蠱毒の心臓
蓋の留め具は簡素な造りで、すぐに外れた。
現れたのは、黒く焼け焦げた塊。虫に食い荒らされたように無数の穴が空いている。話に聞いた通りの異様な姿だった。
「……これは何の臓器だ」
「心臓でしょうね」
楊胤は思わず距離を取ったが、仙霞は顔を近づけ、食い入るように見つめる。
「心臓だけが焼け残ったというのか」
「そのようです」
「そんな不可解なことが……」
「はい。ですから、これは蠱毒による呪殺です」
あっさり断定され、楊胤は深く嘆息をついた。
呪いや怨霊など信じない楊胤でさえ、これを否定できるほどの根拠は持っていない。
突然現れる猫鬼、心臓だけが焼け残っているという事実──目の前の現実が、否定の余地を残さず突きつけられたのだ。
「俺は、とんでもなく厄介なことに巻き込まれてしまったようだ」
楊胤は前髪をかき上げ、低くつぶやく。
すると、無数の穴の開いた心臓に向けて見入っていた仙霞が振り返った。
「厄介なんてかわいい話ではありませんよ。これは命懸けの戦いになります。正直、これを見るまでは舐めていました──とんでもない呪術量です」
仙霞の瞳孔が揺れ、よく見ると体が小刻みに震えているのがわかった。
「お前でも恐怖で震えるのか?」
楊胤は、まるで信じられないものを見つめるようにつぶやいた。
突然現れた猫鬼や、見るに堪えない心臓の光景よりも、その震えがなにより衝撃的だった。
「死ぬかもしれません、私」
「なっ──!」
冗談を言う性格ではないだけに、その言葉の重みが胸にのしかかる。
どうしてか、楊胤の指先もまるで共鳴するように震えていた。
これから訪れる未知の出来事への恐怖か。それとも、目の前の女を失うかもしれない怖れからか。
『なゃあ』
猫鬼が仙霞に身を寄せ、まるで励ますように鳴いた。
仙霞は猫鬼を抱き上げ、ふらつきながらも立ち上がる。
「閉めてください。……この呪力は、私には強すぎます」
暗がりで気づかなかったが、その顔は蒼白に染まり、額からは汗が滲み出ていた。今にも倒れそうなほどに憔悴している。
「わかった。あとは俺に任せろ。お前は休んでいろ」
楊胤は急いで棺の蓋を閉じ、掘り返したことが悟られぬよう丁寧に土を戻す。記憶力の良さを生かし、花も元の位置に違わず置き直した。
周囲を一巡して抜かりがないか確認すると、仙霞のもとへ戻る。
「大丈夫か」
「……猫鬼を抱いているので、なんとか。禍々しい力が体に入り込まないよう、防いでくれているようです」
「そうなのか。俺はなんともないが」
「楊胤様は霊的に鈍感体質だからでしょう」
それは褒め言葉なのか、それとも貶し言葉なのか。だが、平気でいられるのは確かに有り難い。
楊胤は仙霞の鍬を持ち、足早に歩き出す。夜陰に紛れているうちに戻らなければならない。
猫鬼を抱いた仙霞と並び、急ぎ墓地を後にする。
下弦の月が弓なりの光を落としていた。その白さは、まるで屍が這い伸ばす冷たい爪のように見える。
静けさの底に潜む不穏な予感が、じわじわと胸の奥を這い上がってきていた。




