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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第二章:闇の中の悪意と論理
15/68

14.齟齬は確認できませんでした

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-A]

Date: 2030-07-19 (JST)

Active Module: POLICE


[LOG ENTRY]

・・・

02:25:00 — Vital signs checked: indications of fatigue detected.

02:25:02 — File reception confirmed.

02:25:02 — File successfully stored on server.

・・・

________________________________________


「田中係長、事件引き継ぎ書をまとめましたので、承認お願いします。係長のSOPHIAに送りました」

「仕事が早いな、井口。わかった、すぐに見る。…SOPHIA、まず誤字と、俺のログとの整合性をチェックしてくれ」

[…検証完了しました。誤脱字及び内容の齟齬は確認できませんでした]

「了解、じゃあタブレットに出してくれ。…井口、目を通しておくから、終わったら声かける。一旦戻っていいぞ」

「はい、よろしくお願いします」


窓の外は真っ暗だというのに、葵原中央署の中は煌々と電灯が光っている。そんな中でタブレットを取り出し、早速表示された報告書を読み始める。

つい先ほど酔っ払いがコンビニで暴れたと110番通報があり、出動してきた所だ。

被害者は軽傷であるものの被害届を出すとの事で、簡単な経緯の確認と身元確認、そして被害届だけ受理して戻ってきた。

加害者には酔いを醒ましてから改めて出頭するように伝えて戻り、その対応引き継ぎ書を同行していた井口に作らせたのだ。


(しかしこうして見比べてみると、中原の書類作成はやっぱ上手いんだな…)


井口――井口弘樹(いぐちひろき)は今年から刑事課に異動してきた真面目な男だ。確か…数週間前に誕生日を迎えたと聞いたから、今は29歳か。

『クソ真面目』という言葉がそのまま当てはまりそうな性格のくせに、休日の趣味が激辛ラーメン屋巡りというちょっと面白い男だ。

刑事課に来る前は生活安全課にいたらしい。生活安全課は地域や人々に密接に関わる部署なだけに調書や報告書を作る機会も多く、井口も書類作成には慣れていると言っていた。


だと言うのに、普段よく目にする中原の報告書より読みづらさを感じる。

井口の真面目さのおかげで堅苦しい文章になっているという所もあるが、それを差し引いても中原は報告書のまとめ方が非常に上手いのだ。小林も以前褒めていたが、中原は交番から直接刑事課に来たはずなのに、最初から書類作成が上手かった。

『テツ先輩』なんてふざけた呼び方する奴の方が文章作成能力が高いのは、不条理を感じずにはいられない。


(まぁ、しっかりまとまっている方か。俺の若い頃よりは全然マシだ)


資料に添削コメントを入れながら、つい昔を思い出してしまう。

俺が若い頃には慣れないパソコンに四苦八苦しながら報告書を入力しており、誤脱字も酷いもんだった。

それに比べりゃ、今の若い連中は大したもんだ。


「井口!大体OKだが、一部手直ししておけ。修正点を追記して送り返したから、チェックして直したらそのまま引き継ぎに回して良い」

「わかりました。ありがとうございます」


井口に声をかけて報告書を送り返してからデスクに向き直り、眠気覚まし代わりのコーヒーを口に含む。

そもそも今日は当番じゃなかっただけに、日勤から連続しての当直は正直キツいものがある。


『アホかお前は。小林、今日の当直は俺が代わってやるからお前はさっさと帰れ。子供も嫁さんも大変な時にお前がいなくてどうすんだ』


当直を交代した事自体には、後悔は無い。

小林の嫁さんも中学生の子供も夏風邪で熱を出して寝込んでいるのに、当直で拘束するのはいただけない。こういう時こそ気楽な独り身の出番だろう。

だから珍しく困った顔のアイツを無視して課長に当直交代申請を出し、無理矢理帰らせた。

アイツの代役が出来るのは、同じ階級の俺くらいなのだから。


ちなみに中原も当然今日は当番じゃなかったので、普通に帰らせた。『当直付き合います』と言っていたが、俺の勝手に付き合わせる必要はない。

そんなわけで普段は小林と組んでいる井口と一緒に当直担当する事になったのだ。

40にもなって朝から休みなしの徹夜がしんどいのはしょうがない。

しかしそれで仕事に影響を及ぼすのは言語道断だ。気を引き締めないと。


「田中係長、引き継ぎ書について処理完了しました。他にすべき業務はありますでしょうか?」

「んー…今は特に無いな、お前も他の残務処理とかが無いなら、過去の捜査記録でも読んで勉強していてくれ。何かあったら声かけてくれればいい」

「承知しました」


SOPHIAが浸透して事件が激減すると共に、夜勤も暇になった。

昔は日勤での報告書をまとめたり暴れた酔っ払いを取り押さえに行ったりと昼よりも忙しいくらいだったのだが、今では暇を持て余している。

…井口は、口では『承知しました』と言ったくせに、なぜか立ち去らずにこちらを見たままだ。


「どうした、井口?」

「早速なのですが、田中係長と一緒になる機会なんてなかなかありませんので、ご迷惑でなければ色々と経験談などを伺ってもよろしいでしょうか?」

「おお……」

「どうされました?何かおかしな事を言いましたでしょうか?」

「いや、何でもない。俺も今は手が空いているから、何でも聞いてくれ」


言えない。

最近ずっと『どうして今日も時間ギリギリなんですか、テツ先輩?』とか『テツ先輩、もっと食生活に気を付けてください』とか言われているから、ストレートに年長者として敬われた事に感動してしまったなんて、とても口に出せない。

そうだよな、縦割り社会である警察組織では井口の方が普通なんだ。中原のフランクさの方が異常なんだよ。もっと先輩兼上司を敬ったって良いと思う。

…なんて事をアイツに言ったら100倍になって返って来るだろうから言わないが。


「では遠慮なく。田中係長は小林係長と同期であり友人でもあると伺っていますが、経歴は異なるんですよね?」

「そうだな。今はたまたま一緒になったが、直近で言っても俺は3年前までは本部の捜査一課にいたし、小林は2年前までは沼津の方で生活安全課の係長やっていた。お前の担当が小林になったのも、それが理由だ」

「お二人は一緒に働いた事は無いのですか?」

「無いな。同じ所轄署に勤めた事はあったが、部署まで被ったのは初めてだ。友人付き合いとしては警察学校からずっと続いているが」


俺と小林は結構性格が違うから、配属される傾向も大きく異なった。

自分で言うのも何だが俺は愛想が下手な堅物なので重大事件捜査へ、小林は人付き合いが上手いタイプなので生活安全課などへ優先して振られていた。

だと言うのになぜか不思議とウマが合い、友人付き合いは細々と続いてきたのだ。


「お二人はSOPHIAが浸透する前の頃を経験されているはずですが、やはり大きく異なりますか?私は交番勤務が終わると同時期くらいにSOPHIAが現れたので、あまり経験が無く」

「そうだな、それに関しては『全く違う』と言い切れる。例えばさっきの酔っ払い対応だが、昔は酔っ払いの自己主張なんて当てにできるはずもなく、周辺の目撃者探しからだった。だが今はSOPHIAログを見るだけで全て事情が把握でき、関係者と『そんな事していない』なんて水掛け論になる事もなく、現に1時間もせずに署に戻ってきている」

「なるほど…」

「もっとわかりやすく、今ここで俺とお前がこうしている事自体が、昔で考えたら異常だ。葵原中央署の管轄範囲なら当直も最低5名、休む暇無しが普通だった。今ではSOPHIAでいくらでも連携ができ、先ほどのように事件解決効率も格段に上がっているから、こうして2名ですら暇を持て余すという状況が生まれている」

「確かに、生活安全課でも年々当直人数は減っていっていました」


そもそもとして、俺と中原、小林と井口といったようなバディ体制になったのも、SOPHIAが理由だ。

昔は10名程度のチームがあり、その中で2名ずつ行動する事はあっても、全体としてはチームで運用されていた。

しかしSOPHIAの登場で情報共有も連携も容易になり、事件解決もスピーディになっていった結果、2名ずつのバディ体制が最も効率が良い、という結論に落ち着いたのだ。

複数バディの協力などはあるものの、今では東京や大阪のように2名では物理的に解決できない問題が発生する大都市以外、ほとんどの警察がバディ体制を採用していると聞いている。


「ま、俺達が暇を持て余しているという事は、市民にとっては平和になったという事なんだから、喜ばしい事さ。それに俺達も休む暇無しより楽な方が、当然負担も減るしな」

「確かに、税金で働いていながら暇である事に思う所は少々ありますが、平和である事は良い事ですね」

「そういう事だ。気を抜き過ぎるのは良くないが、過度に緊張する必要も無い。今の世の中、大事件なんてそうそう起きなくなったんだから」

「アドバイス、痛み入ります。では続いて捜査一課の話を聞きたいのですが――」


[田中様、緊急出動要請です。地域課から応援要請、マンションの一室にて包丁で刺された人物を発見、至急刑事課に来てほしいとの事です。出動をお願いします]


井口の言葉を遮り、SOPHIAから鋭い声が聞こえた。井口にも同様の通知が行ったようで、表情が一瞬で引き締まった。

俺達はアイコンタクトを交わし、無言でパトカーに向けて走り出した。

しかしまぁ、「大事件なんてそうそう起きなくなった」と言った矢先にこれとは、締まらないもんだ。

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