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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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火種と、燃やさないための一手

 「……“見放された者たち”の集まりに、外から来た得体の知れない男が出入りしている、ですって?」


 朝の執務室。書類の山を片付けていたところへ、家臣のひとりが緊張した顔で報告を持ってきました。


「はい。市場近くの空き家を使っているようで。

 話を煽るような物言いをしている、という噂です」


 机に置かれた別の報告書には、別の文字が並んでいます。


『教会の前で、“信仰なんて意味がない”と叫ぶ若者がいる』

『説教中に、わざと大きなため息をつき、周囲を挑発している者がいる』


 私は、指先で紙の端をなぞりました。


「……早いですわね」


 ぽつりと漏れた言葉に、隣のレオンが視線を向けます。


「何が、でしょう」


「“対立構図”ですわ。

 教会と、“見放された者たち”と、普通の領民たち。

 それぞれの間に、わざと楔を打ちこもうとしている人がいるように思えます」


 家臣が、困ったように眉をひそめました。


「見放された者たちの中には、リヴィア様のお話で少し救われたと言う者もおります。

 ですが一方で、“どうせなら全部壊してしまえばいい”と極端に走る者も……」


 それはきっと、彼らだけの性格の問題ではありません。


 行き場のない怒りと、長年の鬱屈。

 そこへ「煽る言葉」を投げ入れる者がいれば――火は、あっという間に燃え上がる。


「教会側は?」


「監査団は、“彼らを放置すれば異端になる”と強く警戒を。

 地元の神父は、なんとか間に立とうとしておりますが……」


 双方が、“自分の側が正しい”と信じたまま、

 少しずつ、相手から距離を取っていく。


(火種が積み上がっていく音が、聞こえるようですわね)


 私は、静かに息を吐きました。


「火は、最初のうちなら、手のひらで包んで消せます。

 けれど、誰かが面白半分に薪を投げ込み始めたら――

 もう、“風が止むのを待つ”だけでは済みませんわ」


◆ ◆ ◆


 その夜、最初の火花は、市場近くの広場で弾けました。


「リヴィア様!」


 血相を変えた兵士が駆け込んできたのは、夕食後すぐのことです。


「市場のほうで騒ぎが! 見放された者たちと、若い連中が揉めていて――

 このままでは、手がつけられなくなります!」


 椅子から立ち上がるより早く、レオンが剣帯を確かめました。


「行きましょう」


「ええ。

 ……念のため、防御の準備を」


 外は、日は落ちきっていないものの、もう青から藍へと色を変え始めた空。

 広場に近づくにつれ、ざわめきが風に乗って流れてきます。


 怒鳴り声。

 泣き声。

 誰かの乾いた笑い。


 角を曲がると、広場の真ん中に人だかりができていました。


「どうせ俺たちは、いらないんだろうが!」


 中心で叫んでいるのは、見放された者の集まりにいた男――ケイルでした。

 以前、部屋で話をしてくれたときよりも、目が血走り、頬がこけています。


 彼の周りには、若い男たちが数人。


「そうだそうだ! 見放された者は、もう何も怖くないってな!」

「精霊も神も役に立ちゃしねえ! 全部ぶっ壊せ!」


 粗末な棍棒や、石。

 誰かが店の屋台を蹴飛ばし、乾いた木が嫌な音を立てて転がりました。


 広場の端で、商人や家族連れが怯えた顔で身を寄せ合っています。

 小さな子どもが泣きそうになりながら、母親の裾を握りしめていました。


「レオン」


「……わかっています」


 レオンはすっと前へ出て、群衆とケイルたちのあいだに身体を滑り込ませました。

 剣は抜かず、鞘に収めたまま。その代わり、低くよく通る声を放ちます。


「全員、武器を下ろせ」


 その一言だけで、空気がぴりっと張り詰めました。


 ケイルが、ぎろりとレオンを睨みます。


「何だよ……また“守られた側”のお出ましか?

 俺たちの邪魔をしに来たのか!」


「邪魔をしに来たわけではありませんわ」


 私は、レオンの横に一歩出ました。


 群衆のざわめきが、私の姿にざっと波紋を広げます。


「あれは――」「リヴィア様……?」「奇跡の公爵令嬢だ」


 ささやきが勝手に名前を伝播させていくのは、いつものことです。


(本当は、“ただのひとり”として扱ってほしいのですけれど)


 そんな愚痴を、いま口にするわけにはいきませんわね。


 私は、そっと手を胸の前で組み、短く詠唱しました。


 目に見えない薄い膜のようなものが、ふっと周囲を包み込む感覚。

 攻撃の力を殺し、衝撃をいくらか和らげるための、防御結界です。


 光を派手に揺らすことはしません。

 ただ、誰かが石を投げても、刃を振るっても、致命傷にはならない程度の“網”。


「これ以上、誰かが怪我をしても、得をする人はいませんわ」


 私は、広場全体に届くように声を張りました。


「ここで血を流して喜ぶのは、

 きっと今日ここにいない、どこかの第三者だけですもの」


「黙れよ!」


 ケイルが叫びました。


「あんたは、きれいごと言ってりゃいいんだ!

 精霊に好かれて、みんなに感謝されて――

 俺たちがどんだけ祈って、どんだけ馬鹿にされてきたか、知らねえくせに!」


 彼の手には、いつの間にか石が握られていました。

 筋張った指が、震えています。


「どうせ俺たちは、いらないんだろう!

 だったらいっそ――」


 彼の言葉に、背後の若者たちが「そうだ!」「やっちまえ!」と煽り立てます。


 私は、彼から目を逸らしませんでした。


「ケイルさん」


 静かに名前を呼ぶと、彼の肩がびくりと震えました。


「あなたがここまで怒る理由は、

 きっと今日この場の出来事だけではありませんね」


「……っ」


「仕事を失った日。

 祈っても何も変わらなかった夜。

 “信心が足りない”と言われたときの顔。

 それら全部が積もり積もって、

 今、ここで燃えているのでしょう?」


 彼の横顔に、一瞬、躊躇いの影が差しました。


「だからって、暴れちゃいけねえのか!?」


 その隣で、煽っていた若者が声を張り上げます。


 まだ十代の終わりか、二十歳そこそこ。

 挑むような目つきの、その奥に「退屈」と「鬱憤」が渦巻いているのが見てとれました。


「どうせ俺たちは、まともに働いたって報われねえ!

 だったら、一度くらい好きに怒ったっていいだろ!」


「怒ること自体を、誰も否定しておりませんわ」


 私は、若者のほうへも視線を向けました。


「ただ――怒りは、火に似ています」


 広場にいる全員に聞こえるように、言葉を紡ぎます。


「暖を取る火もあれば、家を燃やす火もある。

 あなたの怒りが、どちらになるのかは……

 あなた一人ではなく、ここにいる全員の選び方次第ですわ」


 若者の手に握られていた棍棒が、かすかに揺れました。


「あなた方の言葉は、

 燃えやすい薪の上に火種を投げ込むようなものです」


 私は、彼らの背後――煽り役たちのほうを、ちらりと見ました。


 その中に、一人、地方の出ではない服装をした男が混じっています。

 視線だけは妙に冷めていて、状況を楽しむようでもあり、観察するようでもあり。


(……“外から来た得体の知れない男”、ですわね)


 彼と、はっきりと目を合わせました。


「この火で最初に焼けてしまうのは、

 大事な誰かの家であり、暮らしであり――

 あなた自身の居場所かもしれませんわよ」


 男の目が細くなりました。

 次の瞬間、彼は肩をすくめるようにして、一歩、二歩と後ろへ下がります。


「なんだよ……引くのかよ」


 若者の一人が、不満そうに振り返る。


「……面白くねえな。帰るわ」


 得体の知れない男は、それだけ言い残して、群衆の端から闇の中へと消えていきました。


(誰かに、報告するのでしょうね。

 “火をつけてみたが、思ったほど燃えなかった”と)


 そんな想像が頭をよぎりましたが、今は追うべき相手ではありません。


 私は再びケイルのほうへ向き直りました。


「ケイルさん」


 彼は、まだ石を握ったまま、肩で息をしています。


「怒りを燃やすことは、たしかに気持ちがいい瞬間もあるでしょう。

 でも、その火を消したあとに残るのは――

 たいてい、灰と、後悔と、“やっぱり誰も助けてくれなかった”という虚しさですわ」


「……そんなこと……わかってるよ」


 絞り出すような声でした。


「頭では、な。

 でも、わかってても、止まらねえ夜があるんだよ……!」


 私は、そっと一歩近づきました。

 結界があるとはいえ、レオンが神経を尖らせる気配が伝わってきます。


「あなたの怒りごと、この場に置いていける方法を、

 一緒に探してみませんか」


 石を握る手を、奪い取るのではなく。

 ただ、“下ろす理由”を差し出すように。


「全部を今すぐ解決はできません。

 精霊から加護を取り戻して差し上げることもできません。

 でも――

 “見放されたまま死んでいくしかない”と決めつけるには、

 まだ早いのではありませんこと?」


 ケイルの目から、ふっと力が抜けました。


 握っていた石が、指のあいだから滑り落ち、地面に小さな音を立てます。


「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」


 かすれた問い。


「それを一緒に考えるために、

 あの集まりを作ったのでしょう?」


 私は微笑んでみせました。


「怒りを持ってきてくださるのなら、

 その怒りをどうやって“燃やさずに積み上げるか”も、

 一緒に試してみませんか」


 彼の肩が、ゆっくりと落ちていきました。


「……そんな器用なこと、俺にできるのかよ」


「器用かどうかは、関係ありませんわ。

 うまくいかない日は、また怒りを持ってきてくださればいいのです。

 焦がしクッキーでもつまみながら、

 “今日は燃えやすかったですわね”と笑える日が、

 いつか来るかもしれません」


 思わず出た言葉に、周囲からくすりと笑い声が漏れました。

 緊張で固まっていた空気が、少しだけ解けていくのがわかります。


 若者の一人が、棍棒を地面に落としました。


「……俺、帰る。

 親父、心配してるだろうし」


 それにつられて、他の若者も次々に武器を下ろし始めます。


「み、皆さん、とりあえず今日はお開きにしましょう。

 店の片付けを手伝ってくださると助かります」


 いつの間にか近くに来ていた神父が、震える声でそう呼びかけると、

 商人たちも、安堵と疲労を混ぜた表情で荷物を拾い集め始めました。


 ざわめきが、少しずつ「日常の音」へと戻っていく。


 私は、防御結界をそっと解きました。

 魔力の糸を手放した途端、膝から力が抜けそうになります。


「……リヴィア様」


 すぐそばで、レオンの低い声がしました。


「大丈夫ですか」


「ええ。

 ただ……少しだけ、足が震えておりますわ」


 彼にだけ聞こえるくらいの声で告げると、

 レオンは一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの無表情に戻しました。


「本日のところは、甘いお茶と甘い菓子を多めに用意させましょう」


「それは、ぜひ」


 緊張と、安堵と、疲労と。

 全部を少しずつ抱えたまま、私は広場を見渡しました。


(たまたま、今日は収まりましたわね)


 誰かが、また別の場所で火種を積み上げるでしょう。

 今夜のような騒ぎが、これで終わりとはとても思えません。


(火を完全になくすことは、きっとできません。

 人が生きているかぎり、怒りも、理不尽も、嫉妬も、積もっていきますもの)


 それでも。


「せめて、“燃えないように積み上げる”方法くらいは、

 この領地で試していきたいですわね」


 小さく呟くと、夜風が髪を撫でていきました。


 火種を消して回るのではなく、

 燃え広がらない形に組み替える。


 そのための一手を、

 まだ選べるうちに、選び続けなければ――そう強く思いながら、

 私はレオンと共に、ゆっくりと屋敷への道を歩き始めました。


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