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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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祈りの場を守る

 特別礼拝から、まだそう時間は経っていないというのに――

 教会の前に立つと、空気の色が、はっきりと変わっているのが分かりました。


「やっぱり、全部茶番だったんだよ」

「でもよ……俺、あの時ほんとに身体があったかくなったんだ。嘘とは思えねえ」


 行き交う人々の声が、刺のように耳に届きます。


「あんなもん、煙と光でどうとでも出来るんだ」

「けど、あの礼拝のあと、ちゃんと立てるようになった人もいるんだろう?」


 信じている側も、疑っている側も、どちらも本気。

 その真剣さが、余計に空気を重くしていました。


 石畳の上に、足音がもうひとつ近づきます。


「……なかなか、厄介な火種ですね」


 隣に並んだレオンが、小さく呟きました。


「教会を責めたい者と、庇いたい者。

  どちらも“ここに救われた”という実感がある分、譲れないのでしょう」


「ええ。だからこそ、ややこしいのですわ」


 私は視線を教会の扉へ向けます。


「信仰が薄かったから騙されたのだ、と切り捨てることも出来ませんし、

  全部が茶番だったと断じてしまうのも、違うように思えます」


 扉の前には、今日も人影がありました。

 真面目で、少し頼りなげな、この辺境の神父が、

 戸口の掃除をしながら、行き交う信徒たちにぎこちない笑みを向けている。


 私たちに気づくと、彼は慌ててモップを置き、駆け寄ってきました。


「リヴィア様……お越しくださったのですね」


「ええ。少し、お話を伺いたくて」


 神父の顔には、疲労と困惑が、隠しきれずに滲んでいました。


◆ ◆ ◆


 教会の小さな控え室に通されると、

 神父は深く頭を垂れ、それからゆっくりと口を開きました。


「……あの日の礼拝以来、

  私には、何が“正しい”のか、よく分からなくなってしまいました」


 その声は、震えていました。


「本部の指示に従えば良い、

  そう信じてここまでやってきたはずなのに……」


 彼はぎゅっと拳を握りしめます。


「あなた様の顔を見ると、

  それだけでは足りないように思えてしまうのです」


「……私に会うと、迷いが増す、ということですの?」


 思わず冗談めかして言うと、

 神父は慌てて首を振りました。


「い、いえ、そういう意味ではなく……! ただ、

  あなた様が“本物”を見ていらっしゃるのだと、あの日、ひしひしと……」


 言葉を探すように、彼は視線を泳がせます。


「偽りの光の下で、皆が喜んでいるのを見て、

  “これでいいのだ”と言い聞かせようとした自分と――」


 彼は唇を噛みました。


「“これは違うのではないか”と問うてくる自分とが、

  どうしようもなく、ぶつかってしまいました」


 胸の奥がきゅっと痛みました。


(この人もまた、板挟みなのですわね)


 教会という組織と、目の前の信徒たち。

 本部の命令と、自分の良心。


 どちらの側に立っても、

 もう片方を裏切ってしまうような気がして、動けなくなる。


 神父は机の上から、一通の封書をそっと差し出しました。


「そして……本部から、こんなものが」


 重そうな封蝋。

 教会本部の印章。


 開いてみると、そこにはきっちりとした文面で――


『辺境教会の建物および財産を、

 本部直属の管理下に置く案について、検討中である』


『現地の状況にかかわらず、

 礼拝の運営・人員配置・財の流れは、本部の監督に服するものとする』


 などと、柔らかい言葉遣いで書かれていました。


 つまり、噛み砕けば——


「この建物も、ここで祈る人々も、

  “教会本部の都合どおりに”動くべきだ、ということですわね」


 私は静かに紙を置きました。


「もしこの案が通れば――」


 神父の声は、かすれています。


「辺境の教会は、実質的に“本部の支部”として、

  政治的な意図のために使われることになるでしょう」


 祈りの場ではなく。

 人々が心を預けてきた時間の積み重ねでもなく。


 ただ、誰かの命令を書き込む、ひとつの装置として。


「……お辛いですわね」


 私がそう言うと、神父は目を伏せました。


「私は、ここで祈ってきた人たちの時間が、好きでした。

  祭壇の前で、誰かが膝をつき、

  ひっそりと涙を流し、誰にも見られずに立ち上がる――

  その背中を、遠くから見守ることが出来るのが、好きでした」


 彼は、ぎゅっと胸の前で手を握りしめます。


「それを、ただの“票数”や“報告数”に変えられてしまうのなら……

  私は、自分が何をしているのか分からなくなってしまいそうで」


 ――この人を、責めることは出来ない。


 強く、そう思いました。


◆ ◆ ◆


「でしたら、少し考え方を変えてみませんか」


 私は顔を上げました。


「考え方、でございますか?」


「ええ。

  この建物を、“教会だけのもの”だと考えるのをやめてみるのです」


 神父が、きょとんと目を瞬きます。


「ここはたしかに、教会として建てられました。

  祭壇も、聖句も、教義も、この場所と共にありました」


 私はゆっくりと言葉を紡ぎます。


「けれど同時に、

  この石の壁には、ここで祈ってきた人たちの息遣いも染み込んでいるはずですわ」


 嘆き、感謝し、震えながら、

 それでも明日へ足を運ぼうとしてきた人たちの、祈りの跡が。


「だから――ここを、“組織の建物”から、

  “皆の祈りと集いの場所”にしてしまえばよろしいのではなくて?」


「……集いの、場所」


 神父が、まるで異国の言葉でも聞いたように呟きました。


「はい。

  看板を、半分だけ下ろしてしまいましょう」


「か、看板を……?」


「この建物を、“教会 聖○○堂”という名だけでなく――

  “集いの家 兼 礼拝堂”という形にするのです」


 私の頭の中には、既に具体的な図が浮かび始めていました。


「平日の昼は、ここを読書や勉強、相談に使える“集いの場”として開放する。

  祈りたい人は、祭壇の前に座ればいい。

  日曜日には、これまで通り礼拝を行う」


「そんなことをしたら、本部が黙っていないのでは……」


 神父は青ざめます。


「建物は教会の所有物です。

  そこを勝手に“集いの家”にしてしまえば、罰則が……」


「罰なら、私が受けますわ」


 私はさらりと言いました。


「この辺境の教会建物は、“公爵家からの寄進”という形になっているはずですわよね?

  所有権の一部には、まだ私の名前が残っているはず」


 これは以前、ルークから聞いていたことでした。


「でしたら、公爵家の管理財として、

  一部を“慈善事業施設”として登録し直せばよろしい」


「じ、慈善事業……?」


「教会の看板はそのまま、

  ただ書類上、この建物の一部を“孤児や貧民のための集会所”として申請するのです」


 私は指先で、テーブルの上に簡単な図を描きました。


「たとえば――祭壇より前の空間を“礼拝堂”、

  後ろ半分を“集いの家”として登録する」


 神父はぽかんと私を見つめていましたが、

 やがて、おずおずと口を開きます。


「そ、そんな抜け道のようなことを……」


「抜け道、と言われればそうかもしれませんわね」


 私は微笑みました。


「でも、組織というものは、

  いつだって“抜け道”を使って、自分たちに都合の良いように世界を操作してきました」


「でしたら、たまには――

  その抜け道を、人の祈りのためにも使ってよいのではなくて?」


 神父の表情に、迷いと、わずかな希望が混ざりました。


「……もし、そんなことが本当に出来るのなら」


「出来るように、しますわ」


 私は言い切りました。


「書類の細工は、ルークに手伝ってもらいましょう。

  マルコも、こういう時には妙に頼りになりますしね」


 黒寄りの商人の顔が頭に浮かび、

 思わず小さく笑ってしまいました。


「本部から罰が来るとしたら、それも私が受けます」


「この場所を守る責任も、

  辺境の領主である私が負うべきでしょう」


「……リヴィア様」


 神父は、何度も瞬きをしてから、

 深く、深く頭を下げました。


「私は、あなた様にばかり頼ってしまっているのではないでしょうか」


「いいえ。

  あなたがここで祈りを続けてくださるからこそ、

  私はこうして動く意味を持てるのです」


 私は椅子から立ち上がりました。


「信仰は、本来、誰かの所有物ではありませんわ」


「だからせめて、この場所だけは――

  あなた方のものであり続けてほしいのです」


◆ ◆ ◆


 数日後。

 私は教会の前に立ち、

 看板から外すべき文字の位置を、侍女と一緒に確認していました。


「ここを……この“○○教会”の“教”の字の脇に、小さく“集いの家”の板を掛けるのですわ」


「本当にご自分で外されるのですか、リヴィア様?」


「たまには、こういう作業も楽しいものですわよ?」


 そう言って、私は釘抜きを手に取り――

 数分後には、指先が煤と木の粉で真っ黒になっていました。


「……またレオンに怒られますわね」


 苦笑しながらつぶやくと、

 侍女が小さく吹き出します。


「きっと、『怪我をなさらなくて良かった』と仰いますよ」


「それはそれで、否定できませんわね」


 看板には、新しい小さな板が掛けられました。


『○○礼拝堂 兼 集いの家』


 派手なものではありません。

 けれど、その一枚だけで、

 この建物の意味が、ほんの少しだけ変わるような気がしました。


◆ ◆ ◆


 日曜。

 礼拝の始まりを告げる鐘の音が、

 いつもより少し柔らかく響いていました。


 聖堂の前半分には、

 いつも通りの長椅子と祭壇。


 後ろ半分には、

 粗末ながらもテーブルと椅子が並べられ、

 本や紙が置かれています。


 今日は、その“境目”に、

 私が立つことになっていました。


 胸の前で、原稿も何も持たず、

 ただ両手を組み合わせます。


(……噛みませんように)


 内心でそう祈りながら、一歩前へ。


「本日は、少しだけ、私からお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 集まった人々の視線が、一斉にこちらへ向きました。


 喉が、きゅっと狭くなります。


「この場所について、です」


 私はゆっくり、言葉を探しながら話し始めました。


「ここは、長い間、“教会”と呼ばれてきました」


「祈りを捧げる場所として、

  多くの方がここに通い、

  涙を流し、感謝を述べ、

  ただ静かに座って帰る方も、いらっしゃいました」


 遠くの長椅子で、

 年配の婦人がこくりと頷いているのが見えました。


「最近、この場所のあり方をめぐって、

  いろいろな考えが交わされています」


「“偽りの奇跡”だ、と怒る声もありました。

  “あれでも救われた”と庇う声もあります」


 ざわり、と空気が動きます。


 私は、そこでいったん息を吸いました。


「私は、どちらの声も、間違っているとは言えません」


 はっきりと、そう言いました。


「偽りを嫌うことも、

  偽りにすがることで今日を生き延びようとすることも――

  どちらも、人として、とても自然な反応ですわ」


「だからこそ、

  この場所だけは、誰かの“判断”のためだけの場所にはしたくありません」


 私は背後のテーブルと椅子を、指先で示しました。


「ここは、祈りたいときに祈るための場所であり、

  誰かと肩を並べたいときに座る場所でもあります」


「泣きたいときに泣き、

  感謝したいときに感謝し、

  どうしようもない日には、ただ座っているだけでも許される場所」


「――そんな場所であってほしいのです」


 言葉を重ねるほどに、

 胸の内側が、熱くなっていくのを感じました。


「ここで捧げられる祈りの行き先は、

  本部の帳簿や報告書ではありません」


 私は祭壇のほうを見やり、

 それから、ひとりひとりの顔を見渡しました。


「あなた方の心と、

  あなた方が信じたいと思う“誰か”のもとへ向かうものです」


 隣に立つ神父が、

 静かに私の言葉を引き継ぎます。


「私は、教会の者として――

  あなた方の祈りが、どこへ向かうかを管理するつもりはありません」


 彼の声は、震えてはいませんでした。


「ただ、その祈りが届くための言葉をお手伝いし、

  ここで膝をつくあなた方の傍らに立ちたいと、そう願うだけです」


 聖堂の中に、静かな沈黙が落ちました。


 すぐに拍手が起こるわけではありません。

 誰かが涙を流すわけでもない。


 けれど、

 椅子の上で手をぎゅっと握りしめる人。


 胸に十字を切る代わりに、

 ただ静かに目を閉じる人。


 そのどれもが、

 「ここは自分たちの場所だ」と、

 ほんの少しだけ思えたのではないか――


 そんな気配が、

 空気の底に、かすかに芽生えていました。


◆ ◆ ◆


 数日後。

 教会本部から、再び一通の書簡が届きました。


 封を切ったルークが、眉をひそめます。


「『辺境教会における独自運営の懸念』……

  『指導が必要と考えられる』……

  『公爵令嬢殿にも改めて信仰の在り方を――』」


「まあ。随分と“遺憾”なご様子ですわね」


 私は苦笑しました。


「本部の心証は、確実に悪化しています」


 ルークが真面目な顔で言います。


「今後、より厳しい査察や、

  権限の制限が提案される可能性も――」


「ええ、分かっておりますわ」


 私は手紙をそっと折りたたみました。


「でも、それでも」


 窓の外では、

 教会の扉が開き、

 子どもたちが数人、笑いながら中へ入っていくのが見えました。


 手には本と、紙と、小さな鉛筆。


 彼らの後ろから、

 いつもの神父が少し緊張しながらも、

 優しい顔で出迎えている。


「祈りそのものは、誰のものでもありません」


 私は小さく呟きました。


「だからせめて、この場所だけは――

  誰かのための政治装置ではなく、

  あなた方のものとして、あり続けてほしいのです」


 世界の“外側”から覗く何かと、

 世界の“内側”で帳簿を握る誰か。


 そのどちらとも、賢く付き合わなければならない。


 その上でなお、

 人が静かに目を閉じていられる場所を、

 守っていきたい。


 私は手紙を机の中にしまい、

 インク瓶の蓋を開けました。


「さあ――“遺憾”と仰るなら、

  こちらも“丁寧な弁明”を差し上げなくてはなりませんわね」


 ペン先を紙に滑らせながら、

 私は小さく笑いました。


 祈りの場を守るためなら、

 文書の海を泳ぐくらい、いくらでも付き合ってさしあげますわ。


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