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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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公開討議の招待状と、“異端”の席

 その知らせは、午前中の光がまだ柔らかいうちに、私のもとへ届きました。


「リヴィア様。教会本部より、文書が」


 執務用にあてがわれた王城の一室。

 侍女が両手で大切そうに抱えているのは、見慣れた封蝋――けれど、そこに刻まれている紋章は、辺境で目にしたものより、いくらか重々しいものでした。


 白い蝋に、神の象徴たる紋。

 王都の教会本部からの正式な書状。


「……ありがとうございます。こちらに」


 私は書類用の机の前に移動し、深呼吸をひとつ。

 無意識に、指先に力が入っているのが自分でも分かります。


(開けたところで、内容が変わるわけではありませんのに)


 それでも、こういう封筒は、どうしても心臓によろしくありません。


 蝋を割り、紙を広げる。


 最初の数行は、礼儀正しい前置きでした。


『病村救済におけるご尽力につき、神の名において感謝を捧げるとともに――』


 さらさらと流れるような文言。

 私の名と、辺境の領名。

 そして、王都に滞在していることへの歓迎。


 そこまでなら、ただの礼状です。


 けれど、その下から続く文は――一行ごとに、胸の奥を少しずつ冷やしていきました。


『――つきましては、最近各地で語られております“奇跡”の真相を、

 神と精霊に対する正しき敬意のもとに明らかにしたく存じます』


『王都の民ならびに信徒たちの迷いを晴らすべく、

 教会と王城の共同開催による公開討議の場を設けたく』


『その席にて、リヴィア・フォン・グラウベルク様ご自身のお考えとご見解を、

 広く人々にお示しいただければ、これほどの喜びはございません』


 ここまでは、まだ「招待」の体裁です。

 丁寧で、どこまでも礼儀正しい文字。


 けれど、文末に近づくにつれて、その筆致には別の重さが加えられていました。


『なお本討議は、王都における信仰秩序維持のため、

 関係者のご出席を“義務”とすることが、すでに王城側との協議にて決定されております』


『グラウベルク公爵令嬢リヴィア様にも、

 その高きお志にふさわしく、ぜひご臨席賜りたく』


 そこまで読み終えたところで、私は紙から目を離し、静かに息を吐きました。


(“ご臨席賜りたく”、ですか)


 丁寧な言葉ほど、時に逃げ道を消すものはありません。


 招待状と呼ぶには、一行ばかり余計な文言がついている。


 ――“義務”。


 有無を言わせない鎖の、紙でできた形。


 私が書状を持ったまま黙っているのを見て、側に控えていたレオンが静かに問いかけました。


「……内容は、想像していた通りのもので?」


「ええ、おおむね」


 私は苦笑して、文書をレオンに手渡しました。


「“奇跡の真相を明らかに”“正しい敬意を”“ご見解を広く”――

 華やかな飾りをつけてありますけれど」


 レオンは視線だけで一気に読み、短く唸りました。


「実質的な、“裁きの席”ですね」


「ええ。公開の場で、私を問いただすための」


 感謝の言葉と共に、椅子が一脚――

 “異端”の席として用意されているのが、目に浮かぶようでした。


(逃げても、黙っても、燃え方が変わるだけ、ですわね)


 窓の外では、王都の空がよく晴れていて、

 城下の屋根が整然と並んでいます。


 その下で、「偽りの聖女」だの「精霊の花嫁」だの、

 いろいろな言葉が行き交っているのでしょう。


「……王太子殿下にも、お見せしておいたほうがよろしいですわね」


「すでに、教会から王城にも同じ文書が届いているはずです」


 レオンはそう言いながらも、眉間に皺を寄せました。


「これは、“拒否”を前提にしておりません」


「ええ。“異端にされる余地”すら与えないため、でしょうね」


 私は文書の最後の行を指先で軽く叩きました。


「欠席すれば、“呼び出しに応じなかった危険人物”。

 出席すれば、“人前で神への冒涜をするかもしれない異端者”」


「どちらにしても、向こうは得をする構造になっています」


 レオンの声は淡々としていましたが、その瞳は鋭く光っていました。


「だからこそ、こちらも、黙って殴られるだけの的になるわけにはいきませんわ」


 私は、封を切られた文書を見下ろしながら、小さく笑いました。


「せっかく“席”を用意してくださったのですもの。

 座り方くらいは、自分で決めてみせませんと」


◇ ◇ ◇


「公開討議、ですって?」


 王太子の執務室。

 私とレオンは、先ほどの文書を持って、殿下の前に座っていました。


 アルベルト殿下は、文書を読み終えると、机の上に置き、指先で軽く叩きました。


「……教会と王城の共同開催。

 表向きは、信仰の在り方を巡る“真摯な議論”。

 中身は――」


「私を舞台に乗せた、興行ですわね」


 私が言うと、殿下は苦笑を返しました。


「君の比喩は、ときどき容赦がない」


「実際、王都の人々にとっては、“見世物”のようなものになるでしょう?」


 “偽りの聖女”と噂される辺境の公爵令嬢が、

 大聖堂の広間で、教会の上級神官とやり合う――


 これほどわかりやすい劇は、そうそうありません。


「……出席を拒むつもりは?」


「ありません」


 私は即答しました。


「ここまで“見て見ぬふり”を嫌っておきながら、

 この場面で口を閉ざすわけにはまいりませんもの」


 沈黙もまた、ときに嘘になります。


「ですが殿下。

 これは実質、“裁きの場”です」


 レオンが口を挟みました。


「言葉一つ間違えれば、本当に“処分対象”として扱われる危険があります」


「それは、分かっています」


 言葉にすることで、自分にもう一度、釘を刺しました。


 王太子は腕を組み、しばらく考え込むように黙っていましたが、やがて口を開きました。


「……教会側の狙いは二つだ。

 一つは、君に“自分で線を引かせる”こと。

 もう一つは、その線をあとからいくらでも“拡大解釈できる”形で言質を取ること」


「“私はここまでしかやりません”と言わせたい、ということですわね」


「そうだ。

 あるいは、“神の御心に従います”という言葉を」


 殿下は苦々しげに笑いました。


「君にとって最も危険なのは、“その場を丸く収めようとして、曖昧な言葉を選ぶこと”だ」


「……それは、私の悪い癖ですわね」


 誰も無駄に傷つけたくなくて、

 角が立たないように言葉を選ぶ。


 けれど、この場だけは――

 “誰からも嫌われない言葉”を探すことが、いちばん危険かもしれません。


 と、そのとき、扉が控えめに叩かれました。


「失礼いたします。王太子殿下、リヴィア様」


 入ってきたのは、白い衣をまとった少女――

 聖女候補、セラフィナでした。


「教会側から通達がありましたので、お伝えに参りました」


 彼女は慎ましやかに頭を下げ、手にしていた紙片を差し出しました。


「討議の席に、私も同席するよう命じられております。

 “神の名において発言する者”として」


「そう、ですのね」


 私は彼女の顔を見つめました。


 以前会ったときより、少しだけ目の下の影が濃くなった気がします。

 けれど瞳はしっかりとこちらを見ていて、その奥に揺れるものは、聖職者らしい覚悟でした。


「セラフィナ様は……この公開討議を、どう思っておられますか?」


 彼女は少しだけ迷うように視線を揺らし、それから正面から言いました。


「……建前としては、“信徒の迷いを晴らすための場”です。

 神と精霊の関係を整理し、人々が安心して祈れるようにするための」


「そして本音としては?」


「本音としては――」


 セラフィナは、ほんのわずかに声を落としました。


「あなたのような方に、“信仰と秩序の線引き”をさせたいのでしょう。

 神が許す範囲と、許さない範囲を。

 ……あるいは、“許さない”と宣言させたいのかもしれません」


「それで、私は“線の外側”に立たされる」


「可能性として、です」


 彼女は私を見上げました。


「私は……あなたを敵だと思いたくありません。

 けれど、壇上では、“教会の側”として立たなければならない」


 その瞳に浮かぶ迷いが、痛いほど伝わってきました。


「私も、セラフィナ様を敵として壇上に上げるつもりはありませんわ」


 私は、そっと微笑んでみせました。


「同じ場所に座らされる、少し形の違う“囚われ人”として」


 セラフィナの肩が、小さく震えた気がしました。

 けれどすぐに彼女はいつもの穏やかな表情を取り戻し、丁寧に頭を下げました。


「当日、神の前で恥じないよう、私も祈り続けます。

 ……あなたのためにも」


「ありがとうございます」


 この言葉に、どれほどの意味が込められているのか。

 それを測るには、私の心はまだ少し幼いのかもしれません。


◇ ◇ ◇


 夜。

 あてがわれた部屋でひとりになった私は、机の上に紙を広げていました。


 そこに並んでいるのは――私がこれまでに行ってきた、“奇跡”と呼ばれている出来事の一覧です。


 枯れた井戸を再び湧かせたこと。

 森での初陣を、“誰も死なせず”に終えたこと。

 城門の前で、人々の列に向き合った日。


 そして――病の村。

 あの夜、精霊王に向かって本気で祈り、力を借りたこと。


 辺境で開いた、小さな祭り。

 「ここで生きていてもいい」と人々に思ってほしくて、焚き火の輪を作った夜。


 王都の貧民街の診療所で、

 水を少しだけきれいにし、熱を少しだけ下げたこと。


 一つ一つ、書き出していくと、

 自分でも驚くほど、数が増えていました。


「……私は、いったい何をしてきたのでしょうね」


 紙を見下ろしながら、ぽつりと呟きます。


 神様の真似をしたつもりは、一度もありません。


 精霊を“道具”として扱ったつもりもありません。


 ただ――目の前で泣いている人を見て、

 持っているものを差し出しただけ。


「誰のために、何のために力を使ったのか」


 紙の上の文字を指でなぞりながら、答えを探します。


 井戸は、この土地で生きる人たちのために。

 初陣は、一緒に剣を握った兵たちのために。


 病村は、門を叩いた少年と、その先にいる家族のために。


 診療所は、今も明日も続いていくであろう、この街の生活のために。


(私は、神様の代わりになりたかったわけではありません)


 心の中で、ひとつひとつの出来事を並べ直します。


(誰かの祈りを奪いたかったわけでもない)


 むしろ。


 祈る力すら残っていない人の傍に、

 少しだけ座っていたかっただけ。


 そうして、「今日」と「明日」の間にある溝を、

 ほんの少しだけ狭めたかっただけ。


「……それを、どう言葉にすればいいのでしょうね」


 公開討議の場で求められるのは、きっと“綺麗な答え”でしょう。


 神学的に正しく、

 教義にも反せず、

 王国の秩序にも優しい言葉。


 けれど、私は神学者ではありません。

 聖職者でもない。


 ただ、辺境と王都の両方の泥水を少しだけかぶってきた、

 一人の領主に過ぎません。


「沈黙もまた、ときに嘘になりますわね」


 私は椅子にもたれ、天井を見上げました。


「ここで何も言わなければ、

 “教会が正しくて、私は間違っている”という形だけが、

 人々の中に残るでしょう」


 そしてそれは、

 神様を本気で信じている人たちにとっても、きっと不誠実です。


「私が神様の代わりになろうとしていないことだけは――

 ちゃんと伝えなければなりませんわね」


 そのうえで、

 “それでも私が見て見ぬふりをしたくない理由”も。


 机の端には、侍女が選んでくれた布見本が並んでいました。


 公開討議に着ていくためのドレスの候補です。


「……処刑台に上がる人間の服装を悩むなんて、妙な気分ですわね」


 思わずこぼれた冗談に、自分で小さく笑ってしまいました。


 もちろん、本当に首を刎ねられる場ではありません。

 少なくとも、公式には。


 けれど、人前で言葉を切り刻まれ、

 信頼や立場を削がれる可能性を思えば――

 似たようなものかもしれません。


「襟元は詰めすぎても、開けすぎてもいけませんわね。

 “反省しているふり”にも、“挑発しているふう”にも見えてしまいますもの」


 侍女に相談したとき、

 彼女は困ったように笑いながらも、「落ち着いた色合いで、でも“弱くは見えない”ものを」と言ってくれました。


 私は紅茶を口に運び、気づけば何杯目か分からなくなっていて、

 お腹のあたりをそっと押さえました。


「……少し、お腹がたぷたぷしますわね」


 緊張すると、どうしてこう、口と胃袋ばかりが働き出すのでしょう。


 窓の外では、王都の夜が少しずつ深くなっていきます。


 大聖堂の尖塔が、星明かりの中に黒い影を落としていました。


 噂によれば――公開討議の会場は、その大聖堂の広間になるそうです。


 高い天井と、長い列の椅子。

 その一角に、“異端”の席が用意される。


「こんなにも大がかりに、席をご用意くださるなんて」


 私は窓辺に歩み寄り、塔の影を見上げました。


「せいぜい、きちんと座ってみせませんとね」


 誰のために、何のために異端になるのか。


 それだけは――私自身の言葉で、伝えたいのです。


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