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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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揺れる民心と、“奇跡”の値段

 いつの間にか、大聖堂の空気は変わっていました。


 最初はただ、私という“異端かもしれない存在”を吊るし上げるためだけの場――

 そういう温度だったはずなのに。


「うちの娘も、あの方に助けられて……」

「でも、神父様は危ないって……」

「精霊なんて、気まぐれだって聞くぞ」

「けど、村が救われたのも本当だろう?」


 討議の合間。

 進行役の神官が「静粛に」と促しても、

 ささやき声は、もう完全には止まりません。


 壇上からは、一人一人の顔までは見えません。

 けれど、分かるのです。


 今の私の言葉を、どこかで肯定した人。

 ますます不安になって、眉をひそめた人。

 どちらとも言えず、ただ胸の前で手を組んで目を閉じた人。


 さまざまな揺れが、視線と沈黙と、わずかな呼吸の音になって、

 こちらへ押し寄せてきます。


(……揺れてくださっているのですね)


 それはきっと、教会にとっては厄介なことでしょう。

 けれど私にとっては――少なくとも、“何も考えずに石を投げるだけの人”ばかりではない証拠でもありました。


 その揺れに、真っ先に気づいたのは、やはり教会側でした。


「――お忘れなきように」


 枢機卿代理ルシアスが、わざと一段階低い声で言いました。

 聖堂の石壁に、その声だけが冷たく反響します。


「奇跡には、必ず代償が伴います」


 ざわめきが、すっと引いていくのが分かりました。


「力を使う者が払う代償だけではありません。

 その周りにいる者たちも、その影響を受ける」


 ルシアスは、まるで優しい説教でもしているかのように、穏やかな笑みを浮かべています。


「あなたが今後も好き勝手に力を振るえば――」


 視線が、私に突き刺さりました。


「精霊の王とやらの気まぐれ一つで、

 この国全体が災厄に巻き込まれるかもしれません」


 民衆席のあちこちで、「たしかに……」「それは困る」といった小さな声が上がります。

 恐怖は、信仰よりも早く伝播するものですわね。


 私は、思わず唇を噛みました。


 病の村で、無茶な詠唱をした夜。

 あの白い世界で、「我のお気に入り」とささやいた声。

 先日、街道で襲撃を受けたとき、自動的に発動した防御の術。

 私に刃を向けた男の背筋を、目に見えない何かがぞっとなぞった、あの瞬間。


(……たしかに)


 もし、この力が本気を出せば。

 国一つを沈めることも、不可能ではないのかもしれません。


 そう思ってしまう自分が、誰よりも怖い。


 ルシアスは、それを見透かしたような目をしていました。


「あなたは、自らの内に宿る“災厄の種”を、

 本当に制御できるとお思いですか?」


 その問いに、即座に「はい」とは答えられませんでした。


 私が沈黙した一瞬を、

 彼は逃しません。


「あなたが病村で倒れたことは、すでに報告で知っています」


 ルシアスの声が、さらに大聖堂に行き渡ります。


「その場にいた者たちの証言によれば――

 あなたは、命を落としていてもおかしくなかった」


 周囲の神官たちが、わざとらしく眉をひそめました。


「無茶な詠唱。

 精霊の王と名乗る存在への、過度な依存。

 もしそこで、あなたが命を落としていたなら、

 あの村はどうなっていたと思われますか」


 民衆席から、「……たしかに」「それは……」という囁きが漏れます。


 ルシアスは、さらに続けました。


「あなたの力に頼った者たちは、

 あなたを喪った絶望と共に、信仰そのものをも失ったかもしれない」


 胸の奥に、冷たい針が一本刺さるようでした。


「それとも――あなたの死をもって、

 精霊の王とやらが暴走し、

 あの村ごと、あるいは辺境ごと、

 地図から消されていたかもしれない」


 そこまで言われると、さすがに民衆席からも悲鳴に近い声が上がりました。


「奇跡は、剣と同じです」


 ルシアスは、やさしく言います。


「持たぬ者にとっては憧れとなり、

 持つ者にとっては誇りとなる。

 しかし、ひとたび振り下ろされれば、

 そこにあるのは血と破滅だけかもしれない」


 彼は、少しだけ首をかしげました。


「あなたは、その剣を、

 自分一人の判断で振るい続けるつもりなのですか」


 沈黙。

 今度は、本当に大聖堂全体が黙りました。


(……ずるい質問ですわね)


 心の中で、苦く笑います。


 “はい”と言えば、無謀な危険人物。

 “いいえ”と言えば、この場で自分を否定することになる。


 どちらにしても、彼らにとっては好都合なのでしょう。


 けれど――


「たしかに、代償はあります」


 私は、一歩、前に出ました。


 石床の冷たさが、足裏からじわりと伝わってきます。


「私が病の村で倒れたことも、本当です」


 民衆席から、どよめきが起こりました。

 噂としては知っていたのでしょう。

 本人の口からそれを聞くのは、また別の重さがあるはずです。


「全員を救えたわけではありません。

 私が行っても間に合わなかった命も、

 私が行ったからこそ、期待してしまった人もいました」


 喉が、ひりつきます。


「これから先も、同じことが起こるでしょう」


 自分で言いながら、胃がきゅっと縮むのが分かりました。


「“奇跡”を見込まれて、

 私のところへ助けを求める人は、きっと増えていきます」


 大聖堂のどこかで、「そうだ」という声が聞こえました。

 あの病村の少年かもしれません。

 あるいは、王都の小さな診療所で出会った子どもか。


「そのすべてに応えられるほど、

 私は強くありません」


 正直に、言いました。


「精霊王が、どこまで私のわがままを聞いてくださるのかも分かりません。

 私自身、この力がどこまで伸びて、どこから先が危ういのか――

 はっきりとは分かっていません」


 ルシアスの目が、「ほら見たことか」と言いたげに細まります。


 でも、その前に続けました。


「だからこそ、怖いのです」


 少しだけ、声が震えました。


「自分の力が怖い。

 期待されることが怖い。

 “奇跡”という言葉が、いつの間にか、

 私から人の手を奪ってしまうのではないかと怖い」


 民衆席のあちこちで、誰かが息をのみました。


「……けれど」


 そこから先は、震えさせるわけにはいきません。


「だからといって、

 目の前で沈んでいく人の手を、

 “代償が怖いから”という理由で離してしまう自分には――

 どうしてもなりたくないのです」


 私は、胸の前で握った拳に、力を込めました。


「奇跡は、ただで降ってくる贈り物ではありません」


 言葉が、自然と形になっていきます。


「使う側にも、見る側にも、重さを残します」


 私の体に残った疲労。

 救えなかった人の名前。

 “頼れば何とかしてくれる”と、どこかで期待してしまう視線。


「それでも――」


 私は、壇上から、民衆席の闇を見渡しました。

 一人一人の顔は見えません。

 けれど、そこに“誰か”がいることだけは、確かです。


「その重さごと、誰かと分け合って生きていきたいのです」


 ざわめきが、今度は、少しだけ温度を変えました。


「私は、自分が使う力の危うさから、目を逸らすつもりはありません」


 ルシアスの視線を、真正面から受け止めます。


「だからこそ――

 あなた方にも、“ただ奇跡を求めるだけの民”ではなく」


 言いながら、自分で少し笑いそうになりました。

 こんな場で、こんなお願いをするのは、図々しすぎるかもしれません。


「一緒にこの国を支える人であってほしいのです」


 静寂。


 ほんの一瞬、時間が止まったように感じました。


 次の瞬間。


 ぽつん、と。


 どこからともなく、小さな拍手の音が聞こえました。


 誰か一人が、遠慮がちに、けれどはっきりと手を叩いています。


 それに、別の一人が続きました。

 さらにもう一人。

 波紋のように、拍手の輪が広がっていきます。


 もちろん、全員ではありません。

 腕を組んだままの貴族。

 顔をこわばらせた神官たち。

 戸惑って手を出せないままの人も、大勢いました。


 それでも――


(……十分ですわ)


 その瞬間、そう思いました。


 揺れてくださる人がいて。

 迷いながらも、自分の手で選ぼうとしてくださる人がいて。

 私の言葉を拒んだ人たちでさえ、

 きっと今夜は、眠る前に少しだけ考えてくださるでしょう。


 それなら、それで。


「本日の討議は、これまでといたします」


 進行役の神官が、慌てたように声を張り上げました。


「結論については、王城と教会における今後の協議に委ね――」


 いつものように、曖昧な言葉でまとめようとしています。


(つまり、“今ここでは決めない”ということですわね)


 それが、この場で出せる精一杯なのでしょう。

 広間全体が、すでに教会だけの支配下ではなくなってしまったのだから。


 私は、深く一礼しました。


「本日は、このような席を設けてくださり、ありがとうございました」


 皮肉半分、本心半分。


 壇上を降り、

 大聖堂の裏手に続く廊下へ出た瞬間――


 足が、がくりと震えました。


「っ……」


 慌てて壁に手をつきます。

 冷たい石の感触が、やけに頼もしく感じられました。


「リヴィア様!」


 すぐに駆け寄ってきたレオンが、肩を支えてくれます。


「大丈夫です。少し、膝が思い出しただけですわ。

 私が、ただの人間であることを」


 そう冗談めかして言ったつもりでしたが、

 声が少し掠れてしまいました。


「喉も……随分と酷使されましたからね」


 自分の胸に手を当てて、ふう、と息を吐きます。


「これで、もう後戻りはできませんわね」


 ぽつりと漏れた本音に、レオンが目を細めました。


「最初から、戻る道など残してこられなかったでしょう」


「そうでしたわね」


 思わず、笑みがこぼれます。


 緊張の糸が切れた瞬間――

 不意に、鼻の奥がむずむずしました。


「……っくしゅん」


 小さなくしゃみが出てしまい、

 レオンがほんの少しだけ目を丸くします。


「だから言ったでしょう。

 大聖堂は冷えます。風邪をひかれますよ」


「討議の最中に震えていたら、それこそ“震える異端者”ですわ。

 終わるまで我慢しましたの」


「我慢の方向性が、おかしい気がしますが」


 呆れたように言いながらも、レオンの手は優しく、

 私の肩から離れません。


 部屋に戻り、扉を閉めてから、

 ふと鏡の前に立ちました。


「……討議の最中、変な顔はしていなかったでしょうか」


 真剣に、自分の表情筋を確認します。

 眉間にしわが寄りすぎていなかったか。

 口角が引きつっていなかったか。


「いつも通り、凛としておられましたよ」


 レオンの即答に、少しだけ肩の力が抜けました。


 鏡の中の私は、

 ほんの少しだけ、疲れた顔をしていました。


 けれど、その目は――

 自分で言うのも何ですが、

 ちゃんと、前を見ているように思えました。


「……さて」


 小さく息を吸い込みます。


「これで、“ただの辺境の公爵令嬢”には戻れませんわね」


 王都の民心は揺れ、

 教会は私を完全には切り捨てられず、

 私は私で、異端と呼ばれる覚悟を、

 自分の言葉で引き受けてしまったのですから。


「ならばせめて――」


 鏡の中の自分に向かって、そっと微笑みました。


「この“奇跡”という枷ごと、

 誰かの明日を増やすために使ってみせませんとね」


 そう呟いたとき、

 どこか遠くで、教会の鐘が鳴りました。


 祝福か、警告か。

 そのどちらと決めつけるには、まだ早い。


 けれど、少なくとも一つだけは、はっきりしていました。


(――本当に、ここからですわね)


 揺れる民心と、“奇跡”の値段。

 その両方を抱えたまま、

 私はもう一度、窓の外の王都を見下ろしました。


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