密室の評議と、“危険物”の扱い方
厚い扉が閉ざされる音が、石造りの壁に低く響いた。
王城の一隅、外からは位置も分からぬ小さな会議室。
分厚いカーテンは引かれ、昼だというのに部屋は蝋燭の灯だけが揺れている。
丸卓を挟んで座るのは、ほんの数人だった。
王。
その隣に、王太子アルベルト。
向かい側には、教会本部から招かれた上級神官マティアス。
王太子派を代表する若い公爵ローデリヒ。
古参貴族ボルケンハイン伯。
そして王国の内政を預かる宰相。
卓上に並ぶ羊皮紙の束には、同じ名前が何度も何度も記されている。
グラウベルク辺境公爵令嬢 リヴィア。
「――さて」
王が、静かに口を開いた。
深い皺を刻んだその顔は、疲れも苛立ちも、表に出してはいない。
「本日の議題は一つだ。
辺境の公爵令嬢リヴィアを、今後この王国はいかに扱うべきか」
「“扱う”とは、ずいぶん物騒な言い回しですな」
ローデリヒが、かすかに眉を上げる。
「しかし、陛下のお気持ちは理解できます」
宰相が、控えめに咳払いをして言葉を継いだ。
「この数ヶ月、彼女の名は王都においても頻繁に上がっております。
井戸の復活、森での魔物退治、病村の救済――」
羊皮紙の一枚を軽く叩く。
「それらは一見、辺境の小さな出来事です。
ですが、まとめて並べてみれば、話は変わる」
「“精霊王に寵愛された公爵令嬢”」
ボルケンハイン伯が、鼻で笑った。
「放っておけば、その噂だけで、王都の秩序を揺るがしかねませぬ」
「教会としても、看過できぬ兆候です」
マティアスの声は、低く抑えられているが、
奥に硬いものがあった。
「病村の件――詳細な報告を読みました。
彼女の詠唱に応じて、風と水と大地が動いた、と」
神官は、手元の報告書をめくる。
「熱にうなされていた者の多くが、一夜にして峠を越えた。
それ自体は、確かに“救い”でしょう」
そこで、一拍。
「ですが、それは“神の名のもとに”行われたものではない。
教会の定めた儀式でもない。
ただ一人の女と、その背後にいる精霊王との、私的な契約に過ぎません」
「契約、とな」
王が、わずかに目を細める。
「はい、陛下。
精霊は、本来神の御心のもとにあるもの。
それに特異な親和性を持つ者を、
教会は“聖女”という枠組みの中で管理してきました」
視線が、さりげなく王太子の側へ流れる。
セラフィナ――聖女候補の名は、あえて出されない。
「しかしリヴィア嬢は、その外側に立っている。
我々の教義にも、王家の権威にも属さぬまま、
“奇跡”に等しいことを行っているのです」
マティアスは言葉を区切り、はっきりと言った。
「このまま放置するのは、あまりにも危険です」
「――危険、とな」
今度はボルケンハイン伯が、肩を揺らして笑った。
「危険なのは、奴が“辺境で英雄と祭り上げられている”ということですぞ。
教会がなんと説教しようと、王都がどれほど命じようと――」
分厚い指が、机をとん、と叩く。
「井戸を甦らせ、病を和らげた娘の言葉の方が、
民にはよほど響く」
老伯爵の目は、暗くぎらついていた。
「そうなれば、秩序はどうなりますかな。
税を払うのは王ではなく、民だと勘違いし始める。
“救われても当然”などと考え出す」
「ボルケンハイン伯」
王太子アルベルトが、小さく名前を呼んだ。
声は穏やかだが、その眼差しには冷たさがある。
「民が生きていてこその王国です。
生きることを“勘違い”と呼ぶのは、少々言葉が過ぎるのでは?」
「殿下はお優しい」
伯爵は肩を竦めて見せる。
「だが、国というものは、優しさだけで回るものではありませぬ。
“余計な希望”を抱かせぬことも、統治の一つ」
「余計な希望とは?」
ローデリヒが、口元に笑みを浮かべたまま問う。
「死にかけた村が、救われるかもしれないと願うことですかな。
飢えた子どもが、明日もパンがあるかもしれないと信じることですかな」
「……改革派公爵殿」
ボルケンハイン伯の眉間に皺が寄り、
場の空気が一瞬きな臭くなりかけたところで、
王が静かに手を上げた。
「口を慎め。ここは酒場ではない」
重い声が、全員の背筋を自然に正させた。
「マティアス」
「は」
「教会としては、彼女をどうすべきと考える」
「監督下に置くべきです」
即答だった。
「少なくとも、今のように勝手な判断で“奇跡まがい”の行為を繰り返されては困ります。
教会の許しなく大規模な術を用いることを禁じるべきですし、
王都滞在中は、こちらで動向を把握しておきたい」
「“把握”、ね」
アルベルトは、指先で卓を軽く叩いた。
「言い換えれば、“監視”だ」
「必要な配慮です」
マティアスは表情を変えない。
「最悪、異国に渡れば――彼女一人で、一つの軍に等しい働きができる。
その可能性は、陛下もお認めになっているはず」
沈黙。
王は一度、目を閉じた。
「利用すべきだ、という意見もあろうな」
王が言えば、ローデリヒが頷いた。
「はい、陛下。
彼女の統治手腕と“奇跡”を、王国の改革にこそ役立てるべきです」
熱を帯びた声だった。
「辺境で行っているような施策を、王太子殿下の名のもとに制度化できれば、
この国の歪みを、少しは正せましょう。
彼女を押さえ込むばかりではなく、“王家のために働く仲間”として迎える余地は――」
「甘い」
ボルケンハイン伯が、ぴしゃりと切り捨てた。
「その娘が、王太子派の言うことだけを聞く保証はどこにある。
いざとなれば、“辺境の民のため”と称して、
王都に牙を向けるやもしれぬ」
「牙を向けるのは、我らの方かもしれませんがね」
ローデリヒがぼそりと呟いた言葉を、
伯爵は聞かなかったふりをした。
「いっそ、今のうちに“処分”を視野に入れておくべきだという意見もあります」
静かに挟んだのは、宰相だった。
「もちろん、今すぐにという話ではありません。
しかし――事故や、不慮の病であれば、
王国としての説明も容易でしょう」
部屋の空気が、一段階、冷えた。
「宰相」
アルベルトの声が、低く響く。
「それは陛下の御前で語るべき案ではありません」
「殿下。私はただ、可能性の一つとして――」
「ならば、その可能性はここで潰しておきましょう」
それまで沈黙を保っていた王が、はっきりと言った。
「“事故に見せかけて殺す”などという策を、
この場で正式な案として扱うことは許さぬ」
マティアスがわずかに眉を動かし、
ボルケンハイン伯は口を引き結んだ。
「確かに、彼女は危うい。
精霊王との関わりが事実であればなおさらだ」
王の視線が、卓上の名前へ落ちる。
「だが今ここで軽々しく切り捨てれば、
辺境グラウベルク領ごと敵に回しかねぬ。
民心も、他領の貴族たちも、どう動くか分からん」
「陛下としては、しばらく“様子を見る”おつもりで?」
マティアスが問う。
「そうだ」
王は頷いた。
「王都にいる間、
彼女がどこまで“国に益するか”を見極める。
同時に、教会にも監視を任せる。
勝手な行動は慎ませたいが、
力そのものを不要に削ぐことも、今は避ける」
ローデリヒが、わずかに安堵の息を漏らす。
アルベルトは、しばし黙考したのち、口を開いた。
「――私は、彼女を“危険物”としてだけ見るのは、避けたいと思っています」
数対の視線が、一斉に王太子へと向けられた。
「もちろん、彼女の力が、国に牙を向ける可能性はあります。
ですが同時に、“この国の歪みを照らす光”になる可能性もある」
淡々とした声だった。
「盤上の駒として押さえ込むのではなく、
同じ盤上で動く“もう一人のプレイヤー”として扱う余地を――
今は、残しておきたいのです」
「殿下は、彼女を信じておられると?」
ボルケンハイン伯の問いに、アルベルトは首を振った。
「人は、簡単には信じません。私も、彼女も」
少しだけ苦い笑み。
「ですが、“信じないから殺す”という選択肢を、
今の私は取りたくない。それだけです」
王は、ゆっくりと頷いた。
「――決まりだ」
重い声が、評議の結びを告げる。
「当面、リヴィアは王都に滞在させる。
王家と教会の双方で、その動きを注視する。
力の使い方に制限を設けつつ、
“国にとっての益”を見極めろ」
誰かが「御意」と答え、
蝋燭の炎が一つ、ぱちりと音を立てて揺れた。
この国の、最も高い場所。
その天井のすぐ下で、
一人の娘の生き死にまでも含んだ議論が、静かに終わりを迎える。
当の本人が、それを知ることはないままに。
◇ ◇ ◇
――同じ頃。
「……古い文書というものは、どうしてこう、読み手への思いやりがないのでしょうね」
私は、王城の図書室の片隅で、額を押さえていた。
高い天井。
壁一面に並ぶ本棚。
古びた革表紙と、乾いた紙の匂い。
辺境の屋敷にも書庫はあったが、
ここは規模がまるで違う。
王国の歴史。
法令集。
過去の戦役の記録。
そして、私がいま広げているのは――飢饉と疫病に関する古い報告書だ。
「○○年 大飢饉発生」
「民、多く飢えて倒るも、祈祷おこなうにより、次年実り豊かに」
そこまで書いて、筆は止まっている。
「……“祈祷おこなうにより”で済むなら、
この国の苦労はもっと少なかったでしょうに」
思わず、溜息とともに愚痴が漏れた。
別の年の記録には、
疫病の流行が淡々と記されている。
『咳と熱にて多く倒る。
神に祈りを捧げ、患者は家々にて看取らる』
「看取るだけ、ですか」
指先で、古いインクの文字をなぞる。
当時の彼らは、どんな顔でこの報告を書いたのだろう。
疲れきった役人か、それとも、
祈り続けて指先を割った神官か。
(ここに書かれている“多く”という一言の中に、
一人ひとりの名前と、家族と、生活があったはずですのに)
ページをめくるほど、胸の奥が重くなる。
ある文書には、
貧民街に税の取り立てが及ばず、
結果として病と飢えが集中したことが記されていた。
別の文書では、
「貧民街を囲い、出入りを禁ず」と、たった一行で隔離政策が語られている。
「この国は、“必要なところに届かない仕組み”を、
何度も何度も繰り返してきたのですね」
思わず、独り言がこぼれた。
セラフィナの横顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
祭壇の前で祈り続けて、指先を割った少女。
アルベルトの顔も浮かぶ。
王太子として、王家と教会と貴族の思惑に挟まれて、
結局、あの日、何も守れなかった青年。
(彼ら一人を責めても、この根っこは変わらない)
それは、分かっている。
セラフィナを祭壇に縛りつけ、
アルベルトに“国益”という鎖を巻きつけたものは、
目に見えない“仕組み”だ。
税の流れ。
権威の形。
信仰と政治の結び付き。
「……首と肩が、限界ですわ」
長時間うつむいていたせいか、
首筋から背中にかけて強張りが走る。
私は椅子から少し腰を浮かせ、
そっと肩を回した。
静かな図書室に、骨の鳴る小さな音が響く。
「本当に、昔の人はどうしてもっと読みやすく――
いえ、いけませんわね。
こんなところで文句を言っても、誰にも届きませんもの」
そう呟いて、もう一度文書へ視線を落とす。
疫病の年表の端に、小さな書き込みがあった。
『この時、地方の一司祭が、
独自に井戸を閉じ、清水を保つ策を講じた。
その村だけは、患者少なし』
「……いたんですのね。
“決まり事”より先に、目の前の水を考えた人が」
ページの上の、にじんだ文字を見つめながら、
胸が少しだけ温かくなる。
(あの人もきっと、どこかで責められていたのでしょうね。
“勝手なことをした”と)
でも、その村の人々は、
きっと彼を責めなかったはずだ。
「もし私が、ここで何かを変えられるのだとしたら――」
呟きが、自然と口を突いて出た。
「それは、辺境のためだけでは済まないのでしょうね」
税の仕組み。
貧民街への支援。
疫病と飢饉の対策。
どれも、辺境一つで完結する話ではない。
(私の知らない場所で、
私をどう扱うか話し合っている人たちがいるのでしょう)
王の周りで。
教会の奥で。
貴族たちの酒席で。
(それでも、私が考えるべきは――
“私が、誰のために動くか”だけですわ)
最後の一枚を閉じ、
本を元の棚に戻す。
背伸びをすると、肩甲骨のあたりでまた小さな音が鳴った。
「……図書室での戦いも、なかなかの消耗ですわね」
冗談めかして呟き、
私は静かな廊下へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
同じ頃、先ほどの密室では、
蝋燭の灯が少しだけ減っていた。
「では――」
宰相が、議事のまとめを確認するように声を上げる。
「リヴィア嬢は当面、王都に滞在。
王家と教会双方の監視下とし、
精霊術の大規模な使用は、王か教会の許可を要する」
「辺境への帰還は?」
ローデリヒが問う。
「功績に対する表彰の名目で呼んだ以上、
永遠に閉じ込めるわけにもいくまい」
王が答える。
「ある程度こちらの意図を伝え、
互いの腹を探ったのち、適当な時期に戻す」
「その間に、彼女が“こちら側”につくかどうかを見極める」
マティアスの瞳が、暗く光る。
「精霊王との関係についても、
もう少し詳しく把握しておきたいところですな」
「……“把握”できる相手であれば良いが」
アルベルトが、小さく呟く。
王は、その言葉にだけ、僅かに口元を緩めた。
「王太子」
「はい、陛下」
「お前に、一つだけ任せる」
王の視線が、真っ直ぐにアルベルトへ向けられる。
「彼女を、“敵”と決めつけるのも、“味方”と決めつけるのも、今は早い。
だからこそ、お前自身の目で確かめろ。
彼女が、どんな盤上で、誰のために駒を動かそうとしているのかを」
アルベルトは、一瞬だけ目を伏せ、やがて静かに頷いた。
「承知しました」
「ただし」
王の声が、少しだけ低くなる。
「お前自身が、その盤に呑まれぬように」
「……肝に銘じます」
王の言葉に、マティアスもボルケンハイン伯も何も言わなかった。
それぞれが、自分の胸の内で別の勘定をしている。
蝋燭の炎がまた一つ消え、
密室の評議は静かに終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
図書室からの帰り道、
私は中庭に面した回廊で足を止めた。
空は、夕刻から夜へと移り変わる途中。
王城の塔の影が、地面に長く伸びている。
(もし、本当に――
ここで私の選ぶ一手が、
盤の端だけで済めば良いのですけれど)
苦笑が、自然と零れた。
盤の端。
辺境グラウベルク。
私が守りたい席は、本来そこだけのはずだ。
井戸のそばで水を汲む人。
収穫祭で拙い踊りをする子ども。
病の村で、明日を諦めかけていた人たち。
「でも――」
掌を、そっと胸元に当てる。
「この国の根っこが歪んだままなら、
いずれその端まで、ひび割れが走ってしまいますわね」
そうなったとき、
私はまた同じ選択を迫られるのだろう。
誰を救い、誰を見捨て、
どこまでを“自分の領分”と呼ぶのかを。
「……せめて」
夜空に、一番星が瞬き始めていた。
「せめて、私の知らないところで、
私の生死を決める相談だけは、
あまり安く済ませないでいただきたいものですわ」
冗談とも本音ともつかない独白を残し、
私は回廊を歩き出す。
この国の一番高いところで交わされた評議と、
その足元で、古い文書に首を傾げる一人の娘。
盤上を上から見下ろす者たちと、
盤の上で、どこに立つかを考える者。
それぞれの思惑が、まだ互いを知らぬまま、
ゆっくりと、しかし確実に――
同じ一点へ向かい始めていた。




