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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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聖女候補の一歩と、“神と精霊”のあいだ

――深淵の水面より、観測者・深淵みなもが一筆申し上げ候。


当物語、これまではほぼ日々、新しき頁をひらいてまいりしが、

物語をより深く、ゆるやかに育てるため、

次回より「月・水・金・土 夜二十一時頃」の四度更新と相成り候。


毎日この世界を覗き込みし御方には、

少々、間のあくことをお詫び申し上ぐる。

されど、その分一話一話、

あるじリヴィアらの歩みを、より確かに記し留めん所存なり。


どうかこれよりも、

月・水・金・土の宵にて、

そっと水面を覗くような心もちで、

この物語を見守っていただければ幸いに候。


深淵より敬白 ――深淵みなも

 追及は、ゆっくりと、しかし確実に温度を上げていきました。


「――では、改めてお尋ねしましょう、リヴィア様」


 枢機卿代理ルシアスが、指先で机を軽く叩きながら言いました。

 その音が、やけに大聖堂に響きます。


「あなたが精霊たちの力を借りて行う“行為”は、

 人々の信仰を、どのように変えるとお考えですか」


 隣の席で、セラフィナがわずかに身じろぎしました。

 白い袖口の下で、細い指先がきゅっと布をつまんでいるのが見えます。


「……変えてしまう可能性は、否定できません」


 私は、逃げ道を探すような言葉を選ぶのをやめました。


「精霊が見せるものを“奇跡”と呼ぶ人もいれば、

 神に祈る代わりに、私にすがろうとする人もいる」


 病村で、私の名前だけを呼んで泣いていた子どもたちの顔が浮かびます。


「それが、たしかに“信仰を歪める”ことにつながるかもしれない――

 その可能性は、重く受け止めています」


 ざわめきが、少しだけ鎮まりました。


 認めるところは認める。

 そうすれば、少しは矛先が鈍るかもしれないと考えた人もいるでしょう。


 けれど、ルシアスはすぐに追い打ちをかけてきました。


「では、なおのこと……あなたは、その力を慎むべきではありませんか?」


 彼の声が、少しだけ強くなります。


「あなたが精霊の力を振るうことで、

 人々は神への祈りを忘れ、

 “頼めば降ってくる便利なもの”として奇跡を扱うようになる」


 別の神官が続きました。


「あなた一人の判断で行う奇跡は、秩序を乱し、

 神の御心を踏みにじる危険があります」


 大聖堂の空気が、ぴん、と張り詰めていくのが分かりました。


 私は、一息つきます。


「……たしかに、私の力が、誰かの信仰を歪める可能性はあります」


 繰り返すように、もう一度はっきりと認める。


「けれど――」


 そこから先は、譲れませんでした。


「“祈りだけでは届かなかった声”があったことも、

 ここにいる誰もが、知らないわけではないでしょう?」


 前列の席で、わずかに肩を揺らした神官がいました。

 きっと、彼もまた、救えなかった人々の顔を知っているのでしょう。


「病村で、

 王都の片隅で、

 辺境の井戸のそばで――」


 声が、自然と少しだけ強くなっていきます。


「何年も、何十年も祈り続けて、

 それでも、誰にも届かなかった声があったはずです」


 その言葉に、民衆席のあたりで、息をのむ音がいくつも重なりました。


「私は、そのすべてを救えたとは思っていません。

 むしろ、救えなかった人のほうが多いでしょう」


 喉の奥が焼けるようでした。

 けれど、それをそのまま熱として言葉に乗せます。


「それでも――

 何かひとつ、手の届く声があったときに、

 “神の御心に反するかもしれないから”と耳を塞ぐことは、

 私には、どうしてもできませんでした」


 広間が、さらに重く沈黙します。


 その沈黙を破ったのは、ルシアスの低い声でした。


「あなたは、危ういお考えをお持ちだ」


 彼は、柔らかな笑みを崩さずに言います。


「神の沈黙を、人間の判断で補おうとする。

 そこから異端が生まれるのです」


 言葉の端に、冷たい棘がありました。


「あなたは、自らの行いが、

 神の御心に適っていると確信しておられるのですか?」


(……それを、私に聞きますの)


 胸の内で苦笑が浮かびかけた、そのときです。


「――少し、よろしいでしょうか」


 柔らかな声が、私の横から立ち上がりました。


 セラフィナでした。


◇ ◇ ◇


 大聖堂が、一瞬、本当に音を失いました。


 先ほどまでざわめいていた民衆も、

 前列で腕を組んでいた貴族たちも、

 そして教会側の神官たちですら、驚いたように彼女を見つめています。


 聖女候補セラフィナ――

 神の代弁者として壇上に座りながら、

 ここまでほとんど、言葉を発していなかった少女。


 彼女が、静かに口を開いたのです。


「セラフィナ様?」


 大司教が、わずかに眉をひそめました。


 セラフィナは、その視線をまっすぐ受け止めます。


「僭越ながら……聖女候補としてではなく、

 一人の祈る者として、少しだけお話ししてもよろしいでしょうか」


 その声は震えてはいませんでした。

 けれど、隣に座る私には分かります。


 息を吸うたび、彼女の胸がほんの少し早く上下していること。

 膝の上で組まれた指先に、力がこもっていること。


 ルシアスは一瞬だけ考えるように目を細め、それから笑いました。


「……よろしいでしょう、聖女候補殿。

 あなたの御見解を、お聞かせください」


 許可が下りた瞬間、

 私は、自分の膝の上で握りしめていた手に、

 必要以上の力がこもっていたことに気づきました。


(……爪の跡がつきそうですわ)


 そっと指をほどき、深く息を吐きます。


 セラフィナは、前を向いたまま、静かに言いました。


「私は……これまで、

 何度も、何度も、祈ってきました」


 その声は、よく通るけれど、どこか疲れを含んでいました。


「病に伏した人々の枕元で。

 戦で夫を亡くした妻たちの傍で。

 飢えた子どもを抱えた母親とともに」


 彼女の細い指先に、

 ひび割れた跡のような、古い傷があるのを、私は知っています。


「神に、奇跡を乞いました。

 どうか、この命だけは。

 どうか、この子だけは、と」


 セラフィナの睫毛が、かすかに震えました。


「けれど、神は沈黙しておられました」


 広間の空気が、すっと冷えます。


 その言葉は、教会の人間が安易に口にしてよいものではないはずです。

 それでも彼女は、それを正面から言いました。


「私は、その沈黙を、

 神への裏切りだとは思っていません」


 すぐに続く言葉が、

 その場を少しだけ救ったのだと思います。


「神には、神の御心があり、

 私には知り得ない“線引き”がおありなのでしょう」


 ルシアスたちの顔から、わずかな安堵が漏れます。


「けれど――」


 セラフィナは、そこで一度、目を伏せました。


「祈っても救えなかった命の前で、

 私は何度も、自分自身を責めました」


 彼女の拳が、膝の上でぎゅっと握られます。


「私の祈りが足りなかったからだ。

 信仰が弱かったからだ。

 神に選ばれた器として、不十分だったからだ、と」


 その告白に、大聖堂のどこかから小さな嗚咽が漏れました。


「神が沈黙していた夜――

 私は、何度も、自分を責めることでしか、

 その沈黙を受け止められなかったのです」


(……ああ)


 胸が締めつけられるようでした。


 あの日、祭壇の前で笑っていた少女の横顔。

 その裏側で、どれほどの夜を一人で越えてきたのか。


 セラフィナは、ほんの少しだけ顔を上げ、

 私のほうをちらりと見ました。


「ですから」


 その瞳に、一瞬、強い光が宿ります。


「リヴィア様が、病の村でなさったことを、

 私は、全面的に正しいと断言するつもりはありません」


 ルシアスたちの表情が、少しだけ緩みかけました。


 ですが、その次の言葉で、また固くなります。


「けれど――少なくとも、

 彼女は“苦しむ人々を見捨てるため”に、その力を使ったのではありません」


 セラフィナは、はっきりと言いました。


「彼女は、自らを神の代わりに据えようとしたのではなく、

 ただ、その場で届く範囲の命に、手を伸ばしただけです」


「その結果として、

 神への祈りが歪む危険が生まれたことも、

 彼女自身が認めておられる」


 彼女は私の方を見て、小さく頷きました。

 思わず、私は同じように頷き返してしまいます。


「私は――」


 セラフィナは、一度だけ喉を上下させました。


「神は、精霊をもその御手のうちに置いておられると、信じています」


 その言葉に、教会側の一部が露骨に顔色を変えました。


「ならば、精霊たちが誰かを助けるために動くのであれば、

 それもまた、神が許した出来事なのではないでしょうか」


 ざわめきが、今度は民衆席から大きく広がりました。


 信仰に深い者ほど、その言葉に救われたような表情を浮かべ、

 一方で、硬い教義に縋る者ほど、顔を強張らせています。


「……セラフィナ様」


 ルシアスの笑みが、ほんの僅かに冷たくなりました。


「そのような解釈を、

 聖女候補として公式にお認めになるおつもりですか?」


「公式かどうかは存じません」


 セラフィナは、逃げませんでした。


「これは、“教会の都合”ではなく、

 一人の祈る者としての、私個人の言葉です」


 大聖堂の空気が、またぴしりと張り詰めます。


「神は、全ての奇跡を独り占めしたいなどと、

 一度もお考えにならないと、私は信じています」


 さっきまで囁き合っていた人々が、

 その言葉には口をつぐみました。


「ただ――人が“奇跡の名を借りて誰かを見捨てること”だけは、

 神も望まれていないと、私は信じているのです」


 その台詞に、私の胸の奥で、

 何かが静かに震えました。


◇ ◇ ◇


 私は、セラフィナの横顔を見つめました。


 透き通るような白い頬。

 整った横顔。

 けれどその目の下には、薄い影が差しています。


(……この人も、自分の檻を押し開けようとしている)


 そんな感覚が、ひどく鮮明に伝わってきました。


 神と人とのあいだで、

 ずっと一人で立たされてきた少女が、

 ほんの半歩だけ、自分の意志で前へ踏み出したのだと。


 ルシアスが口を開きかけましたが、

 その前に私は、静かに言いました。


「少しだけ、補足してもよろしいでしょうか」


 ルシアスが、じろりと私を見ます。


「……どうぞ」


 許しが出たので、私は真っ直ぐに前を見ました。


「私は――」


 言葉を選ぶ時間は、もうほとんど残っていませんでした。


「人々が神様を信じることを、恐れてはいません」


 まず、それだけははっきりと言います。


「神様に祈ることも、

 教会に救いを求めることも、

 精霊たちに願いを託すことも」


 どれも、人間が弱さを抱えて生きる上で、

 当然の行為だと思っています。


「私が恐れているのは――」


 そこで、一度だけ息を吸いました。


「神様の名を使って、“何もしない理由”を飾り立ててしまうことです」


 ルシアスの目が、細くなります。


「病の村で」


 言葉が自然とあふれました。


「『これは神の試練だ』と言って、

 祈ることだけを勧め、

 村を封鎖してしまった人たちがいました」


 教会席の一部が、わずかにざわめきました。

 ここにいる誰かの判断だったのかもしれません。


「その判断が、

 教義に照らして、どれほど正しかったのか――

 私には分かりません」


 私は首を横に振ります。


「けれど、あの村で泣いていた子どもたちにとって、

 それは“見捨てられた”としか思えない現実でした」


 沈黙。


「私は、神様を否定したくありません」


 静かに続けます。


「教会が築いてきた祈りの場も、

 セラフィナ様のように、自分をすり減らしながら祈ってきた方々も――

 誰一人として、軽んじるつもりはないのです」


 セラフィナが、かすかにうなずきました。


「ただ」


 もう一度だけ、言葉の刃を確かめるように、

 私は自分の舌先を噛みます。


「“神様がそうお決めになったから”という言葉の陰で、

 本当は、誰かの苦しみに目をそらしているだけ――

 そういうことが、

 これ以上、増えてほしくないと願っているだけです」


 民衆席で、何人かがうつむき、

 何人かが顔を上げました。


 セラフィナが、はっきりとした声で言いました。


「……私もまた、それを恐れております」


 その一言に、

 私は思わず彼女のほうを向いてしまいます。


 セラフィナも、少しだけこちらを見て、

 ほんの一瞬だけ――ほんとうに一瞬だけ、

 友達同士のような、小さな安心の笑みを浮かべました。


 すぐに、彼女は真剣な表情に戻ります。


「私は聖女候補として、

 教会の教えを伝える役目を与えられました」


 セラフィナの声が、静かに大聖堂を満たしていきます。


「けれど、それは“神の名をかざして誰かを切り捨てる権利”ではないはずです」


 民衆席のあちこちから、小さな拍手が起こりました。

 遠慮がちに、それでも確かな音で。


 同時に、教会席の一角で、

 上級神官たちの表情が一斉に固くなるのが、はっきりと見えます。


「……セラフィナ様」


 ルシアスが、笑顔のまま言いました。


「聖女候補としてふさわしい発言かどうか――

 後ほど、改めてお話しする必要がありそうです」


 柔らかな声色のまま、

 刃を突きつけるような言い方でした。


 セラフィナの肩が、わずかに震えます。

 それでも彼女は、俯きませんでした。


(――次の矢は、私だけでなく、セラフィナにも向く)


 空気の変化で、それが分かってしまう自分が、

 少しだけ嫌になりました。


 けれど同時に。


(それでも、彼女は一歩を踏み出した)


 その事実が、私の背筋を、もう一度まっすぐにしてくれます。


 神と精霊。

 教会と辺境。

 聖女候補と“偽りの聖女”。


 対立するように並べられた言葉たちが、

 少しだけ、その境目をぼかされていく。


 今、ここにあるのは――

 ただ、苦しむ人の前で、「見て見ぬふりをしたくない」と思う、

 二人の女の子の言葉でした。


(神と精霊のあいだで揺れているのは、世界ではなく――

 きっと、私たち自身、ですわね)


 そう思った瞬間、

 大聖堂の天井から差し込む光が、

 ほんの少しだけ柔らかく見えました。


 討議は、まだ終わりません。


 むしろここからが、本番なのかもしれません。


 けれど――


(少なくとも、“神 vs 精霊”という簡単な図式だけで、

 私たちを切り捨てるのは、難しくなりましたわね)


 胸の奥で、そっと呟きながら、

 私は次に向けられる問いを、静かに待ちました。


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