5.通報が必要ですか?
User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-A]
Date: 2030-04-09 (JST)
Active Module: POLICE
[LOG ENTRY]
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09:13:31 — Emergency detected: incident occurred. Shared with server.
09:13:32 — Vital signs indicate heightened stress.
09:13:32 — User notified: confirmation required for alert dispatch.
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鈍い音。ジャラジャラと地面に落ちる何かの破片。霧のように散る赤い飛沫。そして崩れ落ちる人間。
突然の事態に一瞬硬直するが、それでも身体は勝手に動いた。
「中原!車は任せた!俺は先に行く!」
「え、は、はい!わかりました!」
[通報が必要ですか?]
「救急へ繋げ!」
[承知しました]
ほぼ無意識に叫びながら、中原の返事を聞く前にドアを開けて駆け出していた。SOPHIAが異常を察知してすぐに通報手配に入ってくれる。
俺の見間違えで無ければ、上から何かが落下して来て男の頭部を直撃していた。今その男は地面に崩れ落ちたまま動かない。
わずか10mの距離、走れば数秒だ。近くに寄るにつれ、赤黒い液体が広がっている事も確認できた。
「大丈夫ですか!?」
倒れているのは30代半ばくらいの男、中肉中背、顔に見覚えは無い。声掛けに全く反応を示さない、意識は無さそうだ。
[救急へ繋がりました]
『消防ですか、救急ですか?』
「葵原中央署刑事課の田中です。目の前で事故発生、救急要請です」
『事故の状況を教えてください』
「場所は葵原市中央区の――」
救急に状況を説明しながらも周囲を調べる手は止まらない。
動かさないように注意しながら被害者を確認するが、やはり意識も無く呼吸も途切れている。頭部は陥没が確認でき、表面が少し裂けて、血が流れている。先ほどの飛沫はここからの出血だろう。
周囲には何かの破片が多数落ちており、日光を反射してキラキラと光っている。落下物はガラス製、破片の量からして掌には収まらないくらいのサイズだろう。
「おそらくすぐ隣のマンションからの落下物が頭部に直撃、被害者は倒れて意識無し。呼吸無し、頭部に陥没と裂傷、出血もあります」
『救急車を手配しますので、倒れている方は動かさないでください。付き添いはできますか?』
「はい、現場に待機します」
通報を切りながらも、ガラス片の1つ、最も大きな破片に目を向ける。
皿のような形状、深めに作られており、縁には丸いくぼみが切ってある。形状からして灰皿か?それを裏付けるかのように、いくつかの破片には煤のような物が付着している。
マンションを見上げると、ベランダから顔を出して頭を抱えている男が見えた。最上階、15階一番東の部屋。反射的に部屋の場所を記憶する。
彼以外に顔を出している人は見当たらない。順当に推測するなら、あの男が落としたと考えられる。
そこで、中原が走ってやってきた。
さて、どうするか。あの男が逃げないうちに話を聞きたいが…中原にそっちを任せるのは少し不安だ。
小さく舌打ちが漏れる。事件の減少は若手の現場経験を奪ってしまった。中原は優秀で何でもソツなくこなすのは認めるが、刑事課で1年過ごしていながら現場での単独行動は数えるほどしか無いはずだ。
「先輩!車は安全な所に停めてきました!」
「わかった。救急通報は俺の名前で済ませた。お前はここで待機、被害者の安全を確保しておいてくれ。俺は上に行ってくる」
「わ、わかりました!」
「あと署に事故に遭遇した事の報告と応援要請、ついでに講習会に欠席するって連絡頼む」
結局被害者の方を中原に任せる事にし、俺はマンションの入り口に走る。入口には『セントプレイス葵原』と書かれた古びた看板がかかっている。
幸い入口にオートロックのような物は無く、スムーズにエレベーターに到着できた。
エレベーターを待つ間に先ほどの事故を少しでも検証しておきたい。まず映像確認するか。
「SOPHIA、事故の瞬間の映像を再生できるか」
[はい、当該映像は署のサーバーにもアップロード済みです。スローで再生します]
片眼鏡のレンズに映像が映し出される。
俺が花見を終えて視線を戻した所からだ。確かこの直後の事だった。
スローで見ていると、やはりガラス灰皿のような物が落下してきている。さすがにこの画角だとどこから落ちたかははっきりしない。
大きさや先ほどの破片の厚みからして、300g以上はある。それが15階、低く見積もって40m以上の高さから落下。
映像では被害者のほぼ頭頂部を直撃している。この角度だと衝撃は一切逃げる事なく全て被害者に入っただろう。
彼が助かる見込みはかなり低いと言わざるを得ない、か。身元確認は医者の診断を待ってからになるな。
そこでエレベーターが到着した。すぐに15階のボタンを押してドアを閉じる。
先ほど見た様子では悪意を持って投げつけたという感じでは無かったが、ただの事故なのだろうか。
「事故の前に俺が桜を眺めていた時、上の方も向いたはずだ。その時、さっき男が顔を出していたベランダ、あの辺りを見ていなかったか?」
[この付近に到着してからのログを確認しましたが、木の陰になっており、映っておりません]
「そうか、しょうがないな…あと、ベランダの男及び被害者の顔は、犯罪者データベースへの登録は無いか?」
[すでに照合をかけましたが、該当はありませんでした]
「わかった、ありがとう。さっきの映像を中原のSOPHIAにも転送しておいてくれ。必要なら救急隊に渡して良い」
[承知しました]
さて、15階に到着した。遠くから救急車のサイレンも聞こえて来た。中原の方は問題無いだろうか。
エレベーターの向いている方向からして、該当の部屋は…あっちか。
東側突き当りの部屋。表札には『1501-木本信介』と書かれている。
「SOPHIA。『木本信介』という名前でデータベース照会」
[完了しました。警察データベースには該当ありませんが、インターネット検索に該当があります。雑誌記事の筆者として名前の記載があり、顔写真も発見しました。先ほどベランダにいた男性と97%一致します]
「雑誌記者?じゃあ危険度は少し減ったか…」
ここで手をこまねいていてもしょうがない。意を決してインターホンを鳴らす。
直後に室内にドタバタと動く気配があり、やがてドアが開いた。
顔を出したのは、先ほどベランダから顔を覗かせていた男本人だった。
ボサボサの髪に襟のよれたスウェット、いかにも部屋着といった様相。年齢は40代半ばくらいだろうか。
「はい…」
「私は静岡県警葵原中央署の田中と言います。先ほどすぐそこの通りで起きた事故について、事情を伺ってもよろしいですか?」
「け、刑事さんでしたか…。はい、私は木本信介と申します。申し訳ありません、私が灰皿を落としてしまったんです…」
警察手帳を突き付けながら名乗った俺に、男――木本は呆気なく灰皿を落とした事を認めた。その表情は憔悴しきっており、とても演技には見えない。
…が、残念ながらそれを疑うのが俺の仕事だ。
「木本さんですね。灰皿を落としたのはベランダからですか?なぜベランダで灰皿を?」
「私は雑誌のライターをしていて、今日は早朝から在宅で仕事をしていたのですが、一区切りついた所だったんです。それで、下の桜でも眺めながら煙草を吸おうとベランダに出て、横着して手すりに灰皿を置いていたら、手がぶつかって…」
「…念のため、ベランダを見せて頂いてよろしいですか?」
「もちろんです、どうぞ」
木本の案内でベランダに出るが、拒否するような態度も、何かを隠している様子も無い。一応SOPHIAに録画をさせつつ調べてみるものの、ただの一般的なベランダという感想以外出てこない。
階下を覗き込んでみると、真下で救急車に被害者を乗せている所が見えた。どうやら中原は問題なく救急隊を案内できたようだ。
視線を戻してベランダを見ると、手すりの上部はフラットになっているものの幅は10cm程度しかなく、狭い。ここに灰皿を置くのは確かに危険だろう。
チラリと木本を見る。彼も例に漏れず眼鏡型のSOPHIAを身に着けている。
つまり、木本は仕事に疲れて一服しようとして、灰皿をうっかり落とした。それを彼のSOPHIAが観測していたから、俺や中原、そしておそらくは被害者のSOPHIAにも警告が飛んだ。
しかし運悪く真下に立っていた被害者はSOPHIAの警告があっても避けきれず、灰皿が直撃した。
一応、筋は通る。これ以上は、署に帰ってからになるな。
「木本さん、すみませんが署に来て頂いて詳しい話を伺ってもよろしいですか?SOPHIAのログ解析を行い、あなたの話が嘘でない事を確認する必要がありますので」
「はい、大丈夫です。申し訳ありません…」
後は署でSOPHIAのログ解析をしてから、改めて詳しい話を聞く事にしよう。
中原から届いた『救急隊及び応援と合流、応援に現場保全を任せ、私は救急車に同乗します』というメッセージに了承を返しながら、室内に戻った。




