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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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夜道の刃と、守られた背中

 その夜、集いの家の灯りを最後に確認してから、私はそっと戸を閉めました。


「……本日も、無事に閉館ですわね」


 中からは、まだ片付けの音がわずかに聞こえてくる。けれど、それは使用人たちが慣れた手つきで机と椅子を元の位置に戻しているだけの、いつもの音です。


「お疲れさまでした、リヴィア様」


 外で待っていたレオンが、控えめに頭を下げました。


「お疲れさまなのは、むしろあなたのほうでしょう。子どもたちの宿題を見てくださって」


「……あれは、剣の鍛錬より難しいですね」


 少しだけ、彼の表情が崩れます。


「剣のほうが、まだ素直に言うことを聞いてくれます」


「ふふ。計算式は、斬りかかっても解けませんものね」


 そんな他愛もない会話を交わしながら、私たちは屋敷へ続く夜道を歩き始めました。


◆ ◆ ◆


 夜の辺境の街は、王都とは違う静けさをまとっています。


 控えめな街灯が、ぽつり、ぽつりと石畳を照らし出し、その合間を縫うように、川のせせらぎが遠くから聞こえてくる。

 空を見上げれば、王都の塔の灯りに隠されていた星々が、ここではきちんと自分の居場所を主張していました。


「こうして歩いて帰るのも、昔は当たり前でしたわね」


 ふと、口に出していました。


「辺境に来たばかりの頃、夜道が少し怖くて……、でも、あえて一人で歩いてみたりして」


「今、そんなことをされたら、私のほうが怖いのですが」


「その頃は、あなたもまだ側にいらっしゃいませんでしたもの」


「……それは否定できませんね」


 レオンの声が、わずかに低くなる。

 その軽い自嘲に、私は少しだけ笑いました。


「今日、集いの家に来ていたあの少年……覚えていらっしゃいます?」


「宿題を忘れたふりをしていた、あの子ですか」


「忘れた“ふり”ではなく、本当に忘れていた可能性もありますわよ」


「どちらにしても、明日までに終わらせるよう伝えました」


「ええ。あの子が、十年後か二十年後かに、“ここで宿題をしたことがある”と、誰かに話してくれたらいいですわね」


 そんな未来を思い描くと、胸の奥が少し温かくなります。


 ……だからでしょうか。


 最初に、空気の変化に気づいたのは、私ではありませんでした。


「……下がってください、リヴィア様」


 レオンの声が、不意に鋭くなる。


 歩みを進めていた彼が、ぴたりと足を止め、そのまま私の前へ一歩出た。

 すぐさま、彼の背中と、私の胸元の距離が縮まる。


「え……?」


 問いかけるより早く、耳に、嫌な沈黙が押し寄せてきました。


 虫の声が途絶え、風の音がねじ曲がる。

 街灯の光の輪の外側――暗がりの中で、何かが、ふと動いた気配。


 私が息を呑んだ瞬間、レオンの剣が、音を立てて抜かれました。


◆ ◆ ◆


 暗い路地の入口から、影が一つ。


 その背後から、もう一つ。

 さらに、屋根と屋根の隙間から、落ちるように一つ。


 合計――四つ、五つ。

 数を数える前に、私の背筋には冷たい汗が伝っていました。


 彼らは、教会の衣も、王国騎士団の鎧も身につけていません。


 黒い布で顔の下半分を覆い、身体に貼りつくような衣を纏い、月明かりの中でさえ輪郭が曖昧に見える。

 騎士のような「堂々とした立ち方」ではなく、隙あらば影に溶けることを前提とした身のこなし。


 ――訓練された暗殺者。


 その言葉が、自然と頭に浮かびます。


「今からでも遅くはありません。道を譲っていただければ、怪我人は出さずに済みますが」


 レオンが、静かに告げました。


 刃を向けられているというのに、その声には焦りがまったくありません。

 むしろ、彼の背中から伝わる緊張は、冷たく研ぎ澄まされていました。


 暗がりの中の一人が、口元だけで笑ったように見えます。


「惜しいな。お前が相手でなければ、そうしていた」


 声は、癖のない共通語。

 けれど、その抑揚に、王都でも辺境でもない、微かな違和感を覚えました。


「こちらの仕事は一つだ。“対象”を確保するか、消すか。

  あとは、上の連中が好きに決める」


「……随分と乱暴な指示ですこと」


 思わず口を挟んでしまった私に、影のひとりが視線を向けました。


「口を開いたな、“対象”」


 その言い方に、背筋がぞわりとします。


 人としての名ではなく、ただの“対象”。

 命にも、意思にも値札を貼って、取引の一つに数えてしまうような言葉でした。


「レオン」


「承知しました」


 彼の短い返答と同時に、矢が飛んできました。


 夜風を裂く、鋭い音。

 それを、レオンはあらかじめそこにあったかのような自然さで、剣の腹で弾き返します。


 金属が触れ合う高い音が、一瞬だけ路地に響いた。


「――っ」


 私も遅れて、息を呑みながら両手を組む。


「《風よ、私たちの周りで輪を描いて》」


 声を低く抑え、最小限の防御結界を展開しました。

 空気が、私とレオンを包むようにわずかに震え、見えない幕が夜気の中に張られる。


 その内側で、レオンが一歩前へ。

 刺客の一人が踏み込んできた瞬間、その腕を、ほとんど目に見えない速度で弾き飛ばした。


 刃が照明に届く前に、剣が、肘の角度を変える。

 金属同士が擦れ合う音と一緒に、刺客の身体が地面に転がった。


(一人)


 数を数える自分に、悪い癖だと思いながらも、頭は勝手に計算を続けていました。


 別の方向から、砂煙のようなものが舞い上がる。

 細かい粒子が夜気に溶け、視界を曇らせる。


 目に入れば、ただでは済まない。

 そのことを、私の身体はもう知っています。


「《流れを変えて、彼らの足元だけを撫でて》」


 風の軌道を、少しだけ捻じ曲げる。

 視界を奪う煙が、私たちの手前で方向を変え、刺客たちの足元へ降り注いだ。


「っく……!」


 咳き込む声。

 その隙を逃さず、レオンの影が、すっと一人の懐へと滑り込んだ。


 光の届かない場所で、鈍い音がひとつ。

 次の瞬間、その男の手から短剣が離れ、地面に落ちました。


 カラン――と鳴ったその刃は、石畳に触れた途端、じり、と小さな焦げ跡を残します。


(……毒針)


 見慣れた王国の毒とは、少し匂いが違いました。

 鼻腔を刺す、金属と草の、異国の香り。


「確保に切り替えろ! 殺すのは――」


「命令を変えるのは、あんたの役目じゃないだろうが!」


 暗がりの中から、短く、苛立った声。

 命令系統が混乱している。

 この場にいる誰もが、はっきりとした「目的」を共有できていないのが伝わってきました。


 それでも、刃は迷わない。

 彼らの武器が向かう先は、ただ一つ――私。


 レオンの背中が、再びわずかに広がります。


「あなた方が誰に雇われていようと」


 彼は淡々と告げました。


「この方を傷つけさせるつもりはありません」


 次の瞬間。

 剣の軌道が、夜の中でひらりと光を描いた。


 刺客のひとりが振りかざした刃は、その手首ごと弾かれ、

 肘の関節を押さえられ、膝を払われ、地面と強くキスさせられる。


 骨が折れる音はしない。

 けれど、しばらくは立ち上がれないであろう角度で、彼らは次々と地面に這いつくばっていく。


 レオンの剣筋には、無駄な殺意がない。

 急所を外し、二度と立ち向かう気力を奪うだけの、正確で冷静な力。


 ……何度見ても、背筋が冷たくなるほどの腕前でした。


◆ ◆ ◆


 私は、彼の背後で、最小限の援護に徹しました。


 防御の幕を保ちつつ、離れた位置から、足を絡め取る程度の拘束魔法を一人、二人に。


 精霊王が過干渉に手を出してこないよう、

 あえて詠唱を抑え、願いを小さくまとめる。


(ここで “全部どうにかしてしまう力” を借りては、きっと駄目)


 あの集会の日、精霊王が見せた「過剰な守り」を思い出しながら、私は自分の胸の内を制御していました。


 やがて――。


「――撤退だ」


 短い号令とともに、残った影たちは、一気に距離を取った。


 屋根へ跳び上がるもの。

 路地の奥へと身を翻すもの。


 さっきまで包囲していた輪が、あっという間に崩れ、夜の闇に溶けていきます。


「……あれが本気を出せば、国などひとたまりもないってのに、よくやるぜ」


 逃げ際に漏れた、刺客の一人のぼやき。


 それが、私の耳に、はっきりと届いてしまったのは、もう、どうしようもありませんでした。


(……やはり、そう認識されているのですね。私)


 精霊の王に好かれた偏った存在。

 国を救う奇跡にもなり得るが、国を沈める災厄にもなり得る――兵器。


 喉の奥が、きゅっと狭くなるような感覚。


 けれど、今はそれを飲み込むしかありません。


 路地には、一人だけ、逃げ遅れた男が残されていました。

 頭を打ったのか、うつ伏せのまま動かない。かろうじて、微かな呼吸だけが胸のあたりを上下させています。


「……レオン」


「生きています。念のため、縛りましょう」


 彼が素早く紐を取り出し、男の手首と足首を縛っていく。その動きにも、迷いはありません。


 私は、彼らの落としていった武具に目を向けました。


 短剣。

 細い毒針。

 手のひら大の小さな魔道具。


 どれも、見慣れない刻印が刻まれている。


 王国の鍛冶師たちが使う印ではない。

 かといって、教会の象徴とも違う。


 刃の根元を指でなぞると、うっすらと削り取られた紋章の跡がありました。


「……他国のもの、でしょうか」


 私の呟きに、レオンが頷きます。


「可能性は高いですね。

  王国で造られた武器であれば、刻印を削る必要はない」


「国内の誰かだけでなく、“外”も動き始めているのですね」


 言葉にしてみると、現実感が増してしまう。

 それでも、目を逸らすわけにはいきません。


「今まで見えない場所で排除してきたつもりでしたが……」


 レオンが、ほんの少しだけ視線を落としました。


「今日は、間に合いませんでした。申し訳ありません」


 驚いて、私は彼を見上げました。


「……“今まで”?」


 レオンは、わずかに沈黙したのち、観念したように息を吐きます。


「王都を出た頃から、何度か、似た気配はありました。

  今回ほど露骨ではありませんでしたが」


 胸の奥が、ずくんと痛みました。


「私……」


 言葉が、喉の奥で絡まります。


 ああ、そうでした。

 王都へ向かう街道でも、一度、襲撃を受けました。

 あのときも、彼は、私の前に立って――。


「あなたが影でどれだけ戦ってくれていたのかを、私は今日まで、何も知らなかった」


 やっと絞り出した声は、情けないほど震えていました。


「私、鈍いですわね」


「鈍いほうが、よろしいのです」


 レオンは、淡々と答えました。


「あなたが全てを知っていたなら、きっと、今より眠れない夜が増えていた」


「今でも、充分眠れてはいませんわ」


「それでも、まだ笑っていらっしゃる」


 彼の声に、ふっと力が抜けます。


 怖かった。

 正直に言えば、足は今でもわずかに震えている。

 手のひらには、爪を立てていたせいで小さな痛みが残っていました。


 それでも――。


「気絶しているこの人を、どうなさいますか」


 レオンの問いに、私は短く首を振りました。


「拷問じみた真似は、御免ですわ。

  可能な範囲で話を聞くだけ聞いて、あとは王太子殿下と相談しましょう」


「承知しました」


 レオンが男を担ぎ上げる。

 その背中が、いつもより少しだけ重たく見えました。


 私は、彼の腕に傷があることに気づき、慌てて近づきます。


「その怪我……!」


「かすり傷です」


「かすり傷でも、放っておいたら痕が残りますわ」


 そう言って、腰の小袋から傷薬を取り出しました。


「少し、しみますわよ」


「もうすでに、心のほうがしみています」


「それは……私のせいでしたら、すみません」


「冗談です」


 そう言いながらも、傷に薬を塗る私の手は、わずかに震えていました。


「……本当に、怖かったのですね」


「ええ。怖かったですわ」


 ようやく、素直に認めることができました。


「恐ろしいのは、刃そのものではなく、

  その刃を向けることを決めた“どこか遠い手”ですもの」


 私を“対象”と呼び、

 国一つを揺るがす力として値踏みし、

 必要とあらば確保し、邪魔なら消す。


 そんなふうに考える人たちが、国の外にも、内にもいる。


 ――それでも。


「だからといって、集いの家を閉じる気は、ありませんわ」


 自分でも驚くほど、声には迷いがありませんでした。


「今日、あそこで笑っていた人たちの顔を思い出すと、とてもではありませんが、“怖いからやめます”とは言えませんの」


 レオンが、少しだけ目を細めて私を見つめます。


「……本当に、厄介なお方だ」


「褒め言葉として、受け取っておきますわ」


 そんなやり取りをしながら、私たちは屋敷への帰り道を再び歩き始めました。


 夜道は、先ほどよりも少しだけ静かに感じられる。

 けれど、その静けさの中で、私は一つの決意を固めていました。


「あなたが影でどれだけ戦ってくれていたのかを、私は知らなかった。

  それでも――」


 歩きながら、そっと呟きます。


「これからは、せめてあなたの背中くらいは、守れるようになりたいのです」


 レオンは、それには何も答えませんでした。

 ただ、ほんの少しだけ歩幅を落とし、私が追いつきやすくしてくれただけ。


 その沈黙が、不思議と心地よくて。


 屋敷の門が見えてきた頃、緊張の糸がぷつりと切れたのか、私はふらりと足を止めてしまいました。


「リヴィア様?」


「……あ、いえ。少しだけ、足が、ですね。震えているみたいで」


「当然です。今夜は、甘いお茶をおすすめします」


「そうですわね。ついでに、甘いお菓子も追加で」


「侍女たちが喜びます」


 そう答えたあと、自室の扉を閉め、ベッドの端に腰を下ろした瞬間。


「あ……」


 ようやく、自分が靴を脱ぎ忘れていることに気づきました。


「……本当に、鈍いですわね、私」


 ひとりごちて、今度こそちゃんと靴を脱ぎながら。


 守られた背中の温もりと、

 これから守らねばならない灯りのことを、

 静かな夜に、もう一度胸の中で確かめるのでした。


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