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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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揺れる馬車と、ぎこちない会話

 王都の城壁が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 小さな窓から見える景色は、さっきまで私の「生活」だった場所だ。

 屋根の色、煙突から上がる朝の煙、もう見えなくなりかけている屋敷の尖塔。


 ……思ったより、あっけないのね。


 そう心の中で呟いてから、私は窓から目を離した。


 向かいの座席には、レオン様が座っている。

 背筋をまっすぐに伸ばし、わずかに窓から離れた位置で、揺れに合わせて静かに体を支えている。


 甲冑は旅用に簡素なものに変えているとはいえ、その存在感は変わらない。

 剣の柄が膝の横で静かに揺れ、磨かれた鞘に朝の光が淡く反射していた。


 ……沈黙というのは、ときに剣戟よりも、心臓に悪いものですわね。


 馬車の中に響くのは、車輪が石を踏む音と、時折きしむ木の軋み。

 レオン様は、私が「話してください」と言わない限り、一言も発さなさそうな顔をしている。


(何か……何か話題……)


 とはいえ、近衛騎士として名高い方に、いきなり「昨日はよく眠れましたか?」と聞くのも、どうかと思う。


 趣味は? 好きな食べ物は? ――尋ねてみたいことは、ないわけではない。

 けれど、こういう場で聞くには、どれも少し軽すぎる気がした。


 結局、私の口から出てきたのは。


「……揺れますわね」


 自分でも信じられないほど、当たり障りのない一言だった。


 レオン様が、ほんの少しだけ瞬きをする。


「申し訳ございません。

 王都を離れると、どうしても路面の整備が行き届かず……」


「いえ、責めているわけではありませんの。

 ただ……王都と、たった数刻離れただけで、こんなに違うものなのだと」


 窓の外を指さす。

 石畳はもう途切れ、土の道が続いている。

 車輪が刻んだ轍が深く残り、道の端には、しばらく人の手が入っていないことを示すように雑草が伸びていた。


「ここも、私の国なのに……どうして、こんなに荒れているのかしら」


 思わず、独り言のように零れていた。


 田畑らしき土地は、ところどころ手入れされている。

 けれど、放棄された区画も目につく。

 崩れかけた小屋、傾いた柵。

 遠くに見える小さな集落の煙は、心持ち薄い気がした。


(これが当たり前になってしまうことこそが、きっと罪なのね)


 見なかったふりをして通り過ぎることもできる。

 「王都から遠いから」「仕方ない」と片づけることも、できなくはない。


 でも――。


 このまま放置することこそが、きっと一番の罪だ。


 胸のどこかが、じりじりと熱を帯びる。


「……大丈夫ですか、リヴィア様」


 気づけば、レオン様がわずかに身を乗り出していた。


「お顔の色が、少し」


「考えごとをしていただけですわ。ご心配なく」


 私は首を振り、小さな笑みを作る。


「戻る場所がなくても、進むしかないのですもの。

 道が悪いのは、辺境のせいではなく……きっと、これから私が少しずつ直していくべき課題なのでしょう」


 そう言うと、レオン様の灰色の瞳が一瞬だけ柔らかくなった。


 けれど彼は、いつものように端的に答えるだけだ。


「我々も、お力になります」


 そこで、また沈黙。


(……やっぱり、心臓に悪いですわね)


 今度こそ何か話題を、と自分に鞭打つ。


 少し迷ってから、以前から気になっていたことを口にした。


「レオン様」


「はい」


「レオン様は、どうして辺境行きをお受けになったのですか?」


 彼の目が、わずかに細められる。


 問いかけた瞬間、自分でも「あ、少し踏み込みすぎたかしら」と思った。

 けれど、聞いてしまったものは仕方がない。


 レオン様は、窓の外に一度だけ視線を向け、短く答えた。


「……命じられたからです。それだけです」


 近衛騎士なら、それで十分なのだろう。

 命じられた任務を遂行する。それだけ。


 でも――それだけで、王都を離れ、出世の道を自ら手放すだろうか。


(会話が、死んでしまいますわね)


 内心で頭を抱えつつ、私は少しだけ食い下がることにした。


「王都に残る選択肢も、あったのではなくて?」


 近衛騎士団に残る、別の任地を願い出る。

 上手く立ち回れば、そういう道もあったはずだ。


 だからこそ、彼があえて「辺境行き」という選択肢を取った理由が、気になってしまう。


 レオン様は、短く息を吐いた。


 答えるべきかどうか、迷っている気配が伝わってくる。

 沈黙が、また胸を締め付ける。


(ああ、沈黙。ほんとうに剣戟よりも心臓に悪い)


 やがて、彼はぽつりと言った。


「……王都には、守るべきものが、もうあまり残っていませんでしたから」


 窓の外を見たままの横顔は、表情こそ変わらない。

 けれど、その言葉の裏にあるものは、決して軽くない。


 何が、あったのだろう。


 家族か、友か。

 あるいは、守れなかった誰かか。


 そのどれであっても、おかしくはない。


 喉まで出かかった問いを、私は飲み込んだ。


 知りたい。

 でも、今ここで踏み込むことは、きっと違う。


(彼にも、守りたい距離感があるのでしょう)


 沈黙を不機嫌だと決めつけるのは簡単だ。

 けれど、それはきっと、彼の誠実さを侮ることになる。


「そう、ですか」


 私はそれだけを返し、ふっと微笑んだ。


「では、これからは――

 グラウベルクで守るべきものを、一緒に増やしていきましょう」


 レオン様が、驚いたようにこちらを見る。


「……はい」


 短く、それだけ。

 けれど、その声音には、ほんの少しだけ温度が宿っていた。


◇ ◇ ◇


 昼を少し過ぎた頃、馬車は一段と道の悪い区間に入った。


 窓の外には、畑と荒れ地がまだら模様に広がっている。

 ところどころに、倒れかけた柵や壊れた荷車が放置されていた。


「レオン様。

 あの村は、普段からこうなのかしら」


 遠くに見えた小さな集落を指さすと、彼は一瞥して答える。


「詳しくは現地で確認せねばなりませんが……

 王都への納税が苦しく、維持できなくなった村も多いと聞きます」


 胸が、またじりじりと燃える。

 怒りとも、悔しさともつかない感情。


「ここも、私の国なのに」


 思わず零れた言葉に、レオン様は何も足さなかった。

 ただ、真面目な顔で頷いた。


 そのときだった。


 ガタンッ――。


「きゃっ――」


 突然、馬車が大きく跳ね上がった。

 車輪がかなり大きな石を踏んだのだろう。

 座席が思いきり傾き、そのまま私は前のめりに滑り出す。


「リヴィア様!」


 視界がぐらりと揺れて、次の瞬間――

 固い、けれど温かい何かに、額を思いきりぶつけた。


「いっ……!」


 鈍い痛み。

 鼻先には革と金属と、彼の身体の匂い。


 ようやく状況を理解したときには、私は完全にレオン様の胸元に倒れ込んでいた。

 額は彼の胸当てに、手はその肩に。

 そして、なぜか腰は――彼の膝の上に乗っている。


(ああああああああ)


 頭の中で、誰もいない王都の広場に悲鳴を響かせたい気分だった。


「申し訳……っ、ご、ごめんなさい!」


 慌てて体を離そうとすると、今度は揺れがぶり返して、余計に距離がうまく取れない。

 レオン様の腕が反射的に、私の腰を支えかけ――途中で、はっとしたように宙で止まった。


「お、お怪我は……? 額を、かなり強く」


「だ、大丈夫ですわ! 少しぶつけただけで――いだっ」


 頭を下げようとした拍子に、再び胸当てに額をぶつける。

 二度目の衝撃が、涙腺を直撃した。


(痛い……恥ずかしい……死にたい)


 耳の奥まで熱くなっていく。

 きっと顔は真っ赤どころではない。


「す、すみません、私がもっと早く支えていれば――」


「い、いえ! これ以上お互いを責めたら、馬車の中に穴が開きますわ!」


 半ば錯乱気味に言ってしまい、余計に恥ずかしくなる。


 ようやく揺れが収まり、私はなんとか自分の席に座り直した。

 少しの間、額を押さえて目を閉じる。


「……だ、大変失礼いたしました」


 レオン様の声も、珍しくわずかに上ずっている。

 耳まで赤くなっているのが、横目に見えた。


 なんでしょう、この空気。


(沈黙より重い沈黙って、あるんですのね)


 このままでは、本当に穴があきそうだ。


 私は無理やり口を開いた。


「道が悪いのは、辺境のせいでしょうか、それとも私の運のせいでしょうか」


 我ながら苦しい冗談だが、何も言わないよりはましだ。


 レオン様は一瞬ぽかんとして、それからほんの少しだけ口元を緩めた。


「……少なくとも、リヴィア様の運のせいではないかと」


「そう言っていただけると助かりますわ」


 ふう、と息を吐く。


 少し間を置いて、私は顔を伏せたまま付け足した。


「さっきのことは……その。

 忘れてくださいね」


 胸元に倒れ込んで、膝の上に乗って、二度も額をぶつけて。

 そんな一連の醜態は、記憶の海に沈めてしまっていただきたい。


 しかし。


「……忘れるのは、難しいかもしれません」


 とても真面目な声音で、そんなことを言われてしまった。


「~~~~っ」


 顔から火が出そうになるのを、私は窓の外に視線を投げて誤魔化した。


 レオン様も、自分で言ってから気づいたらしく、咳払いを一つして目を逸らす。


 馬車の中に、先ほどまでとは少し違う種類の沈黙が降りた。


 気まずさと、可笑しさと、とても言葉にはならない何か。

 それらがぐるぐると混ざり合って、胸の奥で静かに回り続ける。


(……本当に、どうしましょうね)


 けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 王都の舞踏会で一度だけ踊った無口な近衛騎士が、

 今、こうして私の目の前で耳まで赤くしながら座っている。


 王都には、もう守るべきものがあまり残っていない、と言った人が。


 これから向かう先で、私と一緒に「守るべきもの」を増やしていく――かもしれない人が。


 揺れる馬車の中で、私は額の痛みをさすりながら、そっと前を向いた。


 窓の外には、まだ荒れた道が続いている。

 でも、その先にあるものを、自分の手で変えられるかもしれないのだとしたら。


 沈黙も、恥ずかしいハプニングも。

 きっと、その途中にある小さな「揺れ」の一つに過ぎないのだろう。


 そんなふうに考えてしまう自分に、私は小さく苦笑した。


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