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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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教会の査察

 鏡の前で、私はひとつ深呼吸をしました。


「……顔に“本音”は出ていませんわよね?」


 侍女が、少し困ったように笑います。


「いつものリヴィア様でございますよ。

  ただ、ほんの少しだけ――目が鋭いかもしれません」


「それはよくありませんわね」


 額に手をあてて、表情筋をなだめるように撫でました。


 湖でのことを境に、

 私の世界は、静かに輪郭を変えつつあります。


 世界の外側から伸びた手。

 そのことを、教会にも、王家にも、誰にも話していない。


 話せば信じてもらえないか。

 それとも、信じられすぎてしまうか。


 どちらにせよ、

 あれを彼らの議題の上に乗せるわけにはいかない――


 そう決めている以上、

 今日の私は「何も知らない顔」を貫かなければなりません。


「そろそろお時間です」


 レオンが扉の外から声をかけました。


「教会査察団が、城門に到着しました」


「ええ。参りましょう」


 私はドレスの裾を軽く揺らし、背筋を伸ばしました。

 鏡のこちら側の私と、さよならをするような気持ちで。


◆ ◆ ◆


 邸の前庭には、白い法衣と鎧の列が整然と並んでいました。


 前列には、金糸で紋章を縫い込んだ神官服。

 その後ろに、書板や巻物を抱えた書記。

 さらに奥には、白銀の鎧に身を包んだ聖騎士たち。


 彼らの鎧に刻まれた紋章は、

 エリアス様――教会監査団長の系統のもの。


 つまり今日は、

 彼の“目”がここに来ているということでもあります。


「ようこそ、おいでくださいました」


 私は階段を降り、

 代表と思しき神官へと歩み寄りました。


 四十代ほどに見える男。

 穏やかな笑みを浮かべていますが、

 その目だけは冷えた湖面のように揺らぎません。


「辺境公爵家当主代理、リヴィア・フォン・グラウベルグです」


「初めてお目にかかります、公爵令嬢殿」


 男は恭しく頭を下げました。


「我らは教会本部監査局より参りました。

  本日は、あなた様の素晴らしいお働きを確認し、

  正しく記録に残すための訪問でございます」


(素晴らしいと褒めておきながら、“記録”と“確認”で縛ろうとなさるのですね)


 心の中でだけ、ため息をつきます。


「遠路はるばる、ありがとうございます。

  辺境の現状は、喜ばしいことばかりとは言えませんが――

  私の見ているもの、してきたことは、隠さずお見せいたしますわ」


「感謝いたします、公爵令嬢殿」


 代表神官は、目だけで私の全身をじっと測りました。


 奇跡を起こした女として。

 辺境を立て直しつつある領主として。

 そして何より――教会にとって、「従わせるべき駒」として。


「それでは、早速お話を伺っても?」


「ええ。応接室をご用意しております。

  どうぞ、こちらへ」


 私はいつもの笑みを貼り付けたまま、踵を返しました。


◆ ◆ ◆


 応接室の空気は、

 普段より少しだけ重く感じられました。


 代表神官と数名の神官、書記が対面に座り、

 レオンが私の斜め後ろに控える。


 机の上には、

 すでに教会側の書類が何枚も広げられていました。


「まずは確認から」


 代表神官が穏やかに口を開きました。


「これまであなたが行使された“奇跡”について、

  教会本部に提出いただいた記録を拝見いたしました」


 彼は書類をめくりながら、

 淡々と読み上げます。


「疫病に侵された村の浄化。

  魔物の群れに襲われた街道の防衛。

  荒廃した土地の回復――」


 そこまで読んで、ちらりとこちらを見ました。


「そして最近では、“雪解け前の畑の活性化”も」


「その通りですわ」


 私は静かに頷きました。


「いずれも、領民の生活と命を守るために行ったものです。

  喜んでくださる方もいれば、

  怖いとお感じになる方もいらっしゃいますけれど」


「怖い?」


 代表神官は、少し首を傾げました。


「奇跡というものは、

  人々を畏れさせながらも、

  神への敬虔を深めるものであるべきです」


「ええ」


 私は微笑みます。


「ただ、彼らが畏れているのは、

  神の栄光そのものというより――」


 一拍置いて、言葉を選びました。


「“自分たちの暮らしている世界が、

  自分たちの理解から外れていくこと”なのだと思いますわ」


 代表神官の目が、ほんのわずかに細められました。


「興味深いご見解です」


 書記が忙しなくペンを走らせます。


「では、お伺いいたします。

  奇跡を行使なさる際、

  必ず祈りと聖句を伴っておられますか?」


 予想していた質問でした。


「はい。

  私の持てる限りの敬意をもって、

  精霊王様と、

  この世界を支える理に祈りを捧げております」


「“教会の教義に基づいた聖句”を、でしょうか」


「教会からいただいたものも、

  この辺境に古くから伝わる祈りも、両方ですわ」


 彼の瞳が、わずかに揺れました。


 わざと、そう答えました。


「辺境には、

  教会がここまで手を伸ばす以前から、

  人々の生活を支えてきた祈りがあります。

  それらを、すべて“間違い”と切り捨てることは、

  私にはできません」


「しかし――」


 別の神官が口を挟もうとしたのを、

 代表神官が手で制しました。


「あなたご自身の判断で奇跡をお使いになることに、

  不安はありませんか?」


 声の調子はあくまで穏やかです。


「人は誰しも迷い、誤るもの。

  教会の許可があれば、

  もっと安心してお使いになれるとは思われませんか」


(来ましたわね)


 私は心の中でだけ、苦笑しました。


 それはつまり、

 奇跡の行使を教会の許可制にしたい――

 以前手紙で示されていた意向の、

 口頭での確認でもあります。


「不安が、まったくないと言えば嘘になります」


 私は正直に認めました。


 レオンの気配が、

 背後でわずかに動きます。


「私の判断で誰かを救えば、

  私の判断で誰かを見捨てることにも繋がる。

  その重さは、

  日々、骨の髄まで感じておりますわ」


「であればこそ――」


「だからこそ、です」


 私はそっと言葉を被せました。


 声の高さも、柔らかさも変えずに。


「だからこそ、

  “現場にいる人間”の判断を、

  すべて誰かの許可待ちにするわけにはいきません」


 代表神官の瞳が、

 わずかに鋭くなりました。


「現場と言われましても、

  あなたは“特別な立場”にいらっしゃる」


「ええ」


 私は頷きます。


「公爵令嬢であり、

  辺境の領主代理であり、

  そして、奇跡を起こしてしまった人間」


 一つ一つを認めてから、

 静かに続けました。


「だからこそ、

  人の命を前にして、

  “許可が下りないから今日は救えません”と、

  そう言い訳をする自分にはなりたくありませんの」


 部屋の空気が、

 少しだけ冷たくなった気がしました。


 しばしの沈黙のあと、

 代表神官は、ゆっくりと息を吐きました。


「慎重でいらっしゃるのは結構です」


 彼は微笑みを崩しませんでした。


「ただ――

  慎重すぎて、“神の栄光”を曇らせてしまうことのないように」


「栄光が曇るとすれば」


 私は、

 自分の手を膝の上で組みました。


「それは、

  神の御業そのものが足りないからではなく、

  それを“帳簿に綴じ込めようとする人間の手”が、

  曇りを生むのだと、私は思っています」


 書記のペンが一瞬止まりました。


 代表神官の目も、ほんの少しだけ細くなります。


(あら、少し言いすぎましたかしら)


 心の中でだけ肩をすくめながら、

 表情は変えません。


「真実をすべて話すことが、

  いつも正しいとは限りません」


 私はゆっくりと言葉を継ぎました。


「とくに――

  “聞く側”が、それを扱いきれないと分かっている時には」


 湖で見たもの。

 外海で出会った誰か。

 精霊王様でさえ「触るな」と言った“外側”。


 あれを、

 この場の誰かに渡してどうなるのか。


 彼らがそれを「教会の管理下」に置こうとするのは、

 火を見るより明らかです。


 世界の外に伸びた手を、

 帳簿に記載し、

 許可制に組み込もうとするでしょう。


 その瞬間――

 きっと、この世界と外海のバランスは崩れます。


 だから私は、

 湖のことを口にしない。


 それは秘密であると同時に、

 守るべき境界線でもあるのです。


◆ ◆ ◆


 査察は一日がかりでした。


 教会。

 集いの家。

 読み書き学校。

 雪解けの畑。


 査察団は、

 それぞれの場所を隅々まで見て回りました。


 集いの家では、

 「ここは祈りの場か、それとも単なる集会所か」と問われました。


「祈りたい人には、教会をお勧めしておりますわ」


 私は笑って答えました。


「ここは、祈る力も残っていない人が、

  今日をなんとかやり過ごすための場所ですもの」


 学校では、

 「教会の教義以外の書物を教えていないか」と念入りに訊かれました。


「読み書きと、簡単な計算だけです。

  神の御言葉を理解するためにも、

  字が読める方がよろしいでしょう?」


 畑では、

 「自然の摂理を乱していないか」と疑われました。


「土に無理をさせたわけではありません。

  眠っている種に、“そろそろ起きてもいいですよ”と声をかけただけですわ」


 どの質問にも、

 私はできる限り正直に――

 けれど、言質を与えないように答えていきました。


(本当に尋問のようですわね)


 日が傾き始めた頃には、

 さすがに肩が凝ってきました。


◆ ◆ ◆


 夕刻。

 邸の玄関先で、

 査察団を見送る時間が来ました。


「本日のご協力、感謝いたします、公爵令嬢殿」


 代表神官が、

 馬車に乗り込む前にこちらを振り返りました。


「辺境の信仰と教義の遵守状況は――今のところ許容範囲内。

  そう本部へ報告させていただきます」


「それは光栄ですわ」


 私は丁寧に礼をしました。


「ただし」


 彼は、少しだけ声を落としました。


「あなた様の行動には、今後とも注意深い観察が必要。

  そう付記せねばなりますまい」


「ええ。

  私自身も、自分を注意深く観察し続けるつもりですわ」


 その答えに、

 彼はわずかに笑みを深めました。


「あなた様のような方は、

  この時代にはとても貴重です」


 ふと、声の調子が変わります。


「どうか――

  教会の外にこぼれてしまわないように」


 それはまるで、

 「枠から出るつもりなら、そのときは」と

 続きを飲み込んだような言い方でした。


 私は微笑みを崩さず、

 頭の中でだけその言葉を言い換えます。


(枠に収まらないものは、壊すか囲い込むしかない)


(彼らは、まだどちらにするか決めかねている――そういうことですわね)


「ご忠告、ありがたく受け取っておきます」


 私は最後まで、礼儀正しく答えました。


「どうか、教会もまた、

  “世界の外側”にこぼれ落ちないように」


 代表神官の目が、一瞬だけ細くなります。


 けれど彼は、それ以上何も言わずに馬車へと乗り込みました。


 白い列が動き出し、

 やがて夕焼けの向こうへと消えていきます。


◆ ◆ ◆


 馬車の音が完全に遠ざかったあと、

 私はようやく肩の力を抜きました。


「ふぅ……」


 小さく息を吐くと、

 隣でレオンが苦笑しました。


「お疲れ様でした、リヴィア様」


「私、変なことは言っておりませんでしたわよね?」


「いくつか、教会側から見れば“生意気”な発言はありましたが」


 レオンは、

 わざと真面目な顔で言いました。


「概ね許容範囲かと」


「“概ね”という言葉が、地味に気になりますわね……」


 口を尖らせながらも、

 自分でも笑ってしまいます。


 その笑いが引いていったところで、

 レオンの表情が少しだけ真剣なものに変わりました。


「……湖のことは」


 彼はゆっくりと言いました。


「お話されなくて、よろしかったのですか」


「ええ」


 私は迷いなく頷きました。


「あれは、教会に差し出してよいものではありませんもの」


 レオンは、

 しばらく黙って私の横顔を見ていました。


「教会に敵対する理由には、なり得ます」


「そうですわね」


「それでも、話さない」


「ええ」


 私は湖の方角にちらりと目をやりました。


「世界の外側に伸びた手と、

  世界の内側で私を見ている目」


 精霊王様。

 教会。

 王家。

 そして――外海の探査員。


「そのどちらとも、賢く付き合っていかなければなりません」


 私は自分の胸に手を当てました。


「全部を信じることも、

  全部を明かすこともできませんわ」


「だからこそ、選ぶのです」


 レオンが静かに言いました。


「何を話し、何を伏せるか。

  誰を信じ、どこから疑うか」


「ええ」


 それは、

 正直でありたい私には、

 酷な選択でもあります。


 けれど――

 真実をすべて話すことが、

 いつも皆を守るわけではない。


 そのこともまた、

 この辺境で学んできた事実でした。


「レオン」


「はい」


「もし、私が……」


 一瞬だけ迷ってから、

 言葉を探します。


「もし、私がどこかで“盤をひっくり返す”と決めたとき」


 王家でも、教会でも、他国でもない、

 私自身のために。


「その時も、あなたは――

  私の背中を守ってくださいます?」


 レオンは、

 驚くほど迷いのない声で答えました。


「もちろんです」


 夕焼けの光の中で、

 彼の瞳は静かに輝いていました。


「あなたがどこに立たれるとしても、

  私の役目は変わりません」


 心の中で、

 湖の底を思い出します。


 壁の外側から伸びた手。

 「泣きそうになったら探す」と言った誰か。


 世界の内側で見ている目と、

 外側から見ている目。


 そのどちらにも、

 まだ私は「大丈夫ですわ」と笑ってみせたい。


「では、今日のところは」


 私は軽く顎を引きました。


「少しだけ、“賢く立ち回れた”と自分を褒めても……よろしいでしょうか」


「ええ」


 レオンは、ほんの少しだけ口元を緩めました。


「本音の顔も、上手に隠せておられましたよ」


「それは、それで少し寂しい褒め言葉ですわね」


 くすりと笑いながら、

 私は邸の中へと歩き出しました。


 窓の向こう、遠くの湖面が、

 夕陽を受けてわずかにきらめいています。


(――どうか、今は静かに見ていてくださいませね)


 世界の外側の誰かに。

 世界の内側の誰かに。


 そして何より、

 今日もどうにか“正しい顔”で立っていた自分自身に向けて。


 私はそっと、心の中でだけ頭を下げました。


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