなく処理してしまえるなんて理不尽極まりないな」
楊胤は、罪のない百名近くが死刑に処される残酷さを許せなかった。喚賢妃は確かに許されないことをしたが、帝が下した処罰の方が重いのに、なぜ帝は許される。
人の命は公平ではないという事実が、楊胤の胸に重くのしかかる。
「それが世というものです。残酷で不条理なものが世の常です」
「仙霞は悔しくはないのか? 変えたいと思ったことは?」
楊胤は、両目を覆っていた腕を解き、仙霞の顔を見上げた。
すると仙霞は、穏やかな笑みを落とした。
「変えたいと思えるのは、変えることができるお立場だからですよ」
楊胤の心がざわめく。もしも変えたいと強く願うなら、国の頂点に立つしかない。
「なあ、仙霞。俺がもしも皇帝となったらどうする?」
仙霞の宝玉のように綺麗な目が動揺で揺らめいた。
(もしも俺が皇帝となれば、こんな悲しい幕引きにはしないのに)
恨みの連鎖を断ち切るには、許せる人間が上に立たねばいけない。兄たちはおそらく、父上と同じような政治をする。それが正しい為政者だと信じて疑っていないからだ。
「……私にはあずかり知らぬことです」
「そうでもないかもしれないぞ」
「どういうことです?」
仙霞の問いに、楊胤は口を噤む。
皇帝となれば、仙霞を妃にすることもできる。楊胤の今の立場ではできないことだが、皇帝となれば話は別だ。しかし……
「問題は、俺は皇帝にはなりたくないということだ」
仙霞の問いはまるで無視して、独り言のように自分の気持ちを漏らした楊胤に、仙霞は不満そうな表情を浮かべる。
「答えになっていません」
「答える義務はない」
仙霞は軽く唇を尖らせた。
幼く見える怒り方に、楊胤は目を細めて笑う。いつも淡々としていて大人びた雰囲気の仙霞が、年相応の女の子に見える。
「どうして皇帝になりたくないのですか?」
「人でありたいからだ」
「皇帝になると人ではなくなるのですか?」
仙霞は不思議そうな顔をして聞いた。
「人として正しい行いと、皇帝として正しい行いは違うからな」
皇帝となれば好む好まざるは関係なく、様々な妃のもとへ通わなければいけない。子孫繁栄のためには必要なことだ。
しかしそれは愛憎を招く。人の感情は割り切れるものではない。
それに、今回の多数の死刑決定も、蠱毒という害を滅ぼすためには必要な処置だ。流行り病が広まったとき、村をひとつ潰してしまうのと似ている。
それは一見非道な行いに見えるが、大多数の命を守るために必要なことだったりする。人道を無視した行いができることが為政者には求められる。
楊胤が帝であれば、今回のようななにも知らなかった者まで死刑に処するやり方は好まないが、この決定が正しくないとはいえぬ難しさがある。
父は人としては最低だが、皇帝としては優れているともいえる。今回、戦争に発展しそうだったのを防いだのは事実だ。
「今回の処置は、皇帝として正しい判断だとお思いですか?」
「わからぬ。だが、もし戦に発展していたら、百名どころではない犠牲者が出ていた可能性もある」
「しかし、こうも考えられませんか? もし戦となり勝利していれば、領土を拡げることができたかもしれません。絶好の機会をみすみす逃したとも言えるのでは?」
仙霞は穏やかな声音で、楊胤を見つめながら言った。
「なかなか危険なところを突くな。仙霞は戦推進派か?」
「いいえ。私は無益な殺生は好みません。けれど、領土を拡げれば国は潤い、皇帝は賛美されるでしょう。その代わり、多くの命が失われ、新たな恨みも生まれます。なにが皇帝として正しい行いなのか──私にはわかりません」
楊胤は唇に手を当て、天井を仰いだ。
「なにが正しいかは、皇帝が決める。たとえ道理に外れていようと、皇帝が決めたことが正しいと歪められていく。……俺はそんな恐ろしい存在にはなりたくない。まるで鬼のようだ」
「楊胤様にとって、皇帝は神ではなく鬼なのですね」
「俺にとってはそうだ。……父の悪行の果てに、俺は生まれたのだから」
生まれてはいけなかったのかもしれない。何度そう思っただろう。
母を死に追いやったのは、父ではなく自分なのではないか。
そんな罪悪感が、長い年月をかけて彼を蝕んできた。
汚れた身で、国の頂点を目指すなど、あまりにも愚かしい。
「立場がどうなろうとも、私にとって楊胤様は楊胤様です」
仙霞は、やわらかな微笑みを浮かべて言葉を落とした。
深い意図などないのだろう。けれど、その何気ない言葉が、楊胤の胸に温かく沁みわたっていく。
「まったく……お前というやつは」
「また余計なことを言ってしまいましたか?」
仙霞はきょとんとした表情で小首を傾げた。
その仕草があまりにも愛おしく、どうにかなってしまいそうだった。
「いや、最高の一言だ。一生忘れない」
仙霞は、よくわかっていないような顔をしながらも、安心したように微笑みを返した。
──離したくない。このままずっと、側にいてほしい。望まぬならば、触れることができなくても構わない。
しかしそれは、叶わぬ願いだった。




