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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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焚き火の端で、レオンの昔話

 焚き火の端で、レオンの昔話


 祭りの夜は、思っていたよりも早く、そして名残惜しく終わっていった。


 焚き火の輪から、ひとり、またひとりと家路についてゆく。

 子どもたちは眠そうに目をこすりながら、それでも最後まで名残惜しそうに火を振り返っていた。

 大人たちは、片づけを手伝ってくれたあと、互いに「よく眠れそうだ」と笑い合いながら、暗い道へと消えていく。


 広場に残ったのは、燃え残った焚き火と、片づけ途中の机や桶。

 昼間の喧噪が嘘のように、辺境の夜は再び静けさを取り戻しつつあった。


「ふう……」


 私は、焚き火から少し離れた場所に腰を下ろした。

 石を並べただけの簡素な腰掛けだが、今の私には王都のビロード張りの椅子より、よほどありがたい。


 足が、重い。

 腕も、肩も、普段使わない筋肉が「文句があります」と訴えている。

 昼からずっと立ちっぱなしで動き回ったのだから、当然と言えば当然だ。


(……でも)


 焚き火の向こうで、さっきまで人々が笑っていた場所を眺める。

 足跡で土が少しだけ踏み固められた広場。

 空になった器が、月明かりにひっそりと光っている。


(悪くありませんわね)


 そんなふうに思ってしまう自分がいて、少しだけくすぐったかった。


「リヴィア様」


 背後から呼びかけられ、振り向く。


 レオンが、そこに立っていた。

 鎧ではなく、軽装の上に外套を羽織った姿。

 焚き火の残り火に照らされた横顔は、いつもよりも柔らかく見える。


「片づけは?」


「ひとまず終わりました。あとは、明日の朝にもう一度、明るい中で確認します」


「皆、本当に助かりましたわ。

 レオン様も、一日中走り回ってくださって」


「仕事ですから」


 いつもの、短い返事。

 けれど、その声の端に、ほんの少しだけ疲労と満足が混ざっているのがわかる。


「お隣、よろしければどうぞ」


 私は腰をずらし、隣に空間をつくった。

 レオンは一瞬だけ迷ったように視線を揺らし、それから無言で腰を下ろす。


 焚き火の残り火が、ぱち、と小さく弾けた。

 火はもう高くはない。

 けれど、じんわりとした温かさが、二人の間に残っている。


◇ ◇ ◇


「レオン様は」


 しばらく、火の音だけを聞いていたあとで、私は口を開いた。


「こういう賑やかな場所は、お好きですか?」


 問いかけると、彼は少しだけ顎を引いて考える仕草を見せる。


「……嫌いではありません」


「“ではありません”」


「少なくとも、静かすぎる戦場よりは」


 それは、彼らしい答えだった。

 思わず、ふっと笑ってしまう。


「戦場と比べられては、さすがにお祭りが気の毒ですわ」


「申し訳ありません」


「いいえ。

 でも、今日のお祭りは……レオン様にとっては、どうでしたか?」


 少しだけ、言い方を変えてみる。

 彼は今度はすぐには答えなかった。


 焚き火の残り火をじっと見つめ、ゆっくりと息を吐く。


「……騒がしさは、嫌いではありません」


「けれど?」


「けれど、昔から、少し怖い」


 “怖い”。


 レオンの口からその言葉が出たことに、私は少し驚いた。


「怖い、ですか?」


「ええ。人が集まる場所は、いつも、“何かが起きるかもしれない場所”でしたから」


 その言い方は、やけに現実的だった。

 王都育ちの私でさえ、祭りと聞けば、もう少し無邪気なイメージを抱くのに。


「王都でも、こうした祭りに参加なさったことは?」


 尋ねると、レオンは短く「一度だけ」と答えた。


「一度だけ、ですか」


「近衛騎士になって、最初の年の祝祭の日でした」


 祝祭――王都で年に一度行われる、盛大な祭り。

 私も父に連れられて参加したことがある。

 大通りを埋め尽くす人々。

 飾り立てられた馬車。

 夜空を彩る魔法の光。


「その日は、王城から市街地へ向かう陛下の行列の護衛でした。

 人の波と、叫び声と、笑い声。

 どこを向いても人、という景色を、私もどこか楽しんでいたのだと思います」


 焚き火の赤い光が、彼の横顔の陰影を深くする。


「……ですが」


 そこで、彼は一度言葉を切り、少しだけ視線を落とした。


「行列の少し先で、荷馬車が横転しました」


 淡々とした声。

 けれど、その裏には、今も消えない何かが張りついている。


「荷台に積んでいた樽が転がり出て、人混みの中で弾んで……

 逃げ遅れた子どもが、一人、巻き込まれました」


 焚き火の火の粉が、ぱち、とまた弾ける。


「私は、見ていました。

 ほんの一瞬前まで、その子が、路地の端で綿菓子を握っていたのを」


 白い綿菓子。

 小さな手。

 その光景が、目に浮かぶようだった。


「距離は……届かない距離ではありませんでした」


 レオンの拳が、膝の上で固く握りしめられているのが見える。


「でも、私は、そのとき別の方向を見ていた。

 別の群衆を、別の危険を、探していた。

 視界の端にその動きが入ったときには、もう間に合わなかった」


 彼の声は静かだった。

 怒鳴りもしないし、嗚咽に震えることもない。

 ただ、そこに貼り付いた「悔恨」を、淡々となぞっているような声音。


「子どもは助かりました。命だけは。

 でも、足を……」


 それ以上、彼は言葉を継がなかった。

 続きは、言わなくてもわかる。


 私はしばし、何も言えずにいた。


(……そうでしたか)


 レオンが近衛騎士だったときの話は、これまでほとんど聞いたことがなかった。

 彼自身があまり語りたがらないこともあり、私も無理に聞き出すつもりはなかったからだ。


 でも今、初めて、ほんの少しだけ見えた。

 彼が“守れなかった誰か”の影を、ずっと背負っていること。


「そのあとも、詳しい説明や、責任の所在などの話し合いはありました。

 荷馬車の持ち主が、過積載をしていたとか。

 路地の警備配置が甘かったとか。

 “あれは事故だ”“誰の責任でもない”と、ずいぶん言われました」


 レオンは、そこでかすかに笑う。

 笑いと言っても、とても楽しそうには見えない。


「けれど、少なくともあの子の家族にとっては、

 “誰の責任でもない”では、到底納得できなかったでしょう」


「……そうでしょうね」


「私は、あの日の祭りの音を、今でも覚えています。

 人々の笑い声と、泣き声と、怒鳴り声が、一緒くたになっていたあのざわめきを。

 あれから、祭りというものは、私にとって、“楽しい場所”である前に、

 “守り損ねるかもしれない場所”になりました」


 だから、と彼は続ける。


「だから、今日は少し怖かったんです」


「怖かった?」


 思わず聞き返すと、レオンは焚き火ではなく、私を見た。


「あなたが、あんなに人の中に入っていくから」


 ――ああ。


 胸の奥で、何かが静かに音を立てた気がした。


 今日一日、私はずっと、人の輪の中にいた。

 台所で、大鍋の前で。

 輪投げの前で、子どもたちの列の中で。

 焚き火の周りの踊りの輪の中で、足を踏み外しながら。


 そのたびに、レオンは少し離れた場所から、ずっと私たちを見ていた。


 人の数が増え、明かりが増えれば、そのぶん影も増える。

 誰かがつまずき、誰かが押され、誰かが転ぶ。

 祭りは、いつだって歓喜と混乱が隣り合わせだ。


「……ごめんなさい」


 気づけば、そう口にしていた。


「私、今日がこんなに楽しくて。

 正直言うと、人が集まる場所の危うさを、あまり考えておりませんでした」


「謝らないでください」


 レオンは、首を振る。


「祭りというのは、本来、そういうものなんだと思います。

 誰かが、“守る側”のことを忘れてくれるくらいが、丁度いい」


「でも」


「でも、だからこそ……“守れなかったとき”のことが、いつまでも残る」


 その言葉に、私は胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。


(誰かを守れなかった記憶は、きっと、一生消えないのでしょうね)


 それは、私も、薄々わかっていることだ。

 井戸の水を呼び戻せなかったかもしれない未来。

 森で、誰かを失っていたかもしれない未来。


 どれも、“もしも”のままだからこそ、今はまだ私の中で形を持たない。

 けれど、いつか本当に、誰かを救えなかったとき――

 それはきっと、私の中に爪痕を残す。


 それでも。


「レオン様」


 私は、焚き火を見つめたまま口を開いた。


「守れなかったことを、そんなに……全部、ご自分一人の罪にしないでください」


 彼が、かすかに眉をひそめる気配がした。


「もちろん、あのとき、もっとできたことがあったかもしれません。

 でも、それはきっと――陛下も、周囲の配置も、街の造りも、荷馬車の持ち主も、

 関わったすべての人と事情が入り混じった末に起きたことでしょう」


「……それは、頭ではわかっているのですが」


「心は、なかなか納得してくれませんわよね」


 思わず、くすりと笑ってしまう。


「私も、井戸のとき、失敗したらきっと同じことを考えたと思います。

 “もっと早く来ていれば”“もっと上手くやっていれば”って。

 森で誰かを失っていたら、“なぜ私が前に出たのか”“あるいはなぜ出なかったのか”を、何度も何度も」


 そう。

 きっと私は、一生、自分を責め続けるのだと思う。


 だからこそ――と、私は続けた。


「だからこそ、私は信じたいのです」


「何をです?」


「守れなかった記憶が、ただの傷ではなくて、

 次に手を伸ばすときの力になるのだ、と」


 焚き火の残り火が、またひとつ弾ける。


「怖い場所だからこそ、ただ“怖いだけ”で終わらせたくない。

 今日みたいな夜が、誰かにとって、“もう一度あってほしい”ものになるように」


 私は、隣に座るレオンを見た。


「……レオン様」


「はい」


「私ひとりでは、きっと、この祭りを守りきれません。

 今日だって、いろんなところで、あなたや兵士たちが動いてくださったから、誰も怪我をせずに済んだ」


 それは、間違いなく事実だ。


「だから、もしよろしければ――」


 言葉を選びながら、少しだけ息を吸う。


「これからも、こういう夜を、“怖い場所だけ”で終わらせないために。

 一緒に守っていただけますか」


 お願いをする、というのは、少し恥ずかしい。

 でも、“守ってください”とだけ言うのは、しっくりこなかった。


 私は、庇護されるだけの存在にはなりたくない。

 守られる側でありながら、同時に“守る側”でもありたい。


 そのわがままを、彼にどう伝えればいいのか、ずっと迷っていたけれど――

 今なら、少しだけ言える気がした。


 レオンは、しばらく黙っていた。

 焚き火の光が、彼の瞳の色を揺らす。


 やがて、小さく笑う気配がした。


「……今度こそ、守りたいものを見失わないように」


 低く、しかしはっきりとした声。


「はい。ご一緒させていただきます、リヴィア様」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 そのとき――。


「あつっ」


 ぱち、と弾けた火の粉が、私のスカートの裾に飛んできた。


 慌てて手で払い、裾をぱたぱたとはたく。


「だ、大丈夫ですか」


「だいじょうぶです。少し……熱かっただけですわ」


 レオンが、わずかに呆れたように肩をすくめる。


「……少し近づきすぎです、焚き火に」


「火のそばは、落ち着くのですもの。

 でも、そうですわね。

 燃え上がってしまっては、元も子もありません」


「あなたは、ときどき、比喩と現実の境目が危うい」


「それは褒め言葉として受け取っておきますわ」


 軽口を交わしながら、少しだけ腰を引いた。

 焚き火の熱は弱まったが、その代わりに、隣から伝わる体温が少しだけはっきりする。


◇ ◇ ◇


「いつか」


 ふと、口が勝手に動いた。


「いつか、レオン様が心から楽しめる祭りを、もう一度ちゃんと開きたいですわ」


 自分で言っておきながら、頬が熱くなるのを感じる。

 火のせいだけでは、きっとない。


「……今日みたいな、ですか?」


「今日より、もう少しだけ。

 “守らなければ”よりも、“楽しい”が先に来る夜を。

 子どもたちも、大人たちも、そして――あなたも」


 レオンは、少しだけ目を丸くした。

 すぐに、それは穏やかな笑みに変わる。


「それは……難しい注文ですね」


「わかっています。

 でも、難しいからこそ、目標にする価値があるのでしょう?」


 彼はしばし考え、それから、こくんとうなずいた。


「そのときまでに、私も、少しは“怖くない祭り”の見方を、思い出しておきます」


「では、そのときは、今日よりも堂々と踊っていただきませんと」


「……足を踏まれない場所を選びたいところですが」


「まあ。私のステップにそんな不信感が」


「今日は、事実に基づいた評価です」


 思わず二人して笑ってしまう。

 焚き火の残り火が、その笑い声を包むように揺れた。


 夜空を見上げる。

 祭りの喧噪が消えたあとの空は、驚くほど静かだ。

 星々は、さっきよりもくっきりと光っている。


「……静かですね」


「ええ。

 でも、嫌いではありません」


 レオンの横顔が、星明かりと焚き火の火で、柔らかく浮かび上がる。


 この人は、きっとこれからも、何度も“怖い”思いをするのだろう。

 私もまた、何度も“後悔”と共に眠る夜を迎えるのだろう。


 それでも――。


 焚き火の端で、こうして同じ火を見つめながら、話をする夜を、私はきっと忘れない。


 祭りの夜は終わった。

 明日になれば、また、いつものように厳しい日々が続く。


 けれど、燃え残った炭がすぐには消えないように、

 今日の笑い声と、この小さな昔話は、きっとどこかで、私たちの足元を照らし続ける。


 そう思いながら、私はもう一度、焚き火の残り火に視線を落とした。


 赤く揺れる火の色が、自分の瞳にも映り込んでいる気がして――

 その反射に、一瞬だけ、レオンが息を呑んだような気配がしたのは。


 気づかないふりをしておいてあげることにした。


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