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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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帰還と、“助けられなかった人たち”の席

 城門が見えたとき、胸の奥がふっと緩んだ。


 石壁の上には、見慣れた兵たちの姿。

 こちらに気づいた誰かが声を上げ、次々と人影が集まってくる。


「――リヴィア様だ!」


「戻られたぞ!」


 門が開くと同時に、一斉に頭が下がった。


「お帰りなさいませ、リヴィア様!」


 疲労で軋む体を起こし、私は馬車の窓からそっと顔を出す。


「ただいま戻りましたわ。長く城を留守にしてしまって、ご心配をおかけしました」


 できるかぎり平静な笑みで言うと、安堵のざわめきが広がった。


 馬車が止まり、扉が開く。

 レオンが手を差し出してくれるのを受け取り、ゆっくりと地面に足を下ろした――つもりだったのだけれど。


 きゅう、と、視界が一瞬だけ横に傾く。


「あ……ら?」


 力の入らない足首が、石畳を踏み損ねる。

 次の瞬間、腰がふわりと支えられた。


「危ない」


 レオンの腕だ。


 そのまま抱きとめられ、みっともなく崩れ落ちるのだけはどうにか免れる。


「申し訳ありません。少し、世界が横倒しに見えただけですわ」


「それを世間では“倒れそうになった”と言います」


 レオンが、困ったように眉をひそめる。


「魔力も体力も、まだ戻りきってはいないのです。

 どうか、せめて今日くらいは、“強がり”よりも“本音”を優先していただきたい」


「そうしたいのは山々ですけれど……」


 皆の視線を感じながら、私は小さく苦笑した。


「“大丈夫ですか”と心配してくださる顔を見ると、

 つい“だいじょうぶですわ”と言いたくなってしまうのですよね」


「……それは、罪深い癖ですね」


「存じております」


 それでも、レオンの腕に重心を預けたまま、私は城門をくぐった。


 「おかえりなさいませ」と頭を下げる使用人たち。

 廊下の隅で、こっそり手を振ってくる若い兵士。


 その一人ひとりの顔を見ながら、心のどこかで思う。


(ここにも、席がありますわね)


 今この瞬間、立っている人の数だけ。

 ここに、笑い、泣き、働き、食卓を囲むはずだった人の分の“席”が。


 ――そして、その一部は、もう二度と埋まらないのだと。


◇ ◇ ◇


 数日は、強制的に“休養”という名の軟禁を命じられた。


「書類はあとでも逃げません」


 医師と侍女とレオンが口を揃えてそう言うので、

 さすがの私も観念して、自室の寝台の上で大人しくしているしかない。


 代わりに逃げてくれないものが、ひとつあった。


 手紙だ。


 病の村から届いたもの。

 他の村からも、「噂を聞きました」と綴られたもの。

 見慣れない拙い字で、「ありがとう」とだけ書かれた紙切れもある。


 ひとつひとつ封を切り、ゆっくりと目を通す。


『あのとき助けていただいたおかげで、娘は来月、隣村へ嫁ぎます』


『あれから夫は、まだ咳は残るものの、畑に出られるようになりました』


『うちの子が、“大きくなったらリヴィア様みたいになる”と言っております。

 あの子に未来の話をさせてくださって、ありがとうございます』


 文字の一つひとつが、重く、あたたかく、指先に伝わる。


 同封されているのは、村で採れた乾燥した薬草の小さな束や、

 下手な刺繍が施された布切れ、素朴な木彫りのお守り。


(本当に、これ以上ない贈り物ですわね)


 笑みがこぼれる。

 でも、その笑みは、決して純粋な喜びだけではなかった。


 別の封筒を開く。


『あのとき来てくださって、ありがとうございました』


『間に合わなかったけれど、あなたが手を握ってくださったおかげで、

 あの人は最後まで、“怖い”と言わずにいられたように思います』


『あなたのせいではありません、と何度も自分に言い聞かせています。

 でも、正直なところ……どうしてうちではなく、隣の家だったのだろうと考えてしまう夜もあります。

 こんなことを思ってしまう自分が嫌で、それでも、この手紙を書きました』


 紙の上のインクは、滲んでいた。

 きっと書いている途中で、涙が落ちたのだろう。


 読みながら、胸の奥に冷たいものが広がる。


(そう、ですよね)


 私は、ゆっくりと目を閉じた。


(誰かを優先するということは、

 誰かを“優先しなかった”ということでもあるのですもの)


 あの夜、私は選んだ。

 「助かる可能性の高い人」を、

 「懇願する子どもが目の前にいる人」を。


 あのとき、自分なりに精一杯考えたつもりだ。

 それでも、その選択が誰かにとって“残酷だった”としても――それは、きっと事実だ。


 手紙の主は、最後の行でこう締めくくっていた。


『それでも、来てくださって、ありがとうございました』


 そこまで読んで、私はそっと封筒を閉じる。


 ――ありがとう。


 その言葉が、慰めであると同時に、

 私の肩に、もう一枚、見えない責任の布をかけていく。


◇ ◇ ◇


 数日後、ようやく「執務復帰」の許可が下りた。


 最初の日の夜、城の食堂で、ささやかな“ねぎらいの席”が設けられた。


「このような大げさなものは必要ありませんと申し上げたのですけれど」


「必要最小限のものしか出しておりませんよ」


 料理長が、胸を張る。


 テーブルの上には、豪華とは言えないまでも、

 温かいスープと焼きたてのパン、野菜の煮込み、それに少しばかりの肉料理が並んでいた。


 兵たちや使用人も、いつもより少しだけ良い服を着て集まっている。

 笑い声があちこちから聞こえ、食器の触れ合う音が心地よく響く。


「リヴィア様、こちらをどうぞ」


 侍女が、こんがりと焼き色のついたパンを私の皿に置いてくれた。


 ……おいしそう。


 一瞬、素直な感想が頭をよぎる。

 1巻の終わりで「……お腹がすきましたわ」と口走った自分を思い出し、少し頬が熱くなった。


(病み上がりなのですから、栄養は摂らなければいけませんわよね。ええ、そうですわよね)


 と、自分に言い訳しながら、スープをひと口。


 じんわりと、舌の上に広がる塩気と野菜の甘み。

 胃のあたりが、じゅわ、と温かくなる。


「……あら。これは、危険ですわね」


「何がです?」


 向かいの席に座ったレオンが首を傾げる。


「おいしすぎて、パンをおかわりしてしまいそうですの。

 せっかく少し痩せたかもしれないというのに」


「命を削って痩せるのと、パンを食べて太るのとでは、後者のほうがはるかに健全です」


「それはそうなのですけれど……」


 冗談めかして言い合いながらも、

 私はふと、テーブルの端から端まで、視線を滑らせた。


 パンを頬張る若い兵士。

 スープの味を確かめるように何度も頷く料理係。

 「おかわりを」と笑い合う侍女たち。


(ここにも、“席”がある)


 今、ここに座っている人たちの分だけ。

 そして――本当は、ここに座れたかもしれなかった人たちの“空席”も。


 病の村で、名前を聞いた人々。

 あの紙片に記された一人ひとりの顔が、椅子の上にうっすらと重なるような感覚がした。


(もし、あの方たちも、ここに座れていたなら)


 パンを千切る手が、ほんの少し止まる。


 ラルスの母は、まだ村で静養中だ。

 彼女がいつか回復したら、こうして誰かと食卓を囲めるだろうか。

 そのとき、彼女の隣には誰が座るのだろう。


 ――逆に、もう隣に座る人のいない椅子も、きっとある。


 飲み込んだスープが、喉の途中で重くなる。


「……リヴィア様?」


 レオンが、わずかに眉を寄せた。


「お気に召しませんでしたか?」


「いいえ。とても、おいしいですわ」


 私は笑って、もう一口スープをすくう。


「ただ……思っておりましたの。

 この席のどこかに、あの村の方々も座れていたら、どんなに良かったかと」


 テーブルの上の光景が、一瞬だけ滲む。


「この席には、今日、生きてここに座っている人たちがいます。

 その事実まで、哀しみで塗りつぶしたくはありませんの」


 だからこそ――と、心の中で続ける。


(忘れたくないのです。救えなかった人のことも。

 それでも救われた人の笑顔も――両方とも)


 パンを、少しだけ小さめに千切った。


 1巻の終わりで空腹を訴えた自分を思い出し、

 「……少し控えめにしておきますわ」と、こっそり自己申告しておく。


 レオンは、それを聞いているのかいないのか、静かに微笑んでいた。


◇ ◇ ◇


 食事会のあと、ひとりで部屋に戻るには、まだ少し胸がざわざわしすぎていた。


 私はカーディガン代わりのショールを羽織り、

 城のテラスへ出る。


 夜風が頬を撫でた。


「……っくしゅ」


 思わず、小さなくしゃみが漏れる。


「……病み上がりですのに、何をしているのでしょうね、私」


 自分にツッコミを入れたところで、


「同感です」


 背後から、聞き慣れた声がした。


 振り返ると、レオンが一歩下がった場所に立っていた。

 彼もまた、外套を羽織っている。


「無理をなさっていませんか」


「無理をしていない日は、いつでしたでしょうね」


「それが問題だと言っているのですが」


 やり取りに、自然と苦笑が混じる。


 テラスから見下ろせば、城下町の灯りが点々と揺れている。

 あの中のいくつかは、きっと、病の村から移ってきた人々のものだ。


「……あの村の方々が、今日も誰かと一緒に食事をしているなら」


 夜空を見上げながら、私は口を開いた。


「それだけで、少し報われる気がいたします。

 皿が一枚増えるたびに、“明日”も一枚、増えていくような気がして」


 レオンは黙って聞いている。


「救えなかった人の席を、私は一生忘れないでしょう。

 忘れてしまったらきっと、私自身が嫌いになりますもの」


 自嘲でもなく、悲嘆でもなく、ただ事実として。


「でも――それでも、救われた人の席まで、空席にしたくはありませんの。

 “どうせ誰かは座れないのだから”と、最初から机を片づけてしまうような真似は、したくない」


 沈黙が落ちる。


 風が、彼の外套の裾を揺らした。


「……本当に、あなたは」


 レオンが、夜空に視線を向けたまま、ぽつりと言った。


「執念深いほどに、優しい方だ」


「褒め言葉として受け取っておきますわ」


「褒め言葉のつもりです」


 彼は、そこでこちらを振り向いた。


「その席を増やすためなら、私はいくらでも剣を振りましょう」


 目は真っ直ぐだった。


「あなたが“席を守りたい”と言う限り、

 私は、“席を奪おうとするもの”から、それを遠ざけるのが役目です」


 胸の奥で、何かが静かに灯る。


「……随分と、心強いことを仰いますのね」


「言ったからには、やり遂げます」


 そう言う彼の横顔を見ながら、私はふと思う。


(そう、ですわね)


 民の席。

 今日、生きて座っている人たちの席。

 明日、座るはずだった人の席。


 その一つひとつを、できるかぎり減らさないように。

 できれば、少しずつ増やしていけるように。


「では、私は」


 夜空から目を離し、レオンを見た。


「その席に、恥ずかしくない料理を出せるように、

 これからも、台所と倉庫と、帳簿と……そして、精霊たちと、仲良くしていかなくてはなりませんわね」


「相手の数が多すぎますね」


「ええ、私もそう思います」


 ふたりで笑う。


 城の上には、星がいくつも瞬いていた。

 病の村の空にも、今夜、同じ星が見えているだろうか。


(忘れたくないのです)


 テラスの欄干にそっと手を置く。


(救えなかった人のことも。

 それでも救われた人の笑顔も――両方とも)


 その両方を抱えたまま、私は前を向く。


 2巻の物語は、きっと――

 “民の席を守る話”になるのだろう。


 誰かが「ここに座っていていいのだ」と思えるための席を、

 この辺境に、ひとつでも多く、増やしていく物語に。


 夜風は少し冷たかったけれど、

 胸の内側に灯った小さな火は、確かに暖かかった。


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