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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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辺境への風と、“守る場所”を選ぶこと

 王都の朝の光は、どうしてこうも上品ぶっているのでしょうね。


 窓から差し込む柔らかな陽射しに、磨き上げられた机。

 そこへ、封蝋で固く閉じられた手紙が一通、静かに置かれました。


「辺境からでございます、リヴィア様」


 侍女の声が、いつもよりわずかに硬いのを、耳が拾います。


「……ありがとう。あとで、と言いたいところですけれど――」


 嫌な予感というものは、大抵よく当たるものですわね。


 私はすぐに封を切りました。


◆ ◆ ◆


『敬愛するリヴィア様へ』


 そこまでは、いつものような始まりでした。


 けれど、続く文字は、ところどころインクが滲んでいます。


『最近、辺境教会に“中央からの視察”が頻繁に来るようになりました。

 祭りや孤児院への支援について、

 「信仰心を乱す」「贅沢である」との指摘を受けております』


 胸の奥が、冷たい手でぎゅっと掴まれたように痛みました。


『リヴィア様が始められた福祉施策の一部も、

 「信徒があなたに頼りすぎている」と言われ、

 教会から中止を求められております』


 手紙を書いたのは、

 いつもは穏やかな筆致の、辺境の若い神父でした。


 なのに、今この紙面には、焦りと迷いが滲んでいる。


『信徒の中には、

 教会の言葉とリヴィア様の言葉、

 どちらを信じるべきか分からないと、涙をこぼす者もおります。

 わたくし自身もまた、どう導くのが正しいのか……』


 そこで一度、文は途切れていました。

 にじんだインクが、そのまま乾いています。


『このままでは、

 「リヴィア様に頼った者」と「教会だけを頼る者」の間で、

 見えない溝が生まれてしまうのではないかと、恐ろしいのです』


 最後に、小さく書き足された追伸。


『最近、“見放された者”が増えているように感じます。

 祈っても、精霊たちの気配が遠いと訴える人が多いのです。

 それがわたくしの思い過ごしなら良いのですが……』


 “見放された者”。


 精霊からの烙印――かつて教会がそう呼んだ人たちの姿が、

 ぼんやりと記憶の底から浮かび上がります。


 精霊が距離を置き始めた人々。

 教会が「神の御心に反した」と切り捨ててきた人々。


 その二つが、

 重なり始めている――?


「リヴィア様……?」


 気づけば、封書を持つ指先が震えていました。

 侍女の不安そうな声に、私はゆっくりと息を吐きます。


「大丈夫ですわ。ただ――少し、風向きが変わってきたみたいですの」


◆ ◆ ◆


「今、あなたに王都を離れられると、教会側の声だけが残ってしまう」


 王太子殿下は、手紙を読み終えると、眉間に深い皺を刻みました。


「公開討議の余韻が冷めないうちに、

 彼らは“現場”を締めることで巻き返しを図っている。

 辺境への監査も、その一環だろう」


「ええ。予想していたとはいえ、

 実際にこうして“揺れている声”を目にすると……」


 私は手紙の一文を指でなぞりながら言いました。


「教会の言葉と私の言葉、どちらを信じるべきか迷っている信徒がいる、とのことです。

 それだけ真面目に考えてくれている証でもありますけれど――

 混乱させてしまっているのも事実ですわ」


「あなたのせいだけではない」


 殿下は、少し強い口調で遮りました。


「そもそも教会が、

 民衆の信仰を“自分たちへの服従”と混同してきた積み重ねがある。

 そこに君の存在が風穴を開けつつあるだけだ」


「風穴を開ける風が、

 あまりに強すぎれば家ごと飛びますけれどね」


 自嘲気味に返すと、

 壁際に控えていたレオンが、じっとこちらを見ていました。


「辺境は、私が守ると約束した場所です」


 王太子に向き直り、私ははっきりと言いました。


「王都で盤上の駆け引きを続けている間に、

 守るべき土台が削られていくのを見ているだけ、というわけにはいきませんわ」


「だが、君が王都から離れれば――」


「教会は“リヴィア不在の王都”を利用するでしょうね」


 殿下の言葉を継ぐように、

 扉の外から、静かな声が響きました。


「失礼いたします。入ってもよろしいでしょうか」


 セラフィナでした。

 呼び出した覚えはありませんが、

 王城の噂の速さを考えれば、私が悩んでいることなどすぐに伝わるのでしょう。


「どうぞ、聖女候補様。

 ちょうど、わたくしたちの“足りない部分”について話していたところですわ」


 軽く冗談を添えると、セラフィナはかすかに笑いました。

 けれど、その瞳の下には、また少し濃い影が増えています。


「わたくしは、しばらく王都を離れられません」


 入室するなり、彼女はそう宣言しました。


「教会上層部は、今回の公開討議を“誤りではなかったが、行き過ぎもあった”と総括したいようです。

 その調整と、内部の火消しに、わたくしも駆り出されております」


「“行き過ぎもあった”……」


 思わず苦笑が漏れます。


「つまり、私たちが少し喋りすぎた、ということですわね」


「ええ。特に、わたくしが」


 セラフィナは自嘲気味に微笑みました。


「ですから、辺境の信仰を守るには、

 やはりあなたご自身の声も必要でしょう。

 王都からの文書だけでは、

 “都合の良い書き換え”がいくらでもできてしまいますもの」


 それは、

 王都の聖女候補としてではなく、

 ひとりの少女セラフィナとしての本音でした。


「あなたが向かうのなら、どこへでも」


 レオンは、相も変わらず簡潔です。


「それが、あなたを守るべき私の役目ですから」


「……本当に、あなた方は」


 私は三人の顔を順に見渡しました。


「どうしてこうも、私の“欲張り”を後押しなさるのかしら」


「君の欲張りが、

 この国にとってはちょうどいいのかもしれない」


 王太子殿下が、肩をすくめます。


「王家は、自分の領土で手一杯だ。

 教会は、自分たちの教義を守ることで頭がいっぱいだ。

 そんな中で、“辺境も王都も守りたい”などと本気で言えるのは、

 君くらいなものだろう」


「褒め言葉として受け取っておきますわ」


 ため息まじりにそう返しながら、

 私は心の中で、ひとつだけ確認しました。


 ――私は、どこを守りたいのか。


 “辺境”か、“王都”か。


 そんな二択を迫られたような気がして、

 思わず笑ってしまいます。


(どちらか一方だけ選べるなら、

 とっくに楽になっていますわよね)


◆ ◆ ◆


 夜。

 与えられた部屋の机に地図を広げると、

 王都と辺境と、その間の街道が、

 いやに遠く見えました。


 王都。

 私が再び足を踏み入れてしまった、追放の街。


 辺境領。

 私が「帰る場所」だと言ってもらえるようになった土地。


 教会本部。

 王都の中心から、見えない糸を張り巡らせている塔。


 指先で、それぞれをなぞりながら考えます。


「ここに留まって戦うだけが、

 “盤上のプレイヤー”ではありませんわね……」


 王都に籠もって言葉を尽くすこともできる。

 辺境に戻って、土台から支え直すこともできる。


 どちらか一方に籠城するのは、

 一見賢いようでいて――

 どちらかを捨てる選択でもあります。


「私が守りたいのは、“辺境”か“王都”か――

 そう問われれば、答えはきっと“両方”です」


 ぽつりと、声に出しました。


「欲張りだと笑われても、

 その欲張りを手放したら、

 きっと私は私でなくなってしまいますもの」


 机の上の小さなインク壺が、

 蝋燭の火を映してゆらゆら揺れています。


「風、ですわね」


 ふと、昼間のセラフィナとの会話を思い出しました。


 教会と王家の間を、

 祈りと言葉が行き来する“風”。


 そして今、

 辺境と王都の間を、

 誰かが行き来しなければ――

 どちらも“都合の良い物語”だけで塗りつぶされてしまう。


「……私が、その風を引き受ければよろしいのですわね」


 口にしてみると、不思議としっくりきました。


「風は、どこにも根を張れない代わりに――

 どこへでも届けるでしょう。

 ならばせめて、この国の隅々に、

 同じ明日の匂いを運べる風でありたいのです」


 決めてしまえば、あとは早い。


 王太子には、

 教会の暴走を抑える“王都側の抑え”として動いてもらう。


 セラフィナには、

 教会内部での火消しと情報の橋渡しを頼む。


 そして私は――

 一度辺境へ戻り、

 教会監査とどう折り合いをつけるか、

 信徒たちの不安をどう受け止めるかの方針を、

 実際の顔と声を見ながら決め直す。


 紙の上でいくら立派な文書を作っても、

 それだけでは、揺れている心には届きませんもの。


「……決まり、ですわね」


 そう呟いたところで、

 控えめなノックが扉を叩きました。


「リヴィア様、旅支度の件でお伺いしてもよろしいでしょうか」


 侍女の声です。


「ええ、ちょうどお願いしようと思っていたところですの」


◆ ◆ ◆


「そのドレスはやめてくださいませ」


 侍女が、予想以上にきっぱりと告げました。


「まぁ。似合わないと?」


「いえ、たいへんお似合いではありますが……

 また泥だらけになりますから」


 指差されたのは、王都用に用意された、

 裾がたっぷりと広がる礼装ドレス。


 たしかに、辺境の街道を馬車で揺られ、

 村の土を踏むには、あまりに「泥を集めそう」な形状ですわね。


「たしかに……

 あれは“泥を集める魔道具”みたいな裾でしたわね」


 真顔で納得すると、侍女がふっと笑いました。


「動きやすく、かつ領主としての威厳も保てるお召し物を、

 こちらでいくつか選んでおきます」


「よろしくお願いいたしますわ。

 どうやら私は、“威厳”よりも“歩きやすさ”に心を奪われがちなので」


 旅支度のリストを確認しながら、

 ふと地図に視線を戻しました。


 王都と辺境を結ぶ街道に、

 小さな印をいくつか付けていきます。


「ここに、美味しいパン屋さんがあるんですのよ」


 いつの間にか背後に来ていたレオンが、

 地図を覗き込みました。


「補給地点の確認ですか?」


「ええ、とても大事な戦略ですわ。

 兵站が整ってこその遠征ですもの」


「たしかに」


 レオンは真面目な顔のまま頷きます。


「次の印は?」


「こことここは、

 以前、村人たちが“星がよく見える丘”だと言っていた場所ですわ」


「……軍略的には、視界が開けた高所ということですね」


「そういう解釈も、できなくはありませんわね」


 無駄情報に付き合ってくれるのは、

 彼の優しさなのか、訓練された忍耐力なのか。


 いずれにせよ、

 こうして地図の上に小さな楽しい印を増やしていく作業は、

 これから向かう道の険しさを、

 ほんの少しだけ和らげてくれました。


◆ ◆ ◆


 夜更け。

 旅支度を一通り確認し終えて、

 机の前に座り直します。


 辺境から届いた手紙を、もう一度開きました。


『信徒の中には、

 教会の言葉とリヴィア様の言葉、

 どちらを信じるべきか迷っております』


「迷ってくださっているだけ、まだ良いのですわ」


 そっと呟きます。


「何も考えずに従うほうが、ずっと楽でしょうに。

 それでも迷っているのなら――

 その迷いごと、抱えて帰りましょうか」


 紙の端を指先で整え、

 封筒に戻しました。


「静かに締め付けてくる手のほうが、

 剣よりもよほど始末に負えませんわね」


 けれど――


「選べる道は減りました。

 でも、まだ“選ぶ権利”までは奪われておりませんもの」


 王都と辺境。

 神と精霊。

 教会と民。


 そのどれか一つだけを守るために、

 他を切り捨てるような選択は、

 きっと私にはできない。


 だからこそ、風になる。


 根を張れない代わりに、

 どこへでも届く、しつこい風に。


 王都の塔の上にも。

 辺境の祭りの広場にも。

 小さな診療所の窓にも。


 同じ明日の匂いを、

 少しずつでも運べるように。


「……さて。明日は早起きですわね」


 立ち上がった肩が、

 少しだけ軽くなっていました。


 守る場所を選ぶのではなく、

 守る場所同士を結ぶことを選んだからでしょうか。


 それとも単に、

 “また泥だらけになる”覚悟ができて、

 諦めがついただけかもしれませんけれど――


 どちらにせよ、

 風はもう、動き始めてしまったのですわ。


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