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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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偽りの奇跡

 特別礼拝のお知らせが届いたのは、

 教会の査察団が去って、ほんの数日後のことでした。


 上質な羊皮紙に、過剰なくらい丁寧な文字。


『リヴィア様のこれまでの奇跡に感謝を捧げ、

 辺境における信仰心の高まりを記録するための特別礼拝を執り行いたく――』


 書面だけ見れば、

 それはとても敬虔で、喜ばしい提案に見えます。


(奇跡は、記録されるために起こしたわけではありませんのに)


 胸の奥で、小さな抵抗感がざらりと音を立てました。


 机の上に手紙を置き、私はため息をひとつ。


「……断る、という選択肢は、あまり現実的ではありませんわね」


 査察が終わったばかりで、

 ここで礼拝を拒めば、「教会への反抗」と解釈されるでしょう。


 なにより、招待状にはさりげなく、こうも書かれていました。


『多くの信徒が、この礼拝を心待ちにしております』


 それはつまり、

 既に教会側から「リヴィア様の奇跡に感謝する式」が告知され、

 人々の期待が煽られているということ。


 私が参加しなければ――

 その落胆は、教会ではなく私一人へ向けられることになる。


「……本当に、言葉の選び方と段取りがお上手ですわね」


 思わず、皮肉が口をつきました。


◆ ◆ ◆


「今日はどこまで、顔に出しても許されますかしら」


 礼拝当日の朝。

 鏡の前でドレスの襟を整えながら、私は侍女に尋ねました。


「え、ええと……」


 侍女は困ったように笑います。


「少なくとも、眉間のしわはお控えになったほうが……」


「では、“やや不機嫌そうな公爵令嬢”は封印しておきますわ」


 軽口のつもりで言って、

 自分でもおかしくなって少し笑いました。


 笑っておかないと、

 頬がこわばってしまいそうでしたから。


 教会へ向かう馬車の中で、

 私は膝の上で手を静かに組みました。


「気が進まれないご様子ですね」


 向かいに座るレオンが、

 いつもの落ち着いた声で言います。


「……奇跡は、見せ物ではないはずですわ」


 窓の外の雪解け道を眺めながら、私は答えました。


「誰かの明日を、どうにか支えるための手段であって、

  歓声と拍手のための“演目”ではないはずなのに」


「教会にとっては、

  信仰を保つことそのものが“明日を支える”ことなのでしょう」


 レオンの言葉は、いつも通り、残酷なまでに正直です。


「それが、偽りを必要とする形であったとしても?」


 問い返すと、彼は少しだけ目を伏せました。


「……それを見極めるために、今日、あなたは行かれるのでしょう」


「ええ」


 私は自分自身に言い聞かせるように頷きました。


「きっと、目を逸らしてはいけないものですから」


◆ ◆ ◆


 辺境の教会は、

 私が来た当初に比べれば、随分と整えられていました。


 けれど、今日の聖堂は、いつもとは明らかに違います。


 祭壇の周りには、

 過剰なほどの花と燭台。


 高い窓から差し込む光を受ける位置には、

 磨き上げられた金属の板――鏡のようなものが、

 さりげなく設置されていました。


(光の角度……あれは偶然ではありませんわね)


 香炉からは、

 いつもの祈り用の香よりも強い、甘い匂いが立ちのぼっています。


 列席した信徒たちの間には、

 期待と興奮に似たざわめき。


「リヴィア様だ……」「本物の奇跡を起こした方だ……」


 ささやき声が、あちこちから耳に届きます。


 私の席は、最前列。

 祭壇のすぐ手前、教会上層部の神官たちの隣でした。


 代表神官が私に目を向け、

 礼儀正しい笑みを浮かべます。


「本日はお越しくださり、ありがとうございます、公爵令嬢殿。

  あなた様のこれまでの御業に、

  我々もまた感謝を捧げたいと存じまして」


「私のしてきたことは、

  多くは“この辺境に生きる人々のため”に行ったものですわ」


 私は穏やかに答えました。


「もし教会が、その方々の支えになるとおっしゃるのなら……

  今日の礼拝が、どうか彼らの明日に繋がりますように」


「ええ、もちろん」


 代表神官は、意味ありげに目を細めました。


「どうか、あなた様も“お楽しみ”ください」


 その言い方に、

 思わず喉の奥がきゅっと締まります。


(礼拝は、本来“楽しむ”ものではありませんわ)


 そんな言葉を飲み込んだところで、

 鐘の音が高く鳴り響きました。


◆ ◆ ◆


 聖句の朗読が始まりました。


 普段よりもずっと華やかな言い回し。

 長く、飾り立てられた祈りの言葉。


 代表神官が高く手を掲げるたび、

 聖堂の天井近くで光が揺らめきます。


 窓から差し込む陽光が、

 巧妙に角度を変えられた鏡に反射し、

 まるで天井から“聖なる光”が降りてくるように見える仕掛け。


 信徒たちから、感嘆の声が漏れました。


「……綺麗ですね」


 隣に座る小さな子どもが、

 思わずといった様子で呟くのが聞こえました。


 ええ。

 たしかに、美しい。


 けれど――


(精霊の気配が、まったく動いていませんわ)


 私の内側は、静まり返っていました。


 いつもなら、

 祈りの言葉に反応して、

 小さな精霊たちがさざ波のように寄ってきます。


 ささやかな治癒の奇跡でも、

 土を少し癒す程度の魔法でも。


 しかし今は。

 目の前の“光景”がどれほど眩しくとも。


 私の耳には、

 一体の精霊の囁きも届いていませんでした。


 やがて、

 祭壇の横から、

 杖をついた老人がゆっくりと現れました。


 教会の説明では、

 「長く脚を患い、歩くこともままならなかった信徒」だそうです。


 聖歌が高まり、

 代表神官が彼の頭上に手をかざしました。


 香炉から、白い煙が立ち昇る。

 光が彼らの上だけを照らす。


「さあ、“恵み”をお見せしましょう」


 神官の声に続き、

 老人が、震える足で一歩を踏み出しました。


 人々が息を呑みます。


 もう一歩。

 さらに一歩。


 杖を離し、両腕を大きく広げ――


「歩いている……!」「奇跡だ……!」


 あちこちから、歓声と泣き声が上がりました。


 しかし、私の目には別のものが映っていました。


 慎重すぎる足運び。

 転ばないよう、足場を確かめる癖。


 それは「まったく歩けなかった人間」の動きではなく、

 「足を悪くしたことはあるが、歩行そのものには慣れている者」の動き。


 そして何より――

 やはり、精霊たちは微動だにしていない。


 彼の脚を支えているのは、

 神の力ではなく、

 己の筋肉と意志と、

 事前に重ねられた訓練なのでしょう。


(……演目、ですわね)


 喉の奥が、ひどく乾きました。


◆ ◆ ◆


 礼拝が終わる頃には、

 聖堂の空気は涙と笑いとで満ちていました。


「教会はやっぱりすごい……」

「神様は見ていてくださったんだ……」


 人々は口々にそう言い合いながら、

 互いの肩を叩き合い、抱き合っていました。


 先ほどの老人――“元・歩けなかった信徒”も、

 周囲から祝福を受け、何度も何度も頭を下げています。


 彼の頬には、本物の涙。


 偽りの演技をしているようには、とても見えません。

 きっと、彼自身も信じているのでしょう。


 今日、自分が「奇跡にあずかった」と。


 隣で、レオンが小さく囁きました。


「リヴィア様……あれは」


「ええ。本物ではありませんわ」


 私は、外側から見れば微笑んでいるように見えるだろう声で答えました。


「魔法も、精霊も、動いていません。

  けれど――」


 言葉が、そこで途切れます。


 偽りだと知っていても、

 その偽りにすがることで、

 今日を生きられる人がいる。


 涙を流しながら、

 「明日も頑張ろう」と言えるようになる人がいる。


 それを、今この場で

 「全部嘘です」と叩き壊す権利が、

 私にあるのでしょうか。


(……だめですわ)


 喉元まで上がってきた言葉を、

 私は必死に飲み込みました。


 偽りの光だと知りながら、

 その光に照らされる人々の顔は、本当に美しく見えました。


 だからこそ――

 余計に、苦しかったのです。


 私が席を立つとき、

 祭壇の側から代表神官がこちらを見ました。


 人々の歓声の向こう側で、

 私と彼の視線が交差します。


(あなたは気づいているのでしょう?)


 そう言いたげな笑み。


(ええ。気づいておりますわ。

  そしてあなたも――

  私が黙っていることに気づいておいでなのでしょうね)


 互いに、一言も口に出さないまま。

 ただ、目だけでそう告げ合っているような気がしました。


◆ ◆ ◆


 教会を出て、

 夕方の冷たい風に頬を撫でられた瞬間、

 私は思わず大きく息を吐きました。


「……頬がつりそうですわ」


 レオンが、ほんの少しだけ目を丸くします。


「笑顔を保つのに、ですか」


「ええ。あれだけ偽りだらけの場面を見せられて、

  顔に出さないのは、骨が折れますもの」


 自嘲気味に笑った私に、

 レオンは短く「お疲れ様です」と言いました。


 少し歩いてから、

 彼がふいに問いかけます。


「……もし、あの場で“偽り”を指摘されていたら、

  あなたはどうなさったと思われますか」


「誰か別の方が?」


「ええ。例えば、

  子どもや若者が、純粋な疑問として口にしたとしたら」


 私は足を止め、

 しばらく考え込みました。


「きっと私は、

  “それでも、今日ここに救われた人はいます”と答えたでしょうね」


「偽りであっても、ですか」


「本物であっても、偽物であっても、

  誰かの今日を支えたという事実だけは、消えませんもの」


 そして、そっと付け加えます。


「ただ――

  それを続ければ、

  いつか“本物”が要らなくなる日が来るでしょう」


 レオンの表情が、微かに曇りました。


「今日の礼拝で、

  教会は民の心を取り戻したつもりでいるでしょうね」


 私は空を見上げました。


 夕暮れの色が、

 聖堂の塔の輪郭を赤く染めています。


「でも、あの光は“借り物”です。

  香と鏡と、仕込まれた演技の上に成り立つ光」


 指先をぎゅっと握りしめました。


「いつか人々が、

  それだけでは足りなくなったとき――

  彼らはまた、“本物”を求めて私のところへ来るのでしょう」


「それでも、あなたは応えられる」


 レオンの声は、

 確信に満ちていました。


「偽りと分かっている奇跡に、

  あなたは決して手を貸さなかった」


「……胸を張れるほど、きれいな気持ちだけではありませんわ」


 私は苦笑しました。


「私の正義だけを押し通せば、

  あの場で“偽りだ”と叫ぶこともできたはずです」


 けれど、それをしなかった。


「誰かの“弱さ”に、

  私もまたすがっているのかもしれません」


 偽りと知りながら、

 その偽りに覆い隠されることで、

 今日だけは波風を立てずに済んだという、

 甘い安堵。


「……だからこそ、です」


 少し歩いてから、レオンが言いました。


「あなたは今日、“使わなかった奇跡”の分だけ、

  別の場所で本物を行うのでしょう」


「ええ」


 私は小さく笑いました。


「偽りの光に照らされた人たちが、

  明日、どこかでつまずいたとき――

  その時は、きちんと手を伸ばせるように、

  準備しておかなくてはなりませんわね」


 教会が掲げる“偽りの奇跡”と、

 私が抱える“本物の奇跡”。


 どちらが正しいか、という単純な話ではないのだと思います。


 ただ――

 私が選びたいのは、

 人が、自分の足で立てるようになるための奇跡。


 自分の弱さを、

 自分の言葉で認められるようになるための光。


(いつか、今日のような偽りに頼らなくてもよくなる日を)


 その日が来るまで、

 私は今日見た“偽りの光”を忘れないでおこう。


 そう心に決めながら、

 私は教会の塔から少し離れた空を、もう一度見上げました。


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