はじめての小さな祭り
きっかけは、本当に、なんでもない一言だった。
「お嬢様、聞いてください! 隣の町は、もうすぐお祭りなんですって!」
書類の山と格闘していた執務室で、報告に来たはずの少年が、目を輝かせてそう言ったのだ。
領内の子どもたちの中でも、よく城へ雑用を手伝いに来てくれる子だ。
手には、よれた紙切れ。隣の町の掲示板から、誰かが剥がしてきた“収穫祭のお知らせ”らしい。
「そう。隣の町には、お祭りがあるのですね」
「はい! 歌を歌ったり、屋台が出たり、甘いパンが売られたりするんですって!
ぼく、一回でいいから行ってみたくて……でも遠いし、お金も要るし……」
言いながら、少年の肩が、小さく落ちる。
私は手を止めて、彼に尋ねた。
「この辺りでは、祭りは?」
少年は、ちらりと同席していた古参の兵士を見上げる。
兵士が少し気まずそうに頭をかき、代わりに答えた。
「昔は……ありましたよ。収穫の季節に、村ごとに焚き火を囲んで、歌ったり、酒を回したり。
でもここ数年は、とてもそこまでの余裕がなくて……」
「余裕、ですか」
「金も、物も、です。
食うのがやっとの年が続いたもんで、祭りどころじゃねぇ、ってやつで」
彼の言葉に、少年もこくんとうなずいた。
「うちの村も、ぼくがものごころついてからは、お祭り、やってません……」
それが当たり前だ、と言うような顔。
“祭りなんてなくても、生きていける”と自分に言い聞かせている子どもの顔を、私は王都でも何度か見てきた。
生きるために削られていくものは、いつも“贅沢”と呼ばれるものからだ。
歌うこと、笑うこと、踊ること。
腹の足しにはならないものばかり。
(けれど――)
視線を、窓の外に向ける。
冷たい風に揺れる畑。
やせた土の上に、それでも今年は、少しだけ実りがあった。
井戸にも、わずかながら水が戻った。
魔物に怯える道も、ほんの少しだけ安全になった。
生活はまだ、苦しい。
それでも。
「……年に一度くらいは、笑って終われる日があっても、いいのではないでしょうか」
気づけば、口から言葉がこぼれていた。
「え?」
少年と兵士が、同時にこちらを見る。
私は椅子から立ち上がり、執務机から距離を取った。
机の上の帳簿と数字から、一歩だけ離れて、別の景色を考える。
「収穫祭。形はどうあれ、ここでもやってみませんか」
兵士が、目を丸くする。
「こ、ここで、ですか? お嬢様……いえ、リヴィア様。
しかし、その……お金が──」
「お金がなくても、火と歌と、少しのおかずがあれば、祭りと呼んでしまっていいのではなくて?」
わざと大袈裟に肩をすくめてみせると、少年の目がぱっと輝いた。
「お祭り……! この村で、ですか!?」
「ええ。ただし、立派な屋台も、絢爛な飾りも、期待しないでくださいね。
あるものを持ち寄って、できる範囲で楽しむ、小さなお祭りです。
無理をするのは、祭りではなく“見栄”ですから」
兵士はまだ戸惑っているようだったが、その口元には、かすかな笑みが浮かび始めていた。
◇ ◇ ◇
話は、意外なほど早く広がった。
「今年、収穫祭を再開するらしい」「公爵令嬢自ら言い出した」と、
噂好きの女将や、井戸端の奥様方の間で、あっというまに“お祭り計画”が膨らんでいく。
もちろん、問題は山ほどあった。
「リヴィア様、本当に“一品持ち寄り”なんて形で大丈夫なんで?」
城の台所で、大鍋を前に腕を組んでいるのは、この城で一番古くから働いている料理長だ。
丸い体に、どっしりとした腕。
本来なら貴族の食卓を任されるはずの腕前を、今はほとんど“芋とスープ”にしか発揮できていないのが、ずっと気になっていた。
「物資は限られていますもの。
無理に振る舞おうとすれば、すぐに底をついてしまいます。
それなら、皆で少しずつ持ち寄ったほうが、公平ですわ」
「とはいえ、持ち寄る余裕がねえ家も、多いですよ」
「その場合は、“手”を持ち寄ってもらいましょう。
準備や片付け、子どもたちの遊び場の見張りでも、立派な参加です」
料理長が、ふっと目を細める。
「……なるほど。物じゃなくて、働きも分け合うってわけですか」
「ええ。それに──」
私は、大鍋の縁を指先で軽く叩いた。
「城からは、この大鍋いっぱいのスープと、できるかぎりのパンを出します。
さすがに肉はそうたっぷりとはいきませんけれど、野菜と豆くらいなら、なんとか」
「それでも、普段の倍の量だ。こいつは腕が鳴りますねぇ」
料理長は、にやりと笑うと、慣れた手つきで包丁を構えた。
私はというと――。
「リヴィア様、その……包丁は私がやりますから」
「え、あの、少しは手伝わせてくださいませ。ほら、こうして──」
と、言ったそばから、玉ねぎを切りながら涙目になっているのだった。
「……目に沁みますわね、これ」
「そのうち慣れますよ。涙も一緒に鍋に入っちまったら、味が濃くなるかもしれませんがね」
「うっかり“しょっぱく”なってしまうかもしれませんわ……」
涙をぬぐいながら笑うと、使用人たちからくすくすと笑い声がこぼれた。
大鍋の中で、刻んだ野菜と豆が、ぐつぐつと音を立てている。
私の役目は、主に味見と、塩加減の調整だ。
「ここに少しだけ、ハーブを。風味が良くなります」
持ち込んだ乾燥ハーブを指で砕き、指先でぱらぱらと鍋に落とす。
ふわりと立ち上る香りに、料理長が感心したように鼻を鳴らした。
「へえ……いつものスープとは、ひと味もふた味も違いますな」
「祭りですもの。
少しだけ特別な匂いがしたほうが、わくわくしますでしょう?」
などと、格好をつけていたら――。
「リヴィア様、塩。もうそれ以上は」
「あっ」
慌てて塩壺から手を離した。
ついつい手元が緩んで、危うく“大人の味”を通り越して、“罰ゲーム”になってしまうところだった。
「……危ないところでしたわ」
「味見なさらなかったら、兵隊どもが一斉に無言になるところでしたぜ」
「それは、それは。想像するだけで怖ろしいですわね」
笑い合いながら、私はスプーンで少しだけスープをすくって口に運ぶ。
素朴だが、確かに、いつもよりほんの少しだけ“豊かな味”になっていた。
「……我ながら、なかなか、いけますわね?」
小さくそう漏らすと、近くにいた侍女がくすっと笑った。
「お嬢様、ちょっと得意げです」
「たまには褒めてくださいな。
いつもは数字相手に格闘しているのですから、料理くらいで少し誇らせてくださいませ」
◇ ◇ ◇
食事だけではない。
祭りといえば、子どもたちの遊び場も必要だ。
「輪投げ、ですか?」
「ええ。木の棒を地面に挿して、縄で輪を作って……ほら、このくらいの距離から投げて、棒にかかれば成功、という形で」
広場の片隅で、私は兵士たちと一緒に、簡易遊具の試作に励んでいた。
折れた槍の柄を短く切り、地面に突き刺す。
縄は、城の古い荷縄を解いて輪にしてもらった。
「お嬢様、意外とこういう遊び、慣れておられるんですね」
「子どもの頃、屋敷の庭で似たようなことをしていましたの。
当時はもっと……そうですね、金細工の輪などを使っていましたけれど」
「金!?」
「ええ、今考えると、なんて無駄遣いを……と頭が痛くなりますわね。
的に当てるたびに、父がこっそり顔を引きつらせておりました」
その頃の父の顔を思い出して、思わず笑ってしまう。
「今回は、そんな心配はありません。
落とし放題、投げ放題です」
少し離れたところでは、別の兵士たちが的当て用の木札を並べている。
小さな石を投げて倒すだけの、簡単な遊びだ。
「ルールは難しくしません。
子どもたちがすぐ覚えられて、すぐ笑えるものがいいですわ」
「賞品とかは?」
「……そうですね。お菓子は、あまりたくさん用意できませんから」
少し考えたのち、私は指を立てた。
「“勝った子には、私が全力で拍手して褒める”というのは、いかがでしょう」
「……それ、子どもが喜びますかね?」
「喜んでくれなかったら、そのときは私が傷ついて終わりますわ」
「やめましょうよ、その博打」
兵士の苦笑に、私も笑い返す。
そんなふうにあれこれと準備をしているうちに――。
あっという間に、祭りの日はやってきた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
村の広場には、慣れない手つきで積まれた薪の山が、中央に鎮座していた。
「火、つけますよー!」
子どもたちの歓声とともに、火打ち石の音が弾ける。
最初は頼りない火花だったものが、じわじわと木片に移り、
やがて、ぱちぱちと音を立てながら炎の柱へと育っていく。
焚き火の周りには、粗末ながらも料理が並んでいた。
干した肉をほぐして入れた煮込み。
庭で採れたての芋を焼いた皿。
少しだけ蜂蜜を塗ったパン。
城から運ばれた大鍋のスープが、湯気を立てながら人々を待っている。
飾り付けと言えるほどのものはない。
それでも、広場の周囲には色褪せた布が結びつけられ、
採りたての草花が、ところどころに差してある。
村の女たちが、胸を張って並べた料理を誇らしげに眺めていた。
「まさか、また祭りができるとはねぇ……」
「昔みたいなご馳走じゃないけど、それでも、こうやって皆で鍋を囲むのは、悪くないわ」
そんな声が、ぽつぽつと聞こえてくる。
子どもたちはといえば。
輪投げと的当ての前で、目を輝かせていた。
「お姉ちゃん! これ、どうやるの?」
「ここから、この輪を、あの棒めがけて投げてみてくださいな。
かかったら、私が全力で喜びますわ」
「全力で?」
「ええ、全力で」
子どもが、えいやっと輪を投げる。
それは残念ながら棒を外れ、地面をころころと転がっていった。
「おしいですわね。でも、今のはとてもいい軌道でした」
「……きどー?」
「ああ、ええと。投げるときの“飛び方”のことです。
次は、指をもう少しだけ強く離してみてくださいな」
二投目。
輪はふらふらと揺れながらも、ぎりぎりで棒に引っかかった。
「かかっ──た!」
「お見事ですわ!」
思わず両手を叩いてしまう。
周囲の子どもたちからも、「おおー!」という歓声が上がった。
そんなふうに、あちこちで笑い声が生まれていく。
輪投げ。
的当て。
ちょっとした綱引き。
どれも簡単な遊びだ。
けれど、そこには、明らかに“祭りの空気”が流れ始めていた。
「リヴィア様」
背後から声をかけられる。
振り向けば、レオンがそこにいた。
いつもの鎧姿ではなく、今日は動きやすい軽装だ。
とはいえ、腰の剣だけは手放していない。
「見回りですか?」
「はい。一応、酔っぱらいが暴れ出さないとも限りませんので」
「ここまでの酒は、さすがに出していませんけれどね」
「……この雰囲気で酔える人もいますから」
レオンは、焚き火の周りで笑っている人々を一瞥して、わずかに目を細めた。
「……悪くありません」
「そう言っていただけると、少しほっとしますわ」
焚き火の向こうから、誰かが古い歌を歌い始める。
それに合わせて手拍子が広がり、やがて輪になって踊り始める者たちも出てきた。
「リヴィア様、踊らないんですか?」
近くにいた子どもが、私の袖を引っ張る。
「えっ……私は、その、あまり得意では……」
「一緒に行こうよ!」
半ば強引に手を引かれ、私は焚き火の周りの輪の中へと連れて行かれた。
「レオン様は?」
「私は、見回りが」
「隊長、行ってきなさいよ。こんなときくらい」と、どこかの兵士が背中を押す。
レオンは、ほんの少しだけ困ったように眉をひそめ、それでも一歩、輪に踏み出した。
素朴なステップ。
足を踏み出し、戻し、手を叩く。
子どもたちの笑い声が、歌声に混ざる。
(……う、うまく足が合わないですわ)
頭ではわかっているのに、足が一歩遅れる。
隣にいたレオンの足の甲を、思い切り踏んでしまった。
「っ!? す、すみません!」
「いえ……っ、大丈夫です」
ほんの一瞬だけ顔をしかめたものの、レオンはすぐに表情を戻した。
「これは、その……祭りの洗礼ということで」
「洗礼にしては、だいぶ物理的ですわね……」
真っ赤になりながら謝ると、子どもたちがくすくすと笑った。
「お姉ちゃんも下手なんだ!」
「はい、たいへん残念ながら。
なので、あなたたちがうまく踊れるようになったら、ぜひ私にも教えてくださいな」
足をもつれさせながら、それでも輪からは出ない。
焚き火の熱。
人々の体温。
歌声と、笑い声。
それらすべてが、冷え切っていたはずの辺境の夜を、ゆっくりと温めていく。
◇ ◇ ◇
ふと、輪の外側に立ってこちらを見ている人々の視線が、目に入った。
笑っている者もいる。
どこか戸惑ったような顔の者もいる。
その中の何人かから、説明しづらい種類の視線を感じた。
(……不思議そうに、見ていますね)
“喜び”だけではない。
“戸惑い”と、“疑い”と、ほんの少しの“畏れ”。
この領主は、いったい何を望んでいるのか。
ここまでして、何を得たいのか。
そう問いかけるような目だ。
(仕方ありませんわね)
心の中で、そっと息をつく。
私は、善人でも、聖人でもない。
ただ、自分が“見たい景色”のために動いているだけだ。
飢えをすぐに消せないのなら、せめて“楽しい記憶”を増やしたい。
ここで生きていく子どもたちの心の中に、「あの夜は楽しかった」と思える灯りを、一つでも多く残したい。
それは、自己満足だと言われれば、その通りなのだろう。
(それでも)
焚き火の光に照らされて笑う子どもたち。
慎ましい皿を手にしながら、「今日は腹いっぱいだ」と笑う大人たち。
その姿を見ていると、自分の“わがまま”が、少しくらいは許されてもいいのではないかと、思ってしまう。
「リヴィア様」
踊りの輪が一段落したところで、レオンがそっと声をかけてきた。
「はい?」
「……こんな夜も、悪くありませんね」
彼は、焚き火の向こうの人々を見ながら、淡く微笑んだ。
「戦で勝つより、腹いっぱい食べさせるより……いえ、それは言いすぎですが。
こういう時間を守るためなら、剣を振るう価値はあると思います」
「それは、光栄な評価ですわね」
私も、焚き火に照らされる人々の笑顔を見つめる。
粗末な料理。
継ぎはぎの服。
ひび割れた皿。
それでも今この瞬間だけは、“ここで生きていること”を、少しだけ誇っている顔。
「お腹が満たされる日が少ないのなら──
せめて、“心が先に満たされる日”が、あってもいいと思いましたの」
ぽつりと口にすると、レオンがこちらを見た。
「祭りというのは、贅沢ではなくて。
生きていてもいいのだと、互いに確認するための儀式なのかもしれませんわね」
焚き火の火の粉が、夜空に舞い上がる。
その向こうに広がる星々は、相変わらず遠くて、手の届かない場所にある。
けれど、地上には今、確かに灯りがある。
人の手で作った、小さな、小さな火が。
(……これが)
胸の内で、静かに言葉を結ぶ。
(私の起こしたかった“奇跡”の形のひとつかもしれませんわね)
井戸の水を呼び戻すだけが、奇跡ではない。
病を癒すだけが、救いではない。
泣いていた顔に、一瞬でも笑い皺を刻むこと。
“ここで生きてもいいかもしれない”と思える夜を、一つでも増やすこと。
そのすべてを、私は、奇跡と呼びたい。
焚き火の熱を頬に受けながら、私はそっと目を閉じた。
明日になれば、祭りは終わる。
またいつもの、厳しい日々が戻ってくる。
それでも――この夜の笑い声は、きっとどこかに残る。
子どもたちの記憶に。
大人たちの胸の奥に。
そして、私自身の足元を照らす、小さな灯りとして。
それで十分だと、自分に言い聞かせながら、私は焚き火の前に立ち続けた。




