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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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他国からの使者と、“値踏みされる奇跡”

 第十八巻の風が、ようやく落ち着きかけた頃でした。


「隣国からの、親善使節団、ですって?」


 王太子殿下から届いた封書を読み終えた侍従が、恐る恐る顔を上げます。

 私は手紙を受け取り直し、もう一度、その一文を目でなぞりました。


『名目は辺境復興への祝意。

  実際には、貴女と、その“奇跡”を確かめるための訪問だろう』


 殿下らしい、率直すぎる書き方です。


「……親善、という言葉ほど、油断ならないものはございませんわね」


 ため息まじりに呟くと、部屋の隅に控えていたレオンが一歩前に出ました。


「王太子殿下は、何か注意点を?」


「“表向きは祝意だが、油断しないでほしい”と。

  ……つまり、“警戒はしておきなさい、でも歓迎の顔は忘れずに”ということですわね」


 そう言って、私は封書を机に置きました。


「応接室の準備と、客間の整えを。

  料理長には、辺境で手に入る一番ましなおもてなしを、とお伝えして。

  あとは――」


 視線が、窓の外の方角へと自然に向かいました。

 屋敷から少し離れた場所に、昼間でも人の出入りが絶えない、小さな建物。


 集いの家。


「集いの家を、どう扱うか、ですわね」


 侍従が不安そうに眉を寄せます。


「やはり、使節団の方々には、お見せにならないほうが――」


「隠そうとすればするほど、疑われますもの」


 私は肩をすくめました。


「“何も怪しいことはしておりませんのよ”と笑顔で言いながら、

  一番人の集まる場所に鍵をかけるのは、いかにも怪しいでしょう?」


「……たしかに」


 レオンが、わずかに口元を緩めました。


「あるがままを、お見せしましょう。

  ここが“奇跡の礼拝堂”ではなく、ただの憩いの場であることごと」


◆ ◆ ◆


 使節団が辺境の城門に姿を見せたのは、三日後の午後でした。


 幌をかけた数台の馬車と、その前後を固める騎馬の護衛。

 遠目にも、装いの違いで、この国の兵とは異なると分かります。


 私は正門前の石段に立ち、レオンや家臣たちとともに出迎えました。


「遠路はるばる、お越しくださりありがとうございます。

  グラウベルク公爵家当主代理、リヴィア・グラウベルクと申します」


 先頭の馬車から、ゆっくりと一人の男が降りました。


 年の頃は四十代半ば。

 柔らかな微笑みを湛えた、中肉中背の貴族です。

 ただ、その眼の奥だけは、油断なく光を宿していました。


「これはこれは。

  噂に名高い“辺境の公爵令嬢”殿に、かくも早くお目にかかれるとは」


 男は胸に手を当て、一礼します。


「我が国より参りました、ヴァルステイン公国の使節、エトルフと申します。

  本日は、辺境復興と公爵家のご尽力に、心よりの祝意をお伝えに参りました」


「ようこそお越しくださいました、エトルフ卿。

  辺境の風は少々荒くございますが、せめて今日くらいは、穏やかに吹いてくれるとよろしいのですけれど」


「おかげさまで、実に心地よい風でございますよ。

  ……“嵐を鎮める御方”のお膝元ですからな」


 さらりと添えられた一言に、私は微笑を崩さず、心の中で小さく息をつきました。


(早速、値踏みが始まりましたわね)


 その背後から、若い文官風の青年が顔を覗かせました。

 几帳面に整えた金髪に、どこか人懐っこい笑み。


「エトルフ様、あまり詩的な言い回しばかりだと、記録が大変になりますよ」


「おや、これは失礼。

  こちらは我が随員の一人、リュカ・ゼルナー。筆と耳だけは確かな男です」


「リュカ・ゼルナーです、“奇跡の公爵令嬢”殿。

  お会いできて光栄です。

  できれば、奇跡の秘訣など、こっそり教えていただけると助かるのですが」


「秘訣と言われましても……」


 私は苦笑しました。


「強いて申し上げるなら、“無茶をしすぎないこと”でしょうか。

  奇跡の後は、ちゃんと休む、とか」


「ほう。大変参考になります」


 メモを取る手が、妙に真剣なのが少し面白くて、笑いをこらえるのに苦労しました。


 後方の護衛騎士たちは、一言も発しません。

 ただ、揃いの黒い外套の下から見える動きは、王国騎士団とも、教会騎士とも違う、訓練された身のこなし。


(昨夜の刺客たちとは、また別の匂い……)


 表情には出さず、心の中でだけ警戒を強めました。


「長旅でお疲れでしょう。

  まずは屋敷へご案内いたします。

  その後、領地内もご覧になりたいとのことでしたね?」


「ええ。

  是非とも、公爵家のご尽力の“果実”を、この目で確かめさせていただければ」


 エトルフ卿の笑みは、やはり柔らかく、そして底が見えませんでした。


◆ ◆ ◆


 応接室では、温かい茶と軽い菓子を用意していました。


 使節団の代表と文官、随行の数名だけを通し、護衛騎士たちは別室で休ませています。

 彼らにも礼を欠かさないのが、この辺境なりの作法です。


「辺境の地に、これほどの活気が戻るとは。

  王都で聞いていたお噂どおり――いえ、それ以上ですな」


 窓の外の街並みを眺めながら、エトルフ卿が感嘆したように言いました。


「お恥ずかしい限りですわ。

  まだまだ、行き届かないところばかりです」


「行き届かない、ですと?

  まずは十分以上に“行き届いて”いるように見えますが」


 リュカと名乗った文官が、手元の帳面をぱらりとめくります。


「農地の収穫量、交易路の復旧状況、治安の安定……

  それに、あの“集いの家”。

  あれは、貴女の発案だとか」


 やはり、ご存じでしたか。


「集いの家は、派手なものではございませんよ。

  ただ、“礼拝の席にも座りづらい人”や、“精霊の加護を信じ切れない人”――

  そういった方々が、少しだけ肩の力を抜いていける場所として、作っただけです」


「“ただ”と仰いますが」


 エトルフ卿が、興味深そうにこちらを見ました。


「教会でも領主邸でもない、“第三の場”を設けるのは、そう簡単なことではないと、我が国でも承知しております。

  信仰と現実の間に席を作る、という試みは、ある意味で、もっとも大胆な改革かもしれませんな」


「改革などと大げさなものではありませんわ。

  椅子を少し増やしただけです」


「その“椅子”を増やそうとして、何人も躓いてきたと聞きます」


 リュカの言葉には、どこか本音めいた響きがありました。


「……ところで」


 リュカが、さも何気ない風を装って話題を変えます。


「“奇跡の公爵令嬢”殿と、精霊王殿とのご関係について、少々伺っても?」


「関係、と言われましても」


「王都の噂ではこうです。

  “辺境の公爵令嬢は、精霊王の寵愛を受け、その一言で国をも沈めうる”と」


「まあ。

  相変わらず、王都の皆さまは物語がお好きですこと」


 私は笑ってみせました。


「精霊王陛下は、私にとって“怖い隣人”のようなものですわ。

  ときどき窓から覗いてきて、勝手に手を貸したり、勝手に拗ねたりなさる。

  ただ、それだけです」


「それはそれで、大変興味深いご近所付き合いですね」


 リュカは真顔で頷き、またもや筆を走らせました。


「では、もし――あくまで仮の話ですが」


 エトルフ卿が、茶器を持ち上げながら、さりげなく問いを差し挟みます。


「もし、貴女が我が国の領土に足を踏み入れた場合。

  精霊王殿は、その国境線をお気になさるのでしょうか?」


「それは、私にも分かりませんわ」


 嘘ではありません。


「ただ一つだけ言えるのは――

  私がどこにいようと、私が“誰のために力を使うと決めているか”のほうを、陛下はよくご存じだということです」


 エトルフ卿の目が、愉快そうに細まりました。


「つまり、“この国と、この領地の人々のため”と?」


「はい。

  私は、この国の、この辺境に生きる人たちの、公爵令嬢でありたいと思っております」


「たとえ、他国からより良い待遇を提示されたとしても?」


 リュカが、軽い口調で言いました。

 が、その瞳の奥には、明らかに打算の色が混じっています。


「例えば――もし貴女が我が国に“亡命”なさるとしたら、などと。

  ……もちろん、冗談ですよ」


「冗談にしては、随分と具体的な仮定ですこと」


 私は微笑を崩しません。


「私を“戦力”としてお迎えくださるお考えがあるのだとしたら、

  どうか覚えておいてくださいませ」


「ほう?」


「私は、兵器ではなく、人間ですわ」


 茶器をそっと受け皿に戻しながら、言葉を続けました。


「ここで生きて、笑って、悩んで、泥だらけになっている一人の。

  “奇跡の公爵令嬢”などという呼び名は、外の方々が付けてくださった飾りにすぎません」


 エトルフ卿は、しばし黙ってこちらを見つめ、やがてゆっくりと息を吐きました。


「……なるほど。

  飾りとしては、なかなかに手強いお方だ」


「お褒めに預かり光栄ですわ」


「いえ、これは、商人としての本音でしてな」


 エトルフ卿が、肩をすくめます。


「我が国にも、“神の奇跡”や“聖人の物語”はございますが……

  どうにも、貴女ほど、自分の立ち位置を自覚している“奇跡”は少ない」


「奇跡という言葉を、少し安売りし過ぎですわ」


「かもしれませんな」


◆ ◆ ◆


 応接が一段落したあと、私は使節団とともに領内を案内しました。


 市場、農地、診療所。

 そして、集いの家。


「ここが、例の“誰のものでもない席”です」


 私は扉の前で立ち止まりました。


 中からは、子どもたちの笑い声と、煮込み料理の匂いが漂ってきます。


「こちらでは、何を?」


「簡単な食事と、仕事や生活の相談。

  祈りたくなった方は教会へ、愚痴をこぼしたい方はここへ、というところでしょうか」


 エトルフ卿が、しげしげと室内を見回します。


「奇跡を待つ場所ではなく、今日を何とかやり過ごす場所、か」


「はい。

  ここでは、精霊の加護があるかどうかも、信仰の強さも、問われません」


 長椅子に腰掛けている老人が、こちらに気づいて会釈しました。

 私は軽く頭を下げて返します。


 見放された者たちも、何人か、端の席に座っていました。

 彼らの視線に、使節団の一人が一瞬だけ眉をひそめたのを、見逃すつもりはありません。


(値踏みをするのなら、どうぞご自由に)


 心の中でだけ、そう告げました。


(ここに座っている人たちは、“取引材料”でも、“交渉の駒”でもありませんわ)


◆ ◆ ◆


 夕刻。

 使節団は、ひとまず屋敷に戻り、夕食の前に客間で休むことになりました。


 私は廊下を歩いているとき、ふと、開け放たれた窓の向こうから、押し殺した声が聞こえてくるのを耳にしました。


「……たしかに、噂どおりだ」


「“精霊王の寵愛”がどこまで本当かは分からんが、

  あれを味方にすれば強力だ。

  敵に回せば、厄介どころの話ではない」


「王国は、よくあれを辺境に置いておくな」


「置いておくからこそ、他国が軽々しく手を出せなくなる。

  ……よく考えた手だ」


 言葉の主たちは、窓の向こうの一室にいるらしく、こちらには気づいていないようでした。


 私は足を止めず、そのまま通り過ぎます。

 後ろから、レオンが静かに付いてきていました。


「お聞きになっていましたか」


「ええ。

  彼らは、あなたを“人”ではなく“戦力”として見ている」


 レオンの声には、怒りというより、冷静な分析が滲んでいました。


「それは、王都の一部も同じでしょうし、教会の一部も、ですわね」


「……不愉快ではありませんか」


「もちろん、不愉快ですわよ?」


 私は苦笑しました。


「人としての私を気に入られるのは構いませんが、

  力だけを欲しがられるのは、どうにも性に合いませんもの」


 レオンが、わずかに口元で笑いました。


「ですが――」


 窓の外に視線を向けると、使節団の馬車が並ぶ中庭が見えました。

 まだ滞在は数日続きますが、その先にあるものも、自然と想像できます。


「国境を越える前に、私の影だけが先に渡っているような感覚ですわね」


 隣国の宮廷。

 そのまた向こうの、まだ見ぬ土地。

 そこでもきっと、今日の会話や、私の力の噂が、数字や言葉に変えられていくのでしょう。


「影は、勝手に歩いていきます。

  でも、本体は、ここにいますわ」


 そう言って、私は中庭から視線を外しました。


「どれだけ値踏みされても、

  私が自分の値段を、誰かに決めさせるつもりはありませんから」


 レオンが、静かに頷きます。


「では、こちらはこちらで、あなたの“在り方”を、勝手に見せ続けるだけですね」


「ええ。

  奇跡の値段ではなく、“ここで生きる人たちの今日一日の値打ち”を」


 私は歩を進めながら、小さく息を吐きました。


 外からの視線がどれだけ増えようと、

 国境の向こうで、私の影が勝手に値踏みされようと。


 ここで、椅子に腰を下ろしてスープをすする人の重みは、

 数字では測れないものなのだと。


 少なくとも、私だけは知っていたい――そう思いながら。


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