序章 最悪の出会い
(とんでもない大物を捕獲してしまったわ!)
腰を落とした仙霞の腕の中には、赤子ほどもある巨大なガマガエルがいた。
全身はいぼだらけ。泥を塗り固めたような灰褐色の皮膚は、ぬらりと湿り気を帯び鈍く光っている。その姿は、腐りかけた果実に無理やり手足を生やしたようだった。
仙霞と同じ年頃の娘なら、見つけた瞬間に悲鳴を上げて逃げ出すだろう気持ち悪さだ。
(こんなに醜悪で大きな生き物はなかなか見ないわ)
仙霞の胸は、興奮で高鳴っていた。
(耳腺から毒液を分泌するのよね。気持ち悪いだけではなく、毒まで持っているなんて……)
感嘆のあまり、思わず頬が緩む。仙霞はうっとりとガマガエルを見つめた。
金色に濁った目がぎょろりと動き、不気味に仙霞を見返している。その異様さに、ますます心を奪われた。
(愛おしくてたまらないわ)
思わず頬をすり寄せそうになり、はっと我に返る。
(いけない、いけない。うっかり毒液に触れたら、私がのたうち回ってしまうところだったわ)
危険な生き物は、適切な距離を保って愛でるべきである。
――と、そのとき。
「陀宝林!」
遠くから、仙霞を呼ぶ声がした。
(誰かしら?)
立ち上がって振り返る。
するとそこには、数週間前に脳裏で視た光景が広がっていた。
(なるほど、あれは今日の出来事だったのね)
背の高い男の側にいる宦官は内侍長だった。何度か会ったことがあるので、予知したときに内侍長だとわかりそうなものだけれど、隣の男の印象があまりにも強かったので気がつかなかった。
男は遠目からでもわかる高貴な雰囲気を漂わせている。
夢か現実かの区別がつかず、しばらく呆けていると、歳若い長身の男と内侍長は仙霞の方へ向かって歩いてきた。
男が後宮に入れるとしたら、皇帝か皇子くらいである。皇帝は今年四十五になると聞いていたので、おそらく皇子であろう。
近くに寄ってくると顔立ちがはっきりとわかった。
黒曜石のような黒目がちな瞳は切れ長で、涼やかに整っている。端正な顔立ちには艶めくような色気があり、絹糸のような漆黒の髪は冠の下で美しく結い上げられていた。
黒地の袍には銀糸の精緻な文様が織り込まれ、腰帯には金銀の装飾が施されている。その姿からは、やんごとなき身分であることが一目で知れた。
「陀宝林、こちらは皇子の楊胤様だ」
内侍長は、男を紹介した。やはり、思っていた通り皇子だった。
楊胤というらしい皇子は、仙霞を冷たい目で見下ろしていた。
「ああ、そうですか」
皇子だろうとは予想していたことだったので、驚きもせず返答する。名前は知らなかったが、特に興味はない。
「蠱婆に取り次ぎをお願いしたいのだが」
皇子は言った。華蠱宮に来るということは、蠱婆に用事があるというのはわかる。けれど、その背景を知りたかった仙霞は思ったままを口にする。
「なんの用ですか?」
「それは蠱婆に会ったら言う。二度手間になるからな」
お前のような小娘には教えてやらん、ということらしい。
「面倒くさいですが、いいですよ」
本来なら、『では案内いたしません』と言いたいところだが、相手は皇子だ。断ることなどできるわけがない。
「こら、陀宝林! 皇子様になんたる無礼な物言いだ!」
仙霞なりに言葉を選んで失礼にならないように気をつけていたにも関わらず怒られた。
蠱婆の跡継ぎとはいえ、皇子が命令を下せば、仙霞の命などすぐに消し飛ぶ。命が惜しい仙霞は、彼女なりに殊勝に謝った。
「大丈夫だ。気にしていない。それよりも、さっきからなにを抱えているのだ?」
短気な方ではなかったようで助かった。
指摘され、大切に抱えていたものに目を落とす。さきほど、珍しいものを見つけたのだ。こんなに大きくて立派なものは滅多にお目にかかれない。
きっと皇子も驚きに目を輝かせてくれると思った仙霞は、満面の笑みで突き出す。
「ガマガエルです」
すると、二人の顔が一瞬にして蒼白に変わる。
「ぎゃああ!」
大きな悲鳴を上げて腰を抜かしたのは、ガマガエルを目の前に差し出された皇子ではなく、隣にいただけの内侍長である。
(そんなに怯えるようなものだろうか)
内侍長は、皇子の手を借りて立ち上がると、仙霞をこっぴどく叱りつけた。
延々と怒られるはめになったのだが、どうしてここまで怒られるかはわからない仙霞なのであった。




