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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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王都からの召喚状

 王都の紋章は、朝の光の中でいやにくっきりと浮かび上がっていた。


「……王都から、ですわね」


 執務机の上に置かれた封筒を見下ろしながら、私は小さく息を飲んだ。


 深紅の封蝋。

 見慣れた――けれど二度と見たくないと思っていた――紋章。


 侍女も執事も、部屋の空気ごと固まっている。


「お開けしても?」


 執事が恐る恐る尋ねる。


「ええ。逃げても、封筒は追いかけてきませんもの」


 軽口のつもりで言ったのに、誰も笑わなかった。

 代わりに、自分で封を切る覚悟を決める。


 蝋を割る音が、やけに大きく響いた。


 羊皮紙を引き出す。

 きっちりと揃えられた文字が、視界に流れ込んでくる。


『辺境グラウベルク領を預かる公爵令嬢、リヴィア・グラウベルク殿』


 まずは、病村救済の件についての「多大なる尽力への謝意」。

 続いて、「辺境統治の成果に対する王都としての正式な評価」。

 表現だけを見れば、どこまでも丁寧で、華やかで――紙の上に花を散らしたような言葉が並んでいる。


『よって、かかる功績をたたえ、王都における表彰の場へ、あなたを招く』


 ここまでは、まだ分かりやすい。


 問題は、その次だ。


『あわせて、辺境領の現状および、近時報告されている「奇跡」と称される事象の詳細について、

 直にお話をうかがいたく存じます』


 直に、でなければならないらしい。


『本状は、礼を尽くした招待であるとともに、

 王都に対する統治報告の義務の一端を成すものであることを、ご理解願いたい』


 文面の端に、小さく棘が混じっていた。


(つまり――“来るのは義務です”と)


 最後の段落を読み、私は心の中で訳す。


『とりわけ、あなたが有する特異な力と、

 精霊との親和性についての説明を、王都は期待している』


 特異な力。

 親和性。


 なるほど、分かりやすい。


 これは、褒め言葉ではない。

 “珍しいもの”と、“危険物”を指す婉曲な言い回しだ。


「……リヴィア様」


 しばらく黙っていた執事が、おそるおそる声をかけてくる。


「内容は……」


「“表彰”と、“報告”と、“審査”ですわね」


 私は羊皮紙を折りたたみ、机の上に置いた。


「丁寧に飾ってありますけれど、言いたいことはひとつですわ。

 『一度、直接こちらに出てきて、顔を見せなさい』」


 それを聞いて、部屋の誰もが、さらに表情を固くした。


◇ ◇ ◇


 昼、執務室には側近たちが集められた。


 レオン、執事、文官、数名の古参の兵士。

 地図と書類に囲まれた円卓の上に、先ほどの召喚状が置かれている。


「……以上が、王都からの文面です」


 読み上げを終えると、しばし沈黙が落ちた。


 口火を切ったのは、レオンだった。


「これは実質的な“審査”です」


 低く、しかしはっきりとした声。


「あなたを称える場というより――

 あなたの“危険度”を測る場でしょう」


 執事が眉をひそめる。


「しかし、お断りするわけには……。

 ここで拒めば、それこそ謀反の疑いを招きかねません」


「ええ」


 私は頷いた。


「ここで足を止めれば、私は本当に“辺境に封じられた危険物”として一生を終えるのでしょうね」


 自分で言いながら、苦笑が漏れる。


 危険物。

 物扱いされるのは、あまり愉快ではないけれど――

 あちらから見れば、きっとそうなのだ。


 精霊に好かれてしまった、扱いづらい存在。


「しかし……リヴィア様が王都へ向かわれている間、この辺境はどうなさいます?」


 文官が、不安を隠さずに問う。


「病村からの復興も、まだ途中です。

 教会との溝も完全には埋まっておりません。

 あなたが城を離れている隙を狙う者が、現れないとも限りません」


「そうですわね」


 その懸念は、私自身が一番感じている。


 王都に呼ばれたからといって、喜んで飛んでいける立場ではない。


 けれど――。


「だからといって、“怖いから行きません”と言ってしまえば、

 私は本当に、ここに封じ込められてしまいます」


 静かに言葉を選ぶ。


「王都から目を逸らせば、この土地ごと“危険な領地”と見なされてしまう。

 そうなれば、いずれは兵を差し向けられるかもしれません」


 王都からの視線が、“好奇心”から“敵意”に変わるのに、きっと多くの時間はかからない。


「行きたくない」と「行くべきだ」が、胸の中で何度もぶつかり合う。


 レオンが、少しだけ身を乗り出した。


「……私見を述べることをお許しください」


「どうぞ」


「行くべきです」


 答えは即答だった。


「これは、逃げていい種類の呼び出しではありません。

 ここであなたが王都から目を逸らせば、

 “辺境に送り込んだはずの厄介者が、勝手に行動している”と受け取られるでしょう」


「ずいぶんと、心のこもった評価ですわね」


 皮肉を返すと、レオンは苦笑すらせずに続ける。


「そして――」


 彼は、一瞬言葉を切り、私をまっすぐ見た。


「あなたは、逃げても逃げなくても、きっと同じように苦しむ方だ」


「……どういう意味かしら?」


「ここで王都から逃げれば、

 “あのとき行かなかった”ことを、一生、喉に引っかかった骨のように覚えているでしょう」


 図星だったので、私は黙った。


「ならば、あなたの性格であれば、

 “行って叩かれる”ほうを選ぶのではないかと」


「レオン様」


 執事が、ほんの少し呆れたような声を出す。


「ですが、まったくその通りですわ」


 私は肩をすくめた。


 逃げて後悔するより、

 行って傷だらけになるほうが、まだ自分らしい――そう思ってしまう自分がいる。


「問題は、留守中のことですわね」


 私は話題を少しずらした。


「城の守り、物資の配分、教会との関係。

 私がいない間も、この土地が回るように準備をしなければなりません」


 執事が、ほっとしたように頷く。


「その点であれば、我々にお任せください。

 領内の代官はすでに入れ替えましたし、財政も徐々に持ち直しつつあります。

 あなたが戻ってこられる場所を、必ず守り抜きます」


「戻ってこられる場所、ですか」


 その言い回しに、胸の奥が少し温かくなった。


「では――」


 私は、召喚状に指先でそっと触れる。


「行く前提で、準備を進めましょう」


◇ ◇ ◇


 その夜。


 私は、自室の机の上に領地の地図を広げていた。


 粗い紙の上に描かれた山と川。

 森と村と、城。


 そして、地図の端。

 遠い遠い上のほうに、小さく記された円。


 王都。


 かつて、私が“追放”される前に暮らしていた場所。


(二度と戻るつもりは、なかったのですけれどね)


 思わず、苦笑が漏れる。


 煌びやかな石畳。

 高い塔。

 ひと晩中明かりの消えない通り。

 笑い声よりも、陰口と囁きがよく似合う街。


 あの街で、私は確かに“負けた”。


 聖女候補に選ばれかけた娘の婚約者を奪った、と噂され、

 体よく辺境へと“追いやられた”。


(追放、というより、厄介払いですわね)


 そう皮肉ってから、今度は別の笑いが込み上げる。


 その厄介払いされた先で、私は精霊に気に入られてしまった。

 王都にとって、これは予定外のはずだ。


「……あなたは、どう思っていらっしゃるのでしょうね」


 つぶやいて、窓の外を見る。


 夜空のどこか、

 あるいは白い世界のどこかで、精霊王は何かを見ているのだろうか。


『お前がどこまで行けるか、見てみたい』


 そう言った存在は、

 私が王都に呼ばれようが、火にくべられようが、

 きっと、少し離れた場所から黙って見ているだけなのだろう。


「本当に、不親切ですわ」


 再び、ひとりごとの苦笑。


 地図の王都を指でなぞる。


(ここで足を止めれば、私は本当に“辺境に封じられた危険物”で終わってしまう)


 都合よく追放された少女。

 辺境で少しばかり奇跡を起こし――そのまま忘れられていく存在。


 それでも構わない、と思えたらどれほど楽だっただろう。


(でも、私は――)


「怖くないと言えば、嘘になります」


 誰もいない部屋で、声に出してみる。


「それでも──怖いからこそ、目を逸らしたくありません」


 王都に行くことは、

 教会、本部、貴族、王族。

 さまざまな思惑の真ん中に、自分から足を踏み入れることに他ならない。


 最悪の場合、その場で拘束されてもおかしくない。


 それでも。


「自分の目で、もう一度あの街を見ておきたいのですわ」


 追放されたあの日とは違う目で。

 今度は、“この土地を背負っている自分”として。


 決意を口にした瞬間、扉の外から、かすかな気配がした。


「……レオン様?」


 呼びかけると、少し間をおいてから返事があった。


「失礼します」


 扉が開き、レオンが姿を見せる。


「お休みのところを、申し訳ありません」


「眠れるほど、図太くはありませんから」


 本音の半分と、冗談の半分。


「王都行きの件で……ひとつだけ、お願いがあります」


 レオンは真剣な顔で、私の前に立った。


「何かしら?」


「私も、同行させてください」


 予想していた言葉だった。


 それでも、胸の奥が少し熱くなる。


「もちろんですわ」


 私は微笑んだ。


「むしろ、あなたなしで行くつもりなど、最初から考えておりませんでした」


 レオンの肩の力が、わずかに抜ける。


「王都は……」


 窓の外に目を向ける。


「あの街は、煌びやかで、人の声で満ちていて――

 とても、息苦しい場所です」


 胸の中に、あの日の空気が蘇る。


「きっと私は、あの街に一人で立てば、また飲み込まれてしまいそうになるでしょう」


 重い視線、囁き、嘲笑。

 “追放された公爵令嬢”への興味本位の好奇と、底の見えない悪意。


「だから、あなたがいてくださらないと困ります」


 少しだけ、軽い調子で続ける。


「いざとなれば、あなたの背中ごと押して、逃げ道をこじ開けてもらわなければなりませんもの」


「……私を盾にするおつもりですか」


「ええ、とても頼りになる盾ですわ」


 レオンが、わずかに口元を緩めた。


「では、盾として、全力でお守りしましょう」


「よろしくお願いいたしますわ、私の騎士様」


 口にしてから、ほんの少しだけ気恥ずかしくなり、

 視線を地図に落とす。


 その拍子に、別の現実的な問題が頭をもたげた。


「……ところで、レオン様」


「はい」


「王都の礼装、まだ着られると思われます?」


「……え?」


「ええと、その。

 しばらく戦場仕様ばかりでしたので、ドレスという概念を忘れかけておりまして」


 自分でも、何を言っているのだろうと思う。

 でも、こういう些細な問題のほうが、かえって心に引っかかってくるのだ。


「侍女に相談すれば、どうにでもなるでしょう」


 レオンは、真顔で答えた。


「むしろ、騎士の礼装のほうが――少々窮屈かもしれません」


「お互い、少しだけ痩せなければいけないのかもしれませんわね」


 思わず、二人で笑った。


 政治の渦中に飲み込まれようとしているというのに、

 礼装のサイズを気にしている自分が、なんだか滑稽で、少しだけ救われる。


「髪型は、どうなさいます?」


 いつのまにか扉の外で聞き耳を立てていたらしい侍女が、控えめに顔を覗かせた。


「王都へお出ましになるのでしたら、それなりに華やかに……」


「できれば、戦場に行くときほど物々しくない程度でお願いします」


「……戦場と王都を同列に語るご主人様は、なかなかいらっしゃいませんね」


 侍女の呆れとも感心ともつかない声に、

 レオンが小さく肩を震わせる。


 笑い声が、重たい部屋の空気を少しだけ軽くした。


 それでも――。


 窓の外に広がる夜は、相変わらず、深く、遠い。


 王都からの召喚状は、ただの紙切れではない。

 この辺境と、私自身の行く末を、左右するひとつの節目だ。


 怖い。

 正直に言えば、怖くてたまらない。


 けれど――。


「では、準備を始めましょう」


 私は地図をたたみ、立ち上がった。


「ここを離れている間も、この城が、

 “帰ってくる場所”であり続けるように」


 この土地の人々が、今日と同じように明日もパンを分け合い、

 井戸の水を汲み、ささやかな祭りを夢見ていられるように。


 王都が私をどう評価しようと。

 “偽りの聖女”と呼ぼうと。

 “危険人物”だと監視しようと。


 私は、ここで生きている人たちの席を守りたい。


 そのためなら――王都の真ん中に立つくらい、怖がりながらでもやってみせる。


「行きましょう、レオン様」


「はい。あなたの隣で、何があっても剣を抜けるよう、準備しておきます」


 その言葉に頷きながら、

 私はもう一度だけ、折りたたまれた召喚状に視線を落とした。


(“危険物”かどうかは――)


 誰かに決められるものではない。


 私自身が、どのように振る舞うかで、変わっていくのだ。


「怖くないと言えば嘘になります。

 それでも──怖いからこそ、目を逸らしたくありません」


 小さく復唱して、

 私は、静かに前を向いた。


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