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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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静かな宣言と、嵐の前の約束

 翌朝の空は、妙に澄みきっていました。


 まるで昨夜までのざわめきや疑念を、全部洗い流してしまったかのように――いや、きっとそれは錯覚なのでしょうけれど。


 城門前の石畳に、蹄の音が乾いた響きを刻んでいます。

 隣国からの使節団を見送るため、私はレオンや家臣たちとともに並んでいました。


「公爵令嬢殿。短い滞在でしたが、実り多き時間でした」


 エトルフ卿が馬上から優雅に一礼しました。

 昨日と変わらぬ穏やかな微笑み。でも、その奥で何を計算しているのか、やはり読みきれません。


「辺境の復興と、あなたのご尽力。

  我が国でも、しかるべき形で伝えさせていただきます」


「光栄に存じますわ」


 私もドレスの裾をつまみ、一礼を返します。


「またお会いできる日を、楽しみにしております」


 その一言に、かすかな含みを感じてしまうのは、私が疑い深くなったからでしょうか。


「ええ。次にお会いする時までに、

  こちらももう少し“良い報告”をお届けできるよう努めておきますわ」


 口元だけを笑わせて返すと、エトルフ卿は一瞬目を細め、それから満足げに頷きました。


 使節団の馬車が列をなし、土煙を上げながら遠ざかっていきます。

 その背中を見送りながら、私は小さく息を吐きました。


「……一つ、風向きが変わりましたわね」


 隣で、レオンが短く相槌を打ちます。


「ええ。あちらの国の地図の上にも、リヴィア様のお名前が書き込まれたことでしょう」


「できれば“観光地”の欄にしていただきたいのですけれど」


 そんな冗談を言えるくらいには、まだ心に余裕があるようでした。


◆ ◆ ◆


 しかし見送るべき客は、彼らだけではありません。


 午後――。


 今度は教会監査団の馬車が、邸の前に整列しました。

 きっちりと畳まれた荷。書類を収めた木箱。

 すべて、「しかるべき場所」へ運ばれていくのでしょう。


「このたびは、長らくお世話になりました、公爵令嬢殿」


 代表神父が、あいかわらず穏やかな笑みを浮かべて頭を下げます。


「辺境における信仰の在り方、

  集いの家とやらの実態、

  あなたご自身の言葉――

  どれも大変、興味深いものでした」


「それは何よりですわ」


「今回見聞きしたことは、すべて王都の教会にて、

  しかるべき形で報告させていただきます」


 その「しかるべき形」が、

 私の首を締める縄になるのか、それともただの備忘録に留まるのか。

 それは、今の私には分かりません。


「結論としては――」


 代表神父は、わざとらしく少し間を置きました。


「辺境の信仰は、今のところ許容範囲内。

  ただし、公爵令嬢殿の行動には引き続き注視が必要。

  ……というあたりに落ち着きそうですな」


「ずいぶんと、余白の多い結論ですこと」


「余白があるうちが花でございますよ」


 神父は、冗談めかした響きで言いました。


「余白がなくなった時というのは、

  たいていの場合、すでに取り返しがつかないものですから」


「その前に、できる限り書き込みを工夫してみますわ」


「期待しております、公爵令嬢殿」


 軽く会釈し、彼らもまた馬車へと乗り込んでいきます。

 白い法衣の裾が、荷台に消えていくのを見届けてから、私は小さく肩を回しました。


 馬車の列が丘の向こうへと消え、土煙も風に散ったとき。

 邸の前に残っているのは、私とレオン、それから数人の家臣と――

 少し離れたところに立つ、辺境教会の神父だけでした。


「……なんと言いますか」


 ふと、口から言葉が零れます。


「嵐の目だけが、ここに残されたみたいですわね」


 追い風と向かい風が、入れ替わり立ち替わり吹き付けてきた数日間。

 その中心に、私とこの辺境だけが、ぽつんと取り残されたような感覚。


 レオンが横目でちらりと私を見て、短く微笑みました。


「嵐の目は、いちばん静かで、いちばん危険な場所だと聞きます」


「ええ。ですから――」


 私は胸の前で、そっと両手を組みました。


「静かなうちに、できるだけ“準備”をしておきませんと」


◆ ◆ ◆


 午後の執務室には、紙の匂いが満ちていました。


 王都から届いた封蝋付きの手紙、

 教会から回ってきた報告書の写し、

 辺境の各村からの状況報告――。


 机の上に広げたそれらを、一通り目を通してから、私はペンを置きました。


「……ひとまず、王都としては“様子見”といったところでしょうか」


 アルベルト殿下の筆跡は、いつもどおり整っていました。


『今回の件について、王都としては当面“注視”に留める。

  教会側の報告も、今のところはおおむね許容範囲と判断する』


『ただし、他国の動き、および教会内強硬派の動きを鑑みれば、

  君の周辺が今後さらに危険になる可能性は否定できない』


『忘れないでほしい。

  私は、君を独りにするつもりはないということを』


 最後の一文に、小さく笑いが漏れました。


「……殿下らしいですわね」


 丁寧で、慎重で、それでいてどこか不器用な優しさ。

 彼が王太子という檻の中で出来る限り手を伸ばそうとしているのが、行間から伝わってきます。


 もう一通、短い手紙――というより、小さなメモに近い紙片を手に取ります。


 セラフィナの、細く綺麗な字でした。


『わたくしも、こちらでできる限りのことをいたします。

  どうか、あなたご自身を責めすぎないで』


 それだけ。

 祈りの言葉も、教会の決まり文句もない、本当にささやかな一文。


 でも、だからこそ、彼女自身の声として胸に響きました。


(……責めているつもりは、なかったのですけれど)


 そう思いかけて、私は視線を窓の外に滑らせました。


 集いの家の屋根が、遠くに見えます。

 あの場所に灯る明かりの責任を、私は本当に「軽い」と思っているのか。


 胸の奥に、小さく沈むような重さがあるのは事実でした。


 執務机の向こうから、控えめなノックの音がします。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのは、辺境教会の神父でした。

 ここ数日の緊張で、白髪が少し増えたように見えます。


「お忙しいところ、失礼いたします、公爵令嬢様」


「いえ。ちょうど、ひと息ついたところですわ」


 私は椅子を勧め、神父を向かいに座らせました。


「教会からの報告書の写しをいただけたとか」


「はい。まだ草案の段階ですが……」


 神父は、手元の紙束をそっと机の上に置きました。

 そこには、きれいに整えられた言葉が並んでいます。


「辺境における礼拝は、形式上は問題なし。

  集いの家については、“信仰の場ではない”という条件付きで、現状容認。

  ……おおむね、そのような内容です」


「問題なし、と書いてくださっているだけ、ありがたいですわね」


「ええ。ただし、同じ紙の、余白のほうがずっと怖い」


 神父は苦笑しました。


「教会内部でも、今回の件で意見が割れるでしょう。

  あなたを“神の道具”としてうまく使いたい者もいれば、

  “異端として切り捨てたい者”もいる」


「やはり、そうなりますか」


「しかし――」


 神父は、静かに私を見つめました。


「わたくし個人としては、

  あなたを“どちらか”に押し込めることが、

  何より神から離れる行いのような気がしてなりません」


 胸の奥が、少し温かくなりました。


「ありがとうございます、神父様」


「礼には及びません」


 神父は肩をすくめます。


「わたくしはただ、

  “見て見ぬふりをしたくない”という点で、

  あなたと同じ病を患っているだけです」


「……ずいぶん、厄介な病ですわね」


「ええ。治りそうにありませんので、

  いっそ付き合っていくしかないかと」


 お互いに小さく笑い合い、神父は席を立ちました。


「今後も、こちらは礼拝を続けます。

  集いの家のことも、できる範囲で守りたい」


「そのための“説明責任”なら、いくらでも引き受けますわ」


「頼もしい限りです」


 扉が閉まった後、執務室に再び静けさが戻りました。


 紙束と手紙と、窓の外の空。

 そのどれもが、今はやけに遠く見えます。


「……これで、少しは落ち着きますかね」


 背後から聞こえた声に振り向くと、いつの間にかレオンが扉のそばに立っていました。


「気配を消すの、お上手になりましたわね」


「もともと、得意なほうです」


「誇らしげに言うことではありませんわ」


 小さくため息をついてから、私は問いを返しました。


「どう思われます? これで、“嵐”は一段落したと?」


 レオンは少しだけ考える素振りを見せ、それから首を横に振ります。


「いいえ。

  嵐は、これから形を変えて戻ってくるのでしょう」


 やはり、そうでしょうね。


「ただ、戻ってくる前の“静けさ”を、

  どう使うかは、こちら次第です」


「でしたら――うまく使って差し上げませんとね」


 私たちは視線を交わし、小さく頷き合いました。


◆ ◆ ◆


 その夜。

 集いの家の灯りが落ち、人々の足音が途絶えたあと。


 私はレオンと二人、建物の外のベンチに並んで座っていました。


 頭上には、辺境らしくよく見える星空。

 遠くで川の音がかすかに聞こえます。


「……少し、静かすぎますわね」


「静かな夜は、お嫌いですか?」


「いえ。好きですわ」


 私は吐く息を見つめました。


「ただ、今は少し、落ち着かなくて」


 隣に座るレオンが、こちらを見ます。

 その視線から目を逸らすように、私は星を仰ぎました。


「正直に申し上げますと――怖いのです」


 夜気の冷たさに紛れるくらいの声で、本音を零します。


「私のせいで、この場所が戦場になるのが」


 集いの家も、この辺境の街も。

 ここで暮らす人たちの日常も。


「隣国からも、教会からも、

  この場所が“駒”や“札”として見られ始めていて。

  私自身も、“抑止力”だの“兵器”だの、

  いろいろな名前で呼ばれています」


 胸の奥の重さが、言葉とともに形を持ち始めます。


「もし、ここが本当に戦場になってしまったら。

  そのきっかけの一つは、きっと私で。

  その時、私はきっと、自分を許せないでしょう」


 レオンは、しばらく黙って聞いていました。

 夜風が、二人の間を通り抜けていきます。


「……それでも」


 私は膝の上で握った自分の手に、ぎゅっと力を込めました。


「それでも――ここを手放す気はありません」


 自分の声が、思った以上にはっきりと響いていました。


「集いの家も、辺境の街も。

  ここで今日を生きている人たちも。

  “危ないから”という理由で、

  どこかに預けてしまう気にはなれませんの」


 レオンが静かに息を吐きました。


「あなたがそう決められるのなら」


 彼はいつもの落ち着いた声音で続けます。


「私は、その決意ごと守りましょう」


 胸の奥が、少し軽くなりました。


 私は星空から視線を戻し、闇に沈む集いの家の輪郭を見つめました。


「もし――」


 自分の中で形になりつつあった言葉が、喉までせり上がってきます。


「もし、誰かが」


 夜の静けさが、ふっと深くなったように感じました。


「私の大切な人たちを。

  この場所を。

  “駒”や“札”として踏みにじるなら」


 膝の上で握りしめた拳に、爪が食い込みます。


「その時は、私もまた――」


 息を吸い込み、吐きながら、言葉を紡ぎました。


「誰かの盤をひっくり返す覚悟を、決めますわ」


 大声ではありません。

 耳を澄まさなければ届かないような、小さな宣言。


 けれど、自分の中では、はっきりとした線を越えた感覚がありました。


 その瞬間――。


 風が、少し強くなりました。


 木々の葉が一斉にざわりと鳴り、足元の砂利がかすかに震えます。

 集いの家の窓ガラスが、ちいさくチン、と鳴りました。


 空気が一瞬、張りつめます。

 どこか遠くで、大きな何かが笑ったような気配。


(……聞いて、いらっしゃるのですね)


 ああ、これはきっと、あの方です。

 精霊王様は、こういう時だけ、さりげなく顔を出してきます。


『面白い』


 そんな声が、風の中に紛れていたような――いなかったような。

 確信はありません。ただ、背筋に走る微かな寒気だけが、現実でした。


 私はそっと目を閉じ、心の中で返します。


(盤をひっくり返すと申し上げましたけれど、

  好き放題に、という意味ではありませんわよ)


(あなたが楽しむための遊戯道具になる気はありませんもの)


 風は、何も答えません。

 ただ、先ほどより少しだけ、優しく頬を撫でていきました。


「……いまの、少し格好をつけすぎていましたかしら」


 ふと我に返り、隣のレオンに尋ねてみます。


 彼は一瞬驚いたように瞬きをしてから、すぐに真面目な顔で首を横に振りました。


「いえ。とても、あなたらしかったですよ」


「そこは、少しくらい冗談めかしてくださってもよろしいのですけれど」


「冗談にしていい覚悟には聞こえませんでしたので」


 真っ直ぐな返答に、私は思わず肩の力を抜いて笑いました。


「……それならまあ、よしといたしましょう」


 夜空には、変わらず星が瞬いています。

 世界は、何事もなかったように静かです。


(奇跡で救うだけの物語なら、

  きっともっと、優しい世界でしたでしょうね)


 精霊の祝福が、万能の答えで。

 神の御心が、すべての苦しみを拭い去ってくれる世界。


(それでも私は――)


 集いの家の屋根越しに見える、かすかな灯りを見つめます。

 遠くの家々の窓に漏れる光。

 明日のパンをこねる手。

 眠る子どもを見守るまなざし。


(ここで生きる人たちと一緒に、

  優しさだけでは足りない明日を、選んでいくのだと思います)


 巻き込まれるだけの人生で終わるには、

 私の人生は、少しばかり名残惜しいですもの。


 誰かが私の盤を好き勝手に並べるのなら、

 一度くらいは、この手で盤ごとひっくり返してみせても、罰は当たらないでしょう。


 そう胸の中で呟きながら、私はそっと立ち上がりました。


「そろそろ戻りましょうか、レオン」


「ええ。冷えますから」


 並んで歩き出した先にあるのは、

 何も決着していない、曖昧な“様子見”の明日。


 それでも、その明日に向けて歩き出す足取りは、

 不思議と、昨日より少しだけ軽い気がしました。


 こうして――

 「優しい聖女」でも「従順な貴族令嬢」でもない、

 自分の足で立つ私の物語は静かに幕を閉じました。


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