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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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刺客の気配

 その夜、いつもより少し遅くまで机に向かっていました。


 教会本部からの書簡への返答、

 学校の運営費の収支、

 村ごとの作況報告。


 次から次へと押し寄せてくる「ここで生きる人たちの数字」を追いかけていると、

 窓の外の闇が、いつの間にか濃い墨のようになっていました。


(そろそろ休まないと、明日に響きますわね)


 ペン先を拭い、インク瓶に蓋をする。

 そんなささやかな動作を終えたところで、

 控えめなノックの音がしました。


「リヴィア様。……今、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 扉の向こうから響いた声は、聞き慣れたもの。

 けれど、その調子には、珍しく迷いが滲んでいました。


「レオン? ええ、構いませんわ。どうぞ」


 許可を出すと、しばしの沈黙のあと、

 扉が静かに開きます。


 蝋燭の光に照らされたレオンの顔は、

 いつもの無表情に見えて、その実、僅かに硬く強張っていました。


「遅い時間に失礼いたします」


「この時間に来られるということは……

  あまり、嬉しくないお話のほうですわね?」


 軽く冗談めかしてみせると、レオンは一瞬だけ目を伏せ、

 「はい」と短く頷きました。


「執務室では耳が多すぎます。

  隣の小部屋をお借りしてもよろしいでしょうか」


「分かりましたわ」


 私たちは、執務室に隣接する小さな応接の間へ移りました。

 夜用に灯されたランプが一つ、

 丸テーブルの上に柔らかな光を落としています。


 レオンは懐から数通の書簡と、一枚の地図を取り出しました。


 夜の空気が、目に見えない薄い膜のように、

 ぴん、と張り詰めるのを感じます。


◆ ◆ ◆


「王都からの最新の報せと、

  他国筋、教会筋からの断片的な情報を、まとめたものです」


 レオンは書簡をテーブルに広げながら、

 いつも以上に言葉を選ぶように話し始めました。


「王都では、あなた様のことを

  “辺境の抑止力”と評価する声が強まる一方——」


 彼は一枚の書簡を指先で叩きます。


「“制御できない力は、早期に処理すべきだ”という意見も、

  また、確実に増えております」


「処理……」


 口の中で、嫌な響きを転がしてしまい、

 思わず苦笑が漏れました。


「ずいぶんと物騒な言い回しですわね」


「言葉を選ばない者は、

  もっと直接的に“排除”と記しております」


 レオンは感情を挟まずに告げます。


「他国においても、

  あなた様を“自国に取り込むべきだ”という派と、

  “このまま放置すれば脅威となる”という派で、

  意見が割れているようです」


「取り込むか、壊すか、ですのね」


「はい」


 彼はもう一通の書簡を示しました。


「教会内部、特に強硬派の一部は、

  “辺境で事故死した”という形での処理案を口にしていると」


 心臓が、どくん、と一つ大きく跳ねました。


「事故……」


「巡察中の不慮の落馬。

  魔物による不幸な襲撃。

  湖での、足場の崩落」


 最後の一つを告げたとき、

 レオンの視線が、わずかに私へと鋭く向きました。


 湖での出来事。

 あの、底の見えない落下と、

 世界の外側から伸びてきた手の感触が一瞬、脳裏をよぎります。


 私は無意識に、自分の指先を握りしめていました。


「……つまり、私の命を狙う動きが、

  水面下で具体化し始めている、ということですのね」


 自分の声が、少しだけ掠れて聞こえました。


 レオンは静かに頷きます。


「はい。まだ“誰の手”かは断定できませんが、

  少なくとも、“辺境でなら処理しやすい”という認識は、

  複数の勢力で共有されつつあります」


 “辺境なら”。

 この遠さが、守るための盾であると同時に、

 切り捨てられやすい端でもあることは、

 頭では分かっていたはずなのに。


 胸の奥が、ひやりと冷たくなりました。


◆ ◆ ◆


「……怖い、ですわ」


 それでも私は、その感情に、

 自分でちゃんと名前を与えることにしました。


 逃がしてしまえば、

 後で自分自身が許せなくなる気がしたから。


「本当に――とても、怖いのです」


 レオンの瞳が、わずかに揺れました。


「それは、当然のことです。

  恐怖を覚えないほうが、異常です」


「でも、ここで背を向ければ、

  きっと私は、私自身を嫌いになってしまいますわ」


 言葉を紡ぎながら、

 自分の中で何かが静かに形をとっていくのを感じます。


「ここで私が“事故死”してしまえば、

  辺境はきっと――

  権力の都合の良い誰かのものになってしまう」


 数字と印章だけを見て動く者の、支配する場所へ。


「それだけは、どうしても、許せません」


 レオンは、短く息を呑みました。


 けれどすぐに、いつもの落ち着いた顔に戻り、

 新しい地図を一枚、テーブルの上に広げます。


「ですので、防衛体制を、改めて見直したいと考えております」


 地図には邸と城、城下町、その周辺が描かれていました。


「邸の警備を、数より質へと切り替えます。

  あなた様の周囲には、信頼できる精鋭だけを置く」


 レオンの指が、地図の上を滑ります。


「夜間の巡回ルートを変更し、

  外部から刺客が侵入しづらい導線を構築する」


「私の寝室や、普段使う部屋の位置も、

  ある程度ランダムに変えましょう。

  “ここさえ押さえればよい”という一点を、作らないように」


 次々と出てくる提案は、

 どれも現実的で、どこか容赦がありませんでした。


「ただし——」


 そこで彼は私を見ました。


「これらの対策は、

  そのまま行えば、邸全体に“戦時”の空気をもたらします」


「城下にも噂は必ず漏れ、

  民を不安にさせるでしょう」


「……それは困りますわね」


 私は小さく眉を寄せました。


「民の生活を守るために行う防衛で、

  民の心を過度に縛ってしまうのは、本末転倒ですもの」


「ですので、いくつか条件を付けさせてくださいませ」


 私も地図の上に手を伸ばし、

 レオンの指がさしていた箇所に、自分の指先を重ねました。


「城門の警備は強化しても構いませんが、

  街中を重装備の兵で溢れさせるのは避けましょう」


「巡回ルートも、あくまで“見回り”に見えるように。

  人々の通行を塞ぐような形にはしないこと」


 レオンは黙って頷き、

 新たな線を引き足していきます。


「集いの家や学校は……」


「閉じたほうが安全だと判断する者もいるでしょう」


「ですが、今ここで扉を閉めてしまえば、

  “外の圧力に屈した”という印象を与えます」


 私は首を横に振りました。


「運営時間の短縮や、夜間の利用制限は検討しても構いません。

  けれど、“必要な人が来られなくなる”ような形にはしたくありませんわ」


「了解いたしました」


 レオンの声は、いつも通り冷静ですが、

 その中に、ごくかすかな安堵が混ざっているようにも感じられました。


◆ ◆ ◆


「……本当なら、私は」


 地図に線を引き終えたあと、

 レオンはふと視線を落としました。


「本音を申せば、あなた様を王都へお連れしたい」


 淡々とした声に、

 しかし確かな感情の重みが宿ります。


「王家の庇護の下に置き、

  少なくとも“事故死”などという安易な策を取らせぬよう、

  私の手の届く範囲にいていただきたい」


 彼は拳を握りしめました。


「もしくは――

  いっそ国外へお逃がししたいと、何度も考えました」


「ここから遠く離れた場所で、

  静かに暮らしていただくほうが、

  あなた様にとっては幸せなのではないかと」


 その言葉に、胸の奥が、すこし痛くなりました。


 きっと彼は本気でそう考えているのでしょう。

 私という“厄介な存在”を守るために。


「……嬉しいですわ」


 私は小さく笑いました。


「ちゃんと、“私個人”の幸せを考えてくださることが」


 それから、顔を上げて、まっすぐに彼を見ます。


「でも、ここは――私が選んだ場所です」


 邸の窓から見下ろした城下町。

 湖の輝き。

 畑の土と、集いの家の灯り。


 そこにいる人たちの顔が、次々と浮かびます。


「逃げるのなら、

  一度も守ろうとしなかったときだけにしたいのです」


「 これだけ手を伸ばしておいて、

  ここで背を向けるのは、

  自分で自分を裏切ることになる気がいたしますもの」


 レオンは静かに目を閉じ、

 しばらく何も言いませんでした。


 ランプの火が、小さく揺れます。


 やがて彼は、そっと私の手を取りました。


 大きく、硬く、

 けれどどこまでも慎重に力を加える、その手。


「……できれば、もう少しだけ長生きしたいですわ、私」


 気づけば、そんな言葉が口をついていました。


 ふざけているつもりはなかったのに、

 妙に軽い調子になってしまって、自分でも驚きます。


 レオンは、微妙に困ったような顔をしました。


「それは冗談になっておりません、リヴィア様」


「でしょうね」


 肩をすくめると、

 自嘲と、それを上塗りするような小さな笑いが漏れました。


「……必ず、お守りします」


 レオンは真っ直ぐに言いました。


「“必ず”という言葉ほど不確かなものはありませんが――

  それでも、今の私に言えるのは、それだけです」


「“必ず”が不確かだということくらい、

  私も分かっておりますわ」


 そう言いながら、

 私は握られた手に、ほんの少しだけ力を込めました。


「でも今夜だけは、その不確かさに、

  縋ってもよい気がいたします」


 レオンの手が、僅かに震えた気がしました。

 それ以上何も言わず、

 ただ静かに、手を離していきます。


「巡回ルートと警備配置の案は、

  明日までに文書にまとめてお持ちいたします」


「ありがとうございます。

  ……あの、その前に」


 ふと、私のお腹が、

 小さく、しかし確かな抗議の声を上げました。


「…………」


「…………」


 数秒間の沈黙のあと、

 私は観念して口を開きます。


「……夜食を少し、持ってきてもらいましょうか」


 レオンの表情が、ほんのわずかだけ緩みました。


「それは、良い作戦だと思います」


「視察と作戦会議のあとは、糖分が必要ですから」


「あなたに言われると、説得力がありますわね」


 重い話をした直後だというのに、

 そんな他愛もないやりとりだけで、

 空気が少し軽くなるのが、不思議でした。


◆ ◆ ◆


 レオンが部屋を去ったあと、

 私はひとり、窓辺に立ちました。


 ガラス越しに見える夜の庭は、

 ひどく静かで、

 どこまでも暗くて、

 それでいて、どこかよそよそしい。


 その闇のどこかに、

 もう刺客の影が潜んでいるのかもしれない。


 あるいは、

 まだ誰も動いてはおらず、

 ただ遠くからこちらを値踏みする視線だけが、

 空を飛び交っているのかもしれない。


(怖い、ですわ)


 改めて、胸に手を当てました。


(本当に――とても)


 それでも。


 この窓から見える灯りたちを、

 私は知っています。


 遅くまでパンを焼いている店の火。

 病の子を看病する家の蝋燭。

 集いの家の、まだ消えきらない明かり。


 その一つ一つを、

 私は守りたいと、確かに願ってしまったのです。


「怖いのは、きっと当たり前ですわ」


 誰にともなく呟きました。


「それでも、ここで背を向ければ――

  きっと私は、私自身を嫌いになってしまいますもの」


 窓の外の闇は、何も答えません。


 けれど、

 どこか遠くのほうで、

 小さな精霊たちの気配が、

 かすかに震えたような気がしました。


 それが、

 私の覚悟に応える震えなのか、

 迫り来る危機を告げる震えなのかは、

 まだ分かりません。


 ただ一つだけ確かなのは――


 この闇の向こうで、

 誰かが既に、

 “事故”という名の刃を研いでいるかもしれない、ということ。


 私はそっとカーテンを閉じ、

 深く息を吸いました。


 怖くても、

 震えても。


 この場所に立ち続けると決めた以上、

 明日の朝もまた、

 同じ窓を開けて、

 同じ城下町を見下ろすのです。


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