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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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子どもたちの学校

 村が焼かれるたび、奪われるのは家や畑だけではありません。


 ――一番簡単に折れてしまうのは、子どもたちの未来なのだと、

 最近ようやく骨の髄まで思い知らされるようになりました。


◆ ◆ ◆


 《灰牙》に襲われた村から戻ったあと、

 数日は、目を閉じるたびにあの光景が蘇りました。


 黒く焦げた井戸、崩れた窯。

 煤けた壁に寄りかかって震えていた子どもたち。

 家を失った大人たちの、途方に暮れた目。


 ――そして。


「……読めねえんだ」


 救援物資の配分や、今後の支援について話し合っている最中、

 ひとりの男が、手の中の紙を握りしめたまま、

 小さくそう呟きました。


「これは、どなたから?」


「商会の者が置いていきました。

  “当面の生活資金の貸付契約書”だそうで」


 そばにいた家臣が答えます。


 男のごつごつした指先には、

 長年の農作業で出来た硬いタコがいくつもありました。


「ここに、名前を書けと言われたのですか?」


「……ああ。

  “難しいことはいいから、ここに印を押せ”って。

  よくしてくれてる商会だから、疑う気もなくてよ……」


 男は情けなさそうに目を伏せました。


「けど、字が読めねえと、

  何に印を押してるのかも分からねえんだなって……

  リヴィア様の前に出てきてから、急に怖くなっちまって」


 紙を受け取り、目を通します。


 綺麗な文字で、整った文面。

 一見すると、丁寧な貸付条件。


 ――ただし、細かい但し書きの中に、

 「不履行の場合は土地の権利を差し出す」旨が、

 巧妙に紛れ込まされていました。


 私は静かに息を吐きました。


「これは、一度こちらで預かりましょう。

  条件は、きちんとこちらからも交渉させていただきます」


「えっ、そんな……!

  でも、文句を言ったら、金を借りられなくなるんじゃ……」


 不安そうな男に、出来るだけ柔らかい笑みを向けます。


「大丈夫ですわ。

  “文字の読めない相手に、不利な条件を隠して契約させる”――

  そういうやり方を、私は見過ごすつもりはありませんもの」


 少し離れたところで、そのやりとりを眺めていたマルコが、

 肩を竦めました。


「ま、嬢ちゃんのいる前でやるには、

  あまりにも芸がねえ手口だな」


「マルコ」


「事実だろ?

  字が読めねえってのは、それだけで“食われる側”になるってこった」


 彼は、焦げた畑の向こうを眺めながら言いました。


「紙に書かれたことが理解できなきゃ、

  税でも借金でも、言われるがままにサインするしかない。

  戦場で刃を向けられるより、よっぽど静かに、確実に削られていくんだぜ」


 静かに、確実に。


 刃物の代わりに、文字と印章で――。


(……戦ったり、守ったりするだけでは、

  この悪循環は終わらないのですね)


 炎に焼かれた家々。

 震える子どもたち。

 読めない契約書を前に立ち尽くす人々。


 目の前の火を消すことも必要です。

 けれど、それだけではまた別の火種が生まれる。


(知ること。学ぶこと。

  その“土台”がなければ――

  どれだけ奇跡で救っても、

  また同じ場所に戻ってきてしまうのかもしれませんわ)


 胸の中に、

 まだ形になりきらない考えが、

 ゆっくりと輪郭を持ち始めていました。


◆ ◆ ◆


「――子どもたちのための“学校”を作りたいのです」


 数日後。

 邸の執務室で、私はレオンとルークに向かってそう告げました。


 書類の束から顔を上げたルークが、

 ぱちりと瞬きをします。


「……学校、でございますか?」


「はい。

  読み書きと、簡単な計算を教える場所です。

  出来れば、子どもたちを中心に」


 レオンは腕を組み、少し考えるように目を細めました。


「突然の提案のようでいて……

  今までの流れを考えれば、当然とも言えますね」


「この前の村で、契約書が読めず困っていた方がいましたでしょう?

  ああいったことが、あそこだけで起きているとは思えませんの」


 私は机の上に広げた地図を指でなぞりました。


「《赤い風》は、貴族や徴税の在り方に怒りを抱いています。

  《灰牙》のような盗賊は、

  飢えや戦の残り火の中から生まれているのでしょう」


「けれど、この辺境で育つ子どもたちが、

  文字を読めて、数を数えられて、

  “何が自分にとって得で、何が損なのか”を自分の頭で考えられるようになれば――」


 言葉を探しながら、ゆっくり続けます。


「少しずつでも、“食われる側だけで終わる人”を減らせるかもしれませんわ」


 ルークが、静かに眼鏡を押し上げました。


「……たしかに、書類仕事をお任せするたび、

  読み書きができる人材の少なさは痛感しておりました」


「ご協力いただけます?」


「もちろんでございます」


 即答でした。


「ただし、場所や人員、費用の手当てなど、

  検討すべき点は山ほどございますが……」


「それなら、順に片付けていきましょう」


 私は微笑みました。


「レオン、騎士団のほうにも、字の読み書きに堪能な方が何人かいらっしゃいましたわよね?」


「ええ。

  元々地方の役人見習いだった者や、

  貴族の次男坊だった者もいます」


 レオンは頷きました。


「彼らを“教師役”として、交代で派遣しましょう。

  訓練だけでは持て余している時間もありますし」


「騎士が先生、ですの……?」


 思わず、少しだけ楽しそうな想像が浮かびました。


 大柄な騎士が小さなチョーク(に相当するもの)を握りしめ、

 板の前で「あ」「い」「う」と書いている姿。


(……ふふ。

  失礼ですわね、わたくし)


 肩を揺らしかけたところで、ノックの音がしました。


「失礼いたします」


 慎ましやかな声。

 教会の神父様です。


「お呼びと伺いましたが……」


「ちょうど、神父様にもご相談したいことがありましたの」


 私は椅子から立ち上がり、向き直りました。


「子どもたちに、読み書きと計算を教える場所を作ろうと思っています。

  その一角を、教会の施設の隣か、

  空いている部屋にお借りできないかと」


 神父様は、少し戸惑ったような顔をなさいました。


「教会は、本来、祈りと礼拝の場でして……」


「承知しておりますわ。

  ですから、礼拝堂そのものを“学校”にするつもりはありません」


 私は、言葉を選びながら続けます。


「ただ、

  “学ぶこと”も、神の望まれることの一部なのではないかと、

  わたくしは思うのです」


「文字を読めるようになれば、

  聖典も、説教で語られる言葉も、

  自分の目で確かめられるようになります」


「噂や曲解に振り回されることも、少しは減るでしょう。

  それはきっと、教会にとっても悪い話ではないはずですわ」


 神父様は、しばし沈黙されました。


 祈りと学び。

 教会の役割と、現実の必要。


 いくつかの思考を行ったり来たりした末に、

 やがて、静かに頷かれます。


「……たしかに。

  “文字を知らぬ信徒”に、

  ただ一方的に言葉を与えるだけという在り方は、

  いつか限界を迎えるでしょう」


「教会の隣室であれば、

  礼拝と学びが、互いに支え合う形になるかもしれません」


 柔らかな笑みが浮かびました。


「わたしも、可能な範囲で手伝わせていただきます。

  字の書き方くらいなら、まだ教えられるつもりですので」


「ありがとうございます、神父様」


 心からの礼を述べました。


◆ ◆ ◆


 場所は、教会隣の空き部屋に決まりました。


 もともとは古い倉庫として使われていた部屋ですが、

 窓を磨き、床を掃き、

 古い机と椅子を集めて並べると――

 不思議と「教室」の顔つきになっていきます。


「ここに黒板を」


 ルークが手際よく板を運び込み、壁に固定していきます。


 侍女たちは、窓辺に簡単なカーテンをかけ、

 子どもたちが座る椅子に布を敷きました。


「リヴィア様、チョークはこちらでよろしいでしょうか」


「ええ、とても書きやすそうですわ」


 試しに、板へと手を伸ばしました。


 ――きゅっ、と軽い音を立てて、白い線が走ります。


 少し考えてから、そこに自分の名前を一文字、書いてみました。


(……あら)


 思ったよりも、わたくしの字は丸く、柔らかい印象になりました。


「かわいい字ですね、リヴィア様」


 すぐ横から、侍女がくすっと笑います。


「かわ……っ。

  いえ、その、

  もう少し凛々しく書きたかったのですけれど」


 子どもに笑われる前に、

 自分で苦笑しておきました。


◆ ◆ ◆


 そして迎えた、初授業の日。


 小さな足音が、教会の前にぱたぱたと集まってきます。


「ほんとに、ここで字を教えてくれるの?」


「タダでいいって……嘘じゃないよね?」


「リヴィア様も来るのかな」


 期待と不安が入り混じった、

 子どもたちのささやき声。


 教室の扉を開けると、

 ぎこちなく立っている若い騎士の姿が目に飛び込んできました。


 整えられた髪、きちんと磨かれた鎧。

 その上から、教会が貸してくれた簡素な上衣を羽織り、

 手には教鞭代わりの棒。


 どう見ても「先生」というより「迷い込んだ真面目な騎士」ですが、

 彼の横に立つ神父様が、

 穏やかな眼差しで場を支えてくれています。


「みなさん、よく来てくれました」


 私は教室の後方から一歩前に出て、声をかけました。


「今日からここは、“字を覚える場所”です。

  上手く書けなくても構いません。

  分からなくても構いません」


「分からないことを“分からない”と言える場所を、

  わたくしは作りたいと思いました」


 子どもたちの目が、順々にこちらを向きます。


「ここで覚えた字は、

  あなたが大人になったとき、

  紙に書かれた約束や、お金の数え方や、

  遠くの国から届いた知らせを、自分の目で確かめるための力になります」


 少し間を置いて、微笑みました。


「だから、どうか――

  今日だけで終わりにせず、

  何度でも通ってきてくださいね」


 ざわ……と小さなざわめきが起きましたが、

 やがて、誰かが小さく「はい」と答えました。


 それを皮切りに、いくつもの「はい」が続きます。


「では、第一回の授業を始めましょう」


 神父様の声と共に、

 騎士先生が、板の前に立ちました。


 ごくり、と喉を鳴らす音が、こちらまで聞こえてきそうです。


「え、えっと……きょ、今日の担当を命じられました、

  ティオと申します」


 その硬さに、

 子どもたちからくすっと笑いが漏れました。


 けれど、それは嘲りではなく、

 少し空気がほぐれた証のように見えます。


「まずは、“あ”という字から始めましょう」


 ぎこちない手つきで、板に一画一画を書いていくティオ。


 その様子を、

 子どもたちは目を丸くして見つめていました。


「これが、“あ”です」


 板の上に並んだ、少し不格好で大きな「あ」。


 教室に置かれた紙と炭筆を手に、

 子どもたちが一斉に書き始めます。


「……むずかしい」


「ここ、こう?」


「丸が大きすぎちゃった」


 私は後ろから、

 一人ひとりの紙を覗き込みました。


 丸が歪んでいる子。

 線が短すぎる子。

 なぜか鏡文字になってしまっている子。


「とても上手ですわ」


 そう声をかけると、

 子どもの頬がぱあっと明るくなります。


「ここを、もう少しだけ伸ばしてみましょうか。

  ほら、“あ”の顔が、少し凛々しくなりましたわ」


「ほんとだ!」


 隣の席の子が覗き込んで感嘆の声をあげます。


「ねえ、リヴィア様」


 一人の少女が、紙を持ち上げました。


 そこには拙いながらも、はっきりとした文字で、

 自分の名前が書かれています。


「わたしの名前、ちゃんと書けてますか?」


「ええ。

  とても、誇らしげに見えますわ」


 少女は照れくさそうに笑い、

 紙を胸に抱きしめました。


 教室の隅では、

 別の子どもが神父様に尋ねています。


「字が読めたら、遠くの国のことも分かるの?」


「そうですね。

  遠くの国で書かれた物語や、

  そこから届く手紙も、読めるようになるでしょう」


「へえ……」


 小さな溜め息と共に、

 目がきらりと光りました。


「大人になっても、ここに来ていい?」


「もちろんです。

  学ぶのに、遅すぎるということはありませんから」


 神父様の答えに、

 一瞬、教室の空気が少しだけ温度を上げた気がしました。


 板には、少しずつ文字が増えていきます。


 あ、い、う。


 1、2、3。


 そこに書かれた線は、

 巨大な魔法陣のように世界を変える力も、

 精霊王を呼び出す効力も持っていません。


 けれど、

 この子たちが十年後、二十年後に、

 誰かから差し出された紙を前にして立ち尽くさずに済むなら。


 噂ではなく、自分の目で確かめ、考え、選べるようになるのなら。


(――これは、

  わたくしの奇跡の“使い道”の一つなのかもしれませんわね)


 戦場で光を降らせることだけが、

 奇跡ではない。


 荒れた畑を癒やすことだけが、

 救いではない。


 ここで今、生まれたばかりの拙い「あ」の一文字が、

 いつか誰かの人生を守る盾になるのなら――

 それは、きっと奇跡と呼んでもいいはずです。


「リヴィア様」


 そっと袖が引かれました。


 先ほど名前を書いていた少女が、

 今度は別の紙を差し出しています。


 そこには、不揃いの線で、

 ゆっくりと時間をかけたことが分かる文字が並んでいました。


『りゔぃあさま』


 少し間違えた音も混ざっているその文字列は、

 どうしようもなく愛おしく見えました。


「……素敵な贈り物ですわね」


 思わず、胸のあたりがじんと熱くなります。


「これ、取っておいても?」


「うん!」


 少女は、満足そうに笑いました。


◆ ◆ ◆


 授業が終わる頃には、

 子どもたちの指先は真っ黒になっていました。


 それでも、

 小さな手の中には、それぞれの紙がしっかり握られています。


 自分の名前。

 今日初めて書けた文字。

 ぎこちない数字の1から3。


「奇跡は、一瞬で世界を変えられるかもしれません」


 教室から出ていく子どもたちの背を見送りながら、

 私は心の中で言葉を紡ぎました。


「でも、学ぶことは――

  その“変わった世界”で、生き続ける力をくれるのだと思いますわ」


 《赤い風》も、《灰牙》も、

 おそらく明日から突然姿を消してはくれないでしょう。


 それでも。


 ここで、

 拙い文字をなぞる子どもたちが一人、また一人と増えていくなら――


 いつかこの辺境のどこかで、

 誰かが搾取されそうになったとき、

 その紙をじっと見つめて「おかしい」と気づく人が、

 必ず現れる。


 そう信じたくなるのです。


「……さて」


 板の隅に残された自分の丸い字を見上げ、

 思わず小さく苦笑しました。


「教師役の方々に負けないよう、

  わたくしも字を練習しておかなくてはなりませんわね」


 今度、こっそりと、

 もう少し凛々しい“リヴィア”の書き方を試してみましょう。


 そんなささやかな目標を胸の片隅に抱きながら、

 私は新しく生まれた「子どもたちの学校」の扉を、

 そっと閉めました。


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