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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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王城の盤上と、動き始めた駒たち

 王城の大広間に足を踏み入れた瞬間、

 辺境の粗末な集会所とはまったく違う熱気が、肌にまとわりついた。


 天井から下がる大きなシャンデリア。

 磨き上げられた石床に、灯火とドレスの色が揺れて映る。

 楽団が奏でる穏やかな曲。

 銀の皿に盛られた、小さくて綺麗なだけの料理たち。


(……遠い世界に来てしまいましたわね)


 心の中でだけ、小さく肩を竦める。


 本日の名目は「辺境からの客人を交えた、ささやかな懇談会」。

 実際のところは、おそらく――


(“辺境の公爵令嬢”を、一目見ておきたい方々の集まり、ですわね)


 王族とごく近しい者のみが参加する夜会ほどの格式はない。

 けれど、その分だけ顔ぶれは雑多で、“王都の縮図”のようでもあった。


 王太子派の若い貴族たち。

 教会色の濃い礼装をまとった高位貴族と神官。

 古い家柄を鼻にかける年配の伯爵たち。

 豪奢ではないが、質の良い布を身にまとった商人上がりの人々。


 それぞれが、小さな輪を作り、

 笑顔の仮面を付けたまま、誰かの袖を掴み、

 耳元に何かを囁いている。


「リヴィア様、少しお顔を上げてくださいませ」


 隣に控える侍女が囁く。


「そんなに俯いておりましたかしら?」


「“処刑台に向かう方”のような気配が、少々……」


「まあ。それは困りましたわね。

 せめて“手術前の患者”くらいの顔で済ませたいところですのに」


 そんな冗談を交わす間にも、

 私の周囲には、既にいくつかの視線が集まり始めていた。


◇ ◇ ◇


「これはこれは、グラウベルク公爵令嬢」


 最初に声を掛けてきたのは、二十代半ばほどの男性だった。

 華やかな紺の礼服。胸元には王太子の紋章を模した小さなバッジ。


「王太子殿下より、あなたのご功績については度々伺っております。

 アーベント公爵家のローデリヒと申します」


(――王太子派、ですわね)


 穏やかな微笑みの裏に、

 “あなたは私たち側の人間でしょう?”という確信めいた色がちらつく。


「ご丁寧なご挨拶、恐れ入りますわ。

 辺境の小さな領から参った身でございます。

 王都の皆様の足を引っ張らぬよう、気をつけなければなりませんわね」


 私が軽く肩を竦めると、ローデリヒは声を立てて笑った。


「とんでもない。

 あなたのなさっていることは、むしろ――我らが目指す改革の、見本でありましょう」


「改革、でございますか?」


「ええ。

 辺境グラウベルク領の施策は、王都にも噂が届いております。

 井戸の再生、税の軽減、共同の食事場……」


 彼は、指を折りながら列挙していく。


「もしよろしければ、それらを王太子殿下のもとで“制度”として整え、

 他の領にも広げていくお手伝いをしていただけないかと」


「他の領に、ですか」


「はい。

 “辺境の奇跡”を、王国全土のものに――と言えば、少々大げさでしょうか?」


 彼の笑顔は、実に“善意”に満ちて見えた。

 けれど。


(その“奇跡”を起こすのは、誰で、

 その対価を払うのは、どこの領の民なのでしょうね)


 胸の内に浮かんだ言葉は、

 そのまま口には出さず、丁寧に形を変える。


「光栄なお誘いですわ。

 ただ、私の成したことは、

 グラウベルク領の土と人たちが、やっとの思いで積み上げたものです」


 ワイングラスを持つ手を、そっと傾ける。


「私一人の名で、軽々しく“輸出”できるようなものではございませんの。

 まずは、私の領で、もう少し根を張らせてから……

 その上でお話を伺えれば、と思いますわ」


「慎重でいらっしゃる」


 ローデリヒは、少しだけ興味深そうに目を細めた。


「辺境で生き残るために、身についた癖ですわ」


 笑って返すと、彼は「いずれまたゆっくり」と礼をして、輪から離れていく。


 代わるように、

 白と金で整えられた礼服の一団が、音もなく近づいてきた。


◇ ◇ ◇


「グラウベルク公爵令嬢。

 王都教会本部にて補佐を務めております、マティアスと申します」


 額に淡い印を刻んだ中年の神官が、恭しく頭を垂れた。


「先日の病村救済におけるあなたの働き、

 そして、精霊たちの動きについて――

 教会としても、大いに関心を持っております」


「それは……恐れ入りますわ」


(大いに“警戒”もしておられるのでしょうけれど)


 その言葉は、さすがに飲み込んだ。


「精霊は、本来、神の御心のもとに在るもの。

 それに特別な親和性をお持ちのあなたを、

 我々は、“正しい形”でお守りしたいと考えているのです」


「正しい形、にございますか?」


「はい。

 例えば、教会の庇護下に、その力を置いていただく。

 聖女候補セラフィナ様と協力し、

 “神の名のもとに”奇跡を行っていただく」


 マティアスは、柔らかい笑みを浮かべる。


「そうすれば、あなたも異端視されることなく、

 人々の救いとなることができるでしょう。

 ……あなたご自身のためでも、あります」


 “異端視されることなく”。

 つまり今は、十分にその危うさを孕んでいる、ということだ。


「ご心配いただき、ありがたく存じます」


 私は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「ですが、私の行いは、

 あくまで“領主として必要だと思ったこと”に過ぎませんわ。

 神の御名を騙るつもりも、

 教会の権威と張り合うつもりもございません」


「それでも、結果として――」


「だからこそ、でしょうか」


 そっと、言葉をかぶせる。


「私の力を、“誰かの庇護”のもとだけに置いてしまえば、

 いざというとき、目の前の人を守るために、

 余計な許可を待たねばならなくなるかもしれませんもの」


 マティアスの瞳が、一瞬だけ細くなる。


「私は、信仰そのものを否定するつもりはありません。

 けれど、“信仰しているふり”を強いることなら、

 少し、苦手でして」


「……率直なお考えですな」


 神官の口元から、笑みがわずかに薄れた。


「辺境の地が、

 あなたのその率直さを育てたのでしょうか」


「ええ。

 あちらでは、回りくどい言葉を選んでいるうちに、

 誰かの手が届かなくなってしまいますから」


 マティアスはしばらく私を見つめ、

 やがて「本日はこのくらいにしておきましょう」と一礼して去った。


 その背中にまとわりつく、

 冷たい香の匂いが、鼻の奥に残る。


◇ ◇ ◇


「グラウベルク嬢」


 今度は、低く渋い声だった。


 振り向くと、年配の男が一人。

 重厚な黒の礼服、銀の鎖。

 周囲で控えているのは、似たような年格好の貴族ばかり。


「ボルケンハイン伯です」


 名乗りとともに、

 彼の視線が、私のドレスから肩口、首飾り、表情までを、

 じろりと品定めするようになぞっていく。


「辺境で、随分と“お盛ん”なようですな」


「お盛ん、とは?」


「井戸だの、病村だの。

 奇跡だの、精霊だのと騒ぎ立てている――という意味です」


 彼は、薄く笑う。


「辺境は辺境らしく、

 税を納め、兵を出し、

 静かにしていてくれればよい」


 取り巻きの老人たちが、小さく頷き合う。


「あなたの“奇跡”は、

 秩序を乱しかねない。

 下々が身の程を忘れ、“自分も救われて当然だ”などと思い始めたら、

 国は立ち行かなくなりますぞ」


(……よくもまあ、ここまで分かりやすく)


 思わず、感心すら覚えてしまった。


「貴重なご意見、ありがとうございますわ」


 私は、できるだけ穏やかに微笑む。


「ただ、あいにく私の目の前にいたのは、

 “身の程を知るべき下々”ではなく――

 高熱にうなされて、息も絶え絶えの人々でしたの」


 ボルケンハイン伯の眉が、ぴくりと動く。


「その人たちが、“救われて当然だ”と思っていたかどうかは、分かりません。

 ただ、少なくとも――

 “誰にも見捨てられたくなかった”のではないかと、私は思いますわ」


「理想論ですな」


「ええ。辺境では、理想を抱く余裕など、ほとんどございません」


 私は首を傾げる。


「ですからせめて、

 “見て見ぬふりをしない”くらいの、

 ささやかなわがままは、許していただければと」


 老人たちの間に、微かなざわめきが走った。


「……口の回る娘だ」


 ボルケンハイン伯は、鼻を鳴らす。


「王都があなたにどのような評価を下すかは知らぬが――

 あまり、余計な風を吹かせぬことです」


「風向きは、いつも上から下へだけとは限りませんもの」


 思わず、アーベント公爵の言葉を思い出す。


「ときには、底から吹き上がる風もありますわ。

 それが嵐になるのか、

 ただの春風で済むのかは……

 これから、皆様と一緒に見ていくことになるのでしょうね」


 ボルケンハイン伯は、何か言いかけて口をつぐみ、

 無言で肩を回して去っていった。


◇ ◇ ◇


 その後も、

 商人上がりの若い伯爵に「あなたの施策は実に興味深い」と持ち上げられたり、

 財務官僚に「辺境の帳簿をぜひ拝見したい」と目を輝かされたり、

 気づけばグラスを持つ手が、少し痺れるほどだった。


「……いっそ、井戸の中にでも隠れてしまいたいですわね」


 大広間の隅、窓辺に立ってひと息つきながら、

 私は小さく溜息を吐く。


 楽団の音は少し遠く、

 人々のざわめきが、波のように押し寄せては引いていく。


(辺境にいた頃は、

 “領民たちの視線”くらいしか気にするものがありませんでしたのに)


 今は――


 王太子派。

 教会。

 保守派貴族。

 実利派の若い貴族と商人たち。


 それぞれの目が、

 私の一挙手一投足に色を変えて突き刺さる。


 好奇。

 期待。

 警戒。

 羨望。

 恐怖。


(私は今、いったい何に見えているのでしょうね)


 辺境から来た、奇跡持ちの公爵令嬢。

 精霊王に寵愛されているかもしれない危険物。

 教会と王家の綱引きの天秤に乗せられた石。


「あなたは、どこの駒になるおつもりですか?」


 不意に、肩越しに声がした。


 振り返ると、

 いつの間にか隣に立っていた人物がいた。


 年齢も、身分も、一目で測りかねる。

 装いは質素だが、布はよく、

 仕草には洗練が宿っている。


(……誰、なのでしょう)


 だが、私の顔を正面から覗き込んでくるその視線は、

 どこか楽しげで、

 そして、値踏みするようでもあった。


「駒、でございますか?」


「ええ。

 王太子派にとっては、“改革の旗印”になりうる駒。

 教会にとっては、“聖女の影”として利用し得る駒。

 旧来の貴族にとっては、“危険な手札”として監視すべき駒。

 商人たちにとっては、“新しい市場を開く鍵”となる駒」


 彼(彼女?)は、指先で空に見えない盤を描く。


「この盤上で、あなたを欲しがらない陣営は、ないでしょう」


「光栄、なのかもしれませんわね」


 私は、わざとらしく肩を竦めた。


「ですが残念ながら、

 私には、私のために動いてくださる“盤の外”の方がおりまして」


「……精霊王、ですか?」


 その名前が自然に出てきたことに、

 私は一瞬だけ瞳を細めた。


「噂には事欠きませんから」


 相手は肩をすくめて笑う。


「で――あなたご自身のお考えは?」


 私は、窓の外に視線を向ける。


 夜の王都。

 点々と灯る街の光。

 そのずっと向こう、見えない地平線の先に、

 私の領する辺境がある。


「私が誰の駒か、ですか」


 言葉を一つずつ確かめるように、口にする。


「強いて言うなら――

 辺境で今日を生きる人たちの駒、でしょうか。

 井戸端で水を汲む女の人や、

 祭りの焚き火の端で歌う子どもたちの」


 相手は、ふっと目を細めた。


「王家の駒でも、教会の駒でもなく?」


「その方々にも、それぞれ守りたいものがあるのでしょう。

 それを否定するつもりはありませんわ」


 私は、静かに続ける。


「ですが、私が最初に名前を呼べるのは――

 あの土地で、明日食べるパンの心配をしている誰かの方です」


「……なるほど」


 窓に映る相手の横顔が、

 わずかに愉快そうに歪む。


「盤上の駒、とは言いましたが。

 あなたの場合、

 盤そのものを傾けかねませんね」


「そんな大それたこと、できるとは思っておりませんわ」


「おや。本当に?」


 私は少しだけ笑う。


「せいぜい、

 盤の端っこで、ひっそりと領民たちの席を増やすくらいが関の山です」


 それでも――と、心の中で続けた。


(もし、その小さな動きが、

 いつか盤全体を揺らすなら)


(そのときは、その揺れを、

 “ざまぁ”と呼ぶ人も、“救い”と呼ぶ人も、きっといるのでしょうね)


「盤上に立たされるのは、もう慣れましたわ」


 私は小さく息を吐く。


「だったらせめて、一度くらい、

 自分から駒を動かしてみたいのです」


「――その瞬間を、楽しみにしておりますよ、公爵令嬢」


 謎めいた相手はそう言い残し、

 人々の波に紛れて姿を消した。


◇ ◇ ◇


 夜会が終わり、

 与えられた部屋に戻る頃には、

 頬の筋肉が少し痛かった。


 鏡に映る自分の顔を見て、

 思わず小さく笑ってしまう。


「……笑顔を維持するのは、戦闘とは別の筋肉を使いますわね」


 窓を開けると、

 夜風が冷たく頬を撫でた。


 眼下に広がる王都の灯り。

 遥か遠くの闇の向こうにある、

 グラウベルクの夜を想像する。


「ここに立つだけなら、きっと誰でもできる」


 小さく呟く。


「けれど――ここで、“誰のために立つか”を決めるのは、

 私自身」


 王都という盤上で、

 私を取り込もうとする手は、これからも増えていくだろう。


 それでも。


「私は、あの辺境で、

 今日も明日も水を汲み、パンを焼き、

 泣いたり笑ったりしている人たちのために」


 そのためだけに――

 この街全体を巻き込む“ざまぁ”も、“救い”も、

 必要ならば引き受けてみせる。


 塔の上から見下ろす王都の灯りは、

 どこまでも眩しくて、少しだけ冷たかった。


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