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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第3章_愛と怒りと、歌えば国が揺らぐ夜
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南方からの視線

 セラフィア王国からの使節団が正式に到着するのは、まだ少し先――のはずでした。


 けれど、その前触れのようにやってきた「一人の客人」は、予想していたよりもずっと早く、そして静かに、邸の門をくぐったのです。


◆ ◆ ◆


「セラフィア王国宮廷魔導師、リュシアン・フォルティエ殿がお見えです」


 玄関ホールで待っていた私の前に、執事のルークが恭しく告げました。


 その名を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに強く打ちます。


 ――宮廷魔導師。

 それも、「王に近い立場」と王都からの追加の報せには書かれていました。


 つまり、正式な使節団よりも先に、

 “魔導の専門家”を偵察として送り込んできた、ということなのでしょう。


「お通しして」


 穏やかに頷いて返し、私は視線を玄関扉へ向けました。


 ほどなく扉が開き、外の光の中から、一人の人物が姿を現します。


 淡い灰色のローブが、さらりと石の床を撫でました。

 装飾は控えめで、金糸の刺繍が裾と袖に細く走っているだけ。

 けれど、布の質と織りの細かさが、ささやくように「一流」であることを伝えてきます。


 顔を上げたその人は――少し、私の想像と違っていました。


 年の頃は、私より少し上でしょうか。

 目元や頬の線はどこか中性的で、柔らかな印象さえあるのに、

 淡い青灰の瞳だけが、やけに静かに、こちらを測るように光っています。


 涼しげな顔立ち。

 けれど、その目だけは、炎ではなく氷の温度で物事を見ているタイプ。


(……ああ、なるほど。研究者の目ですわね、これは)


 内心でため息をつきつつも、私は笑みを浮かべました。


「ようこそおいでくださいました。

  グラウベルク公爵家のリヴィア・フォン・グラウベルクと申します」


 私が名乗ると、彼は一瞬だけ目を細め、その口元に控えめな笑みを浮かべました。


「お噂は、南方まで届いております。

  セラフィア王国宮廷魔導師、リュシアン・フォルティエと申します、公爵令嬢殿」


 声は低すぎず、高すぎず。

 落ち着いた響きの中に、僅かな揶揄と好奇心が混ざっているように感じられます。


 彼は胸に抱えていた包みを、私のほうへと差し出しました。


「ささやかながら、我が国からの友好の証を。

  長旅で埃をかぶってしまいましたが……中身は、そこそこ価値のあるものです」


 控えめに笑いながら言うその仕草は、どこか飄々としていて、

 「魔導大国の宮廷魔導師」という堅苦しい肩書きから受ける印象とは少し違っていました。


 ルークが受け取って包みを開くと、中から現れたのは――。


「……魔導書、ですわね」


 分厚い革表紙の本が二冊。

 それから、細長い箱に入った香。

 そして掌に乗るほどの、小さな透明な球状の魔道具。


「セラフィア式基礎魔術理論の入門書と、

  いくつかの応用事例をまとめた論考です。

  それから、南方でよく使われる鎮静の香り。

  ……お目汚しでなければ」


 リュシアンはさらりと言いながら、私の表情を観察しているようでした。


 ――正直に申し上げますと。


(……単純に、少しワクワクしますわね)


 古い本の匂い。

 革表紙の手触り。

 未知の理論が詰まっているであろうページの重み。


 魔導書というものは、危険な誘惑の塊のようなものです。


 私がほんの少しだけ目を輝かせてしまったのを、我ながら自覚しました。

 慌てて表情を引き締めます。


「貴重なものをありがとうございます。

  辺境の書庫ではなかなか触れられない類の書物ですわ」


「それは光栄です。

  “奇跡の公爵令嬢”殿に、少しでも楽しんでいただけるなら」


 その呼び名に、喉の奥がぴくりと引きつりました。


 けれど、顔には出しません。


「……できましたら、その呼び名は、あまり大きな声ではお使いにならないでいただけると助かります」


「それは失礼」


 リュシアンは片手を胸に当て、軽く頭を下げました。

 謝罪の仕草もまた、妙に様になっています。


(慣れているのですね、人の懐に半歩だけ踏み込むやり方に)


 そう思いながら、私は彼を邸の応接室へと案内しました。


◆ ◆ ◆


 応接室には、既にお茶の用意が整えられていました。


 香りの良い紅茶と、焼き菓子。

 南方から贈られた香を焚くのは、さすがに「まだ早い」気がして、今日は控えました。


「長旅でお疲れでしょう。

  まずはおくつろぎくださいませ」


「お気遣い痛み入ります」


 リュシアンは椅子に腰を下ろし、カップを手に取ると、

 一口だけ味わってから、ゆるやかに息を吐きました。


「……良いお茶ですね。

  南方のものとは違う香りですが、これはこれで落ち着きます」


「こちらの茶葉は、北方との交易品ですの。

  セラフィアのものほど香りは強くありませんけれど、

  馴染むと、ほっといたしますわ」


「なるほど」


 彼はそんなやりとりを楽しむように微笑みながら、

 しかし視線だけは、カップの縁越しに私の方を見ていました。


「さて、公爵令嬢殿」


「リヴィアで構いませんわ。

  そうでなければ、こちらも“リュシアン殿”と呼び続けなければなりません」


「それはそれで嫌いではありませんが……では、遠慮なく。リヴィア様」


 呼び方を一つ変えるだけで、距離感が半歩だけ近づいた気がします。

 彼はそれを計算してやっているのでしょうか。それとも、自然とそうなってしまう人なのか。


 どちらにせよ、油断してよい相手ではないことだけは、はっきりしていました。


「先ほどは、書簡という固い形でのご挨拶でしたので」


 リュシアンはカップを置き、指先を組みます。


「こうして直接お目にかかれたついでに、

  少しだけ――魔導について、言葉を交わさせていただければと思いまして」


「“ついで”というには、主題の匂いがいたしますけれど」


「お気づきでしたか」


 悪びれもせずに笑うその顔は、

 正直に言えば、少しだけ楽しそうでした。


「セラフィアと貴国とでは、魔術体系がだいぶ異なります。

  特に、“精霊”という存在との関わり方が」


「そちらでは、精霊とはどのように扱われているのかしら」


「基本的には、“力の源としての自然法則”に近いですね。

  契約というよりは、法則の一部を切り取って利用する感覚です」


「では、人格を持つ存在としては扱っておられない?」


「伝承上は色々と語られていますが、

  実務としては、“人格の有無を議論している暇があれば、

  成功率の高い術式を組んだほうが早い”という立場が主流です」


 彼は肩をすくめて言いました。


「その点、貴国の“精霊魔法”は興味深い。

  力の源が“意志を持つ存在”であると前提して構築されている。

  しかも――」


「“精霊王”という、非常に機嫌と気まぐれに左右される存在に、

  あちこちの安全が揺さぶられる仕組みですわね」


 思わず口を挟むと、リュシアンの唇がわずかに吊り上がりました。


「やはり、実感されているご様子だ」


「ええ。身をもって」


 病村で。王都で。辺境で。

 私の祈りに応じたものも、応じなかったものも。

 目の前で救えた命も、届かなかった命も。


「セラフィアでは、“奇跡”という言葉はどのように使われますの?」


「そうですね……」


 リュシアンは少しだけ考える素振りを見せました。


「我が国の場合、“再現性の低い成功例”に対して使うことが多いでしょうか。

  理論上はあり得るが、条件が厳しすぎてほとんど起きない――

  そういう事象を、皮肉半分、敬意半分で“奇跡”と呼ぶことがあります」


「皮肉半分、というところが、いかにもですわね」


「魔導師は、あまり素直に何かを信じ込む職ではありませんから」


 それには同意せざるを得ません。


「ですから、あなたが貴国で行われた一連の“奇跡”についても、

  私はただ“神秘的な出来事”として見るつもりはありません」


 青灰の瞳が、少しだけ細められます。


「どのような条件で、

  どのような代償を払い、

  どのような安全装置のもとで行われているのか」


「まるで実験計画書ですわね」


「ええ。研究者としましては」


 彼はそこで言葉を切り、ふと微笑みました。


「とはいえ、いきなり“病村規模の再現”をお願いするつもりはありません。

  私の命がいくつあっても足りませんからね」


「それはお互いのためにもご遠慮いただきたいところですわ」


「そこで、一つ。

  非常にささやかな、実験と言うのも憚られる程度の――“遊び”はいかがでしょう」


 そう言って、彼は懐から小さなガラス細工のような魔道具を取り出しました。

 透明な球の中央には、淡い水色の輝きが揺れています。


「セラフィアで使われている、ごく一般的な“水の核”です。

  水属性の術者なら誰でも扱える程度のもの」


 彼は、核を指先で軽く弾きました。

 次の瞬間、私たちの間の空間に、手のひら大の水球がふわりと浮かびます。


 部屋の灯りを受けて、球の内側で光が揺れた。


 それは確かに、派手ではありません。

 けれど、魔力の質と制御の滑らかさが一目で分かる程度には、完成度の高い術でした。


「よろしければ、これを――“こちらのやり方”で制御してみていただけませんか」


 リュシアンは、水球から手を離し、私の方へと視線を向けます。


「もちろん、この場を水浸しにする意図はありませんので、

  過度な出力はご遠慮いただければ」


「水浸しになさりたいのなら、先に警告をお願いしますわ。

  書類が台無しになりますもの」


 軽く返しながらも、私は心の中で息を整えました。


 ――さて。


 ここで大げさな力を見せるべきではありません。

 かといって、あまりに稚拙な制御をして、「実は大したことはない」と誤解されるのも面倒です。


 “辺境の公爵令嬢”として、

  “精霊王の寵愛を受けた危険物”としてではなく。


 そのあたりの、ぎりぎりの線を歩く必要があります。


 私は指先を軽く上げ、浮かんでいる水球のほうへと意識を向けました。


 ――水の精霊たち。

 これは私のものではなく、彼らの領分。

 けれど、少しだけ、その表面を撫でさせてもらう。


 詠唱は要りません。

 この程度なら、意識を触れさせるだけで十分です。


 水球の表面が、ぴん、と張った気配がしました。

 揺れていた光が静まり、球の形がくっきりと整います。


 私は、そっと手のひらを返しました。

 水球がそれに合わせて、私の指先の上までふわりと降りてきます。


 応接室の中の空気が、少しだけ冷たくなりました。

 水球の表面に、うっすらと霜のような薄膜が走り、すぐに消えます。


「……温度、圧力、形状。

  すべて、一瞬だけ変化させて、すぐ元に戻した。

  消費魔力は……ほとんど感じられませんね」


 リュシアンの声が、どこか興奮を含んで低くなりました。


「こちらの水の精霊は、お行儀がよろしいのです。

  あまり騒がなければ、必要以上に暴れたりはいたしませんわ」


 私は微笑みながら、水球をそっと消しました。

 水滴ひとつ残らず、空気の中に溶けていきます。


「……ありがとうございます。

  なるほど、“こちらのやり方”が、少しだけ見えました」


 リュシアンは素直にそう言いましたが、

 その目は「見えた部分」に満足しているというより、

 「見せられていない部分」の存在を確信した者の目でした。


(ええ、そのとおりですわ。

  ここで全部お見せするほど、私はお人好しではありませんもの)


 心の中でだけ毒づきながら、私はお茶に口をつけました。


「ひとつ、お伺いしてもよろしいですか、リヴィア様」


「どうぞ」


「あなたは、“精霊王”とどのような契約を結んでおられるのです?」


 やはり、そこに来ますか。


「契約、というほど立派なものではありませんわ」


 私はカップを置き、指先を組みました。


「ただ、私が“こうしたい”と願ったときに、

  あちらが“面白い”と思えば応じてくださって、

  “退屈だ”と思えば黙って見ている――

  その程度の関係です」


「それは……」


 リュシアンは少しだけ、言葉を探すように視線をさまよわせました。


「かなり危うい関係に聞こえますね」


「ええ。私もそう思っております」


 そこは否定しません。


「だからこそ、あまり頼りすぎないように気をつけているつもりです。

  祈り続ければ何でもしてもらえる、と勘違いしてしまえば、

  きっとどこかで手痛いしっぺ返しをいただきますから」


「――奇跡に対して、ずいぶん冷静なご理解だ」


 リュシアンは、興味深そうに私を見ました。


「我が国の教会関係者に聞かせて差し上げたいくらいですね。

  “奇跡には代償がある”と分かっていながら、

  それでも求めずにいられない人たちも多いので」


「こちらにも、そういう方々はいらっしゃいますわ」


 私は少しだけ視線を落としました。


「奇跡を信じて、すがって、それでも届かなかった人たち。

  “見放された”と感じてしまった人たちも」


「……“見放された者”」


 リュシアンの目が、わずかに細くなります。


「噂で聞きました。

  あなたの領地には、そう呼ばれる人たちがいる、と」


「噂好きな風は、南方までよく吹きますのね」


「風が運ぶのは噂だけではありません。

  時に、火種も運びます」


 彼の言葉は、どこか警告めいていました。


「あなたは、そうした人たちのために“居場所”を作っておられるとか」


「神に見放されたと感じる人も、

  精霊に嫌われたと怯える人も、

  どちらでもない人も」


 私は静かに答えます。


「どちらにせよ、“今日生きる場所”が必要ですから。

  奇跡があってもなくても、お腹は空きますもの」


 しばしの沈黙。


 やがてリュシアンは、ふっと口元を緩めました。


「……あなたは、魔導師ではありませんね」


「ええ。私は辺境の公爵令嬢ですわ」


「だからこそ、かもしれません」


 彼は椅子の背にもたれ、天井を仰ぐように視線を逸らしました。


「あなたのような人が、魔導の中心に座っていないことが、

  世界の運の良さか悪さかは、まだ判断しかねますが」


「褒め言葉として受け取るべきか迷うところですわね」


「褒めているつもりですよ。少なくとも、私個人としては」


 そう言って戻ってきた視線には、先ほどまでよりも、

 ほんの少しだけ柔らかさが宿っていました。


◆ ◆ ◆


 会談が終わり、私は玄関までリュシアンを見送りに出ました。


 外の空気は、朝よりも少しだけ暖かくなっています。

 城下では、昼のざわめきが本格的になりつつありました。


「本日は長々とお引き留めしてしまいましたわね」


「いえ、こちらこそ。

  貴重なお時間と、お茶と、そして興味深いお話をありがとうございました」


 リュシアンは一礼し、馬車の前で足を止めました。


「ひとつだけ、個人的な感想を述べてもよろしいですか」


「個人的なものなら、歓迎いたしますわ」


 彼は、少しだけ言葉を選ぶように視線をさまよわせ、それから私をまっすぐ見ました。


「あなたは……“まだ”この国にいてくださるのですね」


「“まだ”、とは?」


「いえ」


 リュシアンは小さく首を振りました。


「あなたほどの存在であれば、

  どこかの国が“所有物”にしたがるのは、

  さほど遠くない未来かもしれません」


 その言葉は、冗談半分にも聞こえました。

 けれど、その目だけは笑っていません。


「その時、あなたがどこに立っておられるのか。

  “この国”の枠の中に収まっていてくださるのか。

  それとも――」


「それとも?」


「それとも、世界のどこかで、

  誰の枠にも収まらない“例外”として歩いておられるのか」


 彼はそこで言葉を切り、わずかに肩をすくめました。


「研究者としては、後者のほうが興味深い。

  ですが、一人の人間としては、前者のほうが世界は平和だろうと思います」


「ずいぶん勝手なご意見ですわね」


「魔導師とは、得てしてそういう生き物です」


 彼は最後に、少しだけ真剣な表情を浮かべました。


「どうか――あまり、嫌われすぎないように」


「……それは、誰に対しての忠告かしら」


「世界の側に、ですよ」


 予想外の答えに、私は瞬きをしました。


「世界の側が、あなたを“枠の外へ追い出そうとする”前に。

  うまく折り合いがつくことを、個人的に願っています」


 それは、魔導師というより、

 一人の人間としての言葉に聞こえました。


 私は、少しだけ肩の力を抜きます。


「努力はしてみますわ。

  私も、できれば静かに暮らしたいですもの」


「それは良かった」


 リュシアンは、ようやく心底から楽しそうに笑いました。


「また正式な使節団としてお伺いすることになるでしょう。

  そのときは、今日いただいたお茶に合う南方の菓子でも、お持ちします」


「楽しみにしておりますわ」


 馬車が動き出し、石畳の上を車輪が転がる音が遠ざかっていきます。


 私はしばらくのあいだ、その背中を見送っていました。


 背後から、そっと気配が近づきます。


「ずいぶんと、変わった魔導師でしたね」


 レオンの声に、私は小さく笑いました。


「ええ。敵か味方かで言えば、どちらとも言い切り難いですわね」


「どちらかと言えば、“研究者”でしょうか」


「そうですわね。

  危険さを理解しながらも、好奇心を捨てられない人。

  それはそれで、扱いにくい種類の相手ですわ」


 視線を空へ向けると、薄い雲の向こうに、淡い青が覗いていました。


(褒められるのは、嫌いではありません)


 魔導書に目を輝かせたこと。

 術式の理解を「感服します」と言われて、少しだけ頬が熱くなったこと。


 思い返して、私は小さくため息をつきます。


(けれど、“評価される”のは、どうにも落ち着きませんわね)


 数値や実験結果として測られること。

 抑止力として、戦力として、“いくらで買えるのか”と値踏みされること。


 そうやって世界のどこかで、

 私という存在の「値段」をつけようとしている人たちがいる――

 その事実そのものが、胸の奥を冷たく撫でていきます。


 それでも、窓の外から聞こえてくるのは、

 相変わらずパン屋の炉の音と、井戸の水音と、子どもたちの声でした。


「……見られる側でいるのは、少し疲れますわね」


 思わず口にすると、レオンが静かに応じます。


「ええ。ですが、あなたが疲れを覚えるうちは、大丈夫です」


「どういう意味かしら」


「疲れるということは、まだ“人間として”受け止めているということですから」


 その言い方に、私は思わず笑ってしまいました。


「それはまた、妙な励ましですこと」


「私なりの精一杯です」


「ふふ……ありがとうございます」


 去っていく南方からの視線と、

 ここに在り続ける日常と。


 その両方に挟まれながら、私は改めて思います。


 ――私は、魔導の実験材料として解剖されるために、

  この力を持ったわけではありません。


 兵器として値踏みされるためでも、

 偶像として祭り上げられるためでもない。


 私が守りたいのは、

 窓の外で今日もパンを焼いている人たちと、

 水を汲み、笑い、時々泣く、名もなき人たち。


 そのことを忘れない限り――

 たとえ世界からどんな目で見られようとも、

 私の足は、ここに立ち続けられるはずだと。


 そう、胸の奥で静かに言い聞かせながら、

 私は再び執務室へと歩き出しました。


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