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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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報告書に書かれた“危険人物”

 報告書に書かれた“危険人物”


 王都の紋章を掲げた馬車が城門に現れてから、数日が過ぎた。


 毎日のように続いた視察も、ひと通り終わり。

 村も、井戸も、倉庫も、兵舎も、診療所も、ルーファス様――王都からの使者は、一度は自分の目で確かめていった。


 そして今朝。


「リヴィア様。使者殿のお荷物が、少しずつ運び出されています」


 廊下で出会った侍女が、そんな報告をしてきた。


「そう……もうすぐ、お帰りになるのですわね」


「ええ。明日の朝には出立されると」


 明日。


 つまり、今日が実質、辺境で過ごす最後の日ということになる。


「でしたら、出発前にご挨拶しておきませんとね。

 王都までの道のりは長いですもの」


 そう答えると、侍女はほっとしたように微笑んだ。


「リヴィア様がお見送りになれば、使者様もきっとお喜びになりますわ」


(……喜ぶかどうかはともかく)


 内心で小さく苦笑する。


 視察の間じゅう、ルーファス様は終始、穏やかな笑みを崩さなかった。

 井戸を見ても、倉庫を見ても、村人の顔を見ても、その微笑みはほとんど変わらない。


 けれどその目だけは、ずっと何かを測り、何かを計算していた。


(さて。あの方は、私たちを“どういうふうに”王都へ持ち帰るつもりなのかしら)


 褒め言葉も、注意も、警告も、すべては書類の中に落とし込まれる。

 私がどれだけ口で取り繕おうとも、結局最後に王都に届くのは、彼が選んだ言葉だけだ。


(……それでも、挨拶ぐらいは、きちんとしておくべきですわね)


 私は少し身なりを整え、ルーファス様の割り当てられた客室へ向かった。


◇ ◇ ◇


 客室のある廊下は、いつもより少しだけ慌ただしかった。


 従者たちが箱や衣装鞄を運び出し、城の使用人たちと短く言葉を交わしている。

 王都から持ち込まれた香りのよい茶葉や、きちんとたたまれた上着が、次々と馬車へと運ばれていく。


「ルーファス様は、お部屋に?」


 通りかかった従者に尋ねると、彼は丁寧に頭を下げた。


「先ほどまで執筆をされておりましたが、今は少し中庭を散歩に行かれております。

 すぐにお戻りになるかと」


「そうですか。

 では、私も後ほどまた出直しますわ」


 そう言いかけて――私は、ふと足を止めた。


 客室の扉が、わずかに開いている。


 ほんの指一本ほどの隙間。

 そこから、インクと羊皮紙の、独特の匂いが漂ってきた。


(……報告書)


 頭にその言葉が浮かぶ。


 ここ数日、ルーファス様が夜な夜な部屋に籠もり、ランプの灯りのもとでペンを走らせていた様子を、使用人たちは皆、見ていた。


 王都へ送るための「辺境視察報告」。

 あの紙の束に書かれた言葉が、この領地と私の未来を、少なからず左右する。


 扉の向こうから、物音はしない。

 どうやら本当に、今この部屋には誰もいないようだった。


(……見るべきでは、ありませんわね)


 理性は、そう告げる。


 他人の書きかけの手紙や書類を覗き見るのは、礼節を欠いた真似だ。

 ましてや、それが私自身に関する報告書であっても。


(でも)


 もし、そこに書かれた言葉が――この領地ではなく、私だけを「危険」と断じていたとしたら。

 もし、「この辺境の変化は歓迎するが、公爵令嬢リヴィアは早めにどこかへやるべきだ」といった結論だったとしたら。


 私は、それを知らないままでいるべきなのだろうか。


 胸の奥が、じわりと冷たくなる。


(知らないままのほうが、心は楽なのでしょうね)


 けれど、私はもう知ってしまっている。


 知らないふりをしていたせいで、見逃されてきた痛みを。

 枯れた井戸を。飢えた子どもたちを。横領された金を。


 「見なかったふり」の心地よさは、もう捨ててしまった。


(……ならば)


 私は、そっと扉に手をかけた。

 きしみを立てないよう、慎重に隙間を広げて、中を覗く。


◇ ◇ ◇


 部屋の中は、整然としていた。


 使者の荷物の多くはすでに運び出されたのか、棚も机も簡素なままだ。

 その机の上に、一束の羊皮紙が広げられていた。


 上部には、きっちりとした字で題名が記されている。


『グラウベルク辺境領視察報告』


 その下に、いくつかの項目が並び、箇条書きでびっしりと文字が踊っていた。


 ――領内の治安状況。

 ――経済と税収の推移。

――兵力と装備の現状。

――教会との関係。


 そして、ひときわ目を引く項目。


『領主代理 リヴィア・エルネスト公爵令嬢について』


 自分の名前を、他人の筆跡で見るのは、あまり気持ちのいいものではない。

 喉の奥が少し乾く。


(……ほんの、数行だけ)


 そう自分に言い訳しながら、私は視線を走らせた。


『領民からの支持:極めて高い。

 従来の領主には見られなかった頻度で民との接触を行い、

 井戸の水源復旧、孤児支援、祭りの開催等を通じて信頼を獲得。』


『魔法能力:古言を用いた高度な精霊魔法を行使。

 井戸の水脈探査及び復活、戦闘時の広域防御展開など、

 通常の魔法師の限界を明らかに超える事例が複数報告される。』


『精霊との特異な親和性:

 “精霊王”と思しき存在との接触が噂される。

 真偽は未確認だが、本人の証言及び結果から見て、

 なんらかの“加護”を受けている可能性を否定できず。』


 そこまでは、まだ私の知っている範囲の話だった。


 息を止めるようにして視線を下ろした先で、目を刺す言葉がいくつも並んでいた。


『長期的な影響:

 領民からの支持が集まりすぎた場合、

 王権及び教会権威と潜在的な衝突要因となる危険性あり。』


『特記事項:

 ・慈悲深く温厚な性質である一方、自らの正しさを決して曲げない傾向。

 ・上位権力からの命令であっても、領民の利益に反すると判断した場合、

  従わない可能性がある。

 ・その際、精霊との親和性が抑止力として働きうるが、

  同時に“制御不能な要素”として機能する懸念あり。』


 行の端に、さらに小さな字で書き添えられていた。


『将来的な不安要素として監視継続を要す。

 必要に応じ、制御手段の検討が望ましい。』


 監視。

 制御。

 不安要素。

 危険性。


 視界が、少しだけ揺れた。


 ほんの数秒のあいだに、体温が一気に下がっていくような感覚がする。


(……そう、ですわよね)


 かろうじて、それだけが心の中に浮かんだ。


 領民から支持を集め、“奇跡”じみたことをして、教会と軋轢を生んで。

 このまま十年、二十年と続けていけば。


 きっといつか、王都から見下ろしたときに、私はこう見えるのだ。


 ――統治にとっての“危険物”。


 王家と教会が、何百年も積み上げてきた秩序の上で、

 少しずつ、しかし確実に別の形を描こうとしている、不穏な欠片。


(褒められるより先に、“危険視される存在”になってしまったのですね、私は)


 口の中が、ひりひりと乾く。

 胃のあたりが、わずかに重くなった。


 けれど、不思議と恐怖はなかった。


 むしろ、「ああ、やっぱり」という小さな納得のほうが大きい。


(だって――)


 枯れた井戸に水を戻したときも。

 森で誰も死なせまいと、全員を守る盾になったときも。

 横領を暴いて代官を拘束したときも。


 あの瞬間、私が向き合っていたのは、いつだって「目の前の誰か」だった。


 王都の視線でも、教会の評判でもない。


 井戸端で空っぽの桶を抱えていた子ども。

 森の中で剣を握る兵士。

 空になった倉庫の前で肩を落としていた使用人たち。


 彼らの顔が、悲しみや諦めから少しでも遠ざかるなら。

 それが、たとえどこかから見れば「危険」に見えるとしても。


(……その“評価”のために、私の歩き方を変える気は、今のところありませんわね)


 そっと息を吐き、視線を羊皮紙から引きはがす。


 それ以上読む必要はない。

 この先には、きっともっと厳密な言い回しで、同じことが繰り返し書かれているだけだろう。


 私は静かに、扉を閉めた。

 ノブが音を立てないように、最後まで丁寧に。


◇ ◇ ◇


「ああ、リヴィア殿下」


 扉から離れようとしたところで、廊下の向こうから声がした。


 振り返ると、ルーファス様が歩いてくるところだった。

 中庭から戻るところらしく、靴の先には薄く土がついている。


「ご挨拶に伺ったつもりが、すれ違いになってしまいましたわね」


 私は、できるかぎり普通の調子で言った。


「いえ、こちらこそ。

 少し、最後に外の空気を吸っておきたくて」


 ルーファス様は、私の背後――先ほどまで開いていた扉にちらりと視線を向けた。


 その目が、一瞬だけ細くなる。


(……見られていた可能性に、気づきましたわね)


 そうだとしても、私は何も言わない。

 彼もまた、何も問わない。


「滞在中は、何かと不行き届きもあったでしょうに。

 長らくお付き合いくださって、ありがとうございます、ルーファス様」


「いえ。こちらこそ。

 リヴィア殿下のおかげで、辺境の現状を、たっぷりと拝見することができました」


 穏やかな笑み。

 今までと同じ、役人としての顔。


「殿下のご尽力は、王都にて高く評価されることでしょう。

 井戸の件も、森の件も、帳簿の件も。

 これほど短期間で結果を出された領主は、近年ほとんど例がありません」


「評価、ですか」


 私は、あえて少しだけ首を傾げた。


「私としては、評価されることよりも――

 この地が、今度こそ見捨てられないことを、願いたいところですわ」


「……ええ。

 その点については、報告書の中で、しかと記しておきました」


 その言葉が、先ほど見た文面と、頭の中で重なる。


 領民からの支持、極めて高い。

 教会との潜在的衝突要因。

 精霊との特異な親和性。

 監視継続を要す。

 必要に応じ、制御手段の検討が望ましい。


(“しかと記しておきました”……ですか)


 思わず、心の中で苦笑する。


 それでも、口から出てきたのは、やわらかな言葉だった。


「でしたら、少しだけ、安心いたしました。

 ――私ひとりの“評価”ではなく、この土地と人々の“現実”を、きちんと見てくださったのなら」


 ルーファス様の目が、一瞬だけ揺れた気がした。


「殿下は、ご自身のことより、常に“この地”のことを先にお考えになるのですね」


「そうしないと、私がここに送られた意味が、なくなってしまいますもの」


 さらりと答えると、彼は小さく息を吐いた。


「……正直に申し上げれば、王都の一部は、殿下を“扱いづらい方”だと感じるでしょう」


「それは、もう少し可愛らしい表現に言い換えていただきたいところですけれど」


 思わず、冗談が口をついた。

 ルーファス様の唇が、わずかに笑みに歪む。


「しかし同時に。

 この地の人々にとっては、“頼れる柱”でもあると、感じました」


 その言葉は、先ほど報告書で見た文言とは、少しだけ違っている。


 私は、その違いを、胸の中でそっと撫でた。


「上から見れば、“扱いづらい危険物”に見えるのでしょうね。

 でも、下から見ている人たちにとって、少しでも“頼れる柱”であれるなら――

 私は、そのほうを選びたいのです」


 正面から、そう言う。


 王都の役人に向かって言うには、あまりにも生意気な言葉だとわかっていた。

 それでも、飲み込むことはできなかった。


 ルーファス様はしばらく私を見ていたが、やがて小さく笑った。


「……報告書には、“危険性あり”と書くしかありませんな」


「正直な報告、大変よろしいと思いますわ」


「同時に、“今後の推移を注視すべし”とも添えておきましょう」


「監視、という言葉のほうが、お好きなのではなくて?」


 少しだけ意地悪く言ってみせると、彼は肩をすくめた。


「言葉を選ぶのも、役人の仕事でして。

 あまり露骨な表現を使うと、上の方々の顔色が変わりますから」


「そのわりには、“制御”という言葉がお好きなご様子でしたけれど」


 思わず口が滑りそうになって――私は、そこで言葉を飲み込んだ。


 ルーファス様の目が、一瞬だけ細くなる。


(……あら)


 今のは、少しわかりやすく言いすぎましたかしら。


 「見た」のだと告げたも同然だと、今さら気づく。


 けれどルーファス様は、追及してこなかった。


「殿下。

 私は、仕事としてこの地を見に来ました。

 王都の代わりに目を光らせるために」


 静かな声で、彼は言う。


「ですが――個人として申し上げるなら。

 私は、今日見た井戸や、祭りの夜や、子どもたちの寝顔を、

 “危険”とは呼びたくありません」


 その一言は、報告書には決して書かれない種類の言葉だった。


 私は、少しだけ目を細める。


「でしたら。

 王都に戻られてからも、ときどき思い出してくださると嬉しいですわ」


「何を、です?」


「監視される側にも、空腹や眠気や、笑い声があることを、です」


 ルーファス様は、すこしだけ息を飲み、それから小さく笑った。


「――心得ておきましょう」


◇ ◇ ◇


 ルーファス様を見送ったあと、私は自室に戻った。


 椅子に腰を下ろすなり、机に突っ伏す。


「……はああ」


 長いため息が、勝手に漏れた。


「監視、制御、不安要素、危険性……。

 もう少し、こう、可愛らしい評価のされ方はなかったのでしょうか」


 たとえば、「がんばり屋さん」とか、「少々無鉄砲なところはあるが、根は真面目」とか。

 そういう表現のほうが、まだ心にやさしい気がする。


 とはいえ、王都の報告書にそんな文字が躍っていたら、それはそれで問題だろう。


(……甘いことを考えていますわね、私)


 突っ伏した額を机から離し、引き出しを開ける。


 中には、祭りの残りの簡素なクッキーが、紙袋に入っていた。

 子どもたちに配るつもりだった分の一部を、こっそり分けておいたものだ。


「とりあえず、甘いものを口に入れてから考えましょう」


 自分にそう宣言して、ひとかけらを口に放り込む。


 少し固くて、決して上等な味ではない。

 けれど、小麦と砂糖の素朴な甘さが、舌の上にじんわりと広がった。


 さきほど羊皮紙の上で見た言葉たちが、頭の中で少しずつ薄くなっていく。


(監視されること自体は、きっと避けられませんわね)


 王都としては、そうするほかないだろう。

 精霊王に目をつけられた辺境の公爵令嬢が、好き勝手に動き回っているのだ。

 放置しておくほうが、むしろ不自然だ。


(でも――)


「監視されることよりも、

 見られることを恐れて何もしない自分のほうが、きっとずっと怖いですわ」


 誰にも聞かれない声で、そう呟く。


 上から見れば、“扱いづらい危険物”。

 横から見れば、“得体の知れない存在”。


 けれど、この地の底から見上げている人たちにとって、私が少しでも「頼れる柱」になれるのなら――

 私は、その評価のほうを選びたい。


「上の人たちの視線に、いつか焼かれそうになったら……そのときは、そのとき、ですわね」


 焼かれるかどうかはともかく。

 その前にきっと、精霊王が何かと口を出してきそうな気もする。


(“我は、敵意を向ける者を見逃さぬ”――でしたか)


 あの、白い世界で聞いた高慢な声を思い出す。

 思い出して、少しだけ笑ってしまう。


「……こんなふうに、甘いものをかじりながら愚痴をこぼしている“危険人物”、

 王都の方々は想像なさるかしら」


 クッキーをもうひとかじり。


 窓の外では、今日も風が吹いている。

 上からも、横からも、きっとこれから、たくさんの視線が吹き込んでくるだろう。


 それでも私は――


「下を向いて歩くつもりは、ありませんわ」


 ほんの少しだけ背筋を伸ばし、そう呟いた。


 見られているなら、なおさらまっすぐに。

 危険だと言われるなら、なおさら正面から。


 この土地の底に溜まっていた冷たさを、少しでも和らげるために。


 監視される“危険人物”としてではなく。

 ここで生きている人たちの“柱”のひとつとして。


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