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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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盗賊団《灰牙》

 《赤い風》の噂が辺境に吹き始めてから、

 そう間を置かずに、もう一つの名が頻繁に耳に入るようになりました。


 ――盗賊団《灰牙》。


 名そのものは、ずっと前から知っていました。

 旅人や商隊を狙う盗賊として、辺境では忌み名に近い存在です。


 けれど最近、マルコやレオンの口に上るその名は、

 以前よりもずっと重く、鋭く、冷たい響きを帯びていました。


◆ ◆ ◆


「……《赤い風》と違ってな」


 集いの家の片隅、帳簿を前に腰を下ろしたマルコが、

 いつもの軽口を封じた声で言いました。


「あいつら《灰牙》は、筋の通ったゲリラなんかじゃねえ。

 ただの獣だ」


 彼の横顔は、珍しく笑っていません。


「獣、ですの?」


「村を丸ごと焼く。

 女や子どもも容赦なし。

 通りがかった旅人は、皆殺し――

 荷だけいただいて、死体はそのまま、だ」


 言葉の端々に、どろりとした嫌悪が滲んでいました。


「“民のため”だの“裁き”だの、

  小難しい標語を掲げる気もねえ。

 ただ、奪って、壊して、笑ってやがる」


 マルコは、指先でテーブルを軽く叩きました。


「嬢ちゃん。《赤い風》のカタリナのほうが、よほど話が通じる。

 《灰牙》はな……救いようがねえ」


 その言葉は、決して誇張だけではないのでしょう。


 そこへ、部屋の扉が叩かれました。


「リヴィア様」


 レオンの声です。


「先ほど、北西の村から飛脚が参りました。

  《灰牙》による襲撃らしき痕跡が見つかったと」


 ほんの一瞬、胸がきゅっと縮まりました。


「被害は?」


「簡単な文面では、“多数の家屋焼失、行方不明数名”と。

  詳細は不明です」


 私は深く息を吸い込み、吐き出しました。


「……現場を、見に行きますわ」


 レオンの瞳が、わずかに揺れました。


「危険です。

  すでに奴らが去ったあととはいえ、痕跡が残っているかもしれません」


「だからこそ、ですわ」


 私は立ち上がりました。


「見ないまま“許しがたい悪”と決めつけるのは、簡単です。

 けれど、この目で、

  “ここには確かに人の生活があった”と確認しておきたいのです」


「…………」


 短い沈黙のあと、レオンは静かに頷きました。


「準備をいたします」


◆ ◆ ◆


 襲われた村は、領都から馬で半日ほどの場所にありました。


 近づくにつれ、鼻腔を刺す匂いが変わっていきます。


 乾いた土と草の匂いに混じって、

 何かが焦げた、鼻の奥をざらつかせる匂い。


 焼きたてのパンのような温もりのある香りではなく、

 もっと刺々しく、ひりつく煙の残り香です。


「……ここから先ですね」


 レオンが手綱を引き、歩調を落としました。


 村の入り口に立つ木の柵は、

 半分が黒く炭になり、半分が辛うじて形をとどめていました。


 中に足を踏み入れた瞬間、

 胸の奥が、ずしりと沈む感覚に襲われました。


 井戸の上にあった小屋の屋根は、黒焦げに崩れ、

 吊るしてあったはずの桶は、溶けた鉄のように歪んで転がっています。


 パンを焼いていたのであろう石窯は、

 片側が崩れ落ち、内部は真っ黒に固まっていました。

 そこには昨日まで、きっと温かい香りが満ちていたのでしょう。


 灰と煤が風に舞い、

 踏みしめるたびに、足元でぱさりと音を立てます。


「リヴィア様!」


 かろうじて残った家の影から、

 村の男が一人、ふらつく足取りで駆け寄ってきました。


 腕には包帯、顔には火傷の跡。

 片目は布で覆われています。


「ご無事で……よく、来てくださいました……!」


「状況を教えてください」


 私は馬を降り、男の目線に合わせて立ちました。


「怪我人は? 行方不明者は?」


「怪我人が十数名。

  行方の分からない者が……子どもを含め、五名ほど」


 言葉を絞り出すようにして、彼は続けました。


「やつらは……何も言わずに来たんです。

  笑いながら、火をつけて……」


 喉の奥で、何かが詰まったように、言葉が途切れました。


「私どもは、抵抗する間もなく……

  火の回りが早すぎて……」


 別の場所から、しゃくりあげる小さな声が聞こえました。


 視線を向けると、

 崩れかけた物置きの陰に、

 小さな子どもが三人、身を寄せ合って座っています。


 ひとりはこちらを見つめたまま、

 硬く握った手を膝の上に置きっぱなしにしていました。


「レオン。治療が必要な方たちを」


「はい。

  同行した治療師をこちらへ」


 彼が手早く部下に指示を出し、

 怪我人のもとへ人が走っていきます。


 私は焼け残った家々の間を、ゆっくりと歩きました。


 玄関の前で黒く固まった靴。

 庭には、焼け焦げた木の玩具。

 倒れた机の上に、半分焦げた布と、

 そこに刺繍されかけていた名前。


 ここには確かに、

 誰かの「今日」があって、

 「明日」があるはずでした。


 それが、ある夜、

 突然、笑い声と炎に奪われた。


「……《灰牙》は、何か叫んでいましたか?」


 私は先ほどの男に尋ねました。


 彼はしばらく、遠いものを見るような目をしていましたが、

 やがてぽつりと答えました。


「“逃げるなら勝手にしろ”と。

  “見逃してやるのは、俺たちが気分がいいからだ”と……」


「“民のため”とか、“裁き”とかは?」


 男は首を振りました。


「そんな言葉は、一つも」


 ただの、嘲りと、

 炎のはぜる音だけ。


◆ ◆ ◆


 私は、崩れかかった塀の影に座り込んでいる子どもたちのそばへ行きました。


「――こんにちは」


 出来るだけ柔らかい声を心がけます。


 こちらをじっと見ていた子が、

 ぎゅっと唇を噛みしめていました。


「あなたが、リヴィア様……?」


「ええ。

  辺境を預かっている者ですわ」


 そう名乗ると、その子がふらふらと立ち上がり、

 私の手をぎゅっと握りました。


 小さな手は、冷たく、震えていました。


「……もう、来ない?」


 か細い声で、そう問われました。


「《灰牙》のこと?」


 こくり、と小さな頷き。


 私は、握られた手をそっと包みました。


「――出来る限り、来させないようにしますわ」


 それは、約束というには頼りない言葉かもしれません。


 けれど、今の私に言える精一杯の「真実」です。


「すぐに、別の場所に安全な寝床を用意します。

  今日は、そこで休んでくださいね」


「……うん」


 小さな手は、そのまま離してくれませんでした。

 私は片手だけでスカートの裾を押さえつつ、

 村のあちこちを見て回る羽目になりましたが――

 その重みを、煩わしいとは、どうしても思えませんでした。


◆ ◆ ◆


 焼け跡を見回りながら、

 胸の内側がざらつくような感覚に包まれていました。


(《赤い風》――カタリナたちのやり方は、認められません)


 領主の倉庫を狙い、

 税の帳簿を焼き、

 「民のため」と叫ぶ彼ら。


 それでも、その背後には、

 長い飢えや搾取への怒りがあるのだろうと、

 私は想像してしまいます。


(では、この盗賊たちの背後には、何があるのでしょう)


 飢え。

 貧しさ。

 戦で帰る場所を失った兵士。


 そこから、いつの間にか、

 ただの暴力へと変質してしまう瞬間。


 ――それでも、許されるわけではないのに。


「リヴィア様」


 レオンが隣に立ちました。

 握られた手を見て、小さく目を細めます。


「たとえ彼らにも事情があったとしても、

  今この瞬間、彼らは“止めなければならない脅威”です」


 その声は、冷たくはありませんでした。

 ただ、静かに事実だけを見据えています。


「情状が、彼らの背後にどれほどあったとしても、

  この光景を、他の村に広げさせるわけにはいかない」


「……そうですわね」


 私は焼けた石窯を見つめました。


 固まった黒い壁の内側に、

 まだかすかに、小麦と灰の混ざった匂いが残っています。


「それでも、どこかで、

  “彼らにも事情があったのかもしれない”と考えてしまう自分がいます」


 ぽつりと、心の奥の声が漏れました。


「けれど――」


 私は続けます。


「事情があったからといって、

  許されることではありませんわね」


 この村にあった「今日」は、もう戻りません。


 焦げた玩具も、

 名前の刺繍しかけだった布も。


 そこに座るはずだった人たちも。


「……いずれ、この盗賊団に対しては」


 握られた小さな手に、そっと力を込めました。


「迷わず刃を向ける時が来るのだと思います」


 それは、

 私が一番、口にしたくなかった言葉でした。


 誰かを「救う価値がない」と切り捨てること。

 誰かを「止めなければならない悪」と断じること。


 その線を引くのは、

 本当は、出来ることなら、したくありませんでした。


 けれど、目の前に広がる黒い痕跡が、

 それを許してはくれません。


「二度と、同じ光景を増やさないために」


 私は、焼けた村全体を見渡しました。


 黒く煤けた地面にも、

 ところどころに、まだ芽吹ききらない草の緑が顔を出しています。


「……ごめんなさいね」


 誰に向けたものか分からない言葉が、

 唇からこぼれました。


 救えなかった人たちへか。

 これから刃を向けることになるであろう者たちへか。

 それとも、自分自身へか。


「リヴィア様」


 レオンが、そっと囁きました。


「子どもたちの前では、泣かないほうがよろしいですよ」


 はっとして、私は目元に手をやりました。

 指先が、うっすらと濡れていました。


「……気づかれていましたのね」


「ええ。いつもより、少しだけ声が震えておられました」


「そうでしたか。

  せめて、馬に乗るまで気づかれないと思っていたのですけれど」


 苦笑をこぼしながら、

 私は握られた小さな手を見下ろしました。


「……もう少しだけ、このままでいていいかしら」


「もちろんです」


 子どもの手は、まだ離れる気配を見せません。


 この村で、今日を生き延びた小さな命。

 その重みを、私はしっかりと掌に感じながら、

 焼け跡の中を、もう一度、ゆっくりと歩き始めました。


 ――《灰牙》。


 いつか必ず、その名を、

 終わりの印として刻む日が来る。


 その時、私はきっと迷わずに、

 刃を向けるのでしょう。


 そう決意せざるを得ないほどに、

 この村に残された「痕跡」は、あまりにもあからさまでした。


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