四人の密議と、“同じ方向”を見るということ
王都という場所は、賑やかなはずなのに、
夜になると妙に「音」がよく聞こえるものですわね。
たとえば――
誰かがこっそりと、密談の招待状を届けに来る足音とか。
◆ ◆ ◆
「……公にはできない話、ですの?」
王太子殿下からの文書を受け取ったとき、
最初にそう問い返したのは、私ではなくレオンでした。
封蝋には王家の紋章。
けれど、その文面はどこか、王太子殿下個人の筆致に近い。
丁寧な言い回しの奥に、短く鋭い一文が混ざっていました。
『今夜、内輪で話がしたい。
記録に残らない形で』
記録に残らない――
それはつまり、責任の所在も曖昧になる、ということ。
誰かにとっては好都合で、
誰かにとっては、限りなく危うい提案ですわ。
「断るという選択肢も、なくはありませんが」
レオンが低く言います。
彼はこういうとき、わざと曖昧な表現を使うのですよね。
“なくはないが、現実的ではない”選択肢。
「ここで断れば、殿下が別の場で同じ話を進めるだけですもの。
それなら――直接聞いておきたいですわ」
私がそう答えると、レオンは小さく頷きました。
「では、私も同行を」
「もちろん。あなた抜きで密談など、落ち着いてお茶も飲めませんもの」
冗談めかして言うと、
彼はほんの少しだけ口元を緩めます。
夜。
王城の奥まった一室――小さな会議室の前で、
私は一度だけ深く息を吸いました。
この扉の向こうに、
私を辺境へ送った元婚約者と、
私を「偽りの聖女」と呼ぶ人々に挟まれてきた聖女候補と、
私を守ろうとしてくれる護衛騎士と。
その三人が、同じ卓を囲んで待っている。
少し、可笑しくて。
少し、怖い。
「行きましょうか」
レオンの一言に背中を押されるようにして、
私は扉を開けました。
◆ ◆ ◆
部屋は想像していたよりもずっと質素でした。
長机が一つ。
椅子が四脚。
壁には古い地図と、油の少なくなったランプ。
華やかな会議室ではなく、
むしろ「誰にも見つからないための部屋」という印象です。
「来てくれてありがとう、リヴィア」
最初に声をかけてきた王太子――アルベルト殿下は、
公式の場で見るときよりもずっと疲れた顔をしていました。
その隣には、壁を背にして立つレオン。
彼はいつものように無駄のない姿勢で、
室内の死角を目配りしています。
「聖女候補殿は?」
「まもなく来るはずだ。……あまり人目につかないよう、遠回りをしている」
その言葉のすぐ後。
扉が控えめに叩かれました。
「失礼いたします」
入ってきたセラフィナは、
昼間よりさらに少しやつれた顔をしていましたが、
それでも真っ直ぐこちらを見て微笑みます。
「遅れて申し訳ありません。
祈りが長引いてしまって」
「祈りという名の、説教ではなくて?」
つい、意地の悪い問いを投げてしまいました。
セラフィナは一瞬だけ目を丸くしてから、
困ったように笑います。
「……半分ずつ、くらいでしょうか」
その正直さに、思わずこちらも口元が緩みました。
「では、始めよう」
アルベルト殿下は、
手元の紙も書記も置かずに、静かに宣言しました。
「今夜ここで話すことは、記録に残さない。
祈りにも、報告にも載せない。
ここにいる四人だけの“弱さ”として、共有したい」
弱さ――その言葉に、
セラフィナが小さく息を呑む気配がしました。
王太子が自分の弱さを前提に会議を始めるなど、
本来ならあってはならないことでしょう。
「ここにいること自体が、
それぞれの立場にとっては危ういはずだ」
アルベルト殿下は続けます。
「だからこそ――
今夜の会合は、王家の歴史にも、教会の記録にも、
一行たりとも残ってはならない」
「ではせめて」
私は口を挟みました。
「“生きている人たちの明日”には、何かしら残ってくれますように」
その言葉に、殿下は苦笑します。
「君は、本当に、そういうところだけは変わらないな」
◆ ◆ ◆
最初に口を開いたのは、アルベルト殿下でした。
「教会に正面から逆らえば、
王家の権威そのものが揺らぐ。
これは、父も私も、骨身に染みて理解している」
机の上に組んだ指に、力がこもっています。
「だが、このまま教会の思うままにさせれば、
国は少しずつ腐っていく。
貧民街も、辺境も、次の飢饉や疫病で同じことを繰り返すだろう」
「だからこそ、あなたは私を辺境に?」
わざと棘を含ませて尋ねると、
殿下は一瞬だけ目を伏せました。
「当時の私は、
王家と教会の利を優先することしか考えられなかった。
……それを後悔と呼ぶ資格が、今の私にあるかどうかは分からないが」
「後悔と呼ぶかどうかを決めるのは、私ではありませんわ」
私は首を横に振りました。
「ただ一つ言えるのは――
あの日の決定が、辺境にとっても王都にとっても、
“最善”ではなかったのだろうということだけです」
殿下は苦笑しながらも、その言葉を否定しませんでした。
「教会を完全に敵に回すことはできない。
だが、これ以上好き勝手させるわけにもいかない」
「板挟み、ですわね」
「その板の狭間に押し潰されるくらいなら、
せめて板ごと動かしたいのだがな」
冗談めかしたその一言が、
彼なりの本音なのだと分かります。
◆ ◆ ◆
次に口を開いたのは、セラフィナでした。
「わたくしは……
聖女候補として祈ることを求められています」
彼女は自分の指先を、そっと見つめながら話し始めます。
祈りすぎて割れた跡が、薄く残っている指先。
「祈りを求められる夜の数と、
本当に救いたかった人を救えなかった夜の数は、
いつの間にか、同じくらいになってしまいました」
静かな告白でした。
「神は沈黙しておられる、と言われます。
祈りが届かなかったのは、神の御心に沿わなかったからだ、と」
セラフィナは唇を噛みました。
「けれど、あの大聖堂の中で、
わたくしは何度も……
“本当にそうなのか”と問いかけてしまったのです」
彼女の声が、かすかに震えます。
「リヴィア様が病の村で行ったことは、
たしかに教会の教義からすれば危ういのかもしれません。
ですが、あの村で起きたのは、
“苦しむ人を見捨てない”という、
ただそれだけのことでもあったはずです」
「セラフィナ」
アルベルト殿下が、心配そうに名を呼びました。
「その言葉は、聖女候補としては危ういぞ」
「存じております」
セラフィナは、意外なほどはっきりとした声で答えます。
「だからこそ、この部屋でしか言えないのです」
その横顔は、
昼間、大聖堂で見たときよりもずっと強く見えました。
「わたくしは……
教会そのものを壊したいわけではありません。
けれど、“都合の良い聖女像”の中に押し込められたくもない」
ちらりとこちらを見て、
彼女は苦笑しました。
「わたくしもまた、
リヴィア様ほどではありませんが、“偏った存在”なのかもしれませんわね」
「偏っているのは、きっと、ここにいる全員ですわ」
思わずそう返してしまいました。
◆ ◆ ◆
「では、私の順番だな」
レオンが静かに口を開きます。
「私は剣を扱う者だ。
できることは、目の前にいるごく少数の人間を守ることだけ」
彼の言葉はいつも通り簡潔ですが、
そこに込められた重さは、誰よりもはっきりしていました。
「あなたがた三人を、この部屋から無事に出すことはできる。
たとえ王城が敵になろうと、
たとえ教会が法をねじ曲げようと」
「心強いですわね」
私が皮肉めいて言うと、
レオンはほんのわずかに眉をひそめます。
「だが――」
彼は続けました。
「剣で守れるのは、あくまで“ここ”だけだ。
王都全体も、辺境の村々も、
貧民街の診療所も、
剣では変えられない」
「だから、“仕組み”を変える必要がある――
そう言いたいのですわね」
私の言葉に、レオンは頷きました。
「私は武で抑止力を示し続ける。
だが、それだけでは、いつか限界が来る。
だからこそ、あなた方に“別の形の抑止力”を担ってもらいたい」
「別の形、ですか」
アルベルト殿下が問い返します。
「王家としての威光であり、
聖女候補としての祈りであり、
辺境の公爵令嬢としての民からの信頼であり――
それぞれが持つ“守る力”だ」
レオンは淡々と言いました。
「誰か一人が全部背負えば、
その者が倒れた瞬間にすべて崩れる。
それは、戦場では最も愚かな布陣です」
「さすが、実戦の人間ですわね」
思わず、感心が口をついて出ました。
「戦場の愚かさは、王城の会議でもよく見かけるがね」
アルベルト殿下が苦笑します。
◆ ◆ ◆
そして、最後に。
視線が、自然とこちらへ集まりました。
「私、ですか」
あらためて問われると、少しだけ肩がこわばります。
「私は……」
ひと呼吸、置きました。
「私は精霊に好かれているだけの、
偏った存在ですわ」
その自己紹介に、殿下が眉をひそめます。
「自分でそう言うのは、少し過小評価ではないか?」
「過大評価よりは、まだ安全ですもの」
軽く返してから、真面目な声に戻しました。
「私は、この力だけで国を動かすつもりはありません。
そんなことをすれば、本当に“危険物”として封じられてしまうでしょう」
「では、君は何を望む?」
アルベルト殿下の問いに、
私は机の上で指を組みました。
「私が望むのは、
辺境で今日を生きている人たちの明日が、
少しでもましであることです」
それは、ずっと変わらない願いです。
「そのためなら――
王都の貧民街の明日も、
王城の侍女たちの明日も、
できれば一緒に良くなってくれればと思っています」
「欲張りだな」
「ええ。とても」
自分でもそう思います。
「だからこそ、私一人では無理なのです。
だからこそ、“誰が誰の上に立つか”ではなく――」
私は三人を見渡しました。
「誰がどの位置で、何を守るのか。
そこを先に決めませんこと?」
アルベルト殿下が、興味深そうに眉を上げます。
「君らしい視点だな」
◆ ◆ ◆
それからしばらく、
小さな部屋の中で、四人の密議が続きました。
王太子は、自分ができることとできないことを、
自覚したうえで口にします。
「教会の暴走を止めるブレーキくらいなら、
ぎりぎり踏めるかもしれない。
だが、アクセルを踏むには、まだ王家の足りないものが多すぎる」
セラフィナは、教会の内部事情を慎重に打ち明けました。
「わたくしがあまり露骨にリヴィア様側に立てば、
すぐに“ふさわしくない聖女候補”として、
別の誰かに役目を奪われるでしょう」
「それは困りますわね」
私が言うと、セラフィナは苦笑しました。
「本当に困っておられるようには……
少しだけしか見えませんけれど?」
「あなたがいなければ、教会と民の間の橋が折れてしまいますもの。
それは、私にとっても不便ですわ」
わざとらしく言うと、
彼女は、耐えきれないといったように笑いました。
「リヴィア様は、本当に……」
途中で言葉を切り、首を振ります。
「けれど、その“利用されている”感じは、嫌いではありません」
レオンは、それを冷静に整理しました。
「アルベルト殿下は、教会に対するブレーキ役。
セラフィナ様は、教会内部の情報と信仰の橋渡し役。
リヴィア様は、辺境と民衆の声を拾い上げる“現場側の代表”。
私は――」
「最後の抑止力、ですわ」
私が言葉を継ぐと、レオンは頷きました。
「四人のうち、誰か一人が欠ければ、
この形は崩れる」
「そういう“円卓”のほうが、王城には似合わないかもしれませんわね」
私が皮肉を言うと、アルベルト殿下は肩をすくめました。
「玉座が一つだからといって、
思考まで一つでなければならないわけではないさ」
◆ ◆ ◆
会話の途中で、
セラフィナが出されたお茶を、少しこぼしそうになりました。
「きゃっ――」
と、普段の彼女からは想像もつかない小さな声。
反射的に、私はハンカチを差し出していました。
「ありがとうございます……」
「緊張なさっているのですね」
「そ、そんなに分かりますか?」
「ええ。私も同じくらい緊張しておりますもの」
本当は、それ以上かもしれませんが。
そんな小さなやり取りの合間にも、
部屋の外の気配には、全員が意識を向けていました。
廊下の向こうで、
誰かの足音がふっと止まる気配がします。
四人とも、一瞬ぴたりと口を閉じました。
扉の前で足音が止まり――
そのまま、しばらく動きません。
(聞かれて、いますの……?)
部屋の空気が、ぴんと張りつめます。
やがて、足音は遠ざかっていきました。
誰かが、私たちがこの部屋に集まっていることを知っているのか。
それとも、ただの通りすがりなのか。
どちらにせよ、
「この四人が一堂に会した」と知られれば、
それだけでクーデターの噂の種になるには充分でしょう。
「……長居はできないな」
アルベルト殿下が小さく呟きました。
「今夜決められるのは、方針だけだ。
具体的な手は、それぞれが自分の場所で打つしかない」
「同じ方向さえ見ていれば、ですわね」
私が言うと、セラフィナが小さく頷きます。
「わたくしたちはきっと、それぞれの檻の中にいます」
私は、その言葉を口にしました。
「王家という檻。
教会という檻。
辺境という檻。
剣という檻」
視線が、それぞれの檻の持ち主に向かいます。
「それでも――
同じ方向を見ている檻同士なら、
壁越しでも手を伸ばせるかもしれませんわね」
アルベルト殿下が、ふっと笑いました。
「君は、本当に比喩が好きだな」
「分かりやすいでしょう?」
「少なくとも、私には分かりやすい」
殿下は立ち上がり、椅子を引きました。
「これは、おそらく王家の歴史に残ってはならない会合だ」
その言葉は、最初の宣言の繰り返しでした。
けれど今度は、
そこに少しだけ――
希望にも似たものが混ざっていた気がします。
「ではせめて」
私はもう一度、同じ言葉を返しました。
「“生きている人たちの明日”には、残りますように」
四人が、それぞれの場所へ戻っていきます。
王太子は玉座のある階へ。
セラフィナは大聖堂へ。
レオンは警備と情報の網へ。
私は、王城の与えられた部屋へ。
同じ塔の中で、
それぞれ別の階層に散っていくのだと思うと、
少しだけ可笑しくなりました。
◆ ◆ ◆
自室へ戻る途中、
じわじわと肩に疲労がのしかかってきました。
「……緊張で肩が凝りましたわ」
思わずこぼすと、背後からレオンの声が返ってきます。
「明日、軽い運動でもされますか」
「こういうときに筋肉の話を持ち出すのは、
いかにも騎士らしい発想ですわね」
「血の巡りが良くなれば、思考も冴えます」
「否定できないのが悔しいところですわ」
苦笑しながら、
自室の扉の前で一度振り返りました。
廊下には誰もいません。
けれど、どこかで誰かが、
盤上を上から眺めている気配がする。
その視線に向かって、
心の中で、ひと言だけ告げました。
(誰が主導かを決めるより――
誰が何を守るのかを、先に決めましたの)
檻の形は違っても。
立っている高さは違っても。
今夜、同じ方向を見た四人がいる。
それだけでもきっと、
盘の上の「次の一手」は、
少しだけ変わってしまったはずですわ。




