表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
23/83

はじめての小さな祭り

 きっかけは、本当に、なんでもない一言だった。


「お嬢様、聞いてください! 隣の町は、もうすぐお祭りなんですって!」


 書類の山と格闘していた執務室で、報告に来たはずの少年が、目を輝かせてそう言ったのだ。

 領内の子どもたちの中でも、よく城へ雑用を手伝いに来てくれる子だ。

 手には、よれた紙切れ。隣の町の掲示板から、誰かが剥がしてきた“収穫祭のお知らせ”らしい。


「そう。隣の町には、お祭りがあるのですね」


「はい! 歌を歌ったり、屋台が出たり、甘いパンが売られたりするんですって!

 ぼく、一回でいいから行ってみたくて……でも遠いし、お金も要るし……」


 言いながら、少年の肩が、小さく落ちる。


 私は手を止めて、彼に尋ねた。


「この辺りでは、祭りは?」


 少年は、ちらりと同席していた古参の兵士を見上げる。

 兵士が少し気まずそうに頭をかき、代わりに答えた。


「昔は……ありましたよ。収穫の季節に、村ごとに焚き火を囲んで、歌ったり、酒を回したり。

 でもここ数年は、とてもそこまでの余裕がなくて……」


「余裕、ですか」


「金も、物も、です。

 食うのがやっとの年が続いたもんで、祭りどころじゃねぇ、ってやつで」


 彼の言葉に、少年もこくんとうなずいた。


「うちの村も、ぼくがものごころついてからは、お祭り、やってません……」


 それが当たり前だ、と言うような顔。

 “祭りなんてなくても、生きていける”と自分に言い聞かせている子どもの顔を、私は王都でも何度か見てきた。


 生きるために削られていくものは、いつも“贅沢”と呼ばれるものからだ。

 歌うこと、笑うこと、踊ること。

 腹の足しにはならないものばかり。


(けれど――)


 視線を、窓の外に向ける。

 冷たい風に揺れる畑。

 やせた土の上に、それでも今年は、少しだけ実りがあった。


 井戸にも、わずかながら水が戻った。

 魔物に怯える道も、ほんの少しだけ安全になった。


 生活はまだ、苦しい。

 それでも。


「……年に一度くらいは、笑って終われる日があっても、いいのではないでしょうか」


 気づけば、口から言葉がこぼれていた。


「え?」


 少年と兵士が、同時にこちらを見る。


 私は椅子から立ち上がり、執務机から距離を取った。

 机の上の帳簿と数字から、一歩だけ離れて、別の景色を考える。


「収穫祭。形はどうあれ、ここでもやってみませんか」


 兵士が、目を丸くする。


「こ、ここで、ですか? お嬢様……いえ、リヴィア様。

 しかし、その……お金が──」


「お金がなくても、火と歌と、少しのおかずがあれば、祭りと呼んでしまっていいのではなくて?」


 わざと大袈裟に肩をすくめてみせると、少年の目がぱっと輝いた。


「お祭り……! この村で、ですか!?」


「ええ。ただし、立派な屋台も、絢爛な飾りも、期待しないでくださいね。

 あるものを持ち寄って、できる範囲で楽しむ、小さなお祭りです。

 無理をするのは、祭りではなく“見栄”ですから」


 兵士はまだ戸惑っているようだったが、その口元には、かすかな笑みが浮かび始めていた。


◇ ◇ ◇


 話は、意外なほど早く広がった。


 「今年、収穫祭を再開するらしい」「公爵令嬢自ら言い出した」と、

 噂好きの女将や、井戸端の奥様方の間で、あっというまに“お祭り計画”が膨らんでいく。


 もちろん、問題は山ほどあった。


「リヴィア様、本当に“一品持ち寄り”なんて形で大丈夫なんで?」


 城の台所で、大鍋を前に腕を組んでいるのは、この城で一番古くから働いている料理長だ。

 丸い体に、どっしりとした腕。

 本来なら貴族の食卓を任されるはずの腕前を、今はほとんど“芋とスープ”にしか発揮できていないのが、ずっと気になっていた。


「物資は限られていますもの。

 無理に振る舞おうとすれば、すぐに底をついてしまいます。

 それなら、皆で少しずつ持ち寄ったほうが、公平ですわ」


「とはいえ、持ち寄る余裕がねえ家も、多いですよ」


「その場合は、“手”を持ち寄ってもらいましょう。

 準備や片付け、子どもたちの遊び場の見張りでも、立派な参加です」


 料理長が、ふっと目を細める。


「……なるほど。物じゃなくて、働きも分け合うってわけですか」


「ええ。それに──」


 私は、大鍋の縁を指先で軽く叩いた。


「城からは、この大鍋いっぱいのスープと、できるかぎりのパンを出します。

 さすがに肉はそうたっぷりとはいきませんけれど、野菜と豆くらいなら、なんとか」


「それでも、普段の倍の量だ。こいつは腕が鳴りますねぇ」


 料理長は、にやりと笑うと、慣れた手つきで包丁を構えた。


 私はというと――。


「リヴィア様、その……包丁は私がやりますから」


「え、あの、少しは手伝わせてくださいませ。ほら、こうして──」


 と、言ったそばから、玉ねぎを切りながら涙目になっているのだった。


「……目に沁みますわね、これ」


「そのうち慣れますよ。涙も一緒に鍋に入っちまったら、味が濃くなるかもしれませんがね」


「うっかり“しょっぱく”なってしまうかもしれませんわ……」


 涙をぬぐいながら笑うと、使用人たちからくすくすと笑い声がこぼれた。


 大鍋の中で、刻んだ野菜と豆が、ぐつぐつと音を立てている。

 私の役目は、主に味見と、塩加減の調整だ。


「ここに少しだけ、ハーブを。風味が良くなります」


 持ち込んだ乾燥ハーブを指で砕き、指先でぱらぱらと鍋に落とす。

 ふわりと立ち上る香りに、料理長が感心したように鼻を鳴らした。


「へえ……いつものスープとは、ひと味もふた味も違いますな」


「祭りですもの。

 少しだけ特別な匂いがしたほうが、わくわくしますでしょう?」


 などと、格好をつけていたら――。


「リヴィア様、塩。もうそれ以上は」


「あっ」


 慌てて塩壺から手を離した。

 ついつい手元が緩んで、危うく“大人の味”を通り越して、“罰ゲーム”になってしまうところだった。


「……危ないところでしたわ」


「味見なさらなかったら、兵隊どもが一斉に無言になるところでしたぜ」


「それは、それは。想像するだけで怖ろしいですわね」


 笑い合いながら、私はスプーンで少しだけスープをすくって口に運ぶ。


 素朴だが、確かに、いつもよりほんの少しだけ“豊かな味”になっていた。


「……我ながら、なかなか、いけますわね?」


 小さくそう漏らすと、近くにいた侍女がくすっと笑った。


「お嬢様、ちょっと得意げです」


「たまには褒めてくださいな。

 いつもは数字相手に格闘しているのですから、料理くらいで少し誇らせてくださいませ」


◇ ◇ ◇


 食事だけではない。

 祭りといえば、子どもたちの遊び場も必要だ。


「輪投げ、ですか?」


「ええ。木の棒を地面に挿して、縄で輪を作って……ほら、このくらいの距離から投げて、棒にかかれば成功、という形で」


 広場の片隅で、私は兵士たちと一緒に、簡易遊具の試作に励んでいた。


 折れた槍の柄を短く切り、地面に突き刺す。

 縄は、城の古い荷縄を解いて輪にしてもらった。


「お嬢様、意外とこういう遊び、慣れておられるんですね」


「子どもの頃、屋敷の庭で似たようなことをしていましたの。

 当時はもっと……そうですね、金細工の輪などを使っていましたけれど」


「金!?」


「ええ、今考えると、なんて無駄遣いを……と頭が痛くなりますわね。

 的に当てるたびに、父がこっそり顔を引きつらせておりました」


 その頃の父の顔を思い出して、思わず笑ってしまう。


「今回は、そんな心配はありません。

 落とし放題、投げ放題です」


 少し離れたところでは、別の兵士たちが的当て用の木札を並べている。

 小さな石を投げて倒すだけの、簡単な遊びだ。


「ルールは難しくしません。

 子どもたちがすぐ覚えられて、すぐ笑えるものがいいですわ」


「賞品とかは?」


「……そうですね。お菓子は、あまりたくさん用意できませんから」


 少し考えたのち、私は指を立てた。


「“勝った子には、私が全力で拍手して褒める”というのは、いかがでしょう」


「……それ、子どもが喜びますかね?」


「喜んでくれなかったら、そのときは私が傷ついて終わりますわ」


「やめましょうよ、その博打」


 兵士の苦笑に、私も笑い返す。


 そんなふうにあれこれと準備をしているうちに――。


 あっという間に、祭りの日はやってきた。


◇ ◇ ◇


 夕暮れ。

 村の広場には、慣れない手つきで積まれた薪の山が、中央に鎮座していた。


「火、つけますよー!」


 子どもたちの歓声とともに、火打ち石の音が弾ける。

 最初は頼りない火花だったものが、じわじわと木片に移り、

 やがて、ぱちぱちと音を立てながら炎の柱へと育っていく。


 焚き火の周りには、粗末ながらも料理が並んでいた。


 干した肉をほぐして入れた煮込み。

 庭で採れたての芋を焼いた皿。

 少しだけ蜂蜜を塗ったパン。

 城から運ばれた大鍋のスープが、湯気を立てながら人々を待っている。


 飾り付けと言えるほどのものはない。

 それでも、広場の周囲には色褪せた布が結びつけられ、

 採りたての草花が、ところどころに差してある。


 村の女たちが、胸を張って並べた料理を誇らしげに眺めていた。


「まさか、また祭りができるとはねぇ……」


「昔みたいなご馳走じゃないけど、それでも、こうやって皆で鍋を囲むのは、悪くないわ」


 そんな声が、ぽつぽつと聞こえてくる。


 子どもたちはといえば。

 輪投げと的当ての前で、目を輝かせていた。


「お姉ちゃん! これ、どうやるの?」


「ここから、この輪を、あの棒めがけて投げてみてくださいな。

 かかったら、私が全力で喜びますわ」


「全力で?」


「ええ、全力で」


 子どもが、えいやっと輪を投げる。

 それは残念ながら棒を外れ、地面をころころと転がっていった。


「おしいですわね。でも、今のはとてもいい軌道でした」


「……きどー?」


「ああ、ええと。投げるときの“飛び方”のことです。

 次は、指をもう少しだけ強く離してみてくださいな」


 二投目。

 輪はふらふらと揺れながらも、ぎりぎりで棒に引っかかった。


「かかっ──た!」


「お見事ですわ!」


 思わず両手を叩いてしまう。

 周囲の子どもたちからも、「おおー!」という歓声が上がった。


 そんなふうに、あちこちで笑い声が生まれていく。


 輪投げ。

 的当て。

 ちょっとした綱引き。


 どれも簡単な遊びだ。

 けれど、そこには、明らかに“祭りの空気”が流れ始めていた。


「リヴィア様」


 背後から声をかけられる。

 振り向けば、レオンがそこにいた。


 いつもの鎧姿ではなく、今日は動きやすい軽装だ。

 とはいえ、腰の剣だけは手放していない。


「見回りですか?」


「はい。一応、酔っぱらいが暴れ出さないとも限りませんので」


「ここまでの酒は、さすがに出していませんけれどね」


「……この雰囲気で酔える人もいますから」


 レオンは、焚き火の周りで笑っている人々を一瞥して、わずかに目を細めた。


「……悪くありません」


「そう言っていただけると、少しほっとしますわ」


 焚き火の向こうから、誰かが古い歌を歌い始める。

 それに合わせて手拍子が広がり、やがて輪になって踊り始める者たちも出てきた。


「リヴィア様、踊らないんですか?」


 近くにいた子どもが、私の袖を引っ張る。


「えっ……私は、その、あまり得意では……」


「一緒に行こうよ!」


 半ば強引に手を引かれ、私は焚き火の周りの輪の中へと連れて行かれた。


「レオン様は?」


「私は、見回りが」


「隊長、行ってきなさいよ。こんなときくらい」と、どこかの兵士が背中を押す。


 レオンは、ほんの少しだけ困ったように眉をひそめ、それでも一歩、輪に踏み出した。


 素朴なステップ。

 足を踏み出し、戻し、手を叩く。

 子どもたちの笑い声が、歌声に混ざる。


(……う、うまく足が合わないですわ)


 頭ではわかっているのに、足が一歩遅れる。

 隣にいたレオンの足の甲を、思い切り踏んでしまった。


「っ!? す、すみません!」


「いえ……っ、大丈夫です」


 ほんの一瞬だけ顔をしかめたものの、レオンはすぐに表情を戻した。


「これは、その……祭りの洗礼ということで」


「洗礼にしては、だいぶ物理的ですわね……」


 真っ赤になりながら謝ると、子どもたちがくすくすと笑った。


「お姉ちゃんも下手なんだ!」


「はい、たいへん残念ながら。

 なので、あなたたちがうまく踊れるようになったら、ぜひ私にも教えてくださいな」


 足をもつれさせながら、それでも輪からは出ない。

 焚き火の熱。

 人々の体温。

 歌声と、笑い声。


 それらすべてが、冷え切っていたはずの辺境の夜を、ゆっくりと温めていく。


◇ ◇ ◇


 ふと、輪の外側に立ってこちらを見ている人々の視線が、目に入った。


 笑っている者もいる。

 どこか戸惑ったような顔の者もいる。


 その中の何人かから、説明しづらい種類の視線を感じた。


(……不思議そうに、見ていますね)


 “喜び”だけではない。

 “戸惑い”と、“疑い”と、ほんの少しの“畏れ”。


 この領主は、いったい何を望んでいるのか。

 ここまでして、何を得たいのか。


 そう問いかけるような目だ。


(仕方ありませんわね)


 心の中で、そっと息をつく。


 私は、善人でも、聖人でもない。

 ただ、自分が“見たい景色”のために動いているだけだ。


 飢えをすぐに消せないのなら、せめて“楽しい記憶”を増やしたい。

 ここで生きていく子どもたちの心の中に、「あの夜は楽しかった」と思える灯りを、一つでも多く残したい。


 それは、自己満足だと言われれば、その通りなのだろう。


(それでも)


 焚き火の光に照らされて笑う子どもたち。

 慎ましい皿を手にしながら、「今日は腹いっぱいだ」と笑う大人たち。


 その姿を見ていると、自分の“わがまま”が、少しくらいは許されてもいいのではないかと、思ってしまう。


「リヴィア様」


 踊りの輪が一段落したところで、レオンがそっと声をかけてきた。


「はい?」


「……こんな夜も、悪くありませんね」


 彼は、焚き火の向こうの人々を見ながら、淡く微笑んだ。


「戦で勝つより、腹いっぱい食べさせるより……いえ、それは言いすぎですが。

 こういう時間を守るためなら、剣を振るう価値はあると思います」


「それは、光栄な評価ですわね」


 私も、焚き火に照らされる人々の笑顔を見つめる。


 粗末な料理。

 継ぎはぎの服。

 ひび割れた皿。


 それでも今この瞬間だけは、“ここで生きていること”を、少しだけ誇っている顔。


「お腹が満たされる日が少ないのなら──

 せめて、“心が先に満たされる日”が、あってもいいと思いましたの」


 ぽつりと口にすると、レオンがこちらを見た。


「祭りというのは、贅沢ではなくて。

 生きていてもいいのだと、互いに確認するための儀式なのかもしれませんわね」


 焚き火の火の粉が、夜空に舞い上がる。


 その向こうに広がる星々は、相変わらず遠くて、手の届かない場所にある。


 けれど、地上には今、確かに灯りがある。

 人の手で作った、小さな、小さな火が。


(……これが)


 胸の内で、静かに言葉を結ぶ。


(私の起こしたかった“奇跡”の形のひとつかもしれませんわね)


 井戸の水を呼び戻すだけが、奇跡ではない。

 病を癒すだけが、救いではない。


 泣いていた顔に、一瞬でも笑い皺を刻むこと。

 “ここで生きてもいいかもしれない”と思える夜を、一つでも増やすこと。


 そのすべてを、私は、奇跡と呼びたい。


 焚き火の熱を頬に受けながら、私はそっと目を閉じた。

 明日になれば、祭りは終わる。

 またいつもの、厳しい日々が戻ってくる。


 それでも――この夜の笑い声は、きっとどこかに残る。


 子どもたちの記憶に。

 大人たちの胸の奥に。

 そして、私自身の足元を照らす、小さな灯りとして。


 それで十分だと、自分に言い聞かせながら、私は焚き火の前に立ち続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ