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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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旅立ちの朝と、無口な護衛騎士

 旅立ちの朝は、思っていたより静かだった。


 まだ空は薄暗く、夜と朝の境目がどこなのか分からない。

 王都の城門前に立つと、肌を刺すような冷たい空気が、いよいよだと私の頬を撫でていく。


 門の外へ出る許可が降りる前の広場には、荷馬車が一台と、護衛のための騎乗用の馬が数頭。

 馬の吐く白い息と、鉄の蹄の小さな音だけが、やけに大きく聞こえていた。


「書簡……印章……薬箱……」


 私は、荷馬車の横で最後の確認をしていた。

 側面の箱を開けて、ひとつひとつ指差しながら数える。


「予備のインクとペン、地図、帳簿……」


 ざっと見渡して、思わず小さく息を吐く。


 ここから先に忘れ物に気づいたところで、取りに戻るわけにはいかない。

 ――そう考えると、本当はまだ何か見落としている気がして落ち着かないのだけれど。


「……これからが、本当の出発ですわね」


 自分に言い聞かせるように呟き、冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 背後で、甲冑の擦れる音がした。


「ヴァルシュタイン公爵令嬢、リヴィア・エルノーラ様」


 低くよく通る声。

 振り返ると、鎧姿の男が一歩前に出てきて、胸に手を添え、深く頭を下げた。


「グラウベルク辺境行き護衛隊長、レオン・ハルト・グランツ。

 以後、命に代えましてもお傍をお守りいたします」


 レオン・ハルト・グランツ――。


 一瞬、言葉が喉の奥で止まった。


(……レオン様)


 王都の舞踏会。

 まだ私が王太子殿下の「婚約者候補」として招かれていた頃。

 人の波に紛れて、たった一度だけ踊った相手。


 華やかな照明と音楽。

 慣れない社交の場で、息が詰まりそうになっていたとき。


 「少し、お疲れのご様子です」と、硬い表情のまま手を差し出してくれた近衛騎士。


 あのときの、ぎこちないステップと、不器用なリード。

 いまだに、ほんの少しだけ足が痛かった記憶まで蘇ってくる。


「……以前、舞踏会でご一緒しましたわね」


 気づけば、口が勝手に動いていた。


 レオンはわずかに目を見開き、すぐに視線を伏せる。


「覚えておられましたか」


「忘れろと言われても、なかなか難しいですわ。

 お互いにとって、あの舞踏会は一度きりの思い出だと思っていましたのに」


 冗談めかして言うと、レオンは苦いような、照れたような顔をした。


「その節は……色々と不手際を」


「いいえ。むしろ助けていただきましたわ。

 あの人の波の中で、殿下以外と踊れたのは、あなただけでしたもの」


 周囲で待機していた兵士たちが、ざわっと小さく揺れる気配がした。


「おい聞いたか、お前……」「隊長、そんな過去が」「黙れ」


 最後の一言だけ、やけに鋭く聞こえた。

 レオンが声も出さずに振り向くだけで、兵士たちの背筋が凍りつくのが分かる。


 近衛騎士として鍛えられてきた威圧感、というやつだろう。


「レオン様」


 私は少しだけ真面目な声になった。


「どうか、レオン様。

 私を守るより先に、ご自分の命を大事になさってくださいね。

 ……それが一番、私のためになりますから」


 一瞬、彼の灰色の瞳が揺れた。


「務めでございますので」


「知っていますわ。

 でも、“務め”と“自分の命”を天秤にかけて、真っ先に前者を選ばれては困りますの」


 私がそう言うと、レオンは短く息を吐き、ほんのわずかに目元を和らげた。


「肝に銘じます」


 それが、彼なりの折衷案なのだろう。

 それ以上、あまり踏み込まない方がいい気がして、私はそれ以上何も言わなかった。


◇ ◇ ◇


 空が白み始めた頃には、王都の屋敷からの見送りの人たちも、城門前に集まり始めていた。


「リヴィア様!」


 見慣れた侍女たちの顔。

 執事、料理長、馬丁、小間使い。

 庭で別れを済ませたはずなのに、みんな、もう一度見送りに来てくれたらしい。


「これは……?」


 侍女の一人が、おずおずと小さな袋を差し出してきた。


「手縫いのお守りでございます。

 中には、リヴィア様の領地から採れた小さな石と……その……皆で少しずつ縫った糸を入れております」


「皆で?」


「はい。『戻ってきてください』という願いを、一針ずつ」


 縫い目は少し不揃いで、ところどころ糸が跳ねている。

 でも、それがかえって愛おしい。


「ありがとうございます。

 大切にしますわ」


 私が微笑むと、侍女は堪えきれずに涙をにじませた。


 次に前へ出てきたのは、料理長だ。


「これは、日持ちするクッキーと干し肉、あと簡単に煮込める乾燥野菜でございます。

 旅の途中でどうぞ」


 どっしり重い包みを受け取ると、手首ごと持っていかれそうになる。


「ま、まあ……随分たっぷりと」


「途中でお腹を壊してはいけませんからな。

 見知らぬ土地の食べ物より、慣れた味の方が……」


 料理長の目元も赤くなっている。


「ありがとうございます。

 辺境で食べる最初のご馳走にいたしますわ」


 その後も、次々と小さな包みや手紙が差し出された。


「これは、冬に備えた膝かけです」


「これは、うちの子どもが描いたお絵かきで……“りびあさま”だそうで……」


「これは、怪我をなさった時用の軟膏でございます。わたくしの秘伝ですので」


 一人ひとりから手渡されるものを受け取りながら、私はできる限り全員の名前を呼び、礼を言った。


「ありがとう、イネス。

 あなたの膝かけなら、どんな寒さも怖くありませんわ」


「ラウル、その絵、大事にするわね。

 ……これは誰かしら? あ、私? 本当に?」


「フロレンツ、あなたの秘伝の軟膏、効きすぎて逆に怖いくらいですわ。

 でも、ちゃんと使います」


 名前を呼ばれるたびに、皆の顔が少しだけ明るくなるのが分かる。


 ――こんなに。


 こんなにも私は、心配されていたのだろうか。


 胸の奥から、じんわりと熱いものが込み上げてきた。


「リヴィア様」


 最後に一歩前へ出てきたのは、侍女長だった。


「これは、わたくしから」


 差し出されたのは、小さな針山と糸のセット。

 裁縫道具としては簡素なものだが、持ち運びにはちょうど良さそうだ。


「辺境には、すぐに仕立て屋が見つからないかもしれません。

 ボタンが取れたり、裾がほつれたりなさったときに」


「……私が、自分で縫えと?」


「はい。今さらのように聞かないでくださいませ。

 簡単な繕い物なら、リヴィア様はもうちゃんとできます」


 ちくりと言われて、思わず笑ってしまう。


「ええ。あなたに厳しく仕込まれましたものね」


 針山を受け取り、その感触を確かめる。

 ひと押しするだけで、指先に懐かしい感覚が蘇る。


「本当に、ありがとう」


「どうか……どうか、ご無事で」


 侍女長が深く頭を下げる。

 その姿を見ていると、涙腺が危うく緩みかけた。


(だめ、ここで泣いたら)


 ここで泣き顔を見せてしまったら、皆が余計に不安になる。


 私がみっともなく取り乱したら、この場にいる誰かが

 「やはり王太子殿下の判断は正しかった」と安心してしまうかもしれない。


 ――それだけは、嫌だ。


「……大丈夫ですわ」


 私は唇に小さな笑みを浮かべた。


「私なら、しぶとく生きて戻ってきます。

 そのときに『あのとき心配しすぎでしたわね』って、笑って言えるように」


 そう言うと、何人かが涙を拭いながら笑った。


◇ ◇ ◇


「そろそろ、お時間です」


 レオンが静かに告げる。

 城門上から、見張り兵が出発の合図を待っているのが見えた。


「……では、行ってまいります」


 私はもう一度、皆を見渡した。

 顔、顔、顔。

 私の人生の一部だった、人々の顔。


「リヴィア様ー!」


 誰かが叫び、周囲が慌ててその口を塞ぐ。

 その様子が、なんだか嬉しくて、可笑しくて。


「お元気で!」


「ご無事で!」


「絶対、戻ってきてくださいね!」


 口々に飛んでくる声に、胸がいっぱいになる。


 涙がこぼれそうになり、慌てて馬車に乗り込んだ。

 足を掛ける位置を一瞬間違えて、危うくよろけそうになる。


「っ……」


 レオンがさっと腕を伸ばしかけ――一瞬で引っ込める。

 自分で姿勢を立て直した私は、ばつが悪くて笑ってしまった。


「大丈夫ですわ。

 旅立ちの瞬間に転んだら、さすがに伝説になってしまいますもの」


「既に花壇の件で十分伝説になっていると聞き及んでおりますが」


「誰からですか、それは」


 ちらりと視線を送ると、侍女たちがそっと目を逸らした。

 ……あとで問い詰めることにしよう。


 座席に腰掛けると、さきほど受け取ったお守りや携帯食が、膝の上で小さな山になった。


「……私、こんなに心配されていたんですね」


 ぽつりとこぼれた言葉に、自分で少し驚く。


 王都での私は、いつも「役目」としての自分ばかりを意識していた。

 公爵令嬢、王太子妃候補、教会との橋渡し役。


 でも今、膝の上に乗っているのは、肩書きではなく――

 ただの「リヴィア」を気遣ってくれた人たちの気持ちだ。


 胸がじんと熱くなる。


 馬車の外では、レオンが兵士たちに短く指示を飛ばしていた。


「全員、配置につけ。

 行軍中は周囲警戒を怠るな。

 あの方は“客”ではない、“守るべき領主”だ」


 兵士の一人が、ぼそりと呟くのが聞こえた。


「あの方は……本当にあんな状況でも崩れねえんですね」


「だからこそ、守らねばならない」


 レオンの声は短く、迷いがなかった。


◇ ◇ ◇


 やがて、城門上から角笛の音が響いた。

 出発の合図だ。


「……行きましょうか」


 私はそっと背筋を伸ばす。


 ここから先は、公爵令嬢ではなく――

 “グラウベルク辺境領の領主代理”としての旅になる。


 馬車の窓から顔を出し、最後の挨拶をする。


「皆さま、本当にありがとうございました。

 どうか、お元気で」


 馬車がゆっくりと揺れ始める。

 城門が近づき、やがてくぐり抜ける瞬間――王都の空気が、背後へと流れていく。


 門を出たところで、私はもう一度だけ振り返った。


 遠ざかる城壁。

 小さくなっていく屋敷の屋根。

 それでも変わらずそこにある、私の“出発点”。


(さようなら)


 唇の動きだけで、そう告げる。


 そして前を向いた。


 西へ、西へ。

 まだ見ぬグラウベルク辺境領へと向かう道は、朝の光を受けて、かすかに白く輝いている。


 膝の上のお守りをぎゅっと握りしめながら、私は静かに、心の中で誓った。


 ――ここから先は、私の選ぶ「居場所」を、自分で形にしていくのだと。


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