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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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生きる盾と、選んだ立ち位置

 翌朝、私はいつもより少し早く目を覚ましました。


 眠れなかった、というほどではありません。

 ただ、夢の中でさえ昨夜の刃の軌跡がちらついて、深く眠りに沈むことを、身体がどこかで警戒していたのでしょう。


 窓の外では、まだ朝靄が地面にまとわりついています。

 遠くから、牛車の軋む音と、パン屋の煙突から立ちのぼる煙の匂い。


(……日常が、ちゃんと続いているのは、ありがたいことですわね)


 そう思えるだけの余裕がある自分を、少しだけ誇りに思いながら、私は身支度を整えました。


◆ ◆ ◆


 地下の小さな部屋は、簡素な机と椅子、それに、繋がれた一つの人影だけで満たされていました。


 昨夜捕らえた刺客は、粗末な椅子に腰掛けたまま、黙り込んでいます。

 両手は前で束ねられ、足首にも縄。

 とはいえ、必要以上に雑な扱いをしているわけではありません。


 レオンが静かに壁際に立ち、私に一歩引いた場所を譲ってくれました。


「……体調はいかがですか」


 椅子の前に立ち、私は声をかけました。


 男は、暗く落ちた髪の隙間から、こちらを一度だけ見上げます。


「処分の前に、わざわざ容体を気遣うとはな」


「人を雇って私を攫おうとするような方々が、どれほど“律儀”か存じませんもの。

  せめてこちらくらいは、礼儀を守っておきたいだけですわ」


 皮肉を込めたつもりはなかったのですが、少しばかり棘が乗ってしまったかもしれません。


 男は鼻で笑いました。


「律儀、ね……。お前の身体には、別の値札がついているらしいが」


「その“値札”の内容を、教えていただけます?」


「依頼主は名前を明かさない。中継役も、いつも覆面だ。

  ただ――」


 言い淀んで、男の視線が宙を彷徨います。


「……言葉の端々に、訛りがあった。

  王都育ちの連中とは違う。もっと……乾いた音だ」


「乾いた音、ですの」


 砂漠方面の国々の言葉を連想させる表現。

 この辺境からは遠い、国境の向こう側。


「“確保できれば高く買う”と言われた。

  死体でも、一応の価値はあるらしい」


 男は、自嘲気味に口角を上げました。


「俺たちには、細かい理屈はどうでもいい。

  金になるなら、やる。そういう仕事だ」


「気分の良い話ではありませんわね」


 自分の身体と力が、“商品”としてどこかで語られている。

 それ自体は、王都での密談の時点でもう分かっていたはずなのに、

 こうして直接言葉にされると、胃の奥がきゅっと捻じれるようでした。


「あなたは、それで納得なさったのですか」


「……納得?」


「どこかの誰かが、見知らぬ相手の生き死にに値札をつけて、あなたにはその“手先”だけが回ってくる。

  それを、“しょうがない”と飲み込める程度には、楽なお仕事でした?」


 男の眉が、ぎり、とわずかに動きました。


 しばらく沈黙が落ちる。

 地下室の冷たい空気が、少しだけ重くなる。


「……楽じゃないさ」


 ぽつり、と落とされた言葉は、思ったよりも静かでした。


「俺の村じゃ、今はこの仕事くらいしか金にならない。

  畑は干からび、港は税で締め付けられ、兵士になるには年を食いすぎた。

  それでも、食わせなきゃならないものが何人かいてな」


 彼は、縄で擦れた手首を、わずかに動かします。


「俺みたいなのは、“何かを選んだ”わけじゃない。

  残された道を、片っ端から潰していった結果、最後に残ったのがこれだった」


(……どこかで、聞いたような話ですわね)


 王都でも、辺境でも。

 そして、おそらく国境の向こう側でも。


 生活のために、選ばされる道。

 その先に、誰かの命がぶら下がっているというだけの違い。


「あなたがしてきたことを、許すつもりはありません」


 私は、言葉を選びながら告げました。


「けれど――

  あなたを“使い捨ての駒”としか見ていない人たちのことも、同じようには許せませんわ」


 男は、驚いたようにこちらを見上げました。


「……変な女だな。

  お前を殺し損ねた男を心配して、何の得がある」


「得にならないことは、今に始まった話ではありませんので」


 冗談めかして言うと、レオンが小さく咳払いしました。

 たぶん、「そこは胸を張るところではない」と言いたいのでしょう。


「あなたを裁くのは、私ではありません。

  ただ、この話は王太子殿下にもお伝えします。

  国が“こういう仕事しか残さなかった”人たちのことを、覚えておいてもらうためにも」


「……王太子、ね」


 男は、どこか諦めとも嘲りともつかない笑みを浮かべました。


「災厄の種を抱え込んで、ご苦労なこった」


「災厄の種?」


 不意に出た言葉に、胸がざわつきました。


「そう呼んでいた連中がいた。

  “放っておけば芽吹く、厄介な種”だとさ。

  お前のことを」


「……本当に、気の利いた呼び名を考えるのが、お好きですこと」


 苦笑するしかありませんでした。


 聖女とも、英雄とも呼ばれたくないけれど。

 災厄の種とまで言われるほど、望んだ覚えはありません。


◆ ◆ ◆


 地下室を出るとき、足がほんの少し重かったのは、疲れのせいだけではないでしょう。


 廊下で、レオンが隣に並びます。


「……大丈夫ですか」


「ええ。少し、胸焼けがしているだけですわ」


「朝食を控えすぎましたか」


「いえ、話の内容が少々、消化に悪かっただけです」


 そんなやり取りをしていると、侍女が急ぎ足で近づいてきました。


「リヴィア様、王都からの魔導通信が届いております。

  王太子殿下からです」


「まあ。タイミングがよろしすぎて、怖くなりますわね」


 内心の苦笑を飲み込んで、私は執務室へ向かいました。


◆ ◆ ◆


 机の上には、淡く光る水晶球が置かれていました。

 触れれば、遠くにいる相手の声が届く、王都製の魔道具。


 私は椅子に腰掛け、そっと指先を触れさせます。


「王太子殿下、リヴィア・グラウベルクです」


 水晶の向こうから、少し低めの声が響きました。


『呼び立ててすまない、リヴィア。……昨夜の件についてだ』


「やはり、ご存じでいらっしゃいましたのね」


『こちらにも、報告が上がっている。

  刺客の装備に、王国外の刻印の削り跡があったと』


「はい。依頼主も仲介人も、身元を隠しているようですが」


 私は、地下室で聞いた話の要点だけを伝えました。


 “確保できれば高く買う”という言葉。

 “死体でも価値はある”という冷たい評価。


 水晶の向こうで、短く息を呑む気配がします。


『……やはりか』


「“やはり”、とは?」


『他国の一部が、あなたを“抑止力”として認識し始めている。

  王国にとっての切り札であり、同時に、災厄の種でもあると』


 地下で聞いた言葉が、思いがけず重なりました。


「災厄の種。

  本日、その呼び名を、二度も耳にしましたわ」


『気分の良い呼び名ではないな』


「ええ。できれば、流行してほしくない称号です」


 半分冗談めかして返すと、王太子殿下はわずかに息を吐きました。


『笑い事ではない、とは分かっている。それでも……君がこうして笑って返してくれることに、救われてもいるんだが』


「殿下」


『君の存在は、既に王国にとっての“抑止力”になりつつある。

  他国に無茶をさせないための、目に見えない盾として』


「私の知らないところで、いろいろな役目を背負わされているのですわね、私」


『君に明確に告げるべき時だと思い、こうして通信を繋いでいる』


 短い沈黙のあと、王太子殿下は言いました。


『リヴィア。

  君に、王家の庇護下に明確に入ってほしい』


 その言葉は、予想していたものの、実際に聞くと胸の奥に重く沈みました。


「それはつまり――」


『公式に、“王国の守護者”としての立場を示す、ということだ。

  君を兵器として扱うつもりはない。

  ただ、王家の名前のもとに、君を守りたい』


 王太子殿下の言葉に、嘘はありませんでした。


 本当に、私を守ろうとしている。

 それでも。


(守られるために、鎖をつけられるのは――)


 喉の奥まで出かかった言葉を、一度押し込んで、ゆっくりと整えます。


「殿下」


『ああ』


「私を守ろうとしてくださっているお気持ちは、ありがたく思います。

  本当に」


 そこは偽りなく、伝えておきたかった。


「ただ、それは同時に――

  私を“王家の持ち物”として宣言することにもなりますわね?」


『……厳しい言い方をする』


「事実ですもの」


 少しだけ笑みを含ませながら、私は続けました。


「私は、国のために力を貸すことを惜しむつもりはありません。

  辺境とここに生きる人たちを守るためなら、必要とあらば“生きた盾”として前に立つ覚悟もあります」


『知っている』


「けれど、“国の持ち物”になるつもりはありませんの」


 はっきりと、言いました。


「婚約者をすげ替えられた日のことを、殿下は覚えておいでですか?」


 水晶の向こうの空気が、ぴたりと凍るのが分かりました。


『……忘れたことはない』


「私はあの日、“この物語には聖女の席が必要だから”という理由で、

  王都から辺境へ送られました」


 誰かの都合で、盤上の駒の位置を入れ替えられた。

 当時の私は、それに抗う術を持たなかった。


「今度は、“この国には抑止力が必要だから”という理由で、

  私の席を決められるのは――正直、少しばかり、嫌なのです」


 王太子殿下は、しばらく黙っていました。


 沈黙の向こうで、彼がどれほど自分を責めているか。

 少しだけ想像がついてしまうのが、厄介です。


『君を、兵器として扱うつもりはない』


「分かっています」


『君の意思を無視して前に押し出す真似は、二度としないと誓った。

  あの日のことを、繰り返したくはない』


「だからこそ、こうして相談してくださっているのでしょう?」


『ああ』


 深い息をついたあと、王太子殿下は素直に続けました。


『君を“守る”ことと、“利用しない”ことと、“国を守る”こと。

  全部を同時に満たす答えを、私はまだ持っていない』


「……それを認められる殿下のほうが、よほど誠実ですわ」


『誠実で、無力だ』


「無力ではありませんわ。

  その無力さを自覚している人は、無自覚な強者より、よほど頼りになります」


 水晶の向こうで、くすりと笑う気配。


『君は本当に、厄介だな』


「それは、褒め言葉として頂いておきます」


 私は少しだけ姿勢を正しました。


「殿下。

  私の立場について、私なりの答えをお伝えしてもよろしいでしょうか」


『聞かせてくれ』


「私は、王家とも教会とも、完全には切れないと思います」


 それが現実です。


「教会とは、信仰という形で繋がり続けるでしょう。

  王家とは、国を守る責任という形で」


『ああ』


「けれど、どこか一箇所の看板にはならないつもりです。

  “王太子の守護者”でも、“教会公認の奇跡”でもなく」


 言葉を選びながら、ゆっくりと紡ぎました。


「私は、“辺境と、ここに生きる人々の代表”として立ちたいのです。

  そのうえで、国のためにも力を貸します。

  ただし、それは常に――

  私が自分で選んだ時だけ」


 水晶の中の光が、わずかに揺れました。


『……君らしい答えだ』


「気に入られませんでした?」


『いいや。

  私が望んでいた答えより、ずっと難しい選択だ』


 そこで、王太子殿下は少しだけ声を和らげました。


『君を“国の盾”と呼びたい者たちは、これからも現れるだろう。

  そのとき、私は言うつもりだ。

  ――その盾は、君自身が選んで構えたときにしか、前には出ない、と』


「光栄ですわ」


『ただ一つ、願いがある』


「なんでしょう」


『君が“生きた盾”になると決めたとき、

  どうか一人で前に出ないでくれ』


 ほんの一瞬、胸が熱くなりました。


「……レオンと、セラフィナを連れて行きますわ」


『私も忘れないでくれないか』


「それは殿下次第です」


 少し冗談を挟むと、今度ははっきりと笑い声が返ってきました。


 通信が切れたあと、水晶球の光が静かに消えていくのを見つめながら、私は深く息を吐きました。


「……言いたいことは、言えましたわよね、私」


 確認してみたところで、答える人は誰もいません。


◆ ◆ ◆


 その夜、私は屋敷のテラスに出ました。


 辺境の夜空は、相変わらず星がよく見えます。

 遠くの山の稜線が、暗い影となって浮かび上がっている。


「おひとりで、星を数えていらっしゃるのですか」


 背後から聞こえてきた声に振り返ると、レオンが静かに立っていました。


「数え始める前に、考え事に迷い込んでしまいましたの」


「……今夜は、よく迷い込まれますね」


「ええ。今日はちょっと、迷うのに最適な一日でしたもの」


 冗談めかして返すと、レオンは隣に立ちました。

 彼の存在が、夜気の冷たさを少し和らげてくれます。


「王太子殿下とは、お話しになられたのですね」


「ええ。私を“王国の守護者”にしたい、と仰っていましたわ」


「……やはり」


 レオンの横顔が、ほんのわずかに強張りました。


「怒っていらっしゃいます?」


「いえ。予想していたことです」


「私を“国の盾”として、正式に前に出したいのでしょう。

  そのほうが、他国への牽制も、国内の説得も楽になりますものね」


「しかし、それは同時に――」


「私を兵器として公式認定することでもありますわね」


 言葉を被せると、レオンは静かに頷きました。


「あなたがどの立場に立たれても、

  私はただ、その背中を守るだけです」


 迷いのない言葉でした。


 けれど、それだけに、胸の奥が少し痛みます。


「それでは、あなたにばかり背負わせてしまいますわ」


「背負うことが、私の役目です」


「いいえ」


 私は、ゆっくりと首を振りました。


「“全部背負わせてしまう”のは、もうやめたいのです」


 星明かりの下で、自分の手を見つめます。


「私は、王家とも教会とも、完全には切れません。

  でも、どこか一箇所の看板にはならないと、殿下に伝えました」


「看板」


「“王太子の守護者”とか、“教会公認の奇跡”とか。

  そういう、分かりやすい札のことですわ」


 風が、テラスの床を撫でていきます。


「私は、“辺境とここに生きる人たちの代表”として立ちたい。

  そのうえで、国のためにも力を貸す。

  けれどそれは、あくまで――」


「あなたが自分で選んだときだけ」


 レオンが、私の言葉を静かに引き継ぎました。


「ええ」


 私は、小さく笑いました。


「いざというとき、私が“生きた盾”として前に出る覚悟は持ちます。

  でも、それは誰かに押し出された結果ではなく、

  自分で踏み出した一歩として、そうしたいのです」


 言葉にしてみると、不思議と胸の中のもやが晴れていきました。


 レオンは、しばらく黙って私を見つめていたあと、ふっと目を細めました。


「では、その盾が傷だらけにならないように、

  私は剣として働きましょう」


 夜空を背景にした横顔は、相変わらず寡黙で。

 けれど、その言葉には、静かな熱がありました。


「剣は、盾の後ろに隠れているものではありませんわよ?」


「知っています」


「時々、私のほうが、あなたの背中を守りに行ってもよろしいですか」


「……それは、私の仕事を奪う行為です」


「仕事を半分こ、という解釈もできますわ」


 そんな軽口を交わしながら、私はふと思いつきました。


「ところで、レオン」


「はい」


「今の私の宣言……ちゃんと“かっこよく”聞こえました?」


 我ながら、聞いたあとで少し顔が熱くなります。


 レオンは一瞬だけ目を瞬かせ、それから真顔で言いました。


「ええ、とても」


「そこは少し、冗談めかしてくださってもよろしいのですけれど」


「事実を曲げるのは、性に合いませんので」


 あまりにも真剣な顔で言うものだから、思わず笑ってしまいました。


 夜空が少し近くなったような気がします。


(誰かに与えられた位置ではなく、自分で選んだ場所に立つ)


 たとえ、その場所が、一番狙われやすい場所だったとしても。

 たとえ、そこに立つことで、また誰かに災厄の種と呼ばれたとしても。


(それでも私は、ここに立つことを、自分で選びたい)


 風が、集いの家のほうから吹いてきます。

 明日もきっと、あの家には誰かが来るでしょう。


 迷っている人も。

 見放されたと感じている人も。

 ただ、疲れた心を置く場所を探している人も。


「……さて」


 私は軽く伸びをしました。


「明日も、盾役と世話焼き役と、公爵令嬢役を兼任しなければなりませんわね」


「多すぎませんか、その役職」


「大丈夫ですわ。剣役が優秀ですもの」


 テラスの欄干にもたれ、星空を見上げながら。


 私は、自分で選んだ立ち位置の重さと、その重さを分け合ってくれる人たちの存在を、改めて胸の中に刻み込むのでした。


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