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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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公開討議の幕開けと、“異端”の名乗り

 大聖堂の扉は、思っていたよりもずっと、静かに開きました。


 重たげな音を立てて軋むものとばかり思っていましたのに――油が差してあるのか、それとも、ここを通る人々の祈りが重みを吸い取ってしまったのか。


 冷たい空気が、胸の奥までまっすぐに流れ込んできます。


(……寒い、というより、薄いですわね)


 石造りの高い天井。

 白く磨かれた柱。

 足音が、想像していたよりもよく響いて、私が一歩進むたびに、音が天井に触れてから、ゆっくりと戻ってくるようでした。


 視線。


 それが、肌に刺さるように集まってくるのを、はっきりと感じました。


「……あれが」「偽りの聖女だって」「いいや、病の村を救ったっていう――」


 ざわめきが、波のように左右から押し寄せます。


 上段には貴族と高位の神官たち、

 中段には、王都の裕福な民たち、

 そして一番後ろには、貧民街からも歩いてきたのでしょう、粗末な服の人々が立ち見で列を作っていました。


 祭壇前には長い机が置かれ、その背後に椅子が並んでいます。

 教会側の高位神官が数名。

 聖女候補セラフィナ。

 そして――私の席。


(……本当に、“異端用”に一脚だけ、きちんと空けてくださったのですね)


 思わず、皮肉な感想が浮かびました。


「リヴィア様、こちらです」


 隣を歩くセラフィナが、小さく囁きます。

 彼女の白いローブの裾が、光を受けて柔らかく揺れました。


 私は頷き、階段を上って壇上へ向かいます。


 ――そのとき。


(あ)


 裾を、かかとの裏で踏みかけました。


 危うく、派手に前のめりになりかけたところを、隣にいたレオンの視線を感じて、背筋をぐいっと引き伸ばします。


(いけません、ここで転んだら、異端でも聖女でもなく、

 “間抜けな公爵令嬢”として名が残ってしまいますわ)


 喉の奥で、乾いた笑いがひとつ転がりました。


 用意された椅子に腰を下ろすと、石床から冷たさがじわじわと伝わってきます。

 指先が、少しだけ冷えている。


(緊張、ですわね)


 深呼吸。


 胸いっぱいに、石と香の匂いを吸い込みました。


◇ ◇ ◇


「これより――」


 進行役の神官が立ち上がり、よく通る声を大聖堂に響かせました。


「王都大聖堂における公開討議、

 『神と精霊への信仰の在り方、および近時の“奇跡”について』を始めます」


 言葉一つ一つが、石壁に跳ね返って、何度も耳に届きます。


「発言者として壇上におられるのは――

 教会本部より、枢機卿代理ルシアス様。

 王都大司教ハロルド様。

 聖女候補セラフィナ様。

 そして、辺境グラウベルク領より、リヴィア・フォン・グラウベルク公爵令嬢」


 自分の名が読み上げられた瞬間、

 ざわめきが、さざ波ではなく、ひとつ大きな波になって押し寄せました。


「本物か」「若いな」「あの夜、うちの親父の熱も――」


 途切れ途切れの声が、耳の端をかすめていきます。


(……期待と不安と恐怖を混ぜて、熱した鍋に流し込んだような視線、ですわね)


 これだけの人の前で、何かを言おうとしているのだとしたら――

 少なくとも、喉だけでも潤しておくべきでした。


(どうしてこういうときに限って、紅茶を飲みすぎて、お腹ばかりたぷたぷしているのかしら)


 どうでもいい愚痴が、緊張の合間にふっと浮かびます。


 枢機卿代理ルシアスと呼ばれた男が、正面から私を見据えました。


 神官服に身を包み、柔らかな微笑みを浮かべている――

 けれど、その瞳の奥には、冷たい光が宿っています。


「まず最初に、グラウベルク公爵令嬢リヴィア殿に、お尋ねしましょう」


「はい」


 声が震えないように、ゆっくりと返事をしました。


「あなたが辺境の病村において行った、一連の行為――

 高熱に倒れた村人たちが、一夜にして回復した出来事を、

 人々は“奇跡”と呼んでおります」


 ざわ、と再び広間が揺れます。


「あなたにとって、あれは何でしたか」


 短い問いでした。


 けれどその中には、「神の奇跡と名乗るつもりか」「精霊の術と言い切れるのか」という意図が絡み合っているのが、ありありと見えました。


(ここで、“奇跡でした”と言ってしまうのは――きっと、罠、ですわね)


 喉の奥が、きゅっと締まります。


 私は、かすかに唇を湿らせてから言いました。


「……あの夜、私が成したことを、

 私一人の力で成し得たとは、思っておりません」


 まずそう前置きして、視線を落とさずに続けます。


「村の人々の願いと、私のわがままを乗せた祈りに、

 応じてくださった存在がいました」


 大聖堂の空気が、ほんの少しだけ変わりました。


 期待、あるいは警戒。


「それは――神ではなく、精霊の王と、その眷属たちです」


 ざわ、と、今度は明確な波が立つのを感じました。


 精霊の名を、この場ではっきりと口にしたこと。

 そして、「神ではなく」と言い切ったこと。


 ルシアスは微笑みを崩さず、少し身を乗り出しました。


「では、あなたは神よりも精霊を頼りとするのですか?」


「いいえ」


 私は首を振りました。


「私は、“誰に祈るべきか”を、誰かに強制する立場にはありません」


 正面の席の、何人かの眉が動きました。


「神に祈る人もいるでしょう。

 精霊に語りかける人もいる。

 何にも祈れず、ただうつむいて耐える人もいる」


 病村で、祈ることすら諦めかけていた母親たちの顔が浮かびます。


「私は、その誰の祈りも否定したくありません」


「しかし、あなたは――」


 今度は大司教が口を開きかけましたが、私はその言葉に重ねるように続けました。


「ただ」


 広間に、石が一つ落ちたように、静けさが降りました。


「目の前に苦しむ人がいて、

 そこに、手を差し伸べる力が私の側にあったとき」


 自分の胸に手を当てます。


「それを使わずにいられるほど、

 私は信仰深くはありません」


 ざわ、と。

 今度の波は、先ほどよりも複雑でした。


「おかしな言い方かもしれませんけれど――」


 私は苦笑を浮かべます。


「“何もせずに祈るだけの正しさ”を、

 私は持ち合わせていないのです」


 民衆席のどこかで、小さく笑う声が聞こえました。

 それは嘲笑ではなく、どこか救われたような笑い。


 一方で、前列の神官たちの顔は、いくらか硬くなっていきます。


「リヴィア殿」


 ルシアスの声が、少しだけ冷たさを増しました。


「あなたがそうした考えを持つのは、個人として自由でしょう。

 しかし――その力を、人々の前で振るうとき」


 彼は手を広げ、民衆席を示しました。


「民は、あなたの行いを“神の御業”と混同する危険があります。

 あなたは、自らを聖女と名乗るつもりはありますか?」


 予想していた問いでした。


 私は、はっきりと首を横に振りました。


「ありません」


 迷いなく、その二文字を口にします。


「私は聖女ではありません。

 神の代わりにも、教会の代わりにもなれません」


 胸の奥が、少しだけ軽くなりました。


「ただ――」


 大聖堂の空気が、わずかに揺れます。


「“今日、生きたいと願う人たち”の代わりに、

 少しだけ声を上げることなら、できるかもしれないと思っただけです」


 病村の少年。

 辺境の子どもたち。

 王都の診療所で、力なく笑っていた女性。


 そういう人たちの顔が、次々と胸に浮かびます。


「私は、神様の御名を騙るつもりはありません」


 言い切りました。


「もし異端と呼ばれるのだとしたら――」


 一度だけ、ゆっくりと息を吸い込んで。


「“見て見ぬふりをしないほうを選ぶ異端”として、ここに立っております」


 広間が、しん、と静まり返りました。


 さっきまで囁き合っていた人たちが、

 一瞬だけ、言葉を失ったようでした。


 最前列の席で、皺だらけの手をぎゅっと握りしめていた老女が、

 そっと胸の前で手を組むのが見えます。


 その瞳には、涙が光っていました。


 もちろん、すべての人が頷いたわけではありません。


 「民衆を煽っている」「危険だ」と顔に書いている神官もいる。

 「かっこつけているだけだ」と鼻で笑う貴族もいるでしょう。


 それでも――


 私の言葉は、少なくとも、

 誰にも届かないまま、宙で消えてしまったわけではない。


 胸の奥で、そう確信できました。


(……少なくとも、“黙って吊るされる”つもりは、ありませんわ)


 長い机の下で、そっと自分の膝を握りしめます。

 震えが、ほんの少しだけ収まっていく。


 討議は、まだ始まったばかり。


 これから、もっと厳しい問いが飛んでくるでしょう。

 教義や言葉尻をとらえられ、

 揚げ足を取られる場面もあるかもしれません。


 それでも。


(異端の席というのなら――)


 私は、壇上から広間を見渡しました。


(せめてその席で、“誰のために異端になったのか”だけは、はっきりさせておきたい)


 高い天井の上で、ステンドグラスを通した光が、

 色とりどりの影を石床に落としていました。


 その中に、私の影も、小さく混ざっています。


 神に近い誰かの影でも、

 聖女の影でもない。


 ただの、一人の人間の影として。


 ――さあ、幕は上がりましたわね。


 心の中で、誰にともなくそう告げながら、

 私は、次の問いを待ちました。


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